161 残り21日 魔王、惑う
魔王ハルヒは、背後に指で合図を送った。
白い翼を消した堕天使サキエルと、フードを被ったクモコが、人混みの中から合流する。
「魔王様……あの程度の勇者、この場で殺せるのでは……」
サキエルが囁いた。ハルヒは小さく頷いた。
「そうね……少し、慎重すぎるかもしれないけど……昨日ドラゴンの王プリンと戦った時、ドワーフが切り札らしいものを取り出したのよ。仲間の魔術師が止めたわ。とても強い武器だけど、反動があるみたいね……そんな武器をまだ隠しているわ。勇者一人の時に殺して、私を殺せる武器が行方不明になるのは避けたいわね」
「……なるほど」
ハルヒは、自らフード付きのコートを羽織った。逆にクモコのフードを脱がせる。
「……うん。ちゃんと私の服と同じものにしてきたわね。クモコ……嫌ならやめてもいいのよ。貴女はもう自由なのだし、貴女を苦しめた勇者と同行する必要はないわ」
クモコは、ハルヒと同じ顔で、ふるふると首を振った。
「魔王さま……助けてくれました。私も、役に立ちたい」
クモコは、ハルヒの手を握る。ハルヒは頷いた。
「わかったわ。クモコは、この指輪を持っていることになっているから、アキヒコに聞かれたら、ペコが怒るから隠してあると答えて。それから……アキヒコたちが魔の山に行きたいというのなら、地下帝国から抜ける道を教えてある。地上を行くよりずっと早いはずよ。クモコ、案内できる?」
「……昔、住んでいました」
ハルヒがアキヒコに言ったでまかせは、まんざら間違いでもなかったようだ。
「アキヒコが取り組んでいるスイーツのこととか、首輪のことは、何も知らなくていいわ。元に戻ったと思うでしょう。何かあれば、アキヒコにくっついていなさい。あいつ……子どもを孕ませた王国の王女より、クモコの方が大切だって言ったのよ」
「それは、まさに魔王様の魅力でしょう」
「違うわ。あいつが惚れっぽいのよ。嫌になるわね。あいつと……指輪を分け合って……こんなに嬉しいだなんて……」
ハルヒは拳を固める。左手の薬指にはめた半分の指輪に目を落とした。
「魔王様、勇者が戻ります」
「ええ……クモコ、無理はしないでね。せっかく自由になったのだから」
「はい。魔王さま」
クモコはにっこりと笑った。ハルヒはまるで鏡を見ているようだと思いながら、その場を後にした。
※
ハルヒは領主邸に戻った。クモコを演じている間も、夜には同室のドワーフを深く眠らせて必ず戻っており、その都度サキエルとクモコ、ドラゴン王に指示をしていたのだ。
領主邸の庭先で、大気の反射を操作して中を見えなくする魔法陣の中、ドラゴン王プリンがうたた寝をしていた。
「……緊張感がないのは、若いドラゴンだけかと思ったけど……王だって同じみたいね」
黒に金色が混ざった鱗を持つドラゴンの王は、腹を見せていびきをかいていた。ハルヒは、いびきをかき消すための魔法陣を重ねがけしてから領主邸に入った。
領主本人の出迎えを受けて、ハルヒの部屋として占拠している二階の客用寝室に入る。
「あれは来ている?」
ハルヒはサキエルに尋ねた。
「はい。昨晩のうちに戻っております。現在は、ベッドの下の棺の中です」
ハルヒがベッドの下を覗くと、石の棺が空間を占領していた。
「陽の光を浴びると、燃えて滅びるのだものね」
ハルヒは言いながら、部屋の窓に板を施し、光を防いで行く。堕天使サキエルが手伝いながら尋ねた。
「魔王様……」
「どうしたの?」
「私は大恩ある魔王様に絶対の忠誠を誓っております。しかし……今回の魔王様のなさりようは理解できません。どうして……勇者の謀に手助けし、勇者が持つ支配の首輪を奪いながら、殺しもしなかったのでしょうか」
ハルヒは手を止めた。サキエルを見つめる。堕天使であるサキエルも、怯みはしなかった。それだけの覚悟を持っての忠言なのだ。
「私を殺せる武器があるかもしれない。その話を聞いても、あえてもう一度尋ねるのね。わかった……今回のようなことは、これで最後にする。もうしないわ。スイーツに対する初歩的な知識を授けたのは……私自身の欲望を満たすために過ぎないわ。勇者を殺せば、その目論見も潰えてしまう。私は……美味しいお菓子が食べたかったのよ」
「勇者などに作らせなくても、お命じ頂ければ……どんなに困難でも、成し遂げる者はおりましょう」
「わかっている。だから……これを最後にするわ。サキエル、私もね……女なのよ」
ハルヒの瞳から、一筋の涙が溢れた。




