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研究日誌05:生態調査結果

 水平線がオレンジ色に燃え始めていた。


 湖は、そこに“ある”けれど嘘みたいだった。

 息を吸うと肺が痛い。空気はとても乾燥している。

 《《月》》を映して湖面がキラキラと光っていた。

 

 昨日まで、ここには何もなかった。

 僕らが座っていた場所だ。


 砂と塩しかなかったはずだ。

 それでも湖は、静かに、当然の顔で存在していた。


「……すごい」


 僕がそう呟くと、アレイスタが満足げに僕に手を振った。


「でしょ。出たわ。やっぱりここ」


 声は嬉しそうだけど、周囲を警戒している。

 右手の使い古されたナイフに、僕は違和感を覚えた。

 魔法使いなのに、魔法を使わないのは何故なんだろう。

 昇り始めた朝日を反射してナイフがキラキラ光る。


 メルクが口を結んだまま、湖面を睨んでいる。

 やっぱり表情が読めないけれど、少なくとも、喜んでいるようには見えなかった。


「静寂が過剰」


 瞳がキラキラしている。

 訂正、喜んでいるのかもしれない。


 僕はこの人たちのことを何も知らないのだ。


 僕は空を見上げた。



 そこに月は無かった。



 湖面が、ぴくりと揺れた。

 波紋ではない。

 水が“震えた”。

 水面の一部が盛り上がり、ぷるん、と形を作る。

 透明に近い、粘り気のある塊。

 

 それは小さな小さなスライムだった。

 子犬くらいの大きさだ。

 光を受けてきらきらしていて、可愛い……可愛い。


準備(フォアベライテン)


 メルクの小さいけれど鋭い声に反応して、背中の大きなリュックが動き出した。それはまるで腕のようだった。滑車やワイヤーが複雑に絡みついた腕。それが滑らかに伸び、変形して弓の形になる。


 「探査(ゾンデ)


 連動した機械が自動装填し、矢が放たれ、

 小さなスライムの中心――とは全く別の方向に飛んだ。

 

 そのまま湖面に落ち、ぽちゃん、と小さな音を立てて沈んでいった。


 しばしの沈黙。


「あんれ?」


 メルクの間の抜けた声に、僕は冷静さを取り戻す。


 そういえば、

 矢が沈んだ地点に、何の反応もない。

 ただの水なら、波が広がるはずなのに。


 次の瞬間だった。

 湖が、震えた。


 さっきの揺れとは比べものにならない。

 水面が波打ち、盛り上がり、沈み、また盛り上がる。

 まるで巨大な生き物が、寝返りを打っているみたいに。


 そして――湖の縁が、ずるりと“めくれた”。


 水が“皮膚”だった。


 水面の下に、透明ではない何かが見える。粘液。厚み。重量。

 湖全体が、ゆっくりとこちらを向く。


 僕の頭の中で、言葉が遅れて形になる。

 擬態。

 これは、湖のふりをした――


「超巨大スライム……」

 

 声に出すと、アレイスタが短く舌打ちした。


「相性最悪」


 メルクは、逆に目を輝かせている。

 怖い、というより、面白そう、という目だ。


「なるほど。幻の湖ってそういう……」


「感心してる場合じゃない!」


 アレイスタが叫ぶ。


 巨大スライムが、波のように迫ってくる。


 水面が“壁”になって押し寄せる。

 アレイスタが一歩前に出た。

 詠唱はない。口も動いていない。

 ただ、突き出した指を軽く動かした。



 え?

 なにも、起きない。


 水が、槍みたいに尖る。

 透明な刃が何本も生まれ、一直線に飛ぶ。


 ということは一切ない。

 スライムの壁は相変わらずこちらに迫って来る。


「……効いてない?」


 僕が呆然と言うと、アレイスタは肩をすくめた。


「魔物相手は苦手なのよね」


 この人たち本当はポンコツなんじゃ?

 でも、あの街での威圧感は一体?


整列(アオスリヒテン)


 メルクの掛け声で5本の矢がメルクを囲んだ。


 スライムの“湖面”が跳ね上がった。

 巨大な口が開いた、というより、世界がこちらを飲み込もうと膨らむ。


 砂の上にいたはずなのに、足元が滑り、引っ張られる。


 粘液が足首に絡みつく。

 冷たそうなのに、温かくて、ぬるぬるしている。


「うわっ!」


 僕が踏ん張った瞬間、アレイスタが僕を投げ飛ばした。


「――っ」


 彼女の足が、消える。

 腰が消える。

 上半身だけが残ったと思った次の瞬間、アレイスタがスライムに完全に飲み込まれた。


「アレイスタさん!」


 返事はない。

 スライムの内部で、何かが動いているのが見えた。

 光の屈折で歪んでいるけれど、確かに――人影。


 アレイスタが、必死にナイフを振って粘液を切り裂こうとしている。

 でも、切れた端からすぐ塞がる。


 もがくたびに、体が沈む。

 息ができているのか分からない。


 「驟雨(レーゲン)


 メルクが叫ぶと、5本の矢が天空に放たれた。

 上空で反転して、矢は、激しい雨のような勢いでスライムに突き刺さった――


 矢が沈んでいく。

 ゆっくりと。

 

 硬いものが、柔らかいものに負ける。

 

 次の瞬間、僕の腰にまた粘液が絡みついた。

 引かれる。


「やめ――」


 声が途中で途切れた。


 冷たい膜が顔を覆い、鼻と口に入り込む。

 息ができない。


 世界が、水の中になる。


 でも水じゃない。重い。粘る。まとわりつく。


 肌が、ちりちりした。

 服が溶けていくのが分かった。

 布がなくなる感覚。

 皮膚が直接触れる感覚。


 恥ずかしいとか、そんな余裕はない。ただ、怖い。

 ――死ぬ。


 そう思ったところで、意識が遠のいた。





 *


 どれくらい時間が経ったのか分からない。


 夢と現実の境目みたいに、音が遠い。

 でも、何かが僕の体に触れた。

 硬い。冷たい。

 一本、じゃない。二本。


 矢だ。


 飲み込まれた矢が、沈んだ僕の体に当たった。


 その瞬間、胸の奥で何かが“弾けた”。


 痛みではない。


 静電気の、あの嫌な感じに似ている。でも、もっと大きい。

 視界の端に、光が走った。




 円と線の――魔法陣。



 一瞬だけ、確かに、そこに展開した。

 僕はそれを認識する前に、また意識が沈みかける。


 でも、外側で誰かの眼を見た。


 アレイスタだ。


 スライムの中で、もがきながら、こちらを見た。

 驚いた顔。

 彼女が驚くのを、初めて見た気がした。



 次に起きたのは――泡だった。

 矢の先から、泡が噴き出した。

 ぶくぶくと、ありえない勢いで。


 水の泡じゃない。

 粘液の中に、軽い何かが生まれていく。


 泡は増える。

 増え続ける。


 巨大スライムの体が、膨らんだ。

 餅みたいに。

 柔らかくて、粘っていて、でも中から押されて形を保てなくなる。


 外側の“湖面”が盛り上がり、ぷくり、ぷくりと隆起する。

 スライムが、自分の体積を持て余している。

 メルクの声が、遠くから聞こえた。


終焉(エンデ)

 

 矢が飛んだ。遅れて大きな音が、振動が伝わってくる。


 でも、矢の軌道が、変だ。

 まっすぐじゃない。


 全然違う方向に飛んでいった。空を裂く音が、湖から逸れていく。

 

 僕はがっかりすると同時に、安心した。すごそうに見えても、やっぱりこの人たちは僕と同じなんだ。肝心なところで失敗する。


 でも、矢は――曲がった。ありえない角度で。

 

 まるで、自分の意思で戻るみたいに。

 

 弧を描き、空中で向きを変え、巨大スライムの中心に向かって突入する。

 

 そこに、濃い影が見えた。

 


  コア

 


 透明な体の奥にある、握り拳ほどの小さな球体。

 体がこんなに大きくても、コアの大きさは小さなスライムと変わらない、赤黒い、弱点。


 矢が、それに激突した。

 バチっ、と火花が散った。

 



 音より先に衝撃が来た。

 世界が白くなる。

 光が、スライムの体を内側から裂く。

 巨大な湖が、破裂した。


 内容物が空に吹き上がり、少し遅れて落ちて来てべちゃんべちゃんと音を立てる。


 僕はまとわりついたスライムの皮から這い出した。


 空気が肺に入って、咳き込む。喉が焼けたみたいに痛い。

 呼吸ができない。息が吸えない。


 今日、何度目かの死を感じた。爆発から助かった直後に、こんな地味な死に方をするなんて。

 助けて、誰か。


 肩に、力強い熱を感じた。アレイスタの手だった。


「過呼吸よ。いい、死にはしないわ」


 アレイスタが左手をみぞおちの少し下――横隔膜のあたりにぴたりと当てた。

 彼女の微かな魔力が波紋のように広がり、強張った僕の筋肉を内側から解きほぐしていくのが分かった。


「いい?吐くことに集中して。吸おうとしなくていいから、私の手に合わせて、そこを凹ませるイメージで」


 肺がパンパンに膨らんで固まっていた。

 吸い込むことばかり考えて、吐き出すのを忘れていたんだ。

 彼女の掌が、リズム良く僕のお腹を圧迫する。


「いーち、にー、さん、しー、ごー、ろく、ゆっくり出すのよ」


 アレイスタのカウントに従って、泥を吐き出すように肺の中を空っぽにしていく。

 全部出し切った瞬間に、ようやく、新しい空気が勝手に肺へ流れ込んできた。


 体中は粘液まみれで、何がどうなっているのか分からない。

 近くで、メルクが膝をついていた。

 髪も頬も、スライムでべとべとだ。

 

 でも――笑っていた。

 言葉はない。

 ただ、口元が、楽しそうに歪んでいる。

 アレイスタも、同じだった。

 

 全身粘液まみれで、服はところどころ溶けていて、状況だけ見れば最悪なのに。

 彼女は、僕を見ているというより、さっき一瞬見えたものを見返している顔だった。


 そして、メルクと目が合う。


 二人は、何かを確かめ合うみたいに頷いて――同時に笑った。


 ぞっとした。


 この人たち、普通じゃない。

 死にかけた直後に、そんな顔ができるのは。


 でも、嫌じゃなかった。


 むしろ、胸の奥が、変に熱い。

 僕は起き上がろうとして、痛みに顔を歪めた。

 服の感触が少ない。

 恥ずかしさが遅れてきて、耳まで熱くなる。


「アレイスタ、あなたの魔法って」


 言いかけて、口を閉じた。

 アレイスタが唇に指を当ててウインクした。


「興味深い」


 いつの間にかそばに来たメルクがつぶやいた。

 僕は驚きと恥ずかしさでのけぞり、またも転んだ。


 いち、に、さん……呼吸を整える。


「オーム、スライムの皮は貴重。要回収」


 それから、しばらく、辺りを探していたメルクが、何かに気づいて微笑んだ。


「おかえり【エマ】」


 スライムの残骸に沈んでいた矢を見つけて、拾いあげた。

 矢筒には矢が、ほとんど残っていない。

 本当に大切なものなんだな。


 アレイスタはスライムの残骸の中で、何か考えているようだった。

 彼女の指先が、さっき僕の視界に走った魔法陣の形をなぞるみたいに動いた。

 

――見えたんだ。


 僕の体の周りに、一瞬だけ展開した、あの図形。

 僕は、何かをしてしまった。


 無意識に。

 そして、それを二人は“面白い”と思っている。


 怖い。


 でも――少し、嬉しい。


 僕は、口を開いた。


「あの……」


 二人が同時に振り向く。

 まただ。息が合っている。


「僕……」


 言い淀んだ。

 こんなこと、言っていいのか分からない。

 でも、言わないと、胸が爆発しそうだった。


「……僕も、あなた達のようになりたいです」


 言った瞬間、自分で変なことを言ったと思った


 メルクが笑った。

 アレイスタも、同じように笑う。

 二人の笑みは、どこか似ている。

 夢の中で見た顔が、頭をよぎる。


「いいわね」


 アレイスタが言った。


「最高」


 メルクも言った。


 二人は、粘液まみれのまま、親指を立てた。

 まるで、ずっと前からそれを待っていたみたいに。


 僕は、頬が熱くなるのを感じながら、笑うしかなかった。


「ところで、聞きそびれていたんですけど、お二人の職業は何ですか」


 こんな時に、とは思ったけど、職場の把握は重要だ。


 アレイスタがにやりと笑う。


「私はアレイスタ。職業は魔法研究家。将来、水の魔導士になる女よ、覚えておいて」


 メルクもニヤリと笑う。


「メルク。実験魔法工学者。よろしく」


 2人のその笑みの理由だけは――まだ、分からなかった。


 とういうか、何?その職業。

 僕は、もう、笑うしかなかった


いーち、にー、さん……


*****

アレイスタとメルクの外伝はこちらです。

https://kakuyomu.jp/works/822139844258660122/episodes/822139844259781921

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