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姫君の選択  作者: momo
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薔薇色の結末はまだまだ先

 


執務机に向かうケミカルの目の前に新たな書類の山が積まれる。

 どさりと音を立て積まれた書類の山の向こうを見やると、そこには何食わぬ顔で立つオルグが涼しい顔で静かに言い放った。

 

 「これには本日中に目を通して下さい。」


 机は書類の山にまみれ今にもなだれとなって崩れ落ちそうだった。そこに唯一サインをする為ケミカルの目の前だけが僅かに開かれた状態。

 屋敷に帰る事も許されず城に与えられた部屋に軟禁された状態で、今日でいったい何日過ごしているだろうか?その間中オルグによって容赦なく机に書類が積まれ続け、今まで参加する事がなかった政務というものに関わらされている。

 ラウンウッドの王位継承権を持つシアと婚約し、その将来は国王となる身であるケミカルにとってこれは必要不可欠な事なのだが、それにしても休む間もなくもたらされる書類の山に、これはシアを奪われた事によるオルグの報復かとさえ伺えた。

 ケミカルに睨まれたオルグも彼の言いたい事は解るらしく、自身も書類を手にするとやはり涼しい顔でさらりと言い放つ。

 

 「文句は言わせませんよ、私とてお前の相手をしながらそれと同じ量を捌いているのですからね。」

 「出来なきゃ無能って言い放つんだろう?!」

 「おや、自ら認めますか?」


 少しは偉くなって来たようですねと呟くオルグに、ケミカルはクソッと毒を吐くと、闇雲に書類を手にして書かれている内容に目を走らせた。

 置かれた書類の全ては既に一度オルグによって見聞済みだ。この中に数枚不備の書類が紛れ込まされており、迂闊にもそれに気付かずサインをした折には容赦ないオルグの嫌味が浴びせられる。

 感情と勢いに任せ正式にシアの婚約者の地位を手にしたケミカルだったが、その瞬間から自由を失い束縛され、予想はしていた物のさすがにこれはオルグによる復讐ではないかと錯覚すら覚える。

 


 そんなケミカルの様子に、あながち錯覚でもないのだがとオルグは頬を弛めた。


 セルロイズに攫われたシアが城に戻りそれと同時にケミカルとの婚約を発表した時、オルグの心に苦い思いが滲んだが、それでもシアが下した決断を素直に受け入れる事が出来た。

 シアの心の内に自分が入り込めないという事はオルグとて何処かでは解っていた事だった。だからこそ早まった告白をしてしまったのかもしれない。ミーファとの婚約を解消し、自身の心に偽りなく誠実に接したが、それも全て自信の無さから生まれたものだった。

 だからシアがケミカルを選んだ事に対して大きな落胆も嫉妬の心もない。自分は負けたのだ。それを素直に受け入れ、後はどう自分を表現してシアを支えて行くかになってくる。

 シアを支える事、将来のラウンウッドを支える事がオルグに残された使命であり、愛した人の為に出来る唯一の事だ。しかも目の前のだらけ切った男、ケミカルをしごけるのは自分以外にいないとオルグは自負している。シアの選んだケミカルが愚王になるも賢王になるもこれからの行い次第だ。シアの名を汚させない為にも、シアの選んだケミカルを立派な王に作り上げる―――それが今の自分に唯一出来る事だとオルグは考えていた。









 謹慎同然に屋敷に籠っていたクレリオンがシアを訪ねたのは、シアの額の傷が薄っすらと人目に付かない程になった頃だった。

 クレリオンにはシアが王に向かって口にした報告が偽りである事など百も承知。勝手をしたセルロイズやウェスト男爵家には大きな憤りを持っていたが、セルロイズが見つからない限り事が露見する訳もない。それにシアの報告が正式な物として認められケミカルが婚約者の地位に就いた事によって、この後セルロイズが出てきて何を口にしても既に負け犬の遠吠えだ。そもそも見付け次第、今度は二度と出ては来れない場所に追いやってやると画策していた。

 

 人払いがされた部屋でクレリオンはシアを前に膝を折る。


 「スロート家に関わる不祥事に姫を巻き込んだうえ、お体に傷を負わせ大変な負担をおかけしました事、心よりお詫び申し上げます。」


 シアは膝を折るクレリオンに手を差し伸べかけたがそれを堪え、座ったまま謝罪を受け入れた。


 「あの事を許す訳ではありません。ただセルロイズの思い通りにさせたくなかったし、表沙汰にしたくなかった。それだけです。」


 シアの言葉にクレリオンは更に深く頭を垂れる。

 いかなる生まれと育ちであっても国王にとってシアが唯一の子であると同時に、女であり王位は継げなくとも第一王位継承者。そして、クレリオンの望むとおり、我が息子を王位に就ける為に大切な役目を担ってくれた人だ。シアに対しては道具以外の感情を持ち、シアがケミカルを選ばずとも敵対するつもりはなくなってはいたが、それでも結果はクレリオンの望む通りになってくれた。しかもシアはスロート公家の危機まで救ってくれた事になるのだ。いかなる小娘でさえも敬う気持ちが自然と湧き出て来る。


 「それよりも、今日はクレリオン様にお願いがあるのです。」

 「願い―――」


 シアの言葉にクレリオンは顔を上げ、シアは目の前の椅子を勧めた。

 クレリオンが腰を落ち着けた所でシアは口を開く。


 「クレリオン様はわたしがどんな目に合ったか、ケミカルから聞いてご存知ですよね?」

 「まぁ、一通りには。」


 ケミカル達がシアを発見できた時、シアはセルロイズに首を絞められ殺されかけていたと言う。ただの若い娘がそんな目に遭い、よくぞ許せるものだとクレリオンも感心してしまう程だ。

 それに関する何かだろうと予想したクレリオンに反し、シアは思いもよらない事を口にした。


 「わたしは最初に連れて行かれた花街でイジュールって娼婦に会いました。」

 「娼婦―――ですか?」

 「はい、娼婦です。彼女は身請けを条件にセルロイズに手を貸したと言っていました。でもセルロイズは姿を消してしまったままで、彼女との約束を守ったのかが気になってしまって。」


 既にいい歳を迎えている娼婦だ。この先娼館でやって行くにも無理が出るだろう。あんな状態にあってセルロイズの言葉を信じつつも裏切られる事を覚悟している。娼婦でも一人の男に恋するのだと、シアの知らない世界に暮らすイジュールの事が少なからず気になっていた。


 「もし彼女が誰からも身請けされず娼婦のままでいるのなら、セルロイズの代わりにクレリオン様が彼女を身請けしてくれませんか。勿論最優先は彼女の気持ちですが、彼女があそこを出たがっているのなら身請けして、住む場所と仕事を与えてあげて欲しいんです。」


 イジュールがセルロイズを待つと言うなら無理強いは出来ないが、それをクレリオンに頼むのはシアなりに別の思惑もあった。


 クレリオンには既にイジュールという名の娼婦の調べも付いている。随分と前からセルロイズと親交のあった娼婦で、中流層を相手にする娼館の、かつては花形であった娼婦だ。だが年を重ねるごとに客が離れ、行く末は場末の娼館に身を寄せるしかないだろう。

 そんな女を公爵位に身を置く自分に身請けしろとは―――名を隠し事に及ぶのは簡単な事だが、とんでもない願いにクレリオンは眉間に皺を寄せた。

 そんなクレリオンに、シアはにっこりとほほ笑み首を傾ける。

 

 「だって、このままでは彼女はただ働きです。セルロイズが約束を違え報酬を支払わないのなら、父親・・であるクレリオン様が肩代わりをなさっても何もおかしな事はないのではないでしょうか?」

 「貴女は…何という―――」

 

 クレリオンは目を見開くと大きく息を吸い、空を仰いで吸い込んだ息を吐きだした。

 シアはクレリオンに、父親として息子の仕出かした事にけりをつけろと、セルロイズを息子と認めろと言っているのだ。

 

 ここで話した事、クレリオンが父親としてセルロイズの尻拭いをした事が彼に伝わる事はない。恐らく知らぬまま終わるのが関の山だろう。それでも、クレリオンの心にセルロイズと言う息子の存在を認めてもらいたいと、認めてあげて欲しいと言う気持ちがシアにはあった。

 セルロイズの罪は全てがそこから始まったのだ。

 いい大人が親心を求める事はないかもしれないが、何時か二人が再び顔を合わせる事があった時、ほんの少しでも親子の感情と言うものが表に現れてくれたならと―――シアは願わずにはいられない。


 クレリオンは大きく息を吐くと音を立てて膝を叩いた。


 「解りました。姫のご意向に感謝し、この件に関しては最善を尽くす事に致しましょう。」

 「ありがとうございます、クレリオン様。」


 シアがほっと胸を撫で下ろすと、クレリオンは灰色の目を細めシアを見据えた。


 「いや、礼を言うのはこちらの方だ。先の件もあると言うのに姫には我が愚息を夫に選んで頂いた。正直驚きましたぞ。」

 「えッ…驚いたって―――だってクレリオン様がおっしゃられたんですよ、姫はケミカルに恋をするって―――?!」

 「ああ、そんな事もありましたかな。姫は素直だ、ああ言っておけば少なからず暗示にかかるのではないかと考えた年寄りの姑息な手段です。」


 まさか本当に暗示にかかられたかと高らかに笑うクレリオンに、シアは苦笑いを浮かべつつ俯いた。



 クレリオンの笑い声が響く中、扉が叩かれオルグが姿を現す。

 オルグはクレリオンの姿を認めると「失礼」と一礼し部屋を後にしようとしたが、それをクレリオンが引き止めた。


 「そろそろ失礼しようとしていた所だ、姫のお相手はオルグ殿にお任せ致そう。」


 そう言って席を立ったクレリオンをシアとオルグは見送り、扉が閉じられるとオルグは部屋の中をぐるりと見渡した。

 そんなオルグの様子にシアは溜息を落とすと眉間に皺を寄せ、オルグは苦笑いを浮かべる。


 「もしかして、また?」

 「ええ、またです。」


 オルグがシアの部屋を訪れ中を見渡したのはある人物を捜しての事。

 彼が立派な王に仕立て上げようと教育を始めた馬鹿な生徒が、ちょっと目を離した隙にまたもや姿をくらましてしまったのだ。

 馬鹿な生徒と言うのは勿論ケミカルの事で、やればできる癖にすぐに手を抜きたがる悪い癖の持ち主である。

 昨日その前と立て続けにシアの部屋に避難していたのでさすがに今日は違うようで、自分との婚約のせいで急に忙しくなったケミカルを心配しつつも、度重なる仕事放棄にはシアもそれはどうかと思い、再びケミカルがオルグのもとを逃げ出す事があれば見付け次第オルグに報告つげぐちするつもりでいたのだが―――

 それを察知し、今日は別の所へ逃げ込んだと見える。


 「いいわ、捜す。かくれんぼは得意よ。」

 「それは頼もしい。私も心当たりをもう一度確認してみる事にします。」


 逃げ出して来る度長椅子に寝そべって昼寝を繰り返したケミカルだ。どうせ今日も何処かにひっくり返って眠りこけているに違いない。

 シアは外に出ると、昼寝にうってつけと思われる場所をいくつか覗いてみる事にした。

 

 



 城にいくつか作られた庭を回り、大した労をかける事なくしてシアはケミカルの姿を認める事が叶う。

 複雑に作られた垣根の間で予想した通り、警戒心の欠片もなく地面に寝そべり瞼を閉じて規則正しい寝息を立てるケミカルに、まるで子供が遊び疲れて眠ってしまった様だとシアは微笑んだ。

 起こしてしまうのは忍びないが―――忙しい中色々と教えてくれているオルグへの態度としては良い物ではない。

 気持ちよさそうに眠る傍らにしゃがみ込み、少し乱れた長い金髪に手を伸ばす。

 まるで女性の髪のように細く艶やかで柔かな髪だ。

 さわり心地の良さに夢中になっていると、眠っている筈のケミカルが喉の奥でくくっと音を立てて笑った。


 「起きてるんだったら仕事に戻りなさいよ。」

 

 目を閉じたままのケミカルの額をぺしっと叩くと、緑の瞳を覗かせ口角を上げたケミカルの腕がシアへと伸び力任せに引き寄せられる。

 シアは体勢を崩し、寝転ぶケミカルの胸の中にすっぽりと収まってしまった。


 「なっ…ふざけてないで離しなさいよっ!」

 「んな事言われてもなぁ…オルグと二人部屋に閉じ込められて無理矢理仕事やらされてる俺の身にもなってみろよ。」

 「それはっ、解ってるけど―――っ。ケミカルだって覚えなきゃいけない事でしょう? 教えてくれてるオルグさんにも悪いし、黙って抜け出すのは止めてよ。」

 「それは解ってるけどさ。愛しい婚約者様とも会える時間がないなんてちょっと酷いと思わないか?」


 そう言って片手をシアの後頭部に回し、口付けしてこようとするケミカルにシアは真っ赤になって抵抗する。 


 「なっ…なっ…何言ってんのよ阿呆らしいっ!!」

 「ま―――た、心にもない事言ってくれちゃって。」


 体勢的には上にいるシアの方が優勢な筈だが、さすがに男が相手では抗っても振り解く事が叶わず。抗えば抗う程ケミカルは面白がって腕に力を込め、唇にキスしてこようとする。


 キスが何だ。相手は惚れた男、キスの一つや二つしても当然なのだが…

 婚約までしたとは言え、どうも照れが抜けきらない。

 しかも何となくだが、本当に何となくだが、ここで流されるとそのまま一気に先に行かれてしまいそうで、相手がケミカルとはいえ、どんなに惚れているとはいえ、このまま流されてしまうのはいかがなものかと心に葛藤があった。

 そんなシアの胸の内を察してか、ケミカルはにっと笑うと身を反転させシアを組み敷き両腕を地面に縫い付ける。

 漆黒の瞳を丸くして驚きを隠せないシアに対し、ケミカルは人懐っこい笑みを浮かべ―――


 「いただきます。」


 言うなり顔を近付けて来た。


 キスされる―――!


 と思った瞬間、シアは息を吸い込むと。


 

 「くっ……クロードさ―――んっ!!!」

 

 「―――え?」


 シアの叫びにそんなのありかよとケミカルが抗議の声を上げる間もなく、シアを組み敷くケミカルとシアの間に鞘に包まれた剣が滑り込んで来た。




 「お前…少しは気を使えよ―――」

 「シア様がお困りです、即刻離れて下さい。」

 

 鞘付きとはいえ、間に剣を滑り込まされ、ケミカルが不機嫌に顔を歪めつつも気だるげに身を起こすと、体が自由になったシアは顔を赤くしたままのろのろとケミカルの下から這い出して来た。


 「ケミカルごめん。」

 「いや、いいけどさ。まさか結婚するまでこのままって事はないよな?」

 

 オルグと顔を突き合わせ政務を強要されている合間をぬって抜け出し、ケミカルがシアとのスキンシップを楽しもうとする度、シアはクロードに助けを求め、更にクロードは嫌味な程間髪いれず忠実に必ずそれを邪魔しにやって来るのだ。

 故に思いが通じあったとはいえ、年頃の恋人同士である二人は未だに唇を重ねた事がない。

 それにケミカルが不満を抱くのは当然の事であったのだが…


 「えっ、だ…駄目なの?!」

 「勿論ケミカル殿には婚姻の儀を終えるまで、シア様に対しては紳士的に接して頂きます。」


 そう言ってシアを背中に庇うクロードに、頬を染めつつも言葉を失うシア。そして婚儀っていったい何時の話になるんだと、別の意味で言葉を失ったケミカルに―――その背後に忍び寄るオルグの足音。

 



 こうして今日も、シアの周りではのどかで平和な時間が流れて行くのでありました。




 おしまい。 


 

 

 


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