Dream.17 旭と盟治 〈1〉
――――それは、小さな出会い。
「貴方が、盟治?」
着物姿のまだ幼いその少女はあどけない笑顔で、盟治へと白い手を差し出した。
「私、日下部旭。今日から貴方の神子になるの。よろしくね」
その小さな出会いはやがて二人にとって、とても大きな出逢いとなった……――――
「盟治……」
第二邸の玄関近くにある木のベンチの上に座り込んだ旭は、どこか懐かしむような悲しげな表情を浮かべながら、まだ真っ暗な空を見上げていた。
「旭」
自身の名を呼ぶ声に旭がゆっくりと振り向く。
旭が振り向くと、大きな両耳を広げ、第二邸の門を飛び越えるようにして屋敷前に輝が降り立った。輝の背の上から、朝海が旭のすぐ傍へと降り立つ。
「朝海」
現れた朝海を見つめ、少し目を細める旭。
「やはり貴方は、朝海を裏切りませんでしたか」
ゆっくりと視線を上げた旭が、輝の背の上に乗ったままの晃由を見てそっと笑みを零す。その口振りは、朝海が晃由と共にこの場に現れることを予想していたようである。
「盟治はとても残念がったでしょうね……」
その身を案じるように言葉を落とす旭を見つめ、朝海が少し眉をひそめる。
「旭、大伯父上と眞岡盟治は」
「ここから先へは、通すことは出来ません。朝海」
問いかけようとした朝海の声を遮って、旭がゆっくりとベンチから立ち上がる。立ち上がった旭は額に日の出の印を輝かせ、その全身に朝力の金光を纏った。
朝力を纏った旭に、晃由が警戒するように輝を身構えさせる。
「いい、晃」
制止を促すように朝海が声を掛けると、晃由は一瞬眉をひそめたが、すぐに朝海の言葉に従うように輝の構えを解いた。
「何をする気だ? 旭」
「この反乱の首謀者として、盟治を爺様に差し出しました」
朝海の問いかけに、旭は表情を崩さずにはっきりと答える。
「爺様には、盟治を反乱の首謀者として、日の出総家から追放していただきます」
「そんなっ」
旭の言葉に思わず声を発する晃由だが、晃由とは対照的に朝海は特に驚いた様子を見せなかった。
「成程な。それが君の望みか」
納得するようにそう言って、朝海がまっすぐに旭を見る。
「眞岡盟治を、日の出から解放させることが」
旭の考えなどすべて見透かすように言い放つ朝海に、旭は少し表情を曇らせた。
「解放? 解放って」
「そうです」
晃由が戸惑いの表情で輝の背の上から降りてくる中、俯いた旭は認めるようにゆっくりと頷いた。
「このまま日の出に居ては、盟治はいつまでも、二つの呪いに縛り付けられたままになってしまうから」
「二つの呪い?」
「“偽物の獏である”という呪いと、“私の獏である”という呪いです」
旭の言葉を聞いた朝海が険しい表情を見せる。
「ただの偽物の獏であれば、日の出を捨てればそれで済む話だった。でも私が盟治を自分の獏に選んだせいで、盟治をこの日の出に縛り付けてしまったんです」
「選んでしまったせいでって」
朝海の横で聞いていた晃由が思わず言葉を挟む。
「盟治を選んだのは旭さんじゃねぇだろ? あいつの獏は俺たちの中でも抜きん出て強かったから、総家の意向であいつは旭さんの獏にっ」
「いいえ」
すぐさま首を横に振り、旭が顔を上げる。
「盟治を選んだのは、私です」
もう一度強く主張するように、旭がはっきりと言い放つ。
「総家からは、別の者を獏とするよう薦められていました。盟治の父親は野心家で、盟治を日の出の獏とすることで父親にまで権限を持たせては、やがて面倒な事態になりかねないからと」
「まさに今のこの状況、というわけか」
盟治と才治が起こした反乱を指し示すような暗い空を見上げ、朝海が少し肩を落とす。
「総家からは日の出に従順な家の者を獏にと、そう薦められていましたが私は結局、盟治を自分の獏としました」
「どうして」
短く問いかける晃由に、旭が切なく笑みを零す。
「盟治を一目見た瞬間に、興味を抱いてしまったから」
――――貴方が、盟治?――――
突き刺すように鋭い瞳なのに、どこか寂しげな表情を見せた少年へと、旭が迷うことなく差し出した手。
「この人を自分の獏に、自分のものにしてしまいたいという気持ちを抱いてしまったからっ……」
少し震える声を発して、旭がまるで自分を責めるように告げる。
「私の浅ましい気持ちのせいで、盟治の人生を狂わせてしまった」
どこか遠くを見るように、空を見上げる旭。
「私は、その責任を負わねばなりません」
そう言い放った旭の表情は、強い決意に満ちていた。
「そうか」
そっと納得するように、頷きを落とす朝海。
「あの時の、あの言葉……」
――――貴方を責めることは、私自身を否定することになります――――
「君は、俺の母に自分の姿を重ねたんだな。俺の父を、自分の獏を愛した母に」
朝海の言葉に旭は何も答えずに、ただ視線を横に流すだけであった。認めることはなかったが、その沈黙こそが頷きのような気がした。
「責任を負うことが、眞岡盟治を日の出から解放させることだと?」
「神子と獏の契約を取り消し、自由になって下さいと頼んでも、盟治は頷いてはくれませんでした。きっと、私に気を遣ったのでしょう」
少し困ったような表情となって、旭がゆっくりと視線を落とす。
「何らかの形で日の出から追放することしか、盟治を自由にする方法はない。そう思いました」
「だから、この反乱にも協力したんだな。初めから、大伯父上に盟治を引き渡すつもりで」
「ええ」
「んなの、勝手だよ!」
朝海の言葉に頷いた旭へと、晃由が声を荒げる。
「あいつは、盟治は旭さんのためにって、この反乱を……!」
「だからこそです」
晃由の大きな声を、旭がさらに強い声で遮る。
「盟治にはもう、私のために自分を犠牲にして欲しくないのです」
「旭さん……」
苦しげに主張する旭にそれ以上言葉を発することが出来ず、晃由が表情を曇らせる。
「君の気持ちは理解出来る」
声を荒げた晃由とは対照的に、朝海は落ち着いた声で言い放った。
「君の獏になることを選ばなかったのは俺だ。例え君が俺を責めないと言っても、俺にこそ責任があると俺は思ってる」
自分を責めるように言う朝海に、旭が俯けていた顔を上げる。
「あの時、俺が君の獏になる道を選んでいれば、晃や眞岡盟治が夢を獏化させられることなんてなかったんじゃないかって」
少し躊躇うように間を置いた後、朝海がまたゆっくりと口を開く。
「……晃の父親は、死なずに済んだんじゃないかって」
躊躇いの後に吐き出された言葉を聞くと、晃由は言葉もないまま悲しげに視線を落とした。
「そんなことばかり考えている。一瞬だって、忘れたりは出来ない」
「朝海」
同じように晃由や盟治の痛みを背負っている朝海を見つめ、旭がそっと眉をひそめる。
「でも謝ったって晃たちの獏が元通り戻るわけじゃないし、正直、今更君の獏になる気もない」
はっきりと言い放つ朝海を、旭がまっすぐに見つめる。
「だから俺も、君と同じように責任を負うつもりでいる」
言葉を続けながら、朝海が穏やかに笑みを浮かべる。
「もし晃が自分の獏を消したいって思うんなら、俺は全力でその方法を探すつもりだし、晃が今まで通り、俺の獏で居続けてくれるなら」
微笑んだ朝海が、しっかりと胸を張る。
「俺は、誰よりも誇れる神子で在り続ける」
一切の迷いも躊躇いもなく、はっきりとそう言って笑う朝海のその姿に、驚きの表情を見せる旭と晃由。だがすぐに晃由は困ったように肩を落としながら笑みを零した。
「まぁこれも自己満足の話で、晃や他の皆が皆、納得してくれるわけじゃないだろうけど」
その晃由の方を振り向き、互いに笑みを見せ合う朝海。
「でもそれが、俺と君が負うべき責任だと思ってる」
真剣な表情を作って、朝海がまっすぐに旭に言い放つ。
「君が今しようとしていることは、彼に対する責任でも何でもない。ただの逃げだ、旭」
責めるのではなく、どこか正すようにはっきりと言い放つ朝海を見つめ、旭がそっと目を細める。
「私は、貴方とは違います。貴方のように、生まれ持った才能があるわけじゃありません。貴方のように、強い神子になることなんて」
「強ければ、それだけで誇るのか? 君の獏は」
鋭く問いかけ直した朝海に、旭は思わず口を噤んだ。
「そうじゃ、ないんだろう?」
言葉を止めて俯いた旭へ、朝海がそっと笑みを向ける。
「だったら君は、ここで逃げたりなんかせずに、彼の誇る神子になるべきだ」
「そんなことが、許されるのでしょうか……?」
返って来た問いかけに、朝海が少し首を傾げる。
「勝手に獏にしてしまったのに、神子で在り続けるなどということが、ずっと盟治の傍に居るなどということが、私に許されるのでしょうかっ……?」
少し震えた声で問いかける旭に、朝海はまた穏やかに笑みを零した。
「それは、本人に聞いてみたらいい」
深く俯いた旭の肩を、朝海が軽く叩く。
「さぁ、じゃあ中に入るか。晃」
「え? もしかして輝で入る気か?」
「あのクソ爺のことだ。屋敷内に罠を仕掛けまくってる可能性もあるし、輝で侵入した方が安全だろう」
「まぁ確かに、そんな爺さんだよな」
朝海の言葉に納得しながらも、晃由が少し困ったように頭を掻く。
「旭、君も一緒に、あっ」
「これはっ……!」
その時突然、何かに気付いた様子で朝海と旭が同時に顔を上げる。
「何だ? どうした?」
様子を一変させた二人に、戸惑うように問いかける晃由。
「凄まじい朝力だ」
「え?」
晃由が不思議そうに首を傾げる中、朝海がすぐ目の前の第二邸を見上げる。
「この、中から」
朝海と同じように朝力の気配を察知した旭が、屋敷を見上げた途端に一気に不安げな表情となる。
「盟治……、盟治!」
「あ、旭!」
玄関の引き戸を壊すほどの勢いで開けて、旭が草履のまま屋敷の中へと飛び込んでいく。止めるように名を呼んだ朝海であったが、旭はまったく足を止めなかった。
「俺たちも行こう、晃!」
「おう!」
素早く頷き合うと、朝海と晃由はすぐに輝の背の上へと乗り込んだ。




