Dream.13 飼い犬の反乱 〈1〉
硝子が目覚めた日から一週間が過ぎていた。
赤槻高校正門前、登校時間。
「おっはよー、硝子!」
前方を歩く硝子へと駆け寄り、笑顔で肩を叩く麗華。麗華の声にゆっくりと硝子が振り返る。
「ああっ?」
「へ?」
見た目は硝子だが、硝子とは似ても似つかない睨みのきいた表情を見せるその人物に、麗華が思わず呆気に取られた表情となる。
「あ、おはよう。麗華ちゃん」
「硝子?」
その睨みをきかせた人物の横で、麗華のよく知る穏やかな笑顔を見せた硝子が振り返る。表情こそ違うがまったく同じ顔立ちをした二人の並んだその姿に、麗華が困惑した様子で首を傾げる。
「天使の硝子と悪魔の硝子?」
「誰が悪魔だ」
「まぁまぁ、灯子」
一層強く麗華を睨みつける灯子に、硝子が宥めるように声を掛ける。
「麗華ちゃん、私の双子の妹の灯子だよ。ずっと病院に入院してたんだけど、元気になって今日からA組に転入することになったんだ」
「え、硝子ってば双子だったの!?」
硝子の言葉に麗華が驚きの表情を見せる。
実際にずっと入院していたのは硝子だが、灯子が硝子の名で入学をしたため、灯子の方が途中転入という形になったのである。硝子は目覚めてからも検査などで一週間入院していたため、その間は灯子が硝子として学校に通い、今日ようやく二人揃っての登校となったのである。
硝子は長い眠りの間に伸びた髪を灯子とまったく同じ長さに切り揃え、見た目だけではまったく見分けがつかないほどとなっていた。
「知らなかった~」
「ごめんね」
「別に謝らなくてもいいわよ。兄弟関係なんて、こっちだってそんなに話してないし」
硝子の謝罪は本当のことを言えないことに対してのようにも聞こえたが、麗華は特に気にする素振りもなく笑顔で答えた。
「私、硝子の親友の麗華! よろしくね、灯子」
「気安く呼ぶな。馴れ馴れしい」
「へ?」
握手を求め右手を差し出した麗華に冷たく言い放って、灯子が正門へとどんどんと歩を進めていく。
「双子でも全然タイプ違うみたいね」
「アハハ」
素直な麗華の感想に、硝子は少し困ったような笑みを見せた。
「おっはよぉ、硝子ちゃん!」
そこへ後方から勢いよく駆け抜けてきた晃由が、硝子と麗華よりも少し前を行く灯子の背中へと、思い切り間違った名前で声を掛ける。
「ああっ?」
本日二度目の間違いに、先程よりも一層煩わしそうに振り返る灯子。
「あ、何だ。灯子ちゃんかぁ~」
どこかがっかりしたように言い放つ晃由に、灯子は力強く拳を握り締めた。
「あ、おっはよぉ! 硝子ちゃ~ん!」
「おはよう、仲河君」
静かに怒りを震わせる灯子など気にも留めずに、後方の硝子を見つけ笑顔で手を振る晃由に、少し困ったような笑みで手を振り返す硝子。
「灯子ちゃん、A組っしょ~? 俺がクラスの連中、紹介したげるよ」
「必要ない」
「ええ? でも俺が紹介しないと灯子ちゃん、その目付きじゃ絶対友達出来ないよぉ?」
「何? あの二人って知り合いなの?」
灯子はまったく親しげではないが、勝手知った様子で会話を繰り広げる灯子と晃由を指差し、麗華が不思議そうに硝子に問いかける。
「あ、う、うん。入院中にたまたま会って、それで」
「へぇ」
あれこれと合わせなければならない辻褄に、硝子が少し疲れたように肩を落とす。
「あ、入院と言えばさぁ、硝子、曜子先生から何か聞いたりしてない? 水無月のこと」
「え?」
麗華の口から出たその名に、硝子が思わず表情を強張らせる。
「ほら、先週からずっと休んでるじゃない? だから何か病気でもしたんじゃないかって、ファンの女子たちがやたら心配しててさぁ」
「そうなんだ。私は特に何も聞いてないけど」
「風邪でも長引いてんのかしらねぇ」
「そう、だね……」
硝子が目覚めたあの日から、水無月は学校を休み続けていた。
その日、昼休み。
「安心して、硝子ちゃん! 灯子ちゃんの“気安く話しかけるな”って自己紹介にクラス中、ドン引きしてたけど、俺だけは灯子ちゃんの友達でいるつもりだから!」
硝子はA組の教室からやって来た晃由、灯子と共に昼食をとっていた。硝子の隣りの席では、相変わらず目の下に隈を刻んだ朝海が、昼間から眠りについている。
「頼んでない。必要ない」
「ありがとうね、仲河君」
朝海の前の席に腰掛け、素気なく窓の外を見ている灯子に代わるように、硝子が晃由へと礼を向ける。
「いいって、いいって! あ、あと俺のことだけど晃由でいいよ? 夢の中にまで乗り込んだ仲なのに、“仲河君”は他人行儀っしょ。灯子ちゃんも晃由って呼んでるし」
「じゃあ、晃由君」
「はいはぁーい!」
少し恥ずかしそうに名を呼んだ硝子に、晃由は満面の笑みで手を挙げる。
その会話が耳に入ったのか、今までずっと眠りこけていた朝海が勢いよく起き上がった。
「うおっ」
「日下部君」
突然起き上がった朝海に、前の席に座っていた灯子と隣の硝子がそれぞれ驚きの表情を見せる。
「ゆ、夢の中にまで乗り込んだ仲だし、お、俺のことも名前で」
「日下部君はいいよ。“アサミ”って自分の名字だから、何か呼びにくいし」
「そ、うか……」
あっさりと断られ、朝海がまたしても机に顔を埋める。
「バカな奴」
そんな朝海を見て、呆れたように肩を落とす灯子。
「ハッハ、お、電話だ。ちょっと出て来るわ」
顔を埋めた朝海を楽しげに笑っていた晃由が、ズボンのポケットで震える携帯電話に気付き、立ち上がって足早に教室を出て行く。
前の席に座っていた晃由が居なくなったことで硝子の視界が開け、すぐに前方の誰も座っていない席が目についた。その空席をまっすぐに見つめ、硝子が表情を曇らせる。
「気になるか?」
聞こえてくる問いかけに硝子が振り向く。再び机から顔を起こした朝海が、真剣な表情で硝子に視線を送っていた。
「水無月修夜が」
朝海の言葉に硝子が肯定することもなく俯く。
「やっぱり、学校来にくいのかな」
「当然だろう。来たら私がブン殴って、二度と硝子の前に出て来られないようにしてやる」
「灯子」
「お前の朝を奪った奴だぞ?」
諌めるように名を呼んだ硝子に、灯子が逆に責めるように鋭く言い放つ。
「そんな奴を心配する意味がわからない」
「けど、水無月君をあそこまで追い込んだのは私だよ」
「過去世の話だろう。今のお前には関係のないことだ」
「うん。でも」
言葉を繋いだ硝子がそっと自身の左肩に右手を乗せる。その手の下には水無月と同じ月の出の紋様が刻まれているのだ。
「そう簡単に離れられるものじゃないんだよ。神子と獏って、きっと」
硝子の言葉を聞きながら、朝海もどこか考え込むような表情を見せる。
「だから……」
「大丈夫」
朝海の言葉に再び硝子が振り向く。
「きっとまた話も出来るし、きっとお互いに分かり合うことが出来るよ。君たちは」
その言葉に一瞬驚いたような表情を見せた硝子であったが、勇気をもらったようにすぐに大きな笑みで頷く。
「ありがとう、日下部君」
「そこで名前呼びになったりは……」
「ありがとう、日下部君」
もう一度呼ばれる名字に、朝海はまたがっくりと肩を落とした。
一方、晃由は教師の目のない中庭の木陰へと移動し、ようやく震え続ける電話に出た。
「はい、もしもし」
「俺だ」
「あ?」
電話の向こうからとすぐ傍から重なって聞こえてくる男の声に、晃由が戸惑った様子で首を傾げる。晃由が声の聞こえてきた方を振り返ると、そこには晃由と同じように携帯電話を耳に当てた人物の姿があった。
「何だよ」
すぐに耳元から電話を離し、通話を切る晃由。
「来るなら来るで、もっと事前に連絡入れろよな」
「オレオレ詐欺だと思われるかと思ってな」
晃由に続くように通話ボタンを切ったその人物は、晃由より少し年上の二十歳前後に見える鋭い目付きの青年であった。重力に逆らうように立たせた髪は真ん中だけが金色で両側は黒い。長身の朝海よりもさらに高身長に見える。白い着物の袖を短く加工した上着に、紺色の袴を履いている。足元は下駄で、学生服の生徒ばかりが居る学校の中庭には不釣り合いな格好であった。
「思わねぇよ。俺、バアちゃんじゃねぇし」
青年へと親しげに言葉を返す晃由。
「オレオレ詐欺はジイちゃんは引っ掛からないのか?」
「引っ掛かるかもだけど、俺はジイちゃんでもねぇよ」
不思議そうに問いかけてくる青年に答えながら、晃由が少し困ったように頭を掻く。
「んで? 何だってんだよ、盟治」
真剣な表情を見せ、晃由がまっすぐに盟治と呼んだ青年を見る。
「オレオレ詐欺ごっこしに来たってわけじゃねぇんだろ?」
「ああ、勿論だ」
頷いた盟治が鋭い瞳を晃由へと向ける。
「晃由、お前、昼力を使ったな?」
盟治の問いかけに、晃由が少し眉をひそめる。だがすぐに誤魔化すように、晃由は笑みを見せた。
「だったら? 俺の力を俺がどう使おうが勝手だろ?」
「ああ、そうだな。お前が昼力を使ったことは大した問題じゃない。問題は、使った場所だ」
付け加えられる言葉に、晃由がすぐさま厳しい表情を見せる。
「お前とお前の神子が一族に無断で夢元世界に渡ったこと、総家はもう嗅ぎ付けているぞ」
盟治が伝える事実に、困ったように肩を落とす晃由。
「相変わらず鼻だけは利く連中だな。犬みてぇ」
「一緒にしたら犬が可哀想だろう。チワワはとても可愛らしい」
皮肉を言う晃由よりも遠慮なく言葉を発する盟治。
「けど俺らが総家に無断で好き勝手するなんて、今に始まったことじゃねぇだろ? 今更注意されたって直るようなもんじゃ」
「夢元世界で月の出の神子とその獏と戦ったらしいな」
開き直るように言葉を並べていた晃由が、盟治が鋭く挟んだその言葉に思わず口を閉ざす。
「そこまで知れてんのか」
「ああ。相手が月の出の神子ともなれば、日の出と月の出、一族同士の争いにも発展しかねない」
「んで釘を刺すためにお前が? んま、今回ばっかは仕方ねぇな」
晃由がどこか諦めるように肩を落とす。
「で、俺らはどうすればいいの? 自宅謹慎とか?」
「主と共に総家に戻れとの指示だ」
「総家に?」
盟治の言葉に晃由が少し眉をひそめる。
「わざわざ出向けってこと?」
「直接、事実を確認したいのだろう。どうする?」
晃由へと問いながら、盟治がゆっくりと左手を広げる。
「一応、総家からは“力尽くでも”という指示を受けて来ているのだが」
広げられた盟治の左手の甲には、晃由とまったく同じ黒色の日の出の紋様が浮かび上がった。浮かび上がった紋様とその言葉の意味を察し、晃由が困ったように息を吐く。
「わかった。朝海と一緒に今日中に総家に戻るようにするよ」
「何だ。あっさりだな」
どこかがっかりしたように言い放つ盟治。
「久々にお前と手合せ出来ると思ったのに」
「冗談。んなとこでお前と戦ったら、学校に死人が発生するっての」
「構わないじゃないか」
「構うわ!」
何の躊躇いもなく言う盟治に、晃由が思わず怒鳴りあげる。
「学校あるから戻んの夕方になるけどいいだろ?」
「ああ。俺が先に戻って伝えておく」
「サンキュ。俺も教室戻って朝海に伝えて来るわ」
そう言って晃由が盟治へと軽く手を振り上げ、教室に戻ろうと背を向ける。
「晃由」
呼ばれる名に足を止め、再び盟治の方を振り返る晃由。
「何だよ?」
「勝ったのか? 月の出の獏には」
盟治の問いかけに、晃由はすぐに表情を曇らせる。
「負けた。たぶんだけど」
「たぶん?」
「倒したと思ったんだけど、俺が気付いた時には居なくなってた。勝ててなかったってことだろ」
「そうか」
そっと笑みを零す晃由を見ながら、盟治が少し考え込むような表情を見せる。
「とにかく総家からの指示は伝えた。お前の神子への連絡頼んだぞ」
「ああ」
背を向けた盟治が再び携帯電話を取り出し、耳に当てる。
「俺だ。今から戻る。ちなみに俺は、オレオレ詐欺じゃない」
盟治の惚けたような電話の声を聞きながらそっと笑みを零し、晃由もまた背を向けて教室へと戻っていった。
赤槻町の小さな喫茶店“Tomo”。
「朝海クン、ただいまぁー!」
扉についた鈴の音がやかましく響き渡るほど強く扉を開け放って、満面の笑みで喫茶店へと帰って来る、学校帰りのランドセルを背負った茜。
「聞いてよ、朝海クン! 私、今日ねぇっ」
「朝海なら呼び出されて日の出の総家に戻ったよ。今日は泊まるかもだって」
「ええぇ!?」
カウンターからコップを磨きながら言うトモに、茜が一気に不満げな表情へと変わる。
「せっかく今日の国語の授業で書いた、朝海クンへの愛を綴った作文を朗読してあげようと思ったのにぃー」
「もっとマシな作文書きなよ、小学生……」
口を尖らせる茜を見ながら、呆れ果てた表情を見せるトモ。
「大体呼び出しって何よ? そもそもあっちが朝海クンを追い出したんでしょう?」
「まぁあっちにも色々事情はあるんじゃな~い?」
怒った様子の茜を宥めるようにトモが笑顔を向ける。
「でもまぁ確かに、気にはなるよね」
小さく言葉を落としながら、トモはそっと眉をひそめた。




