Dream.20 十二暦家 〈4〉
「手荒な真似をして申し訳ありません。姫神子」
朔十がゆっくりとその場にしゃがみ込み、座り込んだままの小夜子と視線を揃える。
「宵のこと、速やかに報告して頂けていれば、こちらもこのような真似をせずに済んだのですが、本当に残念です」
「クっ……!」
強く唇を噛み締めた小夜子が額の印を光らせて、右手を朔十へと突き出す。
「無駄ですよ」
「うあああ……!」
突き出そうとしていた小夜子の右手を、朔十が左腕で地面へと叩き落す。あまりに強い衝撃に、骨が砕けたような重い音が響いた。
「朔十様っ」
容赦ない朔十の行動に、慎一郎が少し焦ったように声を出す。
「宵は我々月の出の希望。独り占めはいけませんよ、姫神子」
「う、ううぅっ」
痛みに美しい表情を歪めながらも、小夜子は朔十を睨み続けることをやめなかった。
「三奈、宵を」
「了解っ」
その場を勢いよく飛び上がって、三奈が硝子を捕らえた結晶体のすぐ前へと移動していく。
「さぁ、一緒に来てもらうわよ。宵」
三奈から向けられる言葉に、結晶体の中で硝子が厳しい表情を見せる。
「さぁ姫神子、あなたにも一緒に」
「きゃあ!」
立ち上がって小夜子へと手を差し伸べようとした朔十が、響く三奈の悲鳴に振り向く。硝子を運ぼうとした三奈へと、金色の一閃が迫っていた。だがその一閃にはあまり速さがなく、三奈はギリギリのところでそれを避けた。
「ふぅっ」
額の汗を拭う三奈を見た後、朔十が一閃の飛んで来た方角へと視線を向ける。
「ハァ、ハァ、ハァ!」
「灯子さんっ」
朔十の後方から、小夜子が驚きの表情で目を見開く。三奈へと一閃を飛ばしたのは、未だ胸の傷から血を流しているにも関わらず、刀を支えに必死に体を起こした灯子であった。息の乱れ方からしても、とても動けるような状態には見えない。
「驚いたな。余程、死に急いでいるのか?」
そっと微笑んだ朔十が、まるで感心するように灯子へと言葉を向ける。
「硝子にっ、硝子に手出しはさせないっ……!」
体の状態など構う様子もなく、勇ましく声を発する灯子に、慎一郎に肩を貸していた利九がゆっくりと足を踏み出す。
「いい、利九」
利九に制止を促すと、朔十はゆっくりと灯子の方に体を向けた。
「命知らずの女は嫌いじゃないが」
朔十が灯子へと黒光を纏った右手を向ける。
「目障りでもある」
冷たく落とされた朔十の言葉と共に、朔十の右手から巨大な黒光の刃が放たれる。刃はまっすぐに、もうろくに動くことの出来ない灯子へと向かっていった。
「あっ……!」
「灯子!!」
硝子と小夜子がそれぞれ、必死に身を乗り出す。
刃を視線で追いながら、朔十が確信に満ちた笑みを浮かべていたその時であった。
「“黎明”」
真っ暗な空から降り注いだ雷のような明るい光りに打たれ、朔十の刃が灯子に届く前に粉々に砕け散っていく。
散らばっていく黒光を見つめながら、そっと眉をひそめる朔十。
「あ、あぁ……」
目の前に降り注ぐ温かな光りを見つめながら、灯子が安心したような笑みを浮かべる。
「朝、海っ……」
笑みを零してゆっくりと倒れ込んだ灯子の体をしっかりと受け止めたのは、朝海であった。
「日下部、君」
現れた朝海に一気に力が抜けたのか、硝子もホッとしたようにその場に座り込む。
「朝海、硝子……、硝子を」
「ああ」
深い傷を負った瀕死状態の灯子の姿を見て、朝海が眉間に皺を寄せる。朝海はゆっくりと灯子を地面に横たわらせると、静かにその鋭い視線を朔十へと向けた。朔十と視線を合わせた瞬間に、朝海が額に日の出の印を浮かび上がらせる。
「日の出の神子、か」
その印を見つめ、朔十が楽しげに笑う。
「あの男っ」
現れた朝海を見て、三奈が表情を曇らせる。
「あの時の……」
――――俺もサイン、いいですか?――――
「枕サイン男? あいつが、日の出の神子?」
まっすぐに朝海を見つめ、三奈がどこか複雑そうに眉をひそめる。
「朝海!」
まだ少し離れた空から、大声を張り上げて朝海の名を呼ぶ晃由。晃由を頭に乗せた輝が、左右の耳を大きくはためかせて公園へと向かって来ている。
「日の出の神子に、昼力の獏。さすがに分が悪いか」
判断を下した朔十が、小夜子の腕を引いて無理やり立ち上がらせる。
「三奈」
「ここに居るわ!」
朔十が呼ぶと、三奈はすでに硝子を捕らえた結晶体と共に朔十のすぐ傍まで移動してきていた。
「退こう、利九」
「はい」
朔十の指示に頷いた利九が、空に向かって両手を伸ばす。
「“秋の夜長に、道よ開け”」
涼やかな利九の声が響くと、上空の暗闇から降り落ちて来た靄のような黒光がどんどんと朔十たちを取り囲んでいく。
「あっ……!」
靄に包まれていく朔十たちへと朝海が足を踏み出そうとしたその時、結晶体の中にいる硝子と朝海の視線がぶつかった。
「……っ」
硝子の願うような視線に、朝海が思わず足を止める。
「朝、海?」
動こうとしない朝海に、横たわったままの灯子が眉をひそめる。靄に包まれた朔十たちと共に、どんどんと夜の暗闇の中へ消えていく硝子。
「あ、ま、待て……!」
灯子の叫びも虚しく、硝子と小夜子は、朔十たちと共に夜の闇の中へと掻き消えていった。朔十たちの姿がなくなると同時に夢現空間が消え、空に明るさが戻る。
「朝海!」
明るくなったばかりの空から朝海の元へと、晃由と輝が降り立った。
「晃、すぐに灯子を曜子先生のところへ」
「わかった!」
「馬鹿なっ!」
朝海の晃由への指示を聞いた灯子が、思わず体を起こす。
「私のことなんか、どうでもいい! とっとと硝子をっ……!」
「ダメだ」
灯子の必死の言葉を遮り、朝海が強く言い放つ。
「今は、君の治療が先だ」
「クっ」
はっきりと告げられる朝海の言葉に、灯子が唇を噛み締める。
「クッソォォォ……!」
灯子は血にまみれた右手を、地面に叩きつけた。
十六夜町。月の出総家、別館。
平屋敷の並ぶ和風の日の出総家とは対照的に、月の出総家の別館は近代風の大きな洋館となっていた。煉瓦の壁に囲われ、黒い鉄製の門からのみ入ることの出来るその洋館は、まったく日の当たらない場所に立っているため、周囲に他の家などはない。普通の人間は皆、日当たりの良くない場所を好まないためだろう。
「あぁー、忙しい忙しい!」
携帯電話とパソコンをそれぞれの手に、忙しなく部屋を駆け回っているのは眼鏡にスーツの女性、師走であった。
「誰かさんの休業宣言のせいで、マスコミ各社から問い合わせが殺到ざぁーます! あぁー、忙しい忙しい!」
「嫌味ったらしいわねぇ」
師走の言葉に不満げに口を尖らせながら、三奈が深々と被っていた帽子と眼鏡を取り去る。素顔を見せた三奈は、今をときめくグラビアアイドル天井シャンデリア、その人であった。
「いいじゃない、ちょっとくらい仕事休んだって。ばっちり宵は連れ帰って来たんだからさぁ」
「君は大して役に立たなかったですがね」
椅子に腰かけ、傷の治療を受けている慎一郎が口を挟む。
「それはアナタも同じでしょう? 慎ちゃん。結局、朔ちゃんと利九ちゃんまで行くことになっちゃったんだからっ」
「うっ」
鋭く言葉を放って慎一郎を黙り込ませたのは、慎一郎の手当てをしている女性であった。ふわふわとした巻き髪の可愛らしい女性で、部屋の中だというのに何故かビキニ姿である。シャンデリアにも負けず劣らずの抜群のスタイルで、小麦色の肌がとても健康的であった。
「もっと言ってやってよ、亜八華っ」
「あなたもちょっとは反省するざぁーます! 三奈!」
「はぁ~い」
師走から鋭く飛んで来る声に、三奈がまったく反省していない様子で頷く。
その時部屋の扉が開き、朔十と利九が姿を見せた。朔十たちが部屋に現れると今までの緩んでいた空気が一転、皆かしこまった様子で朔十へと頭を下げる。
「朔十、宵は?」
「地下牢だ」
三奈の問いかけに答えながら、朔十が部屋の奥のまるで玉座のように設けられた椅子へと歩み寄って行く。ゆっくりと体の向きを変えると、朔十はその椅子に深々と腰掛けた。
「あれはまだ不完全な獏だからな。目醒めさせる必要があるが、宵の力を目醒めさせることが出来るのは宵の神子、水無月修夜だけだ」
「じゃあ次は水無月修夜を連れ帰って来ればいいの?」
「連れ帰って来る必要はないさ」
問いかけた三奈に、朔十が得意げな笑みを浮かべる。
「水無月修夜は自ら必ずここへ来る。姉と自身の従獏を助けるためにな」
「成程っ」
朔十の言葉に納得したように頷く三奈。
「そんなこともわからなかったざぁーますか? 月の出の姫神子も共に連れて来た時点で、普通にわかることざぁーますが」
「うるさいわねっ」
棘のある師走の言葉に、三奈がまた口を尖らせる。
「問題は、“日の出の神子”日下部朝海に我々の存在を知られたことだな」
朔十へと向けられた利九の言葉に、三奈がすぐに振り向く。
「日下部、朝海……」
利九が発した朝海の名を繰り返し、どこか考え込むように俯く三奈。
「どうかしたざぁーますか? 三奈」
「あ、ううん」
師走に問われると、三奈が誤魔化すようにすぐに首を横に振る。
「日下部朝海は問題ない。あれは異端の神子。あれのために日の出の総家は決して動かない。あいつ一人の力など、たかが知れているさ」
「そうだといいんだが……」
確信を持って話す朔十に、利九が少し不安めいた言葉を落とす。
「あの男なら大丈夫よ。私に任せて」
自信満々に言い放つ三奈に、朔十と利九が同時に視線を送る。
「乗り込んで来たら、私が叩きのめしてあげるからっ」
そう強く言い切ると三奈はすぐに朔十たちに背を向け、一人部屋を出て行った。
「何々ざぁーますか? 急に自信満々に」
「さぁ~?」
訝しげに眉をひそめる師走と共に、大きく首を傾げる亜八華。
「大体僕は、初めから気に喰わなかったんですよ。今回の作戦に彼女を加えること」
険しい表情で三奈の出て行った扉を見つめながら、慎一郎が苦言を呈す。
「女優になりたいとか言って月の出の任務を放り出して、今まで散々好き勝手やってきたくせに、今度は勝手に休業宣言して、急にやる気になってしゃしゃり出て来て」
「それは仕方ないわよ、慎ちゃん」
辛口の慎一郎をたしなめるように穏やかに声を放って、亜八華が手当てを終えたばかりの慎一郎の腕を優しく撫でる。
「“弥生”の女は奔放なの。昔っからね」
亜八華の妖艶な笑みに、慎一郎は納得した様子もなく不満げに視線を逸らした。
「亜八華の言う通りだ。三奈のことは好きにさせてやればいいさ」
寛大に言葉を放った朔十が、ゆっくりと天井を見上げる。
「どうせ夢を見ていられるのも、後わずかだ」
真っ黒な天井の真ん中に大きく描かれた月の絵を眺めながら、朔十はそっと笑みを零した。
その頃、三奈の部屋。
「“おうえんしてます。がんばってください”」
寝台の上に寝転がった三奈は、一通の手紙を読んでいた。もう随分と古い手紙なのか、端が黄ばみ始めている。手紙に書かれた文字は幼い子供の字なのかすべて平仮名で、決して読みやすいものではなかった。
「“くさかべあさみ”……」
手紙の最後に書かれた、すべて平仮名の名前を見つめ、三奈がそっと目を細める。
「日下部、朝海」
名前を言い直した三奈が、読み終えた手紙を胸に当てる。
「日の出の神子、か」
溜め息交じりに言葉を落とすと、三奈はどこか力なく瞳を閉じた。




