Dream.10 月の出の神子 〈2〉
曜子の言葉に頷いた朝海は状況を理解していない晃由を何の説明もなく連れ出し、二人で曜子の車に乗ってまだ三時間目途中の学校を出発した。
「生徒に学校サボらせちゃって大丈夫なのぉ? 曜子先生」
「大丈夫よ。花崎先生に上手く誤魔化してもらえるよう頼んであるから」
「花崎先生、曜子先生にメロメロだもんね」
不安げに問いかける晃由に曜子が運転しながら笑顔を見せる。
車は学校のある赤槻町をどんどんと離れ、住宅街よりもビル群の目立つ都会へと向かって行っていた。もう走り出してから三十分は経っているだろうか。見慣れない町並みを窓から眺めながら、朝海が少し眉をひそめる。
「どこへ行くんですか?」
「もう前に見えているわ」
「前に?」
曜子の視線を追うように車のフロントガラスから前方を見る朝海。そこに見えてきたのは、白い壁の目立つ一際大きな建物であった。
「光が丘、総合病院?」
看板に書かれた文字を読み上げ、朝海が戸惑いの表情を見せる。
「なんで病院? 曜子先生、朝海の睡眠障害なら病院じゃ治せないと思うよ?」
「俺は睡眠障害じゃない。ただの寝不足だ」
朝海と晃由の緊張感のない会話が繰り広げられる中、曜子が病院の敷地内へと入って駐車場に車を停止させる。
「はい、着いた」
何故病院に来たのかわからぬまま、曜子と共に車を降りる朝海と晃由。病院の入口へと向かっていく曜子を追い、二人もまた敷地内を見回しながら歩き出した。総合病院というだけあって、赤槻町にある中小病院と比べると相当に大規模な病院である。朝から多くの患者が訪れているようで、駐車場はすでにいっぱいであった。
「見舞い? 誰か入院してんの?」
「付いてくればわかるわ」
晃由の問いかけに短く答える曜子。病院の正面玄関から院内へと入った曜子は、迷うことなく道を進み幾つかある病棟の一つへと向かっていった。エレベーターに乗り四階へと上がる。四階で降りると曜子に先導され、病室の並ぶ廊下を一番奥まで歩いて行った。
「ここよ」
一番奥の病室の前でようやく足を止めた曜子が、二人にそう告げる。
「ここ?」
戸惑いの表情を見せた朝海が、病室の扉の横に設置された表札を見る。表札には朝海もよく知っている名が刻まれていた。
「浅見、硝子?」
その刻まれた名を読み上げ、表情を曇らせる朝海。
「は? 硝子ちゃん?」
「そう。ここには私の妹、浅見硝子が入院している」
晃由の声に頷いた曜子が、ノックすることもなくゆっくりと病室の扉を開いていく。
「一年半前からずっと眠り続けている、硝子が」
「……っ」
扉の開いた病室の中には、ベッドの上で深く眠りについている硝子の姿があった。
「……は? え、どういうこと?」
まったくよくわからないといった様子で、晃由が曜子へと問いかけを向ける。
「一年半前から眠り続けてるって、あれが硝子ちゃんって、じゃあ俺たちの学校にいる硝子ちゃんは一体」
困惑した様子で晃由が言葉を並べる中、朝海が病室の中へと足を踏み入れる。そのままゆっくりと進み、朝海はベッドで眠る硝子の枕元へと立った。深く瞳を閉じており、艶のある黒髪は腰ほどまでの長さがあるが、その姿は確かに朝海の知る硝子そのものであった。
「これが、本物の硝子?」
「ええ」
朝海の言葉に頷きながら、曜子が晃由と共に病室内へと入り病室の扉を閉じる。
「何故、眠り続けているんですか?」
「わからないわ」
首を横に振って答えながら曜子が歩を進め、朝海のすぐ横に立って眠っている硝子を見つめる。
「ある日突然起きなくなって、何日経っても起きなくて、結局そのまま一年半の時が流れた」
悲しげな表情で曜子が硝子の顔を覗き込む。
「病気で?」
「色々と検査したけど、体には何の異常もなかったわ」
短く問いかけた朝海に、曜子が首を横に振りながら答える。
「異常がないから治療する必要もない。でも、起きない」
確かにベッドの上の硝子は、眠っているといっても指一本動かす素振りは見られなかった。寝息を立てることすらなく、ただ静かに呼吸だけをする人形のようであった。
「夢喰に夢を喰われたのなら夢現空間が広がるはずだし、夢喰が現れるはずだけど、それすらない」
今度は悔しげに揺れた瞳で、曜子が強く拳を握り締める。
「夢喰が現れたなら倒せばいいけど、それも出来ない。私の獏で朝力を与えてみたけれど、何の変化もなかった」
曜子の苦しげな声が続く。
「何もわからない。だから、どうすることも出来ないのっ……」
いつもおっとりとした曜子の表情が険しく変わる。そこには自分への怒りが滲んでいた。
「ごめん。ちょっと待って」
そこにまだ入口付近に立ったままの晃由が言葉を挟む。
「さっきも言ったけど、そこに居るのが原因不明の眠り病に罹ってる硝子ちゃんだっていうなら、あの硝子ちゃんは? 俺らが出会ったあの硝子ちゃんは誰なわけ?」
「あの子は、浅見灯子」
「灯子ちゃん?」
「そう。硝子と灯子は二重人格なんかじゃない。本当は双子の姉妹なの」
「ええっ!?」
曜子が告げる真実に、晃由が驚きの表情を見せる。
「双子? 双子なのに一人は眠り続けてて、二人とも灯子ちゃんの中にいて……んんっ?」
「灯子の体に硝子と灯子、二人の精神が存在しているということですか?」
混乱する晃由を置いて、朝海が曜子へと問いかける。
「ええ」
「それで……」
――――二人で一人になったのに――――
ようやく灯子の言葉を理解し、朝海がまた考え込むような表情を見せる。
「何故そんなことに?」
「それもよくわからないわ」
朝海の問いに答えながら、曜子が困ったような笑みを浮かべる。
「硝子が眠り始めて三ヶ月くらい経った頃、ある日突然、灯子が硝子と話せるようになったって言い出して、硝子だけ高校に行けないのは可哀想だから私の体を二人で使うことにしたって」
「んなことが有り得んのかよ? いくら双子だからって」
晃由が朝海へと険しい表情を向ける。
「有り得ないことを可能にさせたとすれば、それは恐らく彼女の獏の力だろう」
「獏? 灯子ちゃんの燈の力ってことか?」
朝海の言葉に晃由がすぐに戸惑いの表情となって聞き返す。
「獏も夢喰と同じ、夢を具現化した獣だ。硝子の自由を、未来を望んだ灯子の獏が、灯子自身の体の中に硝子の精神を呼び込んだとすれば」
「んなことっ」
有り得るはずがないとばかりに首を横に振る晃由。
「確かに獏は夢の力が源だって話だけど、獏飼い自身の願いを叶える獏なんて、獏飼い一族生まれの俺だって聞いたことねぇぜ?」
「誰よりも強い夢の力を持った者こそが獏飼いだ。逆に言えば、そんなことは獏の力を使わなければ起こり得ない」
「ん~」
理解はしているが納得は出来ない様子で頭を掻く晃由。
「それに燈が硝子の精神を呼び込むために力を使っていたと考えれば、燈が獣化しなかったことにも説明がいく」
「まぁなぁ」
朝海の言葉に晃由がどこか渋々と頷く。
「けっど呼び込んだにしては、ほとんど硝子ちゃんだったよな? 灯子ちゃんになんのなんて戦いの時だけだったし。あれじゃあどう考えても灯子ちゃんよりも硝子ちゃんの方がメインっていうか」
「そういう子なの」
曜子が口を挟むと、二人がそちらへと視線を向ける。
「何でも硝ちゃんのことを優先させてしまう。昔からそういう子なの、灯ちゃんは」
妹を誉めるように笑みを零しながらも、曜子のその笑みはどこか悲しげであり、朝海は思わず眉をひそめた。
「まぁ燈のことは今は置いておくとして、問題は彼女だな」
朝海が真剣な表情を見せて、再び硝子の方を見る。
「とりあえず朝力で起こしてみるか」
額に日の出の印を浮かび上がらせると、朝海の全身を淡い金光が包み込んだ。朝海の朝力に共鳴するように、晃由の左腕と曜子の胸元にもそれぞれ日の出の印が浮かび上がる。
「悪しき夜に呑まれし夢よ、今再び朝の光の中に目醒めよ」
金光を集約させた右手を硝子の額へと向ける朝海。
「“御破夜宇”」
朝海の言葉に呼応するように一層強くなった朝力の光が、あっという間に病室全体へと広がる。金光に包まれた右手で、硝子の額に触れようとする朝海。だが朝海の手が硝子の肌に触れようとした瞬間、硝子の体から噴き上げた黒い光が強い電撃を放って、朝海の手を弾き返す。
「朝海!」
その様子を見て、思わず朝海の名を呼ぶ晃由。
「これは」
咄嗟に朝力の金光で守った右手を見下ろしながら、朝海が眉をひそめる。朝力で守ったはずの朝海の右手のひらに切り裂かれたような傷が出来ており、そこから赤い血が滲んでいた。
「朝海、大丈夫かよ?」
「今、陽で治療を」
「いい」
朝海の傷を案じるように歩み寄ってきた二人に制止を促しながら、朝海が再び硝子へと視線を向ける。朝海が一瞬強く額の印を光らせ硝子の体へとその光を当てると、硝子の体全体を包み込むように黒い霧のようなものが浮かび上がった。
「何だ、一体!」
「あれはっ」
その浮かび上がった霧を見つめ、険しい表情を見せる晃由と曜子。
「夜力?」
「ああ」
曜子の言葉に、朝海がすぐさま頷く。
「夜力? でも朝海の朝力を弾き返すほどの夜力なんて、ただの夢喰にあるはずが」
「ただの夢喰の夜力じゃないということだろう」
「ただの夢喰じゃない? 朝海、それってまさか」
朝海の言葉に何か思い当った様子で、晃由が表情を曇らせる。晃由の言葉には答えずに、静かに額の印を消す朝海。朝海が発していた朝力の金光がなくなると、硝子を包む黒霧も見えなくなったのか自然と掻き消えた。
「例え強い夜力に襲われたとしても現実のものとなるのは、あくまで彼女の夢だ」
振り向いた朝海が鋭い視線を曜子へと投げかける。
「眠り続けてしまいたくなるほどの出来事が、目覚めていられないほどの悲しみが、彼女を襲ったんじゃないですか?」
朝海の問いかけに曜子が表情を曇らせる。
「そうね。今のこの状態が、硝子の夢だったのかも知れない」
硝子をまっすぐに見つめながら、また悲しげな表情を見せる曜子。
「どういうこと?」
晃由の問いかけに一瞬ぐっと堪えるような表情を見せた後、曜子がゆっくりと口を開いた。
「二年前、硝子がどうしても星ヶ浜に行きたいって言ったわ」
「星ヶ浜?」
首を傾げる晃由の横で、朝海が何やら考え込むような表情を見せる。
「その日は灯子が熱を出していて、両親はまた今度にしなさいって言ったんだけど硝子は珍しく譲らなくて、私が灯子の面倒を見るって提案して、三人は車で星ヶ浜に出かけていった」
ベッドの横の椅子に腰かけた曜子が天井を仰ぎ見ながら、言葉を続ける。
「三人の乗った車は事故に巻き込まれて、父と母は死に、硝子だけが助かった」
曜子の言葉に、朝海と晃由の表情が一気に厳しいものへと変わる。
「助かった硝子は自分を責めた。自分が我が侭を言ったからだって、自分が行きたいと望まなければ両親は死なずに済んだのにって」
曜子の話を聞きながら、朝海が少し俯く。まるで戒めのように何も望もうとせず、何の希望も口にしなかった硝子の姿が思い出された。それは、自分の希望により父と母を死なせてしまったことに起因しているのかも知れない。
「そして、こう言ったわ。“私なんて居なければ良かったのに”って」
――――オ前ナンカ、居ナクナレバイイ!――――
「それで、あの時……」
五十嵐の夢喰が水無月に向けた言葉を思い出し、朝海が察するように呟く。水無月に向けられたあの言葉を硝子は自分に向けられたものと受け止め、深い悲しみが呼び起されて倒れてしまったのだろう。
「口癖のようにその言葉を口にしていた頃、硝子は目覚めなくなった」
そして今に至ることを告げるように、曜子が眠る硝子に視線を戻す。
「居なければ良かったって、その夢が夜力で具現化されたってこと?」
問いかけた晃由に曜子は答えることなく、ただ苦しげに俯いた。姉として、追い込まれていく妹に何も出来なかったことに相当の苦しみを抱えてきたことが伝わってくる。
――――あんなことには、ならなかったのに……!――――
恐らくは灯子も、曜子と同じように苦しみを抱えてきたのだろう。
「んな悲しい夢を見続けてんのか」
ベッドの上の硝子を見つめ、晃由が目を細める。
「昨日あなたたちが帰った後、目覚めたのは硝子じゃなく灯子だった。そして、灯子が言ったの」
曜子が真剣な表情でまっすぐに朝海を見る。
「“硝子がいない”って」
曜子の告げる言葉に、朝海が一気に表情を険しく変える。
「どういうこと? 灯子ちゃんの体の中から硝子ちゃんの精神が出ていっちゃったってこと?」
「恐らくは」
晃由の問いに曜子が厳しい表情で頷く。
「出て行ったってことは自分の体に戻ったってことだろ? じゃあ硝子ちゃんの目が覚めるってことなんじゃ」
「いや」
すぐに首を横に振り、晃由の言葉を否定する朝海。
「出て行ったのではなく日の出の獏である燈の庇護下から引き離され、硝子の精神が完全に夜に呑みこまれたのだとしたら」
朝海の言葉に晃由が眉をひそめる。
「完全に夜に呑まれたんだとしたら、このままいけば硝子ちゃんは」
「ああ。彼女の夢が現実のものとなり、彼女は彼女の望み通りこの世界から本当に居なくなる。つまりは、死ぬ」
「そんなっ」
曜子が表情を歪める後ろから、思わず声を発する晃由。
「マズいじゃねぇか! とっとと何とかしねぇと」
「無理だわ」
「へ?」
諦めたような暗い声を発する曜子に、晃由が少し戸惑いながら振り向く。
「硝子が灯子の中にいるうちなら、硝子に朝の光りを取り戻させることも出来た。正直、私はそれを期待してたの」
「期待?」
「あなたたちが来てからの硝子はとても楽しそうに笑っていたから、このまま夜が明けてくれればいいって何度も思ったわ」
聞き返した朝海に、曜子が二人と居る時の硝子の笑顔を思い出しながら答える。
「でももう、硝子は完全に夜の中に居る。永遠の夜に囚われてしまった硝子に私たちが接触することは」
「出来ます」
朝海がはっきりと言い切ると、曜子はすぐに顔を上げた。
「出来る?」
「はい。彼女の夢元世界に俺たちが直接乗り込めば」
その朝海の言葉に、曜子と晃由が同時に驚きの表情を見せる。
「夢元世界、へ?」
「俺たち神子は、獏飼いの獏を通じて他者の夢の中に入り込むことが出来る」
「それは私も一応獏飼いだから知ってるけれど、でも」
説明する朝海に戸惑いの表情を向ける曜子。
「バッカ言ってんなよ、朝海。夢元世界は入る方にも入られる方にも命の危険が伴う。俺たちが夢元世界に閉じ込められる可能性もあれば、硝子ちゃんの夢自体を壊してしまう可能性もあるんだ」
どこか促すように晃由が朝海へと言葉を向ける。
「第一、許可も無しに勝手に人の夢元世界に行ったりしたら、日の出の総家に何て言われるか」
「だが他に恐らく方法はない」
強く言い放つ朝海に、晃由が思わず言葉を呑み込む。
「夢元世界の中で彼女に直接朝の光を与えることしか、彼女を目覚めさせる方法は、彼女を夜の中から助け出す方法はない」
「あぁ~、クソっ」
頭を抱えた晃由がどこか困った様子で声を吐き捨てる。
「しゃあねぇ、行くか。問題児の俺たちが総家に文句言われんのなんて別に、今に始まったことじゃねぇしな」
「ああ」
踏ん切りをつけたように言う晃由に、朝海が少し嬉しそうな笑みを零す。
「待って、日下部君。日の出の神子であるあなたに、そんな危険な真似をさせるわけにはっ」
「灯子に頼まれました。“私たちの夜を終わらせてほしい”と」
椅子から立ち上がり止めるように言葉を掛けた曜子に、朝海が笑みを向ける。
「夜に呑まれた夢を目覚めさせることが、日の出の神子である俺の役目だ」
「日下部君……」
誇らしく言い放つ朝海を見つめ、曜子が真剣な表情を見せる。
「それに俺も彼女に朝の光りを与えたい。本当の彼女に“おはよう”と言いたいから」
眠る硝子をまっすぐに見つめ、愛おしむような穏やかな笑みを浮かべる朝海を見た後、曜子は気持ちを落ち着けるようにゆっくりと瞳を閉じ、そして再び目を開いた。
「なら、私からもお願い」
そっと笑みを零した後、曜子が朝海に向かって深々と頭を下げる。
「お願い。どうか、妹を助けて」
切実な想いの詰まった曜子のその言葉に、朝海は一層決意を固めるように表情を鋭く変えた。
※※※
その頃、赤槻町の小さな喫茶店“Tomo”。
「はぁーい、灯子ちゃん。あったかいカフェオレだよぉ」
湯気の立つカップの乗ったトレーを持ったまま扉を開き、部屋の中へと入って来る今日も見事なツルツルスキンヘッドのトモ。部屋の中には、可愛らしい桃色の布団の敷かれたベッドの前で正座している茜の姿があった。中途半端に捲れ上がった掛け布団は、つい先程まで誰かが眠っていたようである。
「あれ、茜一人?」
首を傾げたトモが、正座している茜へと問いかける。
先程まで茜のベッドには、朝海が連れて帰って来た灯子が眠っていたのである。朝海に灯子を頼むと託ったトモは、雨に濡れていたため制服を着替えさせ、シャワーを浴びさせて体を温めた後、灯子が寝不足の様子だったためトモが茜のベッドを貸したのであった。
そして午前授業だった茜が学校から帰って来た後は、茜が灯子の様子を見ていたのである。
「灯子ちゃ、じゃない。ガラスちゃんは?」
「あの人なら制服乾いたって渡したら、すぐに着替えて出て行っちゃったよ」
「え? でもずっと店に居たけど通らなかったぞ?」
「そりゃあそうよ。窓から出て行ったもの」
「窓!?」
茜の言葉に驚きの表情を見せるトモ。確かに茜の部屋にある西側の窓が開け放たれ、カーテンが風に揺らいでいた。
「二階だっていうのに危ないなぁ、もう」
トレーを勉強机の上に置いたトモが、雨の降り込みを止めるために窓を閉じる。
「茜もそういう時はちゃんと止めなきゃダメだろぉ?」
「無理よ、私の言葉くらいじゃ止まりそうになかったもの。“硝子、硝子”ってすっごい剣幕だったし」
注意するように言うトモに茜がはっきりと言い放つ。
「大丈夫かなぁ? 灯子ちゃ、じゃなくてガラスちゃん」
「いちいち言い直さなくていいよ。別人なんでしょ?」
茜のその言葉にトモが少し驚いたように振り向く。
「灯子ちゃんに聞いたのか?」
「聞いてないけど何となくわかった。見るからに別人なんだもん、あの人と硝子」
立ち上がりトモが机の上に置いたカフェオレに手を伸ばしながら、茜が落ち着いた口調で言い放つ。
「おかしいと思ってたんだよね、初めから」
そう言って茜がカフェオレを一口飲む。
「同じ人間から、二匹の獏の声が聞こえてくるなんて」
茜の言葉を聞いたトモがすぐさま眉をひそめる。
「トモさんは初めから気付いてたの?」
「まぁね」
「ふぅーん。まぁどうでもいいや」
興味なさそうに声を返して、口を付けたカフェオレのカップをトレーの上に戻した茜が部屋の扉へと向かっていく。
「朝海クン、早く帰って来ないかなぁ」
「今日は遅くなるんじゃないかな。雰囲気的に」
「ええぇ~?」
トモの答えに不満げな声を漏らしながら、茜はゆっくりと部屋を後にしていった。茜の部屋に一人残されたトモが窓の外を見つめながら表情を曇らせる。
「二匹、ね」
先程の茜の言葉を繰り返しながら、少し困った様子で肩を落とすトモ。
「長い夜が来そうだな」
窓からまだ明るい空を眺めながら、トモは鋭い表情を見せた。




