Dream.09 迫り来る夜 〈1〉
六月初旬。赤槻高校は新たな学年になっての初めてのテスト、一学期中間考査を終えたばかりであった。二年の教室のある二階の学年掲示板には、中間考査の成績上位五十名の名前と総合点が貼り出されていた。
「さすが、水無月君! また一位ね!」
「凄過ぎるわぁ」
「ありがとう」
色めき立った女子生徒に囲まれながら、いつものように爽やかな笑顔を見せている水無月。貼り出された上位成績者の中でもその一番上、第一位のところに水無月の名前が書かれていた。
「へぇー。あのイケメンくん、頭までイイんだ」
女子に囲まれた水無月を見ながら晃由が何気なく言葉を発する。
「水無月君は一年の時から、ずっと一番なんだよ。すごいよね」
「顔も良くて運動も出来て頭もイイとか、羨ましい話だねぇ」
笑顔で誉める硝子に対し、晃由がどこか力なく肩を落とす。
「俺なんて顔が良くって運動神経がめちゃくちゃいいだけなのによぉ」
「それって自慢してるの?」
嘆くように言う晃由を硝子が不思議そうに見つめる。
「水無月が一番なのなんて今に始まったことじゃないんだから、どうでもいいわよ」
そこに不機嫌面の麗華が口を挟む。
「問題なのはこいつよ、こいつ!」
不満げに声を張り上げた麗華が指差したのは、掲示板に貼られた成績上位者の中の“第三十三位、日下部朝海”の文字であった。
「なんで!? あいつ、授業中ずっと寝てるのになんで三十三位なの!?」
朝海本人でもないというのに硝子と晃由に向けて全力で問いかける麗華。確かに授業中ほとんど眠っている朝海が成績上位者の中に入っているというのは驚くべき事態ではある。
「あいつ、昔っから睡眠学習のプロだからなぁ。授業全部寝てるわりに試験の成績がいいから、留年も免れてるし」
「そういえばこの前、寝ながら数学の問題答えて先生驚かせてたよ」
「納得出来ないわ」
穏やかに言葉を交わす二人の横で、麗華がまた不満げに声をあげる。
「まさかクマ野郎の奴、とんでもなくテストの山張りが上手いんじゃ」
「山なんか張ってない」
「あ、日下部君」
聞こえてきた声に皆が同時に振り返ると、そこにはまだ眠たげな表情の朝海が立っていた。珍しく自力で起きてきたようである。
「じゃあどうやって、あんないい点取ってるわけよ? まさかドラマ観賞の合間に、家でめっちゃ勉強してるとかっ!?」
「ドラマ観賞の合間に家で勉強しなくても、授業をしっかり聞いてれば点数は取れる」
「あんたが言ったら何か台無しだわ!」
説得力のない朝海の言葉に、麗華が思わず怒鳴りあげる。
「世の中の授業しっかり聞いてる生徒に謝りなさいよ、ったく」
「まぁまぁ麗華ちゃん、あいつは寝てる時の方が頭の回転いいんだって」
怒りの冷めやらない様子の麗華を宥めながら、晃由が麗華と共に掲示板の前から教室の方へと歩いていく。
「私たちも教室戻ろっか」
朝海にそう声をかけて硝子も二人の後に続こうと足を踏み出したその時、朝海の手が硝子の手首を掴み、硝子の足を止めさせた。硝子が戸惑うように朝海の方を振り返る。
「日下部君?」
「最近元気、なくないか?」
「え?」
朝海の突然の問いかけに硝子が戸惑うように声を漏らす。
――――君は本来、そこに居るべき人間じゃない――――
先日、トモから受けた言葉を思い出し、わずかに表情を曇らせる硝子。だが心配するように顔を覗き込んでくる朝海に、硝子はすぐに笑顔を見せた。
「ううん? 全然元気だよ」
「そうか」
首を横に振る硝子に、答えながらもあまり納得のいっていない様子の朝海。
「もし、この前俺が晴香先生の話をしたことを気にしているなら、あれは俺が勝手に話しただけだし、それを理由に君に何かを聞くような真似は……」
「うん、わかってる」
朝海の言葉を遮るように硝子が頷く。
「大丈夫。日下部君はそんなことしないって、ちゃんとわかってるから」
硝子の信頼を示すその言葉が、余計に踏み込むことを禁じているようで朝海は少し複雑そうに表情を曇らせた。
「……ごめんね」
朝海の心情を察したのか申し訳なさそうに謝った後、硝子は自分の手首を掴んでいた朝海の手を左手でそっと剥がし、そのまま朝海に背を向けて教室の方へと歩き去っていった。
「なんで、謝ったんだ……?」
一人その場に残った朝海が剥がされた手を見下ろしながら、逆の手で軽く頭を掻く。
「水無月が一位で、五十嵐はまた二位かぁー」
掲示板のすぐ前に集まった男子生徒の中の一人の声に、朝海がふと顔を上げる。
「さっすが万年二位。安定の定位置だな」
「何でも完璧な水無月に勉強ですら勝てねぇんじゃ、ガリ勉野郎も形無しだよなぁ」
「あ、ヤベ。五十嵐」
あれこれと言葉を交わしていた男子生徒たちが焦ったように口を閉じる。男子生徒たちの視線の先、廊下の向こうから掲示板の方へとやって来たのは分厚い黒縁メガネをかけた、いかにも真面目そうな坊ちゃん頭の青年であった。皆の視線を浴びながら、その五十嵐という生徒は掲示板の二位という自分の順位に一瞬だけ視線を向け、すぐに目を逸らしてその場を去っていく。
去っていく五十嵐の背を見送りながら朝海は少し眉をひそめた。
その日、放課後。
「さっきまで起きてたのに、なんでまた寝ちゃうかなぁー」
自分のクラスのホームルームを終えて二年D組の教室へとやって来た晃由が、机の上ですっかり眠りこけている朝海を見てがっくりと肩を落とす。掲示板の前で起きている朝海と会ったのは、つい十分程前のこと。だがその十分の間に、朝海は再び夢の世界に旅立ってしまったのである。
「おい朝海、起きろー。帰るぞぉー」
晃由が朝海の肩を揺らし何とか起こそうとするが、先程眠りに入ったばかりの朝海はなかなか起きそうにない。
「クッソー。せっかく今日は早く帰れると思ったのに」
「じゃあまた明日ね、仲河君」
「へ?」
すっかり帰り支度を整え、帰ろうと挨拶を向ける硝子に晃由が目を丸める。
「あれ? 硝子ちゃん、今日は一緒に帰んねぇの?」
「うん、今日ちょっと用事あって。ごめんね」
「いいよいいよ。朝海待ってたら何時になるか、わっかんねぇし。んじゃまた明日ねぇ」
晃由に申し訳なさそうに笑顔を向けながら、硝子は二年D組の教室を後にした。今日は歌のレッスンがあるという麗華も早々と帰ってしまったため、珍しく一人の下校である。一人になった硝子はすぐに表情から笑顔を消し、どこか浮かない表情のまま昇降口へと向かった。
――――元気、なくないか?――――
自分の下駄箱を開け上履きを戻して代わりに革靴を取り出しながら、硝子が先程掛けられた朝海の言葉を思い出す。
「私は日下部君に踏み込んでも日下部君を嫌いにならないけど、日下部君はきっと……」
「浅見さん?」
苦しげな表情で言葉を落としていた硝子が、後ろから掛けられる声にすぐに振り向く。
「あ、水無月君」
硝子が振り向いた先に立っていたのは笑顔の水無月であった。
「珍しいね。一人? 相原さんは?」
「今日は歌のレッスンだって」
「へぇー。やっぱり大変だねぇ、芸能人は」
硝子の答えを聞いた水無月が、感心するように声を漏らす。
「水無月君こそ珍しいね。もう部活始まる時間じゃないの?」
「それが試験一位だったご褒美で一日休み貰っちゃってさ」
水無月の笑顔が少し困ったようなものに変わる。
「ご褒美なら食券とかにして欲しいよ。急に休み貰っても暇なだけだし」
「たまにはゆっくりするのもいいんじゃないかな? 水無月君、いっつも忙しそうだし」
「そうかなぁ」
硝子の言葉に答えながら、水無月も上履きから革靴へと履き替える。
「あ、そうだ。浅見さん、今から暇?」
「え? あー、うん。暇といえば暇だけど」
水無月の問いかけに戸惑いながら硝子が答える。
「じゃあ、ちょっとだけ付き合ってくれないかな? せっかくの休みに早く帰るのもつまらないし」
「えっ?」
思いがけない誘いに硝子が驚きの表情を見せる。
「い、いいの? 私なんかで」
「浅見さんなら大歓迎だよ」
水無月の笑顔に、硝子は頬を少し赤く染めた。
「なら、うん。いいよ」
「良かった。じゃあ行こうか」
嬉しそうな笑顔を見せる水無月と共に、硝子は校舎を後にしていった。
「おっ」
朝海を起こすことを諦め窓から外の様子を見ていた晃由が、並んで正門へと向かっていく硝子と水無月の姿を見つけ少し驚きの声を漏らす。
「ふぅーん、用事って秀才イケメンとのデートだったのか」
含むところがあるように言葉を落とし、何度も頷きを落とす晃由。
「寝てる間に持ってかれちまうんじゃねぇのぉ?」
眠っている朝海へと、晃由がどこか試すように問いかける。
「んん、シャンデリアちゃ~ん……」
「ダメだな、こりゃ。戦う前から負けてるわ」
緩みきった表情で寝言を漏らす朝海の姿を見ながら、晃由は呆れ果てた様子で肩を落とした。
その頃、二年学年掲示板前。
放課後となり多くの生徒の下校も終わって、すっかり人気のなくなった掲示板の前に佇む一人の男子生徒。それは掲示板の成績第二位に名を刻まれている五十嵐であった。
「二位」
書かれた自分の名を見上げ、そしてその自分のすぐ上にある一位の名を見て五十嵐が眉間に皺を寄せる。
「水無月……」
そこにある名は入学以来一年間、どの季節のテストにおいても五十嵐の上にある名であった。友達もろくに作らずに休み時間も勉強をしている五十嵐に対し、何でも出来るその人気者は勉強ですら五十嵐に劣らない。
――――ガリ勉野郎も形無しだよなぁ――――
思い出される同級生たちの言葉に、五十嵐がきつく唇を噛み締め拳を握り締める。
「水無月、あんな奴……、あんな奴居なくなればいいのにっ」
<イイネ、ソノ夢>
「えっ?」
どこからともなく聞こえてくる声に五十嵐が掲示板から視線を移す。周囲を見回すが掲示板の前に他の生徒の姿はない。
「気のせいか」
<ソノ夢、僕ガ叶エテアゲルヨ>
「あっ……!」
自分の体の中から噴き上げていく黒い煙に、五十嵐が眼鏡の奥の瞳を大きく見開く。
<御夜棲魅……>
「う、うあああああ!」
人気のない廊下に五十嵐の叫び声が響き渡った。




