第一章28 『英雄譚の始まり』
目が覚めて、体調を戻すのに数日をかけたある日。
ラウルはオリヴィエ王女殿下の謁見を賜る為、謁見の場に馳せ参じていた。
謁見の場に来るのは、これで三度目か。
一度目は叙勲式、二度目はユリアの護衛を命じられ、そして三度目は此度の災厄についてオリヴィエから召喚の命を受けた。
どれもラウルにとって、人生の重要な分岐点であったように思う。
謁見の場で膝をつきながら、ラウルはそんな感慨に耽っていた。
「貴方がラウル・アルフィムですね。此度の件、貴方の功績により王都と民達が救われた事、感謝しております」
「勿体なき御言葉、ありがたく存じます」
オリヴィエがラウルに向けて感謝の言葉で労う。
その横には一瞬の隙も窺わせない様子のジークムントが立っている。
目が合うと、頬を緩ませて友の功績に喜びを見せた。
その辺りはいつものジークムントだった。
オリヴィエはその美しい顔に微笑を浮かべて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「本当に、良くやってくれました。陛下が暗殺された事で暗澹たる思いに縛られていた人々の心に、あなたは希望という光を差し込んでくれました。未だ傷跡は残っていますが、人々は活気を取り戻していくでしょう……貴方の功績に報いなければなりません。ラウル・アルフィム――此度の功績を以って、貴方を一等騎士の位を授けます。これからも王国の力となってくれる事を期待していますよ」
一等騎士。
この国の騎士の序列は上級、一等、二等、三等とある。
ラウルは二等騎士であったが、今回の功績によって昇進した事で一等騎士を名乗る事を許される。
それは滅多にない例であり、王国がそれだけラウルの功績を大きく見ているという事に他ならない。
「身に余る光栄でございます。しかし私は、今は亡き陛下から聖女様の護衛の命を承った身。それと同時に、魔剣の契約者として聖女様の監視下にある立場にございます。王国の為にこの身を捧げるのは、今は出来そうにありません」
王国に忠誠を誓っているが、ラウルの行く先は王国を守るものではない。
正直に今の現状を伝えると、オリヴィエは頷いて理解を示した。
「ええ、貴方の境遇はジークから聞き及んでいます。その力を使いこなし、民を守る為に動いてくれたようですね。王国騎士として職務を全うした貴方の境遇に理解を示さぬは、貴方の忠義を蔑ろにすると同義。今後も引き続き、私からも聖女殿の護衛を命じます」
「ありがとうございます」
オリヴィエの寛大な言葉に頭を下げる。
「では、私からもう一つ、貴方にお願いしたいことがございます」
「はっ、私に出来る事であればなんなりと御命じください」
ラウルの快い返事に満足し、オリヴィエは願いの内容を話す為に整った桃色の唇を開く。
「良いお返事で安心しました。――では、貴方に主役として凱旋式に出てもらいましょうか」
「……今、なんと?」
オリヴィエの口からとんでもない言葉が出てきて、思わず聞き返す。
ラウルの引き攣った顔を、困ったようにオリヴィエは苦笑を浮かべる。
「人々の目に、新たな英雄の誕生を知らしめる必要があるのです。今は何よりも、民の心に拠り所、希望を灯さなければなりません。貴方にその役目をお願いしたいのです」
「なるほど……つまりは、悪い現状を良い知らせで塗りつぶそうという事ですか」
「ええ、その為に貴方を見世物にするようで申し訳なく思いますが、今の王国には必要な事なのです。どうか引き受けてはくれませんか?」
「……私などで良ければ、いくらでも。ですが、大した効果をお約束はできませんよ?」
その言葉に、オリヴィエが笑みを漏らす。
「あら、自己評価が随分と低いのですね。……いえ、それは後で分かる事でしょう」
そんなオリヴィエの言葉に、ラウルは首を傾げるしかなかった。
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凱旋式とは、戦争に勝利した時や災害級の魔獣を討伐した時に催される一種の祭りのようなものだ。
景気の良さを内外に伝え、これに乗じて行商人が多く集まり経済が活性化する。
普段はなっていない屋台が多く立ち並び、それを目当てにしている人も多いだろう。
ラウルは子供の頃、凱旋式に出たガイルの姿を見た事がある。
子供ながらに、父の騎士としての勇ましさに胸が躍ったのをよく覚えている。
そこに今度はまさか主役として自分が出ることになるとは思いもしなかったが。
「見世物にされるのは構わないけど、徒労に終わるとしか思えないな……」
「そんな事ないわよ? ラウルくんの功績はみんなが知ってる事なんだから、そんな心配しなくても大丈夫よ」
馬に乗って北門の外にいるラウルの前には、横座りで一緒に馬に揺られているユリアの顔があった。
至近距離で見る彼女の青碧の瞳は宝石のようで、小ぶりで柔らかに濡れた唇を見て思わず喉が鳴る。
意識しないように別の事を考えていたが、どう考えても意識しないのは土台無理な事であった。
『あ、あんた今欲情してるでしょ。ダメよ、あたし剣だからそういうのはちょっと』
「お前にはしてねえよ」
「えっ、なに?」
ユリアが聞き返した事を見ると、どうやら今のティルの声はユリアには聞こえなかったらしい。
ティルが意図的に聞こえなくしたのだろう。
「いや、なんでもないよ。それより、本当に良かったのか? 一緒に見世物になるし、この図は正直結構際どいと思うんだけど」
オリヴィエから主役を言い渡された他、聖女であるユリアにも白羽の矢が立ったのだ。
住民の避難や治療に多大な貢献をしたという事で、凱旋式に出る事を勧められたらしい。
それで何がどうなったらこの図になるのかは不明だが、ケルヴィン曰くこの方が見栄えがいいから、との事だ。
見栄えの問題で自分はともかくユリアをいいように使わないでほしいと思ったのだが、肝心のユリアが意外に乗り気だった事がラウルの予想と外れた。
二人で馬に乗り、ラウルはユリアの腰に手を回して抱き寄せている状態なのだ。
ラウルの目線が少し下に向けばそこにはユリアの顔があり、お日様のようないい匂いに安らぎを感じる。
「えへへ、確かに恥ずかしいけどね。でも、夢が叶っちゃった」
「夢って?」
「子供の頃ね、孤児院にあった絵本に出てきた騎士様とお姫様の話の中に、二人で馬に乗ってこうやって凱旋する場面があったの。私すごくそれに憧れてて、お姫様が羨ましい! なんて思ってたの。それを思い出して、やってもいいかなって」
「へえ、ユリアさんも乙女チックなとこあるんだな。でも、相手が俺で良かったの?」
長年の夢を実現するのにどうせなら相手も選ぶべきだろう。
ラウルにとっては役得以外の何物でもないが。
「ラウルくん以外にこんな事頼めないよ。それに、ラウルくんは私の騎士様なんでしょ?」
「もっちろん! 俺は君を守る為なら何でもするよ」
「うふふ、そう言ってくれるラウルくんだから、恥ずかしいけどこうしたいって思ったの」
そう言って笑うユリアはとても可愛らしくて、思わず頭を撫でてしまった。
「ひゃっ!」
「あ、ごめん。つい、いつもリリーにしてる癖が……」
「もう、リリーちゃんと大差ないって言いたいの? そうやって子ども扱いするんだからっ」
頬を膨らませて怒る様子が既に子供っぽいのだが、それもユリアの魅力の一つなので黙っている事にした。
そんな何とも言えない空気を作り出している二人の耳に、門が開く音が届く。
「っと……じゃあ、行こうか」
「うん、しっかり支えてね? 不安定で怖いから」
「お任せあれ、お姫様」
ラウルの胸にしがみつくユリアにそう言って、馬の腹を優しく蹴る。
馬が前に進み門をくぐると真っすぐに道が開けている一方、両脇に人が密集していて沢山の人々の視線がこちらに向いているのが分かった。
そして、ラウルとユリアを乗せた馬が再びゆっくりと動き出した瞬間――歓声が沸き起こった。
「見ろ! あれが王都を救った英雄だぞ!」
「あれが『平凡騎士』ラウル・アルフィムか! やっぱ英雄の面構えは違うな!」
「一緒に乗っている女の子は多くの怪我人を癒したという『癒しの聖女』ユリア様じゃない!? すごく可愛いわね」
「ありがとう! あんたのおかげで王都は救われたよ!」
そんな声が、ラウルの耳に届く。
物凄い歓声の渦に、それが全て自分に向けられている事に驚きと喜びを隠せない。
「ラウル! ラウル!」
「ラウル! ラウル!」
民衆のラウルの名を一斉に叫ぶ様は、まさに英雄の誕生を喜んでいるようで。
そんな歓声が上がる道を進み、ふと民衆の集まりの一部分に目を向けると見知った顔を見つけた。
ずっと一緒に暮らしてきた、父と母と妹。
ラウルの家族が、ラウルの姿を見て微笑んでいる。
リリーがガイルの肩に乗って必死にこちらに手を振っているのを見て、ラウルも笑顔で手を振り返した。
家族の喜ぶ姿を見て、自分の功績に誇りを持つ。
守りたい人の笑顔を見られたのなら、これ以上の幸福はないのだと感じる。
自分が英雄と呼ばれ、それが人々にとっての希望となるのなら。
英雄として、自分が守りたい人を守る為に全力を尽くそう。
平凡な騎士が身の丈に合わない称号を与えられたのなら、身の丈に合うように努力をしよう。
自分の両手が届く範囲を広げられるように。一人でも多くの守りたい人を守れるように。
自分が目指す英雄足りえる存在になれるように、一歩ずつ前に進もうと思う。
そんな決意を密かに持った『平凡騎士』は、ここで初めて英雄と呼ばれる事になる。
そして『平凡騎士』ラウル・アルフィムの英雄譚は、ここから始まった。
これにて、第一章は終了になります。
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