騎士の心得
朝。
ロリーナを自宅に残し、ライルは王都騎士団の詰所へと向かっていた。
昨夜は教会の秘密を探るために忍び込み、今夜は再び侵入する予定だ。正直なところ、身体には疲労が残っていたが、だからといって仕事を休むわけにはいかない。
王都騎士団は、バートランド聖王国の王都を守護する組織である。街の治安維持から要人警護、犯罪者の捕縛まで、その任務は多岐にわたる。
ライルはその一員として、日々剣を振るっていた。
「……今日に限って、あの人が来るんだよな」
詰所へ向かう道すがら、ライルは小さくため息をついた。
今日、騎士団の訓練場には特別な視察者が訪れる予定だった。
国王直轄の聖王国軍を統括する、若き将軍である。
王都騎士団に所属するライルにとって上司にあたる人物だった。
もっとも、ライルにとっては単なる上司という言葉では片づけられない存在でもあった。
これまで何度、鍛え直されたことか。
訓練のたびに欠点を見抜かれ、容赦なく叩きのめされ、最後には説教までついてくる。
それでも、指導を受けた兵士たちが確実に成長していることは、ライル自身も認めていた。
だからこそ、兵士たちの信頼は厚い。
*
王都騎士団の訓練場には、朝早くから大勢の騎士たちが集まっていた。
木剣を振るう音、掛け声、鎧の擦れる音が響き渡る。
「全員、整列!」
隊長の号令が飛ぶ。
騎士たちは素早く列を整え、訓練場の入口へ向き直った。
やがて、白い軍服をまとった騎士が姿を現した。
緑色の長い髪が、朝の風に揺れる。
背は高く、姿勢はまっすぐ。腰には銀色の剣が吊られていた。緑色の瞳は鋭く、険しい表情には一切の隙がない。
「おはようございます、セレスティーナ・クッコロ将軍!」
27歳にして、国王直轄軍の全軍を統括する女将軍である。
騎士たちが一斉に敬礼した。
「おはよう。訓練を続けなさい。私が来たからといって、普段と違う動きをする必要はない」
透き通った声が訓練場に響いた。
声そのものは美しい。しかし、その鋭さは抜き身の刃を思わせる。
「はっ!」
騎士たちは一斉に返事をし、訓練を再開した。
セレスティーナは腕を組み、各隊の動きを観察していく。
ある兵士の足運びに目を留めれば、すぐさま改善点を指摘する。
「右足が前に出すぎている。その位置では、踏み込んだ瞬間に重心が崩れる」
「はっ!」
「そこの2人。連携が遅い。互いに相手の動きを見てから動いているから、攻撃が一拍遅れる。次は相手の意図を予測して動きなさい」
「はっ!」
彼女の指摘は的確だった。
しかも、誰に対しても態度を変えない。身分や年齢、役職にかかわらず、問題があれば容赦なく指摘する。
それでいて、兵士たちが失敗したときには、その原因を具体的に教える。
厳しいが、理不尽ではない。
だからこそ、彼女は兵士たちから全幅の信頼を得ていた。
「……相変わらず、恐ろしい人だ」
列の中で、ライルは小さくつぶやいた。
「何か言ったか?」
「い、いえ! 何も!」
いつの間にか、セレスティーナがこちらを見ていた。
ライルは慌てて背筋を伸ばす。
彼女はしばらく彼を見つめた後、わずかに目を細めた。
「ライル・メスガキ!」
「はっ!」
「君は前回の訓練で何を学んだか覚えているか?」
「もちろんです!」
「なら確認しよう」
セレスティーナは腰の剣に手をかけた。
「前へ出なさい」
「……はい?」
「聞こえなかったか?」
「い、いえ! 聞こえました!」
ライルは心の中で頭を抱えた。
やはり、今日も逃げられないらしい。
*
訓練場の中央。
ライルとセレスティーナが向かい合っていた。
周囲の騎士たちは訓練の手を止め、2人を遠巻きに囲んでいる。
「クッコロ将軍、本日は木剣を使用されますか?」
隊長が恐る恐る尋ねた。
「いや。真剣を使う」
セレスティーナは腰の銀色の剣を抜いた。
澄んだ金属音が響く。
「ただし、刃を立てるつもりはない。ライル、君も自分の剣を抜くんだ」
「……承知しました」
ライルも剣を抜く。
もちろん、彼女と本気で斬り合うつもりはない。だが、相手はセレスティーナだ。こちらが遠慮したところで、彼女が手加減してくれる保証はなかった。
「始め!」
隊長の号令と同時に、ライルは踏み込んだ。
まずは正面からの斬撃。
相手の反応を見て、次の動きを決める。
セレスティーナは剣をわずかに傾け、ライルの攻撃を受け流した。
キンッ!
金属音が響く。
ライルはすぐさま体勢を立て直し、横薙ぎの一撃を放つ。
しかし、彼女は半歩下がるだけでそれをかわした。
続けて、ライルは突きを繰り出す。
セレスティーナは剣の腹で軌道を逸らし、彼の懐へと踏み込んだ。
「遅い」
「なっ――!」
気づいたときには、彼女の剣先がライルの喉元に突きつけられていた。
「そこまで!」
隊長が慌てて声を上げた。
ライルは動きを止めた。
開始から、わずか十数秒。
またしても、完敗だった。
「……参りました」
ライルは剣を下ろした。
「もう一度」
「えっ?」
「今のは、君が何も学んでいないことを確認しただけだ。もう一度」
「は、はい!」
周囲から、気の毒そうな視線が集まる。
ライルは内心で泣きたくなった。
しかし、拒否するわけにもいかない。
二度目の手合わせが始まった。
今度は、ライルも慎重に動いた。
不用意に踏み込まず、相手の剣先を観察する。攻撃を誘い、隙が生まれたところで反撃する。
先ほどよりも、明らかに動きがよくなっていた。
セレスティーナの剣を受け、流し、距離を取る。
数合の打ち合いが続いた。
「ほう……」
周囲の騎士たちから、感心する声が漏れる。
ライルは確かに成長していた。
だが。
「そこ」
セレスティーナがつぶやいた。
彼女は、ライルが攻撃へ転じる瞬間を見逃さなかった。
ライルが右肩を引いた、そのわずかな動き。
彼女は次の攻撃を察知し、剣を合わせることすらせずに間合いを詰めた。
ドンッ!
「ぐっ!」
ライルの腹部に、彼女の鞘がめり込んだ。
息が詰まる。
そのまま腕を取られ、身体をひねられる。
「うわっ!」
ライルの身体が宙に浮いた。
次の瞬間、彼は訓練場の地面に背中から叩きつけられていた。
「がはっ……!」
肺の中の空気が一気に吐き出される。
起き上がろうとしたところで、銀色の剣先が眼前に迫った。
「そこまで!」
再び、隊長の声が響いた。
ライルは地面に仰向けになったまま、しばらく動けなかった。
「……くそっ」
「何か言ったか?」
「い、いえ……」
セレスティーナは剣を鞘に納めた。
そして、倒れたライルを見下ろしながら、冷静に告げた。
「君は動きが読みやすい。相手に自分の考えを読ませるな」
「……はい」
「攻撃する前に肩が動く。踏み込む前に視線が向く。剣を振るう直前には、必ず重心が右へ偏る。これでは、次に何をするつもりなのか、誰にでも分かる」
ライルは苦い顔をした。
自分では隠しているつもりだった。
だが、彼女にはすべて見抜かれていたらしい。
「剣術は、力比べではない。相手が何をするかを読むこと。そして、相手に何をするつもりなのか悟らせないこと。その両方が必要だ」
「……承知しました」
「本当に理解しているのか?」
「理解しています!」
「なら、次は実践で示しなさい」
セレスティーナは踵を返し、訓練場を見渡した。
「他の者も同じだ。自分の得意な動きに頼りすぎるな。型を覚えることと、型に縛られることは違う。相手がこちらの型を知っていれば、それは弱点になる」
「はっ!」
騎士たちが一斉に返事をした。
セレスティーナは満足したように頷き、隊長へ視線を向けた。
「訓練を続けなさい。私はしばらく見ている」
「承知しました!」
号令が飛び、訓練場に再び剣戟の音が響き始めた。
*
しばらくして、ライルは訓練場の端で水を飲んでいた。
腹部には、まだ鈍い痛みが残っている。
「……あの人、少しは手加減というものを覚えてくれないものかな」
「聞こえているよ」
「うおっ!?」
背後から声をかけられ、ライルは危うく水を吹き出しそうになった。
振り返ると、セレスティーナが立っていた。
「し、将軍!」
「君は、口だけはよく動くんだな」
「申し訳ありません……」
「謝罪は必要ない。事実を言っているだけだ」
彼女は腕を組み、ライルをじっと見つめた。
「ところで、君は最近少し様子がおかしい」
「……そうですか?」
「ああ。集中力が散漫になっている。疲労だけが原因ではないだろう?」
ライルの心臓が、一瞬だけ跳ねた。
昨夜の教会への侵入。
聖柱の秘密。
そして、今夜の再侵入計画。
まさか、それを知られているはずはない。
「何か悩みがあるなら、相談しなさい。騎士としての任務に支障が出るようなら、放置するわけにはいかない」
セレスティーナの声は厳しかった。
しかし、その眼差しには、部下を気遣う色もあった。
ライルは一瞬、すべてを話すべきか迷った。
彼女は国王直轄軍の将軍だ。
教会の秘密を知れば、調査に協力してくれるかもしれない。
だが、逆に、教会と国王が繋がっているのなら。
彼女に話した瞬間、すべてが終わる可能性もあった。
「……少し、家族のことで」
ライルは慎重に答えた。
「妹が、いろいろと面倒を起こしまして」
「妹?」
「はい。しばらく、俺の家で預かることになったんです」
それは嘘ではなかった。
セレスティーナは、少しだけ表情を和らげた。
「そう。家族の問題なら、気にかかるのも無理はない」
「……はい」
「ただし、騎士としての責務は忘れないこと。守るべき者がいるなら、なおさら自分を鍛えなさい」
その言葉に、ライルは顔を上げた。
セレスティーナは真剣な眼差しで、彼を見つめていた。
「君は、剣を振るう前に考えすぎる癖がある。だが、考えること自体は悪くない。問題は、考えていることが相手に伝わってしまうことだ」
「……相手に、自分の考えを読ませない」
「そう。相手を欺くために嘘をつけと言っているわけではない。自分の目的を達成するために、必要な情報を不用意に与えるなということ」
ライルは、はっとした。
それは剣術の話であると同時に、昨夜の潜入にも通じる教えだった。
教会の秘密を探るなら、自分が何を知り、何を疑っているのかを悟られてはならない。
誰を信じるかも、何を話すかも、慎重に判断しなければならない。
「……ありがとうございます、将軍」
「礼を言う暇があるなら、次の訓練で結果を見せなさい」
「はっ!」
セレスティーナは短く頷き、再び訓練場の中央へと歩いていった。
その背中を見送りながら、ライルは深く息を吐いた。
彼女は厳しい。
容赦がない。
そして、恐ろしいほど鋭い。
だからこそ、もし彼女が教会の秘密に関わっているのなら、自分の企みなど簡単に見抜かれてしまうだろう。
ライルは腰の剣に手を添えた。
「……今夜は、絶対に悟られるわけにはいかないな」
彼は小さくつぶやき、再び訓練場へと戻った。
夜までに、まだやるべきことは残っている。




