Dream.20 十二暦家 〈3〉
「帰る……? 私の、在るべき場所へ?」
慎一郎が発した言葉を繰り返しながら、ひどく困惑した表情を見せる硝子。硝子の動揺が増していく中、硝子の腕の中で横たわっていた小夜子が、ゆっくりと体を起こした。
「小夜子さん」
「逃げて下さい、硝子さん。ここは私が抑えます」
「え?」
心配するように小夜子を見た硝子が、思いがけない小夜子の言葉に眉をひそめる。
「そんな! 小夜子さん一人を置いて逃げるなんて、私っ……!」
「言ったでしょう? 心悪しき者に決して、その力は渡さないで下さいと」
つい先程言われたばかりの言葉に、硝子がハッとした表情となる。
「あの人たちが、心悪しき者だと?」
「突然攻撃してくるような者が、心清き者だと思いますか?」
鋭く問われた硝子が、思わず口籠る。
「だったら私も、私も一緒に戦います! 私のこの力であの人たちを……!」
「私では修夜のように、あなたの力を制御することは出来ません。あなたが今暴走すれば、あの者たちの思う壺です」
遮るように強く言われ、反論の余地をなくす硝子。
「でも、でもっ!」
「お願いです、硝子さん。その力を絶対に渡さないで下さい」
必死に訴えようとする硝子の手をきつく握り締め、小夜子が焦げたローブの向こうから、先程よりもずっと見えやすくなったまっすぐな瞳を硝子へと向ける。
「特にあの男、“神無月”にだけはっ……!」
「神無月?」
小夜子が想いを振り絞って出したその名に、硝子が険しい表情を見せる。
「もう一回! “雛霰”!」
大きく声を張り上げた三奈が、二人へと再び黒い霰を降らせる。
「“黒傘”!」
先程と同じように黒い傘を作り出し、三奈の霰を防ぐ小夜子。霰を防いだ小夜子が素早く、慎一郎と三奈へと右手を伸ばす。
「“月光”!」
巨大な夜力の塊を二人に放つと、小夜子はすぐに硝子の方を振り向いた。
「行って下さい、早く!」
「わ、わかりました!
必死の小夜子に逆らうことすら許されないような雰囲気で、大人しく頷いた硝子がすぐにその場を駆け去っていく。
「学校っ、学校に行って、日下部君と修夜君を……!」
「逃がさないわよ」
「あっ……!」
二人が現れたのとは別方向の出口から公園を出ようとした硝子の前に、三奈が姿を見せる。三奈は楽しげに微笑むと、右手に纏った黒光から扇のようなものを作り出した。
まるで舞うように扇を動かし、三奈が硝子へと風を送る。
「“夢晶化”!」
風が硝子の体を吹き抜けると、地面から積み上がるようにして形成された黒い結晶体が、硝子の体全体を包み込んだ。結晶の分厚い壁に捕らえられ、硝子が険しい表情を見せる。
「硝子さん……!」
「余所見をしている場合ですか?」
捕らえられた硝子へと視線を向けていた小夜子のすぐ後方に、いつの間にか現れる慎一郎。小夜子が身構える前に、慎一郎は小夜子へと矢を放った。
「“破魔矢”」
「う、うああああ!」
至近距離から何で防ぐこともなく矢を浴びた小夜子が、勢いよく後方へと吹き飛ばされていく。
「小夜子さん……!」
地面に力なく倒れ込む小夜子に、結晶体の壁を何度も叩きながら必死に身を乗り出す硝子。
「小夜子さん、小夜子さんっ……!」
「う、ううぅ……」
不安げな硝子の声が何度も響く中、地面に倒れ込んでいた小夜子がゆっくりと上半身を起こす。纏っていたローブはボロボロで、起き上がる際の反動で顔まで覆うように深々と被られていたローブは、ゆっくりと首元に落ちた。
「あっ」
思わず目を見張る硝子。
脱げ落ちたローブの下から現れた、流れるような艶のある黒い長髪。ローブの下から姿を見せたのは、透き通るような白い肌に、大きな力強い瞳の、何とも美しい女性であった。知的な雰囲気の漂う、その整った顔立ちはどことなく修夜に似ている。
女性の額には青白い月の出の印が輝いていた。
「相変わらず、お美しい」
小夜子の姿を確認した慎一郎が、まるで感嘆するように声を漏らす。
「ローブの奥に隠すには、あまりにも勿体ない美貌ですね」
賞賛の声を向けられても、小夜子は少しも喜ぶ様子を見せず、鋭い視線を慎一郎へと向けるだけであった。そんな小夜子の態度に、慎一郎が少し困ったように肩を落とす。
「見惚れてないで、とっととトドメ刺しちゃってよ。慎一郎!」
「そうでした」
急かすような三奈の言葉に、慎一郎がそっと笑みを零す。
「では、姫神子」
立ち上がれもしない小夜子へと、慎一郎が再び矢を引く。
「憬一郎のためにも、最期まで美しく散って逝って下さい」
慎一郎の笑みと引かれる矢に、小夜子が強く唇を噛み締める。
「小夜子さん……!」
身動きの取れないまま小夜子の危機を見つめ、必死に身を乗り出す硝子。硝子の叫びは誰にも届かないまま、どんどんと矢が引かれていく。
「ダメっ……、ダメ!」
硝子の強い叫びと共に、硝子の左肩の制服の袖が焼け焦げて消え去ると、露になった肩の肌にくっきりと月の出の紋が浮かび上がる。
硝子の肩の紋が光り、そこから強い閃光のようなものが放たれて、結晶の壁を突き抜けていく。突き抜けた光りは、まっすぐに慎一郎へと向かっていった。
「何っ……!? ううぅ!」
今まさに矢を放とうとしていた慎一郎が、硝子の元から突き抜けた光りに押し出されていく。
「ハァ、ハァ、ハァ」
「硝子さん……」
結晶体の中で大きく息を乱す硝子を見ながら、眉をひそめる小夜子。
「私の夢晶体を破るなんてっ……」
小夜子から少し離れた場所で倒れ込む慎一郎を見つめながら、三奈が驚きの表情を見せる。
「何をしているんですか、三奈! 宵の夜力を抑え込むことが、君の役目でしょう!」
相当取り乱しているのか、先程までの丁寧な口調から一転して荒々しい声を三奈へと向ける慎一郎。一瞬のことで三奈や小夜子にはよく見えなかったが、ボロボロに傷ついた慎一郎の体を見れば、あの硝子の放った光りがどれほどの威力だったのかはわかる。
「完全に抑え込みなさい!」
「わ、わかってるわよ!」
怒りの形相の慎一郎に言われ、三奈がすぐに結晶体の中の硝子へと振り向く。
「今度こそ、完全に抑止する。“夢晶化”……!」
「あ、あああああ!」
黒々と輝きを増す結晶体の中で、苦しげな悲鳴をあげる硝子。強い痛みの走る頭を両手で抱え込む硝子の肩に刻まれた月の出の紋が、結晶体が輝くに連れてどんどんと薄れていく。
「これで……!」
「“走馬刀”」
「えっ……!?」
確かな手応えに笑みを浮かべた三奈のもとに、高速で飛んで来る金色の一閃。
「うっ……!」
受け止めることは危険と瞬時に判断した三奈が、結晶体に包まれた硝子のもとを離れ、後方へと飛び下がる。
「灯、子っ……」
結晶体の中で力なくしゃがみ込みながら、そっと声を漏らす硝子。三奈の離れた硝子のすぐ目の前へと現れたのは、金刀を構えた灯子であった。灯子のその表情は、いつもにも増して不機嫌に見える。
「夢現空間が出てたから夢喰かと思って来てみたが……」
灯子がゆっくりと周囲を見回し、傷ついた小夜子や慎一郎の姿を視界に入れる。
「夢喰より性質が悪そうだな」
「灯子さん」
鋭く瞳を光らせる灯子を見ながら、小夜子がそっと目を細める。
「今の力、朝力ですか?」
「慎一郎、後ろ!」
現れた灯子の力を分析しようとしていた慎一郎が、焦ったように響き渡る三奈の声にすぐに振り返る。
「なっ……!?」
慎一郎の後方からは巨大な金色の天馬が、慎一郎目がけて一気に突っ込んで来ていた。
「グ……!」
地面に身を転がすようにして、何とか天馬の体当たりを避ける慎一郎。
「あれはっ」
「もう一度行け、“燈”!」
「やはり日の出の獏かっ」
灯子が呼ぶ獣の名に、確信を持った慎一郎が険しい表情を見せる。弓を持ったまま後方へと下がり、態勢を立て直して空いたままの右手を燈へと突き出す慎一郎。
「“七草”!」
地面から今度は長い草を無数に伸ばして、慎一郎が空へと舞い上がろうとしていた燈の四本の脚を絡め取り動きを封じる。
もがく燈へ向け、弓矢を構える慎一郎。
「喰らいなさい、“破魔矢”!」
黒い光りを纏った矢が、まっすぐに燈へと向かっていく。
迫り来る矢に気付いた燈は、足元の草花を取ろうともがいていたその動きを止め、向かってくる矢に向かって大きく口を開いた。
燈が激しい咆哮を上げると、その咆哮に押されるように慎一郎の矢が向きを変えて空へと消えていく。
「何……!?」
咆哮だけで矢を弾かれたことに、慎一郎が衝撃を走らせる。
「そんなっ、僕の力が」
「行くぞ、燈」
燈の足元を絡め取っていた草花を刀で斬り裂いた後、灯子が燈の背の上へと飛び上がる。灯子の言葉に、燈は大きく頷いた。
「“走馬砲”!」
灯子が背中の上で刀を振り下ろすと同時に、燈の大きく開かれた口から巨大な金色の光りの塊が放たれる。
圧倒するほどの強大な力を前に、慎一郎は防ぐ手立てもなかった。
「うわああああ!」
「慎一郎!」
金光に撃たれて吹き飛ばされていく慎一郎に、三奈が思わず身を乗り出す。
「強い……」
灯子の勇ましい姿を見つめ、思わず呟きを落とす小夜子。小夜子ではまったく歯が立たなかった慎一郎だというのに、灯子の前ではまるで相手になっていない。その前に硝子により負わされた傷が、慎一郎に相当のダメージを与えていたことも要因だろう。
「何なのよ! 何で日の出がこんなところにっ……!」
「次はお前だ」
「うっ……!」
焦りで取り乱す三奈の前に、刀を構えた灯子が降り立つ。灯子に突き刺すような視線を向けられ、厳しい表情を見せる三奈。
「消えろ」
一切の容赦のないその言葉に、三奈は覚悟を決めるようにきつく瞳を閉じた。
「うあぁっ……!」
次の瞬間に響いた苦しげなその声に、三奈が戸惑った様子で閉じたばかりの瞳を開く。
「えっ……?」
戸惑いの声を漏らす三奈。今まさに三奈に刀を振り下ろそうとしていた灯子は、胸元に貫かれたような傷を負い、そこから赤い血をボタボタと流していた。
「灯子っ……、灯子ぉぉぉ!」
結晶体の中から、硝子の悲痛な叫びが響き渡る。
「何、だ……?」
「無事か? 慎一郎」
「利九」
傷だらけの体を起こし、三奈と灯子の様子を見つめて困惑の表情を見せていた慎一郎が、自分を呼ぶその声に振り返る。慎一郎が振り向いた先には茶色い長髪のまだ若い男が立っていた。前髪も長く、目元があまり見えない。全身を黒い服で包んだ、どこか陰気な空気を纏った男だ。
「君が居るということは、あの方も」
「ああ」
慎一郎の言葉に頷いた利九がゆっくりと視線を動かし、燈の方を見る。燈は上空から降り注いだと思われる巨大な黒い刃により、その胸を勢いよく貫かれていた。
燈のあの傷が灯子に連動し、灯子の胸をも貫いたのだろう。
「不用意に獏は出さない方がいい」
光りと化して燈が消えていく中、燈の足元に立っていたその人物だけがその場所に残る。
「攻撃される体がもう一つ、増えるということだからな」
燈が完全に消え去ったその場で、そっと微笑んだのは、射るような鋭い瞳の黒い短髪の青年だった。真っ赤なシャツに黒い短パン、両手首をハチマキのような紅白の紐で縛り付けている。年頃は硝子や灯子と変わらないか、少し上くらいだろうか。小夜子と同じように、とても肌が白い。
「朔十!」
現れたその青年を見て、三奈が嬉しそうな笑顔を見せる。
「燈、クッソっ……」
現れたその青年へと睨みつけるような視線を送りながらも、灯子がゆっくりとその場に倒れ込んでいく。
「灯子灯子、灯子!」
血まみれで倒れ込む灯子を見つめながら、必死に結晶体の壁を叩く硝子。
「目的の物は確保したようだな」
結晶体の中の硝子を見つめ、満足げに微笑む朔十。
「日の出の獏には相当手こずったようだが」
「申し訳ありません……」
利九に肩を借り、朔十の元へと歩み寄って来た慎一郎が、朔十へと申し訳なさそうに頭を下げる。
「三奈が思っていたよりも使えなくて、思わぬ苦戦を強いられてしまいました。他の者が相方であれば、もっと優位に事を進められたのですが」
「人のせいにしないでよ! 自分だって姫神子にデレデレ見惚れて油断してたじゃない!」
言い訳がましく言葉を並べる慎一郎へと、三奈が不満げに声を荒げる。そのやり取りを聞き、利九は呆れた様子で何度も首を横に振った。
「構わないさ。目的の物が手に入れば、それで」
慎一郎へとフォローするように言葉を掛けると、朔十がゆっくりと歩を進め、まだ座り込んだままの小夜子の元へと歩み寄っていく。
「ご無沙汰していますね、水無月の姫神子」
「神無月っ……」
目の前に立った朔十を睨み上げると、小夜子がかすかに声を震わせる。
「神無月、朔十……!」
小夜子の険しい表情を高々と見下ろし、朔十は冷たく笑みを浮かべた。




