Dream.08 守れなかった夢 〈3〉
翌日、夕方。
「どうする? お巡りさん呼ぶ?」
「そのうち起きるんじゃない?」
「でもさっきからもう二時間くらい、あそこで寝てるわよ?」
「ぐぅー、ぐぅー」
通りすがりの主婦たちの怪しむような視線が集まる中、道路の真ん中にうつ伏せの状態ですやすやと眠りこけているのは朝海であった。車のほとんど通らない住宅街の真ん中の道のため車に轢かれる危険性はないが、いつまで経っても起きない朝海に主婦たちは徐々に集まり、皆で訝しむように朝海を観察していた。
「こらぁ、日下部!」
「んんっ……」
道路に響き渡る大きな声に、朝海がゆっくりとその瞳を開く。
『あ、起きた』
今まで主婦たちの中の誰が呼びかけても起きなかった朝海が、その声にはすぐに反応して目を開いたため、主婦が皆驚きの表情を見せる。
「何、道の真ん中で寝てんのよ! 近所迷惑でしょうがっ」
「晴香、先生……?」
朝海が目を開くと、そこにはしかめっ面の晴香の姿があった。昨日と同じように重そうな紙袋を抱えて、昨日とは違う紺色のスーツを着ている。
「ごめん、寝てた……。もう一回、補習お願いします」
「なぁーにすっ呆けてんのよ。ほら、邪魔にならない場所に移動するわよ」
中学の時、晴香の補習を受けていた頃と混同させているのだろうか。まだ相当に寝ぼけた様子で言葉を返す朝海。主婦たちの視線が集まる中、まだ眠たげに瞼を擦っている朝海を引っ張るようにして、晴香はその場を移動していった。
昨日朝海と硝子が話をした近くの公園へと移動すると、晴香はベンチに荷物と朝海を残してどこかに行ってしまった。ベンチに座り晴香を待ちながら、朝海は睡魔に襲われ何度も大きく首を動かす。
「ほら、コーヒー」
そこへ缶コーヒーを二つ持った晴香が戻ってくる。どうやら自動販売機に行っていたようである。
「これで少しは目覚ましなさい」
「カフェインごときで俺の眠気は消せないよ」
「何、得意げに言ってんのよ」
呆れ果てた様子で言葉を落としながら、朝海のすぐ横に腰掛けた晴香が栓を開けて缶コーヒーを飲む。朝海も眠気で安定しない首を何とかまっすぐに固定しながら、缶コーヒーに口をつけた。
「なんで道の真ん中で寝てたわけ?」
「眠気がすごくて、学校から家までもたなかった」
「相変わらずねぇ。まぁでも日下部のそういうとこ変わってなくて、何かちょっとホッとするわ」
呆れた表情も束の間、晴香がすぐにいつもの明るい笑みを見せる。
「ねぇ、日下部」
「ん……?」
不意に真剣な表情を見せる晴香に、朝海が少し戸惑うように聞き返す。
「前から聞きたかったんだけどさ」
晴香の真剣な眼差しがまっすぐに朝海に向けられる。
「私はあんたに、何かを背負わせたのかな?」
「えっ……」
晴香のその問いかけに朝海が思わず困惑の声を漏らす。晴香は朝海が日の出の神子であることも、夢喰のことも知らない。自分の夢が消えてしまったことすら認識していない晴香が朝海の心情など知るはずもないのに、妙に確信をついたその問いかけに朝海は思わず動揺を見せた。
「何、急に」
「私の実習最後の日にさぁ、あんた、私に謝ったじゃない? “ごめんなさい”って」
晴香が覚えていたことを知り、朝海が少し表情をしかめる。
「あの時のあんた、すっごく辛そうな顔してたから何となくそう思って、何となくずっと気になってたんだよね」
申し訳ないという気持ちと同時に、よく見ていてくれたことを、ずっと気にしていてくれたことを嬉しく思ってしまうと、朝海の口元に自然を笑みが広がった。
「うん、背負ったよ」
「え?」
素直に答える朝海に、晴香が戸惑うように首を傾げる。
――――ありがとう――――
「背負ったけど、とても重たいものを背負ったけど」
夢喰と共に自分の夢を消し去った晴香の姿を思い返しながら、朝海がそっと缶コーヒーを握り締める。
「そのお陰である今の自分を、無駄だとは思ってない」
まっすぐに缶コーヒーを見て言葉を発する朝海を横から見つめ、少し考え込むような表情を見せた後、晴香が穏やかな笑顔を見せる。
「よしよし、なかなかいい男になったもんだっ」
満足げな笑みを浮かべて、晴香が乱雑に朝海の頭を撫でる。
「あんた隈がなきゃもっといい男なんだから、しっかり寝てちったぁ頑張りなさいよ。可愛い女の子に“ただのクラスメイト”とか言われてないでさぁ」
「放っといてよ」
頭を撫でる晴香の手を振り払って、朝海が乱れた髪を整える。
「あ、会社から電話だ。ちょっとごめん!」
焦った様子でベンチから立ち上がった晴香が、子供の姿のない鉄棒方向へと歩を進めながら電話で話をする。その晴香の様子を見つめながら、再び缶コーヒーを口にする朝海。数分のうちに電話が終わり、晴香が朝海のもとへと戻ってくる。
「ふぅー、ごめんごめん。しっかしヤバいなぁ」
携帯電話をスーツのポケットへと入れながら、晴香が困ったように頭を掻く。
「何が?」
「ん? ちょっと上司から売上の催促があってねぇ。そうだ、日下部。あんた、超大型コピー機買わない?」
「買わないよ」
「だよねぇ」
あっさりと断る朝海に、晴香が明るい笑顔を見せる。
「仕方ない、地道に働くか。じゃ、私そろそろ行くわ」
「うん」
缶コーヒーの空をベンチの横のゴミ箱に捨てて、荷物を持ち上げる晴香に朝海が頷きを返す。
「あ、先生」
「んん?」
思い出したように呼びかけた朝海に、晴香がすぐに足を止めて振り返る。
「先生の今の夢って何?」
「夢ぇ~?」
朝海の突然の問いかけに、晴香が困った様子で表情をしかめる。
「そうねぇ。とりあえず今月中にプリンター二千台売ることかなぁ」
「それって叶いそうなの?」
「全然。今日十五日だけど、まだ三台しか売れてないもん」
「それは無理過ぎるでしょ」
三本指を立てて強調するように言う晴香に、朝海がすぐさま呆れた顔となる。
「無理でも無茶でもやってみせる! 目指すは世界一のプリンター売りよ!」
「……っ」
――――無理でも無茶でもやってみせる、目指すは熱血教師よ!――――
明るい笑顔で沈んでいく夕日を指差す晴香を、教師を目指していた頃の晴香の姿と重ねる朝海。
――――夢を見るのってきっと、一度きりじゃないよ――――
その晴香の姿が昨日の硝子の言葉を証明するようであった。
「今度はきっと守るから……」
「ん?」
「ううん」
聞き返した晴香に首を振りながら、朝海がベンチから立ち上がる。
「とりあえず三台じゃ無理じゃないかな」
「今から千九百九十七台売ればいいだけの話よっ」
根拠も無いだろう自信を見せる晴香の姿を見ながら、朝海は晴れやかな笑みを零した。
※※※
その頃、喫茶Tomo。
「こんにちは」
「おう、ガラスちゃん。いらっしゃい」
硝子は昨日、晴香と遭遇したこともあってすっかり返しそびれてしまった折り畳み傘を持って、トモの喫茶店を訪れていた。間もなく晩御飯時だというのに、喫茶Tomoには相変わらず客の姿がない。
「傘ありがとうございました」
「ああ、ハイハイ」
硝子から折り畳み傘を受け取ったトモが、そのままその傘をカウンター奥の忘れ物ボックスの中へと入れる。やはり客の忘れ物の傘だったようだ。
「あれ? 日下部君は」
「あいつならまだ帰って来てないよ」
「え? 私より二時間は早く帰ったと思うんですけど」
トモの言葉に驚きの表情を見せる硝子。姉の曜子に保健室の掃除を手伝わされていた硝子とは違い、珍しく放課後すぐに目を覚ました朝海はそのまますぐに下校したはずである。学校からこの店までは徒歩十分。寄り道することも難しい。
「またどっかで寝てんじゃなぁ~い? まぁ大丈夫っしょ」
「大丈夫かな……」
暢気に答えるトモとは対照的に、どこか不安げな表情を見せる硝子。
「ガラスちゃん、カフェオレ飲む?」
「あ、あのトモさんっ」
問いかけたトモには答えずに逆に問いかけるように名を呼びながら、硝子が必死の面持ちでカウンター越しにトモを見る。
「この前、トモさん言いましたよね? 私のこの力を誰かのために使いたくなったら、私が強くなるための相談に乗ってくれるって」
「あ~、言ったね」
頷いたトモが食器を洗う手を止め、水道の蛇口を捻って水の出る音を無くす。客のいない喫茶店を静寂が包んだ。
「何、誰かのために使いたくなった?」
不意に鋭い瞳となって、まっすぐに硝子に問いかけるトモ。
「正直、日下部君みたいに皆の夢を守りたいとか、そんな立派な覚悟は出来ていません。でもっ」
言葉を付け加えた硝子が、トモに負けないほどまっすぐに視線をぶつける。
「皆の夢を守ろうとする日下部君の、力になりたいって思っています」
硝子の言葉を聞いたトモが少し驚いたような表情を見せた後、すぐに穏やかに笑みを浮かべる。
「いい答えだ」
「じゃ、じゃあ!」
「いいよ、相談に乗ってあげる。えっと、君の中の獏を獣化させたいんだっけ?」
「はい」
大きく頷き、どこか緊張した面持ちでトモの次の言葉を待つ硝子。
「んん~、君がそこに居るうちは無理じゃないかな」
「えっ?」
返ってきたトモの言葉に硝子が戸惑うように首を傾げる。
「私が、居るうちは?」
その言葉の意味がわからずに硝子が真意を問うように聞き返す。
「君の中の獏はもう一人の君のものだ。そして君は本来、そこに居るべき人間じゃない」
穏やかな笑顔の中でトモが見せる突き刺すような視線が、容赦なく硝子へと向けられる。
「君の存在が邪魔になって、もう一人の君の獏の力を抑え込んでしまっているんだよ」
「私が、邪魔に……」
「邪魔するよー!」
俯いた硝子が茫然とトモの言葉を繰り返していたその時、店の扉が開いて二人組のサラリーマンが店内へと入って来る。
「ハイハイ、テーブル席どうぞ」
客のサラリーマンへと笑顔を向けて、水とおしぼりの用意を始めるトモ。サラリーマンたちがテーブル席へと腰を下ろす中、入れ替わるように硝子が店の出口へと向かっていく。
「ガラスちゃん?」
「帰ります。傘、ありがとうございました」
「ああ、うん」
深く俯いたまま短く言葉を落として、硝子は足早に店を後にしていった。閉まっていく店の扉を見つめながら、トモが静かに表情を曇らせる。
「さて、どうなるか……」
「注文いいですかぁ?」
「ああ、ハイハイ」
意味深に言葉を落とした後、客に呼ばれたトモは水とおしぼりを持って、カウンターを出た。
喫茶Tomoを出た硝子は走って駅まで行くと、すぐに電車に乗った。一度乗り換えて別の電車に乗り、三駅過ぎたところでもう一度乗り換えようと硝子が電車を降りる。その頃には日も落ち始め、夕方の茜空は徐々に暗闇に呑まれようとしていた。
「私が、燈の獣化の邪魔に……」
「あれ、硝子?」
トモの言葉を思い出しながら乗り換えのホームを移動していた硝子が、ふと名を呼ばれて振り返る。振り返るとそこには紺色のセーラー服を纏った硝子と同じ年頃の少女が立っていた。
「やっぱり硝子だ。久し振りねぇ」
「あ、う、うん」
大きく笑顔を見せるその少女に、少しぎこちなく笑みを返す硝子。その少女は中学時代の硝子の友人であった。
「元気だったぁ? 他には誰も行かないような遠い高校行った上に、全然連絡取れないって皆心配してたのよぉー」
「う、うん」
頷きながらそわそわと後方を振り返り、電車が来ないかどうかを確認する硝子。仲の良かった友人との久々の再会だというのに、硝子はその場を逃げ出してしまいたくてたまらなかった。
「あ、灯子は?」
友人から向けられるその問いに、一気に硝子の表情が強張る。
「二人してあんな遠い高校選ぶなんて、ホント仲いいわよねぇ。あんたたち“双子”って」
「……っ!」
何気なく発せられる言葉に、硝子が大きく目を見開く。
「ご、ごめん。私、ちょっと約束あるからっ」
「え、あ、硝子!」
これ以上その場に居ることが耐えられずに、硝子は一方的に言葉を放つとすぐにその場を駆け出していった。戸惑うような友人の声にも止まらずに必死に階段を駆け下り、帰宅する人々の波を逆らって改札口から外へと飛び出していく。
「ハァ、ハァ、ハァっ……!」
家があるわけでもない、ただの乗り換え駅を出て、行く当てもなく必死に駆けていく硝子。硝子の向かう先にはどんどんと夜の暗闇に呑まれ、沈んでいく夕日の姿があった。
「お願い、消えないで……!」
沈んでいく夕日に手を伸ばし、必死に駆け続ける硝子。
――――君の存在が邪魔になって、もう一人の君の獏の力を抑え込んでしまっているんだよ――――
――――ホント仲いいわよねぇ、あんたたち双子って――――
――――ごめんね、硝子――――
思い出される言葉を振り払うように、硝子が何度も何度も首を横に振る。
「嫌、嫌っ、来ないで! 夜を連れて来ないでっ……!」
願うように言葉を発する硝子の瞳から、とめどなく涙が零れ落ちる。
「来ないでぇぇ……!!」
その場に力なく膝をついた硝子の頭上で、日の光を失った夜の空が広がった。




