Dream.13 飼い犬の反乱 〈2〉
赤槻町から電車で一時間程離れた郊外。駅を出て町中を外れること二十分、夕暮れで徐々に薄暗くなり始めた山道を朝海と晃由は日の出の総家に戻るため、ゆっくりと歩いていた。
「はぁ~、ダル。相変わらず遠いなぁ」
まだ見えてこない山道の先を眺め、晃由が疲れた様子で肩を落とす。
学校の授業をすべて終えた後、トモへの説明と荷物を置きに喫茶“Tomo”に戻り、時間もあまりなかったため休憩もなく総家に向かうこととなり、晃由はそこそこに疲労していた。
「なんだってネチネチ文句言われるためだけに、こんな遠くまで来なきゃなんねぇのかねぇ。あぁー、憂鬱」
疲れと共に気まで重くなり、益々足取りの鈍る晃由。
「なぁ、朝海もそう思」
「ずぅー、ずぅー」
「って、寝てるし!」
山道を進みながら器用に眠っている朝海に、晃由が思わず驚きの表情を見せる。学校でもずっと寝ていたからか、さすがに目の下の隈は薄くなっていた。
「おい朝海、起きろー。もうすぐ着くぞぉ?」
「ん……」
晃由の呼びかけに、朝海が歩を進めたまま瞳をゆっくりと開く。
「朝か」
「夕方だよ」
まったく逆の朝海の言葉に、晃由が呆れた表情を見せる。
「ったく、しっかりしてくれよぉ? もうすぐ結界なんだから、って言ってる傍からもう着いた」
前方に何かを察知した晃由が、ふとその場で足を止める。朝海も同じように足を止めるが、二人の前方には今までと何ら変わりない山道が続いているだけのように見えた。
「頼むわ、朝海」
「ああ」
晃由の言葉に頷いた朝海が額に日の出の印を浮かび上がらせ、何もない前方へと右手を伸ばす。すると伸ばされた朝海の右手は透明な膜のようなものに当たり、朝海の手が触れることで前方一体に張られたその膜が姿を見せた。
「“御破夜宇”」
朝海の声と共に額の印が光ると、張られた透明な膜がまるでカーテンのように両側に開いていく。開いた膜の間から前へと進む朝海と晃由。二人が通ると、また膜はゆっくりと閉じた。
「神子のみが開閉出来る結界。相変わらず厳重だねぇ」
閉じていく膜を振り返り見た後、晃由がゆっくりと前方を見る。
「日の出の総家は」
晃由が見つめるその先には今までと同じ山道はなく、古めかしい日本家屋が幾つも立ち並ぶ広大な土地が広がっていた。膜を通る前と後とで、前方に広がる景色はまったく異なっている。恐らくは土地全体を包む透明な膜が、何らかの力で幻覚を見せているのだろう。
「何とか日暮れまでに着いたな。さ、とっとと中入ろうぜ」
「晃」
歩を進めようとした晃由が朝海の声に振り返る。晃由が振り返ると、朝海はいつになく真剣な表情で晃由の方を見ていた。朝海のただならぬ様子に、晃由は少し眉をひそめる。
「ど、どうした?」
「何で、何で晃は名前呼びしてもらえて、俺はしてもらえなかったんだろう……」
「は?」
予想とはまったく異なる朝海の言葉に、晃由が思わず間の抜けた声を発する。
「ああ、何かと思ったら昼間の硝子ちゃんの話ね。それはお前の名前が、硝子ちゃんの名字と被ってるから悪いんだろ?」
「改名した方がいいかな?」
「すれば? ま、俺なら名前で呼んでもらうために改名するような男、ドン引きだけどねぇ」
まったく興味なさそうに少し冷たく言い放って、晃由が家の立ち並ぶ前方へと歩を進めていく。その時、晃由の携帯がズボンのポケットの中で震えた。晃由がすぐに携帯を取り出し、耳に当てる。
「もしもし」
「俺だ」
「いや、だから」
すぐ前方の大きな木の門の前で携帯電話を耳に当てている男の姿を視界に入れ、晃由が呆れたように肩を落とす。
「見える範囲で電話してくんなよ、盟治」
「オレオレ詐欺だと思われるかと思ってな」
「だから思わねぇって」
互いに携帯電話を下ろしながら、晃由と盟治が言葉を交わす。立ち並ぶ家を囲うコンクリート製の敷居の中央部に設置された立派な木製門の前で、二人を出迎えたのは盟治であった。
「眞岡盟治」
「ご無沙汰しております、朝海様」
深々と頭を下げる盟治を見ながら、朝海は少し眉をひそめた。
「んで? 俺たちはどこに出頭すればいいわけ?」
「第十三邸へ」
「十三邸?」
盟治の言葉に朝海が引っ掛かりを覚えた様子で聞き返す。その引っ掛かりもすべて理解しているように、盟治はまっすぐに朝海を見た。
「我が神子がお会いになる」
盟治の言葉に、朝海はどこか複雑そうに表情を曇らせた。
幾つもの屋敷が並ぶ広大な日の出総家の敷地。その屋敷の一つ一つに番号が振り分けられており、日の出一族の者に数名の従者と共に与えられている。どれも似たような瓦屋根の一階建て木製家屋であり、それぞれの屋敷の小門前に置かれた屋敷番号の札がなければ、すぐに迷子になってしまいそうだ。
盟治に連れられて二人がやって来た十三邸は、敷地内の比較的中心部にある屋敷であった。
「中で我が神子がお待ちだ」
十三の札のかかった鉄製の小門を開き、盟治が朝海を十三邸の敷地内へと入れる。朝海に続くように晃由も足を踏み入れようとしたその時、盟治の出した右手が晃由の歩を阻んだ。
「お前は獏舎へ、晃由」
「へ?」
盟治の言葉に晃由が目を丸くする。
「けどっ」
「神子邸への侵入は、神子の従獏以外は禁止されている」
「俺は朝海の従獏だぜ? 一緒に入るくらい別に構わねぇだろうがっ」
「晃」
盟治に反抗する晃由へと朝海がそっと呼びかける。
「俺のことはいいから、君は獏舎に行ってくれ。久し振りに仲間たちに顔を見せてやるといい」
「……わかった」
朝海の言葉に、まだ納得し切っていない表情ながらも小さく頷く晃由。
「何かあったらすぐ呼べよ」
「ああ」
朝海の頷きを確認した晃由が朝海に背を向け、獏舎の方へと歩を進めていく。晃由に続くため、背を向きかけた盟治がふと動きを止め、まっすぐに朝海の方を見た。
その観察するような視線に居心地の悪さを覚え、少し表情をしかめる朝海。だが朝海が問いかける前に盟治は視線を外し、足早に晃由の後を追っていった。
「昔から、どうも苦手なんだよな」
「愛想の無い獏で申し訳ありませんわ」
背中側から聞こえてくるその声に、朝海が弾かれたように振り返る。
「笑顔を心がけるよう、いつも言ってはいるのですけれど」
開かれた屋敷の戸の向こうから、朝海の前へと姿を現したのは着物姿の一人の女性であった。年は二十歳前後だろうか。明るい茶髪を頭のてっぺんに纏め上げ、よく整った聡明で品の良さそうな顔立ちをしている。纏った着物には海から昇る朝日が鮮やかに描かれていた。
「旭、様」
「様なんて止して下さいよ」
ぎこちなく名を呼んだ朝海に対し、旭と呼ばれたその女性は少し困ったような笑みを零す。
「貴方と私はハトコ同士。そして」
そう言って微笑んだ旭の額に明々と日の出の印が輝く。
「同じ、日の出の神子なのですから」
共鳴するように輝く額の印の下で、朝海はそっと眉をひそめる。
「どうぞ中へ、朝海。久し振りにゆっくりと話でもしましょう」
旭に招かれ、朝海は十三邸へと足を踏み入れた。
日の出総家の敷地内の北の端に、獏飼いたちの住まい“獏舎”があった。
日の出一族たちの住む屋敷群からはかなり離れたところにあるその場所は、中心部の屋敷とは違って古く寂れた二階建ての木製家が並んでいた。壁には苔が生え、家の周囲は草が生い茂っている。ほとんど手入れされていないのだろう。
「相変わらずだな、この場所も」
「晃!」
「あ?」
どこからともなく聞こえてくる自分の名を呼ぶ声に、晃由が周囲を見回す。だがどこにも晃由を呼んだらしき人物の姿は見当たらない。
「気のせいか?」
「晃!」
晃由が首を傾げたそこへ、再び聞こえてくる呼びかけの声。声と共に響いたのは、地面の土が下から何か強い力で突き上げられたように、勢いよく盛り上がる音であった。晃由が興味深く見下ろしていると、盛り上がった土の中から鋭い牙を持った獣の頭が現れた。
「だああああ!」
勢いよく身を引いた晃由がその場に尻餅をつく。
地面の下から現れたのは鋭い牙を幾つも生やした頭はワニ、体はモグラの異質な金色の獣であった。ワニとよく似た長い頭の上には、一人の少女の姿がある。長い髪を二つ結びにした、盟治と同じような袖のない着物の上着に白の短パンを履いた足の長い細身の少女。年は晃由も二、三個若いくらいだろうか。結んだ髪は根元は金色だが、毛先に向かうにつれて徐々に黒色になっている。
「久し振りだね、晃!」
「盟莎……」
満面の笑みを見せる少女に、晃由がゆっくりと立ち上がりながら引きつった表情を見せる。
「お前なぁ、前から言ってんだろ? どこでもむやみに獏を解放するんじゃねぇって」
「外に出掛けてたんだけど、晃が帰って来るっていうから急いで帰って来たの! だから不可抗力!」
「どこが不可抗力なんだよ」
得意げに答える盟莎に、立ち上がった晃由が困ったように頭を掻く。
「お前も苦労するな、“明”」
晃由が目の前にある獣の大きな頭へと手を伸ばし、前に長く出た口元の先をそっと撫でる。
「まぁ元気そうで安心したけど」
「全然元気じゃないよ!」
ワニモグラの頭から晃由のすぐ前へと降りながら、あっさりと否定する盟莎に、首を傾げる晃由。
「晃が悪いんだよ? 私や皆に黙って総家を出て行っちゃって、私すっごく落ち込んだんだからっ」
「仕方ねぇだろ?」
「仕方なくない! 総家から追い出されたのは朝海だけでしょ?」
またしてもあっさりと晃由の言葉を否定して、盟莎がどこか責めるような視線を晃由へと送る。
「晃まで一緒に出て行くことなんてなかったのに」
「俺は朝海の従獏だ。付いてくのは当たり前だろ?」
「相変わらずだね、晃は」
笑顔で答える晃由を見つめ、盟莎が残念そうに肩を落とす。
「お兄ちゃんががっかりするはずだよ」
「あれ? そういや盟治は?」
つい先程まですぐ後ろに居たはずの盟治の姿がなくなっていることに気付き、晃由が探すように周囲を見回す。
「お兄ちゃんならお父さんのところじゃないかな。さっきお父さんが呼び出してたから」
「親父さんねぇ」
盟莎の言葉を聞いた晃由がすぐに表情を曇らせる。
「他の皆も待ってるから、早く顔出してあげて!」
再び笑顔を見せた盟莎が晃由の腕を掴んで、獏舎の方へと引っ張っていく。
「それに色々話もしたいのっ」
振り向いた盟莎の瞳が真剣さを帯びる。
「これからのこと、色々」
含みを帯びたように響くその言葉に、晃由は少し眉をひそめた。
その頃、獏舎中央邸。
幾つもある獏舎の中でも一番大きな中央邸の一階にある広い和室の奥、一段上の畳の上の座布団に腰掛け、じっと何かを待っている様子の男の姿があった。紺色のシンプルな着物を着た男は、眉間に皺を寄せた気難しげな表情を見せていた。
静かな和室に何やら震えるような音が響くと、男は着物の懐から携帯電話を取り出した。
「はい」
「俺です」
声と同時に和室の戸が開き、盟治が姿を現した。
「盟治」
耳に当てたばかりの携帯電話を下ろしながら、男が少し呆れた表情を見せる。
「何度も言っているだろう。居るのであれば、わざわざ電話をするな。電話をするなら来る少し前にしろ」
「父上にオレオレ詐欺と間違われては困りますので」
携帯電話を袴のポケットへと片づけながら、戸を閉めた盟治が男の方へとゆっくり歩を進めていく。前方に座るその男は盟治と盟莎の実父、眞岡 才治であった。
「わしはまだ詐欺に引っ掛かるような年ではない。まぁいい。それよりも日下部朝海は?」
「予定通り、旭の十三邸に招き入れました」
「そうか」
盟治の言葉を聞いた才治が、どこか楽しげな笑みを零す。
「獏飼いたちの準備は?」
「万全です」
「そうか。では早速始めるとするか」
そう言って才治がゆっくりと畳の上で立ち上がる。和室の隅に移動し、閉じた襖を勢いよく開く才治。襖を開いた先にある大窓からは、山へと沈んでいく夕日がはっきりと見渡せた。
「終わりの時だ、日の出」
消えていく夕日を見ながら、才治が冷たく笑みを見せる。
「もうお前たちの光りが世界を照らすことはない」
才治の背を見つめ才治の言葉を聞きながら、盟治は一層鋭く瞳を輝かせた。




