Dream.32 消える夢喰 〈2〉
翌日。朝海は生徒たちが腹ごなしに体を動かしている昼休みのグランドを見下ろしながら、屋上で一人、昨日の茜の言葉を思い返していた。目の下にはいつものように濃い隈が刻まれているが、朝海は眠たげではなかった。
「人間じゃない、か」
茜が発した衝撃的な言葉を繰り返し、朝海が少し考え込むように首を捻る。
「あ、ここに居たんだ」
後方から響く声に、朝海がすぐに振り返る。屋上の入口から姿を見せたのは、穏やかな笑みを浮かべた硝子であった。
「何か用だった?」
「ううん。日下部君珍しく教室に居ないから、何かあったのかと思って探しちゃった」
「ああ、ごめん」
「私が勝手に探しただけだから」
謝る朝海にそっと首を横に振りながら、硝子が朝海のもとへと歩み寄って来る。硝子は朝海のすぐ横へと並ぶと柵に手をかけ、グランドを見下ろした。
「悩み事?」
短く問いかける硝子に、朝海が隣で眉をひそめる。
「どうして?」
「今日、朝から全然寝てないから」
聞き返した朝海に、硝子が間を置くことなく答える。
「わかりやすいよね、日下部君って」
笑顔を向ける硝子に対し、朝海は少し困ったようにその場で俯いた。
「私で良ければ話くらい聞くよ。あ、勿論言いたくないことなら言わなくていいけど」
気遣うように声を掛ける硝子に、朝海が困ったような表情のまま視線をグランドの方へと向ける。
「茜が」
「茜ちゃん?」
「茜が、自分は人間じゃないかも知れないって」
朝海が発したその言葉を聞いた途端、硝子がすぐさま表情を曇らせる。
「人間じゃないかもって、そんなことっ」
悪い冗談だろうと笑い飛ばそうとした硝子であったが、妙に真剣な表情を見せている朝海に何かを察するように笑みを止める。
「何か、知ってるの?」
硝子の問いかけに、朝海が柵の上に置いた拳をぐっと握り締める。
「十三年前、トモさんが不思議な獣を拾って来たんだ」
少し躊躇うように間を置いた後、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた朝海の声に、硝子が真剣に耳を傾ける。
「それはまだ子供だった俺の手のひらに収まるほどの小さな獣で、猫みたいだけど猫じゃなくて、見たことのない種類の獣で、全身から淡い光りを放ってた」
当時のことを思い出しているのか、朝海が自身の両手をまっすぐに見下ろす。
「俺はトモさんに言われて、その獣の世話をした。エサをやって水をやって、夜に散歩に行って。そんな日が二年くらい続いたある日」
さらに躊躇うように言葉を止める朝海に、硝子が察するように眉をひそめる。
「その獣はいつもよりもずっと強い光りを放って、光りがようやく収まったかと思うとその獣は、人間の赤ん坊の姿になっていた」
「それが、茜ちゃん?」
「……ああ」
確かめるように問いかけた硝子に、朝海が深く俯きながら頷く。
「茜は確かに、普通の人間じゃない。人間じゃないんだ」
苦しげに言い切る朝海を見つめながら、硝子が険しい表情を見せる。
「茜が人間じゃないってことは、正直どうでもいいんだ。俺だってただの人間ってわけじゃないし、例え何であれ、俺にとって茜は茜だから」
ただの人間ではないと言い放つ朝海に、硝子が一瞬苦しげに唇を噛む。
「でも今の俺には、普通の人間じゃないってことを茜に伝える勇気がなくて」
朝海がまた顔を上げ、もう昼休みが終わろうとしている中、校舎へと戻っていく生徒たちを見下ろす。
「真実を、トモさんに確かめる勇気もない」
朝海がまた苦しげに、自身の拳を強く握り締める。
「事実を告げることが茜のためになるのか、真実を追求することがトモさんのためになるのかって、二人を苦しめたくないって思いながら、結局何も出来ずに二人を苦しめてる」
「日下部君」
自分を責めるように言葉を落とす朝海を、硝子が心配そうに見つめる。
「難しいね。すごく難しい」
朝海と同じようにグランドに視線を落とした硝子は、自身も深く思い悩むようにそっと声を落とした。
「でも、でもね、大事なのは家族で在り続けることだって思うの」
「家族で、在り続ける?」
「うん」
聞き返した朝海に、硝子が笑顔で大きく頷く。
「私ね、長い夜から目覚めて退院して、お姉ちゃんと灯子が待つ家に帰る時、すっごく不安だった。二人には本当に迷惑かけたし、どんな顔してこれから暮らしていけばいいんだろうって思ってた」
晴れ渡った空を見上げ、硝子が嬉しそうな笑みを零す。
「でも実際帰ってみると、お姉ちゃんも灯子もいつも通りに笑って、いつも通りに何でもない話を振ってくれて、何事もなかったかのように私の家族だったの」
灯子や曜子の笑顔を思い出しながら、硝子が感謝の溢れる声で言葉を続ける。
「そのことに、どれだけ救われたかわからない」
感情のこもる硝子の言葉を聞きながら、朝海が真剣な表情を見せる。
「だから日下部君も、変わらずに茜ちゃんとトモさんの家族で居てあげればいいんじゃないかな。それがきっと、二人にとっての何よりの支えになると思う」
まっすぐに向けられる硝子の笑顔に、ずっと胸の中に押し寄せていた不安が掻き消えていくような感覚となり、朝海は強張っていた表情を和らげ、そっと笑みを零した。
「そうだな」
笑顔となった朝海が、自分の中で確認するように小さく頷く。
「ありがとう、硝っ……ぐぅー」
「寝た!?」
礼の途中で突然立ったまま眠り出してしまった朝海に、硝子が思わず声を引っ繰り返す。
「もーう」
少し呆れたように声を発しながらも、眠る朝海を見て、硝子は愛おしそうに笑みを浮かべた。
その日、放課後。
「朝海の奴、昼休みくらいまで起きてなかったっけ?」
いつものように深く眠り込んだ状態の朝海を背中に担ぎ、喫茶Tomoへの道を行く晃由が不満げな表情を見せる。朝海が珍しく昼休みまでは起きていたため、今日は背負って帰らなくて済むと思い込んでいたようだ。
「午後からはぐっすりだよ」
「はぁ。せめて午前寝て、夕方に起きろってんだよなぁ」
一緒に帰り道を行く硝子が、晃由の方を振り返りながら笑顔で答える。硝子の横には晃由のことなど気にもかけていない様子で、灯子が足早に先頭を歩いていた。
「そういえば最近、夕方が長いよな」
「え?」
灯子の突然の言葉に、硝子が大きく首を傾ける。
「夕方が長い?」
「ほら、まだ四時だってのに空が真っ赤だろ? それに最近六時くらいまでずっと夕焼け空だ。変だと思わないか?」
「そう言われてみると、そうかな」
灯子に指を差され、真っ赤に染まった空を見上げながら硝子が戸惑うように首を捻る。普段からあまり夕焼け空の時間の長さを気にしていないため、最近が長いという感覚もなかった。
「異常気象の一種かな? 最近そういうの多いし」
「まぁどうでもいいんじゃねぇ? 空の色くらい」
大きく首を傾げる硝子の後ろから、晃由が陽気な声を発する。
「そうだな。お前の存在くらい、どうでもいいな」
「ちょっと灯子ちゃん、それは冷た過ぎない!?」
容赦ない灯子の言葉に、泣き出しそうな表情となる晃由。その時、すぐ近くから何か建物が大きく壊れるような音が響き、三人は同時に顔を上げた。
「何の音だろう? 今の」
硝子が戸惑いの表情で周囲を見回す。見える範囲には、壊れたものはない。だが先程の音は風で軋むような音や自然な崩壊音ではなく、明らかな破壊音だ。何か嫌な予感がして、顔を見合わせた三人が険しい表情を見せる。
「見てくる。ここに居てくれ」
「あ、灯子!」
「俺も行くわ。硝子ちゃんは朝海と待ってて!」
「え、ええぇ~!?」
晃由から眠ったままの朝海を放り渡されると、硝子は朝海の体を支えてその場に座り込みながら、戸惑いの声を放った。
先を行く灯子を追いかけ、晃由も硝子と朝海を置いて駆け出していく。灯子は余程正確に音のした方向がわかっているのか、迷いなく何度も曲がり角を選んで進んでいった。
「本当にこっちであってんの!? 灯子ちゃんっ」
「違うと思うんなら別の道探せ」
「冷たいなぁ~」
あれこれと会話を交わしながら、灯子の選んだ道を進んで行く二人。角を曲がって大きな道に出たところで灯子がようやく足を止めた。
「確か、この辺りから音がしたような」
「あ、あれ!」
周囲を見回していた灯子が晃由の声に振り向き、晃由が指差した方向へと視線を送る。視線の先では、民家を囲うブロック塀が物の見事に粉々に砕け散っていた。だがブロック塀が崩れ落ち、あれほど大きな音も響いたというのに、まったく人が集まって来ていない。
「何だ? 何か変な感じが」
「あ、あそこ人が倒れてる!」
灯子が戸惑いの表情を見せる中、近くの道路で横たわっているサラリーマン風の男を見つけた晃由が慌てて駆け寄っていく。
「おい、大丈夫かって、寝てる?」
男の体を起こして問いかけようとした晃由であったが、男から聞こえる心地良い寝息に戸惑いの表情となる。男は特に苦しんでいる様子もなく、ただ気持ちよさそうに眠っていた。
「これって」
<グアアアアア!>
「あっ……!」
その時、晃由の背後に突如、巨大な黒いカブトムシが姿を見せた。カブトムシの頭部の中央辺りには水晶体が埋め込まれており、その中では中年男性が眠り込んでいる。
「こいつは、夢喰っ……!?」
羽根を広げて素早く空を舞ったカブトムシは、頭の先についた大きな角を晃由へと向ける。
「晃由っ、 “燈”……!」
晃由に迫るカブトムシに気付くと、灯子がスカートの裾を少し上げて右太腿に刻まれた日の出の紋に右手を触れる。紋が輝きを放つとすぐに金色の天馬、燈が姿を見せた。燈は翼を広げて全速力で晃由の前へと立ち、晃由に向けられたカブトムシの角を噛むようにして受け止める。
「“輝”」
燈がカブトムシを受け止めている間に晃由も左腕の日の出の紋に触れ、金色の巨狼、輝を目醒めさせる。
「この人の避難を」
晃由が眠っているサラリーマン風の男を手渡すと、輝は器用に尾を使って男を背の上に乗せ、その場を離れていった。その間に燈が大きく首を振り切り、カブトムシを後方へと吹き飛ばす。
「何故夢喰が? 夢現空間も出てないのにっ」
晃由のすぐ横へと移動して来ながら上空の赤い空を確認し、灯子が表情をしかめる。
「さぁ? とりあえず朝海呼んで来て、あの人を夢から覚まさねぇと」
<グアアアアア!>
「え?」
晃由が輝を呼んで朝海のもとへ向かおうとしたその時、大きな声を張り上げたかと思うと、カブトムシがその場から忽然と姿を消した。カブトムシが消え去ったその場に、カブトムシに埋め込まれた水晶体の中に入っていたはずの中年男性が倒れ込んでいる。
「な、何だ?」
「夢喰が消えた……?」
一瞬にして消えてしまったカブトムシに、晃由と灯子が困惑の表情を見せる。
「どうなっているんだ? あっ」
戸惑いの声を漏らした灯子が、先程まで粉々に砕け散っていたはずのブロック塀が綺麗に直っていることに気付き、眉をひそめる。灯子がすぐさま上空へと視線を送ると、先程まで真っ赤だった空が青色に変わっていた。
「どうやら異常気象ってわけじゃなさそうだな」
夕焼け空が夜にもならずに、また青い空に戻るなど妙な話だ。強い違和感を覚え、灯子が険しい表情を見せる。
「あいつっ」
晃由の声に気付き、灯子がすぐに晃由の見つめる先へと視線を移す。
「あれは、転校生?」
直ったブロック塀の向こうから、まるで観察するように二人の方を見ているのは赤い髪と半分坊主の変わった髪型が特徴的な灯子たちのクラスの転校生、火浦であった。二人の視線に気付くと、火浦はすぐにその場を駆け去っていく。
「あ、待て!」
燈の背に乗り込み、火浦を追いかけていく灯子。
「あ、待って灯子ちゃん! とりあえず朝海にって、あぁ~もう、輝!」
火浦を追う灯子に制するように声を掛ける晃由であったが、途中で無駄なことを悟ると、すぐに自分も輝に乗り込んで火浦と灯子の後を追いかけていった。
一方その頃、灯子と晃由に置いていかれた硝子は、二人を追いたいが眠っている朝海を地面に放置していくわけにも行かず、とりあえず喫茶Tomoまで連れて行こうと、朝海の長い体を両腕を引くようにして運んでいた。
「んんん、重いぃ~!」
いつもは灯子か麗華と二人がかりで運ぶ朝海を一人で運ぶというのは、相当に負担のあるもので、硝子は歯を食いしばりながら表情をかなり引きつっていた。
「もうちょっとなんだけどなぁ」
「手伝います」
「え?」
後方から声がしたかと思うと、引っ張る朝海の体重が急に軽くなった。戸惑いの表情となった硝子がすぐに後ろを振り返る。
「あ、あなたは」
硝子が振り返ると、そこには朝海の両足を持ち上げた薦那の姿があった。
「えっと薦那、さん?」
「はい。喫茶Tomoまでですよね? 私も手伝います」
「でも」
「丁度今からバイトに向かうところでしたから」
「あ、そうなんですか。じゃあお願いします」
「はい」
笑顔を見せた硝子に薦那が大きく頷きかけると、二人は少し言葉も交わしながら、それぞれに朝海の腕と足を持って喫茶Tomoへの道を進んで行った。
そんな二人の後ろ姿を、少し離れた建物の陰から見つめる人影があった。長身の男、土原だ。二人の姿を確認した土原が携帯電話を耳に当てる。
「やぁ、僕だよ。今、彼女が日の出の神子と“宵”に接触した」
穏やかな口調で爽やかな笑みを見せながら、どこか冷たい瞳を見せる土原。
「ああ。彼等の引き付けは僕等に任せてもらって大丈夫。そちらは手筈通り、作戦を開始してくれ」
その冷たい瞳には、朝海と硝子の姿がはっきりと映し出されていた。




