プロローグ
夕方から風が強くなった。番屋の板壁が継ぎ目のところで鳴っている。梁に吊るした網が揺れるたびに、ガラスの浮きがぶつかって鈍い音を立てた。女の子は毛布にくるまって壁ぎわに横になっていた。熱は昼すぎから上がりつづけている。
男の子は流しの前にしゃがみこみ、膝の上でノートを開いていた。鉛筆の先をなめては何か書いている。一行書くと手を止めて窓のほうを見て、また書いた。女の子のいるところからは、紙の上の字は灰色の細い線にしか見えない。書き終えると男の子はそのページを綴じ目のところから破り取り、二つに折って、さらにもう一度折る。
日が落ちるころ、戸の外で砂を踏む音がした。音は戸の前で止まり、誰かが板を二度叩いた。男の子は折りたたんだ紙を持って戸口へ行き、戸を細く開けた。雨のにおいがして、隙間から大人の手が入ってきた。その手はパンの袋と水のペットボトルを床に置いた。男の子が折った紙をその手に握らせると、手は紙ごと引っこんで戸が閉まった。砂を踏む音が遠ざかっていく。
夜になると雨が横から屋根を叩きはじめた。女の子は毛布を顎まで引き上げた。
流しの上の電池式のランタンが天井に白い輪を作っていた。輪の縁がときどき伸びたり縮んだりする。ランタンが揺れているのか自分の目がおかしいのか、熱にうなされる女の子にはもうわからなかった。
男の子が湯呑みに水を汲んできた。水はぬるかった。女の子が半分飲むと男の子は残りを自分で飲み、湯呑みを流しに戻した。流しにはもう一つ湯呑みが伏せてある。
男の子は女の子の足もとに座って膝を抱えた。毛布の端から靴下の先が見えている。左の靴下はかかとまで脱げかけていて、男の子は何度か引っぱり上げたが、そのうちにやめてしまった。
波の音が近くなったり遠くなったりした。女の子は目を閉じた。
戸の開く音がして、風が一度に吹きこんできた。毛布の上に雨の粒が散り、ランタンの輪が大きく傾いた。戸口に人が立っている。フードを深くかぶり、ヤッケが雨粒で光っていた。顔のあるはずのところは暗くて、肩から落ちる水だけが見えた。
男は後ろ手に戸を閉め、男の子のほうへかがみこんだ。男の子が何か答えて首を振り、また何か言った。耳の奥で風の音がずっと鳴っている。男の子が誰かと話すのを、女の子は毛布の中から見ていた。
男は立ち上がって棚の前へ行き、揃えてあった男の子の運動靴と壁ぎわのリュックを拾った。それからランタンの光の届かないところへ手を伸ばし、男の子が夕方に何かを書き込んでいたノートを取って、ヤッケの内側に入れた、
男の子が立ち上がった。女の子のほうを見て何かを囁いたが、何と言ったのかはわからなかった。男が背中を向けてしゃがむと男の子はその背中に乗り、両腕を男の首に回して顔を肩につけた。
男が立つと、男の子の足が毛布のすぐ上でぶらぶらした。右足には白い靴下を履いている。左足は裸足で、足の裏に砂がついていた。男の子の座っていたあたりの床に靴下が片方、丸まって落ちている。
男は浜に面した表の戸には行かず、流しの横にある小さな戸を開けた。
女の子は毛布から腕を出した。体を起こすと天井の輪がぐるりと回った。床に手をついて膝で這い、流しの下にあった自分の運動靴に、かかとを踏んだまま足を入れた。裏口の柱につかまって立つ。
外は暗かった。雨が顔に当たって目を開けていられない。戸口からこぼれたランタンの光が、数歩先の地面までを薄く照らしていた。地面は泥になっていて運動靴が沈む。
男は少し離れたところにいた。背中の男の子が急に体をよじり、足をばたつかせて男の肩を押した。男は立ち止まって背負い直そうとした。男の子がフードをつかみ、男が男の子の胸もとをつかんだ。手が離れたとき、男の指のあいだに白いものが挟まっていた。男はそれをヤッケのポケットに押しこむ。それがポケットに入っていくのを、女の子は柱の陰から見ていた。
男の子の足が、また男の腰の両側に垂れた。男は男の子を揺すり上げて歩きだした。二人はすぐに見えなくなった。
女の子は柱にもたれたまま、二人が行ったほうを見ていた。あの背中をどこかで見たことがある気がした。
足もとの泥が冷たかった。運動靴の中まで水がしみて、靴下が重くなった。柱に頬をつけると、濡れた木から潮のにおいがした。膝から力が抜けて、体が柱をすべり落ちる。ランタンの白い輪が、戸口の上で揺れていた。
はじめまして、シロです。
本作は、少し前に完結まで書き上げた小説です。
ぼちぼち投稿していくので優しく見守っていてください。




