Dream.10 月の出の神子 〈3〉
病室に曜子だけを残すと、朝海と晃由は同じ階にある患者と見舞い客との交流用の談話室にやって来た。空いている横長のソファーの上に朝海が腰を掛ける。
「やっぱり病院は空気的に眠くなるな」
「お前さんはいつでもどこでも眠いでしょうが」
腰掛けた朝海の前に立ち、先程自動販売機で買った水を飲みながら晃由が突っ込みを入れる。突っ込みを入れた晃由へと朝海がまっすぐに視線を向けた。その視線に気付いた晃由が、戸惑うように首を傾げる。
「ん?」
「何か、言いたいことがありそうだな」
晃由の表情を読むようにそう言う朝海に、晃由が少し眉をひそめる。
「俺、最近ずっと思ってたんだよね」
真剣な表情を見せた晃由が、談話室に飾られた観葉植物へと鋭い視線を投げかける。
「夢喰が出過ぎだって」
晃由の言葉に朝海が表情を曇らせる。
「赤槻に転校して来てからのこの二ヶ月、三日と空けずに夢喰が現れた。しかもほとんどが赤槻高校の生徒や赤槻町の人間だ。ずっと夢喰退治やって来たけど、こんなに同じ場所に夢喰が集中するなんてこと、今までで一回もなかった」
転校して来てからの日々を思い返しながら、晃由が言葉を続ける。
「んで思った。夜力使いが故意にこの町に、俺たちの周りに夢喰を生み出してるんじゃないかって」
晃由の視線が観葉植物からゆっくりと朝海の元へと戻って来る。
「俺たちの近くに、夜力使いが居るんじゃないかって」
晃由と鋭い視線を合わせると、朝海がすぐに目を逸らすように俯く。
「硝子ちゃんを眠らせたのがその夜力使いの仕業だったとして、一つ疑問が残る」
逸れた朝海の視線を気にすることなく晃由が言葉を進める。
「なんで夜力使いが硝子ちゃんを狙うかだ」
最後まで辿り着いた晃由の言葉が止まっても、朝海が顔を上げることはなかった。俯いたまま何やら考え込むような表情を見せている朝海に、晃由が眉をひそめる。
「お前、本当は何か知ってんじゃないのか?」
「夢元世界に行けるのは夜の時間帯だけだ」
俯いた状態のまま、晃由の問いかけの答えとはまるで別の言葉を返す朝海。
「それまで寝る。時間になったら起こしてくれ」
「おいおい、誤魔化すんじゃっ」
「ぐぅー、ぐぅー」
「寝るの早えぇよ!」
言葉を返す間もなくすぐさま眠りにつく朝海に、思わず突っ込みを入れる晃由。晃由の大声に、談話室に居た他の人々から冷たい視線が集まる。
「あ、すんませぇ~ん」
その冷たい視線に、晃由が焦ったような笑みで小さく頭を下げる。
「ったく」
すでにぐっすり眠りに入り込んだ朝海へと呆れるように声を吐きながら、晃由が朝海の座るソファーのすぐ横のソファーに腰を掛け朝海の方を振り向く。
「あの子は一体、何者だってんだよ? なぁ、朝海」
晃由のその問いかけに、朝海が目を開くことはなかった。
その頃赤槻高校、放課後。
「結局一日サボったわねぇ、硝子とクマ野郎」
すべての授業が終わり二年D組の生徒も皆帰り支度を整えている教室で、麗華が横の空いている二つの席を見ながら呆れたように肩を落とす。朝は確かに登校してきた朝海と硝子だが一時間目の授業から教室にはおらず、結局そのまま最後まで戻って来なかった。
「硝子に昨日、水無月と喫茶店デートしてたって噂の真相を確かめようと思ってたのにさー。ってか二人とも、鞄どうすんのかしら?」
机にかけられたままの朝海と硝子の鞄を見て、麗華が首を傾げる。
「ま、いっか。私の知ったことじゃないし、とっとと帰ろーっと」
素早く荷物をまとめた麗華が他の女子生徒に手を振りながら、あっさりと教室を後にする。麗華が廊下を進んでいくと、学年掲示板の前に数人の男子生徒が立ち止まっていた。部活に行く前に、貼り出された成績上位者を見ているようである。
「またコイツが一位か」
「一年の時からずっとだよな?」
「すっげぇよなぁ」
一番上に書かれた名を見ながら、男子生徒たちが感心するように言葉を交わしている。
「ホント頭いいんだな、“水無月修夜”って」
男子生徒たちの後方を、麗華は特に気に留めることもなく歩き去っていった。
※※※
「んっ……」
長い夢から覚めたように重々しく、硝子が瞳を開く。視界いっぱいに広がったのは星一つない暗い夜空と、その闇の中で不気味なほど白く輝く真ん丸の月であった。
「月」
視界を独占する堂々たる満月に、硝子が思わず呟きを漏らす。
――――届くよ、月になら――――
その月の姿に思い出されたのは、つい昨日聞いた言葉であった。
「ねぇ、届きそうでしょう?」
まるで硝子が思い出した言葉を知るように聞こえてくるその声に、硝子が寝転がっていた体をすぐに起こす。どこまでも続く暗闇の向こうから、ゆっくりと歩み寄って来る足音。やがて上空の月明かりに照らされ、歩み寄って来たその人物の姿が明らかになる。
「あなたは」
その人物の姿に思わず目を見開く硝子。
「水無月、君?」
「こんばんは、浅見さん」
硝子の目の前に現れたのは、いつもの爽やかな笑みではなく、どこか冷たさを感じる鋭い笑みを浮かべた水無月であった。
「どうして水無月君が? ここは一体」
戸惑いの表情を見せた硝子がすぐに周囲を見回すが、四方どこを見回しても暗闇が続くばかり。見えるのはただ漆黒の闇と真っ白な月だけのモノクロの世界であった。何も遮るものがないのか、硝子が発した小さな声さえ遠くまで響き渡っていく。
「ここは、夜に呑まれた君の夢の中」
「私の、夢?」
月を見上げながら言う水無月に、硝子が眉をひそめる。
「あっ……」
――――おいで、ショウ。僕と君の永遠の夜に。“御夜棲魅”……――――
頭の中にかすかに残っている、深く暗い闇の中に落ちていく前に向けられた言葉を思い出し、硝子が何かに気付いたような表情を見せる。
「修夜……、そうだ。確か、水無月修夜」
思い出されるフルネームにすべてが繋がっていき、硝子が思わず眉間に皺を寄せる。硝子が発した名を聞き、水無月がどこか満足げな笑みを浮かべた。それは硝子の知る水無月の優しい笑みではなく、戦慄を覚えるほど狂気的な何かを感じる笑みであった。その笑みを見た硝子が、一気に表情を険しく変えて身構える。
「どうしてあなたが私の夢の中に居るの? あなたは一体、誰っ!?」
少し感情的に声を荒げ、硝子が水無月へと問いかける。
「僕の名は水無月修夜。夢を呑み込む夜力使い、“月の出”一族の人間」
夜の静けさによく響く落ち着いた声でゆっくりと言葉を紡ぎながら、水無月が上空の白い月へと右手を伸ばしていく。月と呼応するように輝いた右手が強い黒光を放つと次の瞬間、水無月の額に三日月を象った青い印が浮かび上がった。
「あれはっ」
どこか見覚えのあるその印に、思わず目を見開く硝子。形と色こそ違えど、その印は朝海が夢喰との戦いの際に額に浮かび上がらせる日の出の印と酷似していた。
「“月の出の神子”、水無月修夜」
「月の出の、神子?」
聞き慣れないその言葉に、硝子が困惑の表情を見せる。
「さぁ、二人きりの夜を楽しむとしようか」
一層冷たく微笑んだ水無月が、月に伸ばしていた右手を硝子へと差し出す。
「僕の、“宵”」
水無月から呼ばれたその名に、真っ白な月明かりに照らされた硝子の表情は険しく変わった。




