Dream.11 夢元世界の獏 〈3〉
一方、憬一郎の相手を晃由に任せた朝海と灯子は、月明かりが照らす夜の中をどの方角に向かっているのかもわからぬまま、ただひたすらに駆け続けていた。
「本当にこっちであってるのか!?」
迷うことなく前を行く朝海に、灯子が思わず問いかける。
「わからない。適当だ」
「適当なのかよ!」
あっさりと答える朝海に大きく表情をしかめる灯子。
「だが、あっている気がする」
「また適当なことを」
何の根拠もない朝海の言葉に、灯子が呆れたように肩を落とす。
「自分のところの獏飼いが必死こいて戦ってるっていうのに暢気なもんだ」
「晃なら心配しなくても大丈夫だ」
晃由のことを信用しきっている様子の朝海に、灯子が少し眉をひそめる。
「さすがは従者。随分と信頼が厚いんだな」
「君のことも信頼しているよ」
「私はお前の獏飼いじゃない」
「わかっている」
すぐさま反発して見せる灯子に、朝海は穏やかに笑みを浮かべて答えた。
「見ろ」
不意に足を止めて前方を指差す朝海に、慌てて同じように足を止めた灯子が視線を移す。前方を見た瞬間、すぐに灯子が眉をひそめる。二人の前方には、先程の黒いハイエナの群れが先程のざっと十倍の数で待ち構えていた。
「夢屑、とか言ったか」
「何もない場所に護衛はいらないはずだ。恐らく硝子はこの先に居る」
朝海の言葉を聞いた灯子が少し険しい表情を見せる。
「だから、ここは俺が」
「ここは私が抑える。お前は先に行け」
「え?」
思いがけない灯子の言葉に、驚いた様子で振り向く朝海。
「けど灯子、君は硝子のところに」
「私とお前、どっちの方が硝子の夜を終わらせられる可能性が高いのかを考えた」
真剣な表情と冷静な声を、灯子が朝海へと向ける。
「お前の方が可能性が高い。それが私の出した結論だ」
灯子のまっすぐな眼差しが突き刺さるように朝海を捉える。
「だから行け」
命じるような強い口調の中に、どこか願うような弱さも滲んだその言葉を受けとめ、朝海がそっと目を細める。
「わかった」
朝海がゆっくりとした口調で大きく頷く。
「中央に道を作る」
朝海の頷きを確認した灯子が竹刀を再び太腿の印に当て、金光の刀へと変えて振りかぶる。
「斬り裂け、“燈”!」
灯子が刀を勢いよく振り下ろすと、咆哮のような衝撃音が響くとともに巨大な金光の塊が勢いよく前方へと放たれ、群れの中央部に居たハイエナたちを一気に十数匹掻き消す。灯子の言葉通り、ハイエナの群れの中央に、さらに奥へと続く大きな一本道が出来た。
「日下部朝海!」
「ああ」
刀先で出来たばかりの道を指し示す灯子に、朝海がまた大きく頷く。
「灯子」
灯子の作った道へと向かおうとした朝海がふと足を止め、まっすぐに灯子の方を見る。
「君たちの夜は、俺が終わらせる」
まるで誓うように、真剣な表情で朝海が言い放つ。
「君との約束は絶対に守るよ」
力強く言い放つと朝海は全身を金光に包み、少し上空に浮き上がるようにして一気に灯子の作った道を駆け抜け、さらに奥へと進んで行った。
あっという間に見えなくなっていく朝海の背を見送り、灯子がどこか不満げな表情を見せる。
「カッコ付けやがって」
灯子が朝海への不満を口にしていたその時、ハイエナの数匹が奥へと進んでいった朝海の後を追おうと足を踏み出す。
「“燈”」
<ギャアアア!>
だが踏み出したハイエナたちは上空から降り注いだ金光により、あっという間に掻き消された。
「誰が追っていいって言った?」
獲物を狙うような鋭い目付きで刀を構え、灯子がハイエナたちへと言い放つ。
「お前等はここで、一匹残らず私が消す。覚悟しな!」
強気に声を張り上げると、灯子はたった一人でハイエナの群れの中へと飛び込んでいった。
――――だからショウ、どうか僕を待っていて――――
「んっ……」
長く続く夢の中、まるで一筋の光が差し込むように耳に届いたその声に、硝子が深く閉じていた瞳をゆっくりと開く。
「“ショウ”……」
まるで誰かを追い求めるように、硝子が無意識のうちに名を落とす。
徐々に意識を覚醒させていきながら、硝子が地面に倒れ込んでいた上半身を起こす。すぐ傍に水無月の姿がなく、硝子が少し探すように周囲を見回した。
「あっ」
月明かりに照らされ一人、立ち尽くす水無月の姿を見つける硝子。まっすぐに月を見上げる水無月のその表情はどこか悲しげで、一人立ち尽くすその姿はとても孤独なものに見えた。
その姿に見覚えを感じ、硝子が混乱するように頭を押さえる。流れてくる水無月を見ていた記憶は、恐らく浅見硝子のものではない。もっとずっと昔のものだろう。
「昔もずっとそうやって、一人で月を見ていたね」
かけられる声に水無月がすぐさま振り返る。起き上がった硝子の姿を確認すると、水無月は怪訝そうに眉をひそめた。
「記憶が?」
「ううん」
地面に座り込んだまま、硝子がゆっくりと首を横に振る。
「何となく思い出しただけ」
「そう」
少し寂しげに頷いて、水無月が再び月を見上げる。
「なんで月ばかり見ているの?」
「夜は薄暗くて、月しか見えないから」
月しかないこの世界が、水無月の言葉を象徴しているようだった。
「不公平だよね。日の光りは何でも平等に輝かせられるのに、月は夜しか照らせないなんて」
まるで嘆くような水無月の言葉を聞き、硝子が少し表情を曇らせる。
「だから君も、僕を捨てたのかな?」
自嘲するような笑みを浮かべ、水無月が硝子の方を振り向く。
「君も日の光りの中で輝きたくて、この月だけの世界を捨てたのかな」
水無月の言葉は寂しげで、浮かべた笑顔もどこか悲しく、こんな状況にあるというのに硝子は不思議と水無月を憎む気持ちが一切湧いてこなかった。
「わからない。今の私には、昔の私のことはわからないよ」
「そうかな」
柔らかい口調ではあるが、あっさりと否定するような水無月の言葉に硝子が戸惑うように首を傾げる。
「どんなに姿を変えたって、記憶を失ったって、君は結局朝を、日の光りを選ぶ気がするよ」
どこか諦めたような声を響かせる水無月を、硝子がまっすぐに見つめる。
「実際あいつが現れてから、君はあいつのことばかりだ」
硝子に注がれる水無月の視線が、徐々に冷たく染まっていく。
「僕の方がずっと一緒に居るのに、僕はずっと君に優しくしてきたのに、あいつが現れた途端に、君の中はあいつでいっぱいだ」
水無月が静かに歩を進め、硝子の目の前へと立つ。
「ねぇ、どうして?」
突き刺すように向けられる問いかけに、硝子が険しい表情を見せる。
「どうして僕じゃダメなの? 硝子」
呼ばれる名に、思わず眉をひそめる硝子。今までの水無月の言葉は過去の硝子に向けられたものだったが、今のこの問いかけは硝子自身に向けられていた。
真剣な水無月の問いに目を背けることは許されないような気がして、硝子はまっすぐに水無月を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「はっきりとしたことはわからないけど、たぶん」
――――どうか僕を、待っていて――――
「私が、あの人と逢うために生まれて来たからだと思う」
何度も何度も夢に見て来た誰かの姿。あの誰かが何者なのか、硝子とどう関係しているのかはまったくわからない。だが、どうしても出逢わなければならないという確証だけは、いつも硝子の胸の中にある。
「死してもなお、姿形を変えてもなお、相手を求めるか」
迷いなく言葉を放った硝子の姿に、水無月がわずかに表情を歪める。
「大したものだよ。君たちのその、諦めの悪さだけは」
棘を持って放たれた水無月の言葉と共に、水無月の額に月の出の印が浮かぶ。浮かび上がった途端に印は強く輝き、周囲に青白い光を放ち始めた。
「ううぅ……!」
水無月の額の印が輝くと同時に硝子の肩に刻まれた黒紋が輝き出し、まるで肌を斬り裂かれていくような痛みが硝子を襲う。突如走る痛みに硝子は左肩を押さえ、その場で苦しげに蹲った。
「だから僕は決めたんだ」
苦しげな硝子を前に一切顔色を変えず冷静に、水無月が言葉を放つ。
「君が二度と日の光りに焦がれないように、君が日の光りの温かさなんて忘れ去ってしまうように、君をもう二度と、日の光りの差す世界に帰さないって」
肩を押さえ蹲ったまま水無月の言葉を耳に入れた硝子が、強く唇を噛み締める。
「君は一生、この夜の世界を生きるんだよ」
「……それでもっ」
苦しげに唇を震わせながら口を開き、硝子が痛みに耐え抜きながら必死に水無月を見上げる。
「そうだったとしても、私は求め続ける」
硝子がまっすぐ、まるで睨み上げるように水無月を見る。
「あの日の光りを……!」
意志の強い硝子の言葉を聞き、見るからに不快そうに表情をしかめる水無月。
「どうやら君には、もっと思い知らせる必要があるようだね」
一旦印の光を止めた水無月が、硝子に向けゆっくりと右手を振り上げる。振り上げられた水無月の右手に夜力の黒光がどんどんと集約されていく。集まっていく強い夜の力を感じ、蹲ったまま思わず表情をしかめる硝子。先程まで走っていた痛みが硝子の体力を限界まで奪っており、恐怖すら覚えるその強い力を前にしても、その場から逃げ出すことは出来なかった。
「ここは夜。日の光りなんて、降り注ぎはしないよ! 宵!」
向けられる夜力の塊に、覚悟するように唇を噛み締める硝子。
「“黎明”」
夜力が硝子に襲いかかろうとしたまさにその時、硝子の後方から飛んで来た金光により、水無月の夜力は弾き返された。
「何!?」
弾き返って来た夜力を避けるように後方に飛び、硝子と距離を取りながら、水無月が戸惑うように眉をひそめる。
「降り注ぐさ」
聞こえてくる言葉と共にゆっくりと、硝子の上空から優しい金光が硝子へと注がれる。黒一色だった今までの世界にはない温かな光りに、硝子が思わず目を見開く。
「どんな夜にも、必ず朝は来る」
「あっ」
硝子が声の聞こえてきた後方を振り返ると、そこには温かな朝の光に包まれた朝海の姿があった。朝海の姿を確認した硝子が安心したような笑みを浮かべる。
「日下部、く……」
「硝子っ」
安心したら気が抜けたのか、力なく倒れ込んでいく硝子へと朝海が慌てて駆け寄る。朝海が右手で硝子の背を支え、硝子の顔を覗き込む。
「大丈夫か?」
「……やっと、逢え、た」
「え?」
いつもの硝子とはどこか違う口調に、朝海が戸惑った様子で声を漏らす。
「やっと逢えた、ね。“ショウ”」
呼ばれる名に朝海が少し驚きの表情を見せた後、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「ああ。俺もずっと、“待ってた”」
朝海のその言葉を聞くと硝子はどこか満足げに微笑み、意識を手放したのか、そのまま静かに瞳を閉じた。
二人の様子を見つめ、大きく表情を歪めた水無月が再び上空の月を見上げる。先程まで眩いばかりの光を放っていた月だが、今はその光が少し弱まっているように見えた。朝海が発する金光があまりに強いため、それまで支配していた月の光が弱く見えてしまっているのだろう。
「霞んでいく、月の光」
薄くなった月を見上げ、水無月が忌々しげに眉をひそめる。
「昔も今も、お前は本当に忌々しい男だな」
水無月が薄くなった月から朝海へと視線を移す。
「“日の出の神子”、日下部朝海」
朝海は意識をなくした硝子を丁寧に地面に横たわらせると、水無月と向き合うように立ち上がった。
「やはり君が“月の出の神子”か。水無月修夜」
驚いた様子もない朝海に、水無月が少し首を捻る。
「初めから僕だと、わかっていたような口振りだね」
「あの万年二位の五十嵐が抱いた“君が居なくなればいい”という夢は、夢喰が現れるような強いものじゃなかった。“一位を獲りたい”という夢の方が強いくらいだった」
水無月の疑問に、冷静に言葉を返していく朝海。
「あれは硝子に“お前なんて居なくなればいい”という言葉を向けて過去の傷を思い出させ、硝子を夜に追い込むために、君が仕組んだんだろう? そんなに都合良くあの夢喰を出現させられるのは君だけだ」
朝海の言葉を聞いた水無月がどこか納得するように笑みを浮かべる。
「君に失恋した女子生徒が夢を喰われた時も、君と一緒に居た硝子が狙われていた。あれも君が仕組んだことか?」
「そう。まぁあの時は、お前の出現に焦って、慌てて夢喰を生み出したから上手くいかなかったけどね」
特に隠し立てすることもなく、どこか開き直ったような口調であっさりと答える水無月。
「眠りっぱなしのわりに頭は回るんだ。ああ、そういえばテストも結構成績良かったっけ」
余裕の笑みを見せる水無月に、朝海が少し眉をひそめる。
「水無月、今すぐ硝子を目覚めさせるんだ」
「冗談じゃないよ。やっと二人きりの夜が手に入ったのに」
朝海の言葉を水無月がすぐさま拒絶する。
「硝子はここで生きるんだ。僕と二人、この永遠の夜の中を」
夜の世界を示すように両手を広げた水無月が、額の月の出の印を青白く輝かせる。
「もう二度と、お前に邪魔はさせない。“日の出の神子”」
水無月に険しい表情を向けながら、朝海もまた額に日の出の印を浮かび上がらせた。




