Dream.31 赤く染まる空 〈3〉
「はぁー、食った食った」
喫茶“Tomo”で薦那の手料理を満喫した晃由が、硝子、灯子と共に店を出る。
「じゃあね、トモさん」
「ご馳走さまでした」
「はいはぁ~い。またねぇ~」
明るい笑顔のトモに見送られ、晃由が店の扉を閉める。
「さすがに食い過ぎたかなぁ」
「うん、そうだね。今日の夜は、灯子の手料理食べれないかも知れない」
「わざとだろ。わざと」
はっきりと言い放つ硝子に、灯子が少し表情をしかめる。
「じゃあ俺こっちだから。気ぃ付けてね、硝子ちゃん、灯子ちゃん」
「うん、また明日。晃由君」
硝子たちに軽く手を振ると、晃由は二人に背を向け駅とは逆方向へと歩き去っていった。
「さ、私たちも帰ろうか。って、あれ? 茜ちゃん」
駅へと向かう道を振り向いた硝子が、その道の先から店へと戻って来る茜の姿を見つける。
「おかえりなさい。私たちも今、丁度帰るところでっ」
穏やかな笑顔で話しかける硝子であったが、茜は深く俯いたまま硝子の横を素通りし、そのまま無言で店の中へと入っていった。
「あれ?」
完全に無視された硝子が、戸惑った様子で首を傾げる。
「どうかしたのかな? 茜ちゃん」
「元々無愛想なガキだろ。さ、とっとと帰ろう」
硝子の問いかけに灯子は特に興味のない様子で答え、足早に駅へと向かっていく。
「あ、待ってよ。灯子」
硝子は茜の様子を気にかけるように店の扉を振り返りながらも、すぐに灯子の後を追っていく。
「って、うわ!」
直前まで後方を見ていたため、前方から向かって来ている人が居たことに気付かず、硝子が踏み出した瞬間に前からやって来た人とぶつかってしまう。
「す、すみません!」
「いいえ、こちらこそすみませんでした」
慌てて謝りながら硝子が顔を上げると、茶色い短髪の背の高い、三十歳前後の男性が硝子へと爽やかな笑みを向けていた。がっしりとした体格に、目鼻立ちのくっきりとした二枚目の何とも好印象なその男性に、硝子が思わず見惚れる。
「では」
「あ、はい。すみませんでした」
軽く手を振り上げて去っていく男に、硝子がもう一度謝罪を向ける。歩き去っていく男の背を見送る硝子。
「カッコ良かったなぁ」
「何してるんだ? 硝子、帰るぞ」
「あ、うんっ」
もう随分と先を歩く灯子に急かされ、硝子が慌ててその場を駆け出していく。硝子が灯子に合流した頃、硝子とぶつかったその男性はふと足を止め、硝子の方を振り返った。
「あれが宵、か」
意味深に言葉を落とし、男は薄く笑みを浮かべた。
「ああ、おかえり。茜」
「ただいま」
カウンターの奥に立ち、笑顔で出迎えたトモへと一言短く言葉を落とすと、茜は足早に店を通り過ぎ、二階へと続く階段に向かっていく。
「ああ、茜」
階段のすぐ手前で、洗面所で顔を洗っていた、ようやく目を覚ました様子の朝海と鉢合わせし、思わず足を止める茜。
「おかえ」
「ただいま」
朝海がおかえりと言い切らないうちに返事をして、茜は朝海の顔も見ないままに二階へと駆け上がっていく。いつもは朝海に今日の出来事をすべて報告しては感想を求める茜だというのに、今日はまったく異なるその様子に、朝海が戸惑うように首を傾げる。
朝海が問いかけるように視線を向けると、トモは困り気味の笑顔でそっと頷いた。そのトモの頷きに頷きで答えて、朝海が茜を追い二階へと上がっていく。
「ただいま戻りました」
そこへもう一度店の扉が開き、両手いっぱいに買い物袋を抱えた薦那が入って来る。
「綸っ……、ああ、おかえり。薦那ちゃん」
思わず口から出そうになった名を必死に止めて、トモが笑顔を作って薦那を出迎える。
「ごめんね、買い出しまで頼んじゃって。重かったでしょ?」
「いえ、平気です。こう見えて力には結構自信あるんで」
カウンターの上に袋を置きながら、薦那がすぐさま首を横に振る。
「そんなに似てますか?」
「へ?」
薦那の急な問いかけに、トモが戸惑った様子で首を傾げる。
「綸音さんって人と私」
薦那が口にした綸音の名に、トモが瞬時に表情を曇らせる。
「最初に私を見た時もそうですし、今も綸音って呼びかけそうになっていました。今日だけでもう五回くらい」
「ごめん」
「いえ、別に呼び間違えることに怒っているとかではなくて」
申し訳なさそうに言葉を落とすトモに、薦那が笑顔を向ける。
「そんなに似ているのかなって単純に気になっただけです」
「うん、そうだね。すっごく似てる、かな」
「やっぱり。もしかして私をバイトに採用してくれたのは、私が綸音さんに似ているからですか?」
「そう、かも知れない」
薦那の問いかけに歯切れ悪く答えながら、トモはどこか苦しげな笑みでどんどんと視線を落としていく。
「へぇ、よっぽど大事な方なんですね。綸音さんて」
「うん」
今まで歯切れの悪かったトモが、薦那のその言葉にはすぐさま頷く。
「大事だったよ。何よりも」
過去形で響くその言葉に、薦那は少し表情を曇らせた。
一方、トモに促されるように二階に上がった朝海は、茜の部屋の扉の前に立っていた。少し躊躇うように間を置いた後、扉を二度手で叩く。
「茜? 入るよ」
朝海が扉を開けて茜の部屋へと入ると、茜は自身の寝台にうつ伏せ状態で横たわっていた。眠っているわけではなさそうだが、朝海がやって来たにも関わらずうつ伏せ状態のまま動こうとはしなかった。少し困ったように肩を落とした朝海が、茜の寝台の隅へとそっと腰掛ける。
「どうした? 何かあった?」
うつ伏せのままの茜の方を振り向き、優しく問いかけを向ける朝海。それでも茜は何も答えぬまま、姿勢も動かさない。
「茜?」
朝海がそっと手を伸ばし、茜の後頭部を撫でる。
「私」
ようやく声を発する茜に、朝海が撫でていた手を止める。
「私、人間じゃないかも知れない」
「え?」
思いがけない茜の言葉に、朝海が戸惑いの表情を見せる。
「人間じゃないかも知れない」
もう一度その言葉を繰り返しながら、起き上がった茜が今にも泣き出しそうな表情でまっすぐに朝海を見つめる。
「私っ、人間じゃないかも知れないよ! 朝海クン!」
「茜っ……」
大きな瞳からポロポロと涙を零して訴える茜に、朝海がそっと眉をひそめる。
「う、ううぅ、うぅ~!」
朝海に抱きついて泣きじゃくる茜のその姿に、朝海は何の言葉も出ないまま険しい表情を見せた。
赤槻高校、屋上。
皆が部活動を終えて帰宅を開始する中、転校生の火浦は人気のない屋上に座り込んで一人、ひたすらゲームに励んでいた。
「ここに居たの」
その時屋上の入口扉が開き、水鳥が姿を見せる。
「様子は?」
「順調」
水鳥の問いかけに、火浦がゲームをしたまま短い言葉で答える。
「そう」
そんな火浦の様子に慣れているのか、水鳥は特に疑問に思う素振りもなく自然と頷いた。
「じゃあ後は土原を待つだけね」
「丹平ならそこに居る」
水鳥がそう言った途端に、火浦がゲーム機から離した右手で屋上の隅を指差す。屋上の柵を出た外の縁に立った長身の男が、危険など気にする素振りもなく身を乗り出してグランドを見下ろしていた。
「やぁ、水鳥」
振り向いた爽やかな笑顔のその男は、先程喫茶Tomoの前で硝子とぶつかった男であった。
「僕の方も順調だよ」
「言われなくても、この空を見たらわかるわよ」
真っ赤に染まった空を見上げ、水鳥が少し呆れた表情で肩を落とす。
「土原、黄昏空間を作るのが早過ぎるんじゃない? いくら夢現空間みたいに感知されないからって、この季節に五時から空が真っ赤だったら普通に不審がられるわよ?」
「そんなことは些細な問題だよ、水鳥」
少ししかめた表情で言葉を向ける水鳥に対し、土原はまったく気にした様子もなくあっさりと笑顔を見せた。
「もう間もなく、逢魔が時」
土原と呼ばれた男が再び水鳥に背を向け、赤い空に照らされたグランドを見下ろす。
「光りの下に生きて来た人々は初めて、本当の闇を知る」
帰宅していく生徒たちを見渡しながら、土原が楽しげな笑みを浮かべる。
「この茜色の空の下でね」
土原の言葉を耳に入れると、ゲームをしていた火浦はその手を止め、鋭く目を細めた。




