Dream.11 夢元世界の獏 〈2〉
青白い月が照らす黒一色の夜に、まるで日の光りのような明々とした金の塊がゆっくりと降下してくる。黒一色の地面に辿り着くと金光は周囲に大きく弾け飛び、弾け飛んだ光の中から朝海と晃由、灯子が姿を見せた。
「ご苦労さん、輝」
弾け飛んだ光の粒がもう一度集約し、再び輝が形成されると晃由が輝へと笑顔を向ける。
「凄まじい夜力だな」
周囲に立ちこめる夜力を肌で感じ、灯子が思わず表情を歪める。
「“曙”」
朝海が額の印を光らせ言葉を落とすと、朝海の全身から発せられた朝力の光りが晃由と灯子、そして輝の体をまるで守るように温かく包み込んだ。その光りのお陰か、先程まで肌に突き刺さるようだった夜力の影響をあまり感じなくなる。
「これで少しはマシになったと思うが、どうだ?」
「……別に」
印を消した朝海に問われると、灯子がすぐに視線を落とし素気なく答える。
「時間は限られている。とっとと行くぞ」
そのまま朝海の前を通り過ぎ、灯子はどちらがどの方向かもわからない世界だというのに一人、どんどんと進んで行ってしまう。そんな灯子の背を見送り、少し困ったように肩を落とす朝海。
「大丈夫、ちゃんと楽になったぜ」
「だったらいいが」
フォローするように肩を叩く晃由に、朝海がホッとしたように呟く。
「灯子ちゃーん、闇雲に突き進んでも迷うだけじゃないのぉ!?」
晃由が朝海の横からどんどんと突き進んでいく灯子の背へと大きく呼びかける。すると灯子はすぐに足を止め、二人の方を振り返った。
「硝子は向こうにいる。私にはわかる」
「んな滅茶苦茶な」
「確かに、向こう側の方が立ち込める夜力が一層強い」
呆れたように晃由が頭を掻く中、朝海が言葉を挟んだ。
「案外、本当にわかっているのかも知れないな」
「ええ? 双子だからってミラクル過ぎじゃね?」
「日下部朝海!」
朝海の名を大きく呼ぶ灯子の声に、朝海と晃由が一斉に振り向く。二人の方を振り返った灯子は、どこか焦ったような表情を見せていた。
「あれを!」
声を張り上げたまま前方を指差す灯子。二人が灯子の指の先へと視線を移すと、どこまでも続く真っ暗な大地の果てから、こちらへと駆け込んで来る無数の黒い獣の姿があった。月明かりに照らされ徐々に姿形が明らかになっていく。長い四本足の犬によく似た獣だが、鼻面が長く体も大きい。黒一色の世界に染まりそうな黒い体に、鋭い赤色の瞳。
「あれはハイエナ、か」
「硝子ちゃんの夢が生み出した夢喰か?」
「いや」
その獣の種族を特定した朝海が、晃由の言葉をすぐさま否定する。
「あれは恐らく、この強い夜力が生み出した夢喰。夜力のカスのようなものだろう。硝子の夢とは一切関係ない」
「なら、遠慮する必要はないな」
朝海の言葉を聞いた灯子が再びハイエナの群れへと体を向け、曜子から手渡された竹刀を鋭く構える。灯子が制服のスカートの裾をわずかに持ち上げると、灯子の右太腿に刻まれた日の出の黒紋が強く輝きを放った。その輝く紋へと、灯子が素早く竹刀を当てる。すると竹刀は金光に包まれ、見る見るうちに金光の刀へとその姿を変えた。
「叩き斬るぞ、“燈”!」
たった一人、ハイエナの群れの中へと恐れることなく飛び込んでいく灯子。
<ギャアアアア!>
だが朝海や晃由が心配する間もなく次の瞬間に、ハイエナたちの断末魔が響き渡った。
「うわー、ちったぁ遠慮してあげた方が良かったんじゃあ?」
次々と容赦なくハイエナを斬り裂いていく血も涙もないような灯子の姿に、思わず表情を引きつる晃由。
「お前も加勢してやれ、晃」
「必要あるかねぇ? まぁいいや、輝!」
朝海の言葉に首を傾げた晃由だったが、すぐに輝の背に乗ると両耳を広げ空を舞った輝と共に勢いよくハイエナの群れへと飛び込んでいった。勝手に戦いに参入した晃由に灯子は一瞬不満げな表情を見せたが、特に言葉を向けることはなくそのままハイエナを斬り続けた。
戦う灯子の様子を見つめながら、朝海がわずかに表情を曇らせる。
「増しているな、獏の力が」
ハイエナの強固な顎などもろともせずに刀を振り切り一気に圧倒する灯子の力に、分析するように言葉を落とす朝海。
「硝子の精神を手放した影響か。じきに本来の姿に目覚めそうだな」
「よっしゃ最後の一匹! 喰え、輝!」
朝海が冷静に分析をしているその間に、数十匹は居たであろうハイエナはすべて灯子と晃由により掻き消され、最後の一匹も輝が鋭い牙であっという間に斬り裂いた。
「よくやったぜ、輝! え、不味かった? まぁハイエナだからなぁ」
「なら、大人しく見ていれば良かったんだ」
戦いを終えて輝の頭を撫でていた晃由へと、刀を竹刀に戻した灯子が冷たく言い放つ。
「あんな連中、私一人でも十分やれた」
「そりゃ灯子ちゃんの実力は十分わかってるけどさぁ、俺らも見てるだけじゃ暇じゃん?」
笑顔で言い放つ晃由に同意しようとはせずに、相変わらず愛想のない様子でそっぽを向く灯子。そんな灯子に晃由と輝はそれぞれ困ったような表情で顔を見合わせた。
「さすがは日の出の獏ですね」
夜の中に響いてくる声に、晃由と輝が瞬時に身構え、灯子も再び竹刀を刀に変える。
「夢屑では相手になりませんか」
月明かりに照らされながら、その場へと姿を見せたのは黒い眼鏡をかけたスーツ姿の細身の男だった。
「誰だ?」
ゆっくりと灯子と晃由のもとへと歩み寄りながら、朝海が現れた男へと問いかけを向ける。
「私は、柊憬一郎と申します」
「柊?」
男が名乗ったその名に、どこか聞き覚えを感じる朝海。
「お初にお目にかかります。“日の出の神子”、日下部朝海様」
丁寧に頭を下げる憬一郎に、朝海が思わず眉をひそめる。朝海が日の出の神子であることを知り、この硝子の夢元世界に存在している以上、ただの人間ではないことはすぐにわかる。
「お前か!? 硝子をこんな夜の中に閉じ込めたのは!」
刀先を憬一郎へと向けながら、灯子が敵意剥き出しに声を張り上げる。まるで猛獣のような灯子の鋭い視線にも、憬一郎は涼しげなその表情を一切動かさなかった。
「いいえ。浅見硝子様は自らの意志で、この夜の中に閉じこもられました」
はっきりと言い放つ憬一郎に、灯子が少し表情を歪める。
「まぁ、我が主がわずかばかり、この夜を深めたことは事実ですが」
「我が主?」
「はい」
聞き返した灯子に、憬一郎がすぐさま頷く。
「そいつが、そいつが硝子を、私たちを夜にっ……。どこだ! そいつはどこにいる!?」
「落ち着け、灯子」
今にも憬一郎に斬りかかりそうな勢いの灯子に、朝海が落ち着き払った声を向ける。
「落ち着いている場合じゃ……!」
「場所なんか聞かなくても、彼が出て来た時点で、この先に彼の主がいることは明らかだ」
冷静な朝海の言葉に、灯子が荒々しかったその声を止める。
「ええ、そうですね」
感心するようにそう言って、少し口元を緩める憬一郎。
「我が主“月の出の神子”の命により、あなたがたをこの場で足止めさせていただきます」
そう言って憬一郎が右手で眼鏡を軽く持ち上げ、レンズ越しではなくなった右目をそっと伏せる。閉じられた瞼の上を含め、憬一郎の顔の右上部分に黒い紋様が浮かび上がった。三日月を象った、朝海たちの持つ日の出の印とよく似た紋様だ。
「あれはっ」
その見覚えのある紋様を見つめ、晃由と灯子が大きく目を見開く。
「さぁ、私のもとへ」
浮かび上がった顔の紋様へと憬一郎が左手を当てる。
「“京”」
呼びかけのような憬一郎の声と共に、憬一郎の顔の紋様から強い銀光が発せられる。あまりの眩しさに朝海たちが一瞬目を伏せ、すぐに収まった光に再び目を見開くと、憬一郎の前に一匹の獣の姿があった。
銀色に輝く美しく巨大な獣の姿に、朝海たちは思わず目を見張る。
「狐……?」
戸惑うようにその動物の名を呟く灯子。疑問形となってしまったのは、その獣が灯子の知る動物のどの種とも異なっていたからだ。細く伸びた鼻元と、そこから伸びる細い髭。鋭く吊り上がった真っ青な瞳に幾つかに枝分かれした大きな尾。あえて属分けするとすれば狐であろうが、狐とまるで違っているのはまるで兔のように長い耳が生えているところであった。
大きさは晃由の輝よりは一回り細いが、背中には十分に人が乗れるほどである。
「ウサギツネってとこか?」
「異質な獣。獏で間違いなさそうだな」
「獏? あいつも獏飼いってことか?」
振り向いた灯子が鋭く朝海に問いかける。
「何故、獏飼いが私たちに敵対する?」
「獏飼いは神子の従者。俺たち日の出の神子の従者もいれば、月の出の神子の従者の獏飼いも存在する」
「その通りです」
灯子に答えた朝海の言葉に、涼やかに同意する憬一郎。
「私は、月の出の神子の従者。夜力の獏飼い」
憬一郎が軽く手を振り上げると、京がその細い体をしならせ全身から黒い夜力を発する。
「お相手願いましょうか、日の出の神子」
立ちはだかる憬一郎と京を前に、朝海が鋭く目を細める。
「よっしゃ、相手になろう!」
朝海が憬一郎と戦うため、ゆっくりと右手を振り上げようとしていたその時、晃由が輝と共にどこかやる気満々に一歩前へと出る。
「晃?」
少し戸惑うように晃由の背を見る朝海。
「あいつは月の出の神子に足止めするよう命じられたんだろう? だったらお前も俺に命じればいい」
朝海の方を振り返った晃由が得意げな笑みを見せる。
「“あいつを倒せ”って」
晃由の言葉に、朝海が一瞬驚いたような表情を見せる。
「何かカッコイイな」
「俺はいっつもカッコイイよ?」
「やれそうか?」
「わっかんねぇけど、同じ獏飼いとしては負けたくねぇ感じ。なぁ、輝」
晃由の呼びかけに同意するように、輝が大きく頷く。
「なら、命じる。彼を倒せ」
要求通りの朝海の言葉に、満足げな笑みを浮かべる晃由。
「倒すんなら私がっ」
「灯子ちゃんは硝子ちゃんのところへ」
口を挟んだ灯子に、晃由がすぐさま言い放つ。
「俺は朝海の手助けに来たけど、灯子ちゃんは硝子ちゃんを助けに来たんでしょう? だったら、その通り動かないと」
優しげな笑みを向ける晃由に、灯子が少し表情をしかめる。
「任せるぞ、晃。行こう、灯子」
晃由に言葉をかけ、輝の耳を軽く撫でた朝海が足早にその場を駆け出して行く。朝海の後を追うように足を踏み出した灯子が、数歩進んだところで足を止めて晃由の方を振り返った。
「ヤバくなったら大声で呼べ。気が向いたら助けに来てやる」
愛想の欠片もなくそう言い放つと、灯子はまた晃由に背を向け、朝海を追いかけるようにしてその場を駆け去っていった。思いがけない灯子の言葉に一瞬面食らったような表情となっていた晃由だが、すぐに笑顔を浮かべる。
「灯子ちゃんに心配してもらえる日がくるとはねぇ」
嬉しそうに笑みを零した晃由が、前方に立つ憬一郎へと視線を移す。
憬一郎は特に焦りの表情も見せずに、静かに駆け去っていく朝海と灯子の背を見送っていた。そんな憬一郎の様子を見て、晃由が少し首を傾げる。
「もしかしてあんま足止めする気なかった?」
邪魔する素振りも一切なく、あっさりと朝海と灯子を前に進めた憬一郎に、晃由が思わず問いかける。
「我が主は日の出の神子との戦いを望んでいらっしゃるようでしたので」
「あんたの役目は俺の足止めってわけね」
憬一郎の答えに、晃由が納得したように頷く。
「それに、単純に興味があります」
「ん?」
言葉を付け加える憬一郎に、晃由が少し首を傾げる。
「日の出と月の出、どちらの獏が強いのか」
どこか挑発するような憬一郎のその言葉を聞き、楽しげな笑みを浮かべる晃由。
「いいね。じゃあ決めるとしようか」
「ええ」
鋭く笑い合う晃由と憬一郎の後方で、金狼の輝と銀狐の京もまた向き合った。




