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6 【完】

 年末ぎりぎりに忘年会を開ける職場は少ないと思う。例に漏れず私たちの店舗も、一応そういう名前の飲み会が開催される。とはいえ、店休日もないしスタッフが揃うことなど有り得ないから、二回ある。

 今まではどうせあまり飲まないからと、会費の少ないランチタイムに出席していた。出欠の回覧が回ってきたときに既に○が付いていたあの人と同じ日に合わせ、その日に話をしようと決める。

 消費期限があるから、メッセージカードを添えて焼き菓子の袋ごと昼に出勤してきたあの人に手渡してみた。

 虚を突かれてぽかんと口を開けているあの人。

「最近お疲れのようだから、これで元気を出してください」

 頑張らなくてもいい。だってもう崖っぷちもいいとこで、むしろ一度落とされたようなものなんだから気負わなくていい。そう開き直ったから、自然と口元が綻んでいたと思う。

 反応の鈍いあの人に押しつけるように渡すと、私は持ち場に戻った。


 それから、今までになく意味のある視線を向けられるようになったと感じる。最初は自意識過剰だよと自分を叱咤した。でも、ついに他のスタッフにまでこっそり耳打ちされるようになってしまった。

 最近急に綺麗になったから、気になるんじゃない。ほら、彼女とはうまくいってないって聞くし。それは噂だったけれど、私も直に彼女が化粧室やロッカールームで職場の人たちと話すのを聞いている。

 反応薄いし、なんかつまんない。けど連れ歩くにはいいからさ。ケラケラと笑いながら、臆面もなく話していたっけ。

 ああ、と虚しくなる。それは誰かに対してなのか、そんな得体の知れない空虚にも慣れていたから判断すら出来ない。

 カードに書いた文、読んでくれたろうか。

 きっとその内容が気になっているだけで、視線だって他意はないんだと思う。だけどちょっとだけ、ほんの少しだけ期待してもいいかな。

 今、このタイミングで。あなたは私を見直してくれますか。


 店長の乾杯から始まった宴会も、締めの雑炊とアイスクリームが腹に収まった頃。二次会はどこにすると騒がしい同僚たちの列から、いつものようにそっと抜け出す。

 なんのかのと言っても、誰も私のことなど気にしていないんだ。だから殊更気配を消さなくても、次に皆が行きそうにない方向へと足を向けてそれから待ち合わせ場所へと向かった。

 店舗の多い駅の表側から、高架を渡り裏側へと。結構距離があるけれど、宴会の雰囲気に飲まれてそれなりにアルコールを摂取した体の熱が心地よく、寒さも和らいでいるような気すらする。

 無事にこれるかな。それとも、最初からくるつもりなんてないかな。

 賭け事をする人って、こんな感じなんだろうか。期待と不安とがごちゃ混ぜになって、体のどこか奥の方、手の届かないところがむずがゆい。

 少し前の私なら、期待なんて殆どしなかった。一パーセントもなかったと言えば嘘になるけど、それでもそんな良い方の可能性に賭けてみようなんて思いもしなかった。

 昼間の陽光をため込んだパネルから人工の灯りに変換して、街路灯が青白く照らす範囲にあるベンチに腰を下ろして、目を閉じてあの人を思う。

 アルコールの余韻だけじゃない、ふわふわと浮ついた高揚感。そうだ、今私は人生で初めて心のままに伝えたいと思っている。

 上向いた顔に当たっていた熱のない光が遮られて、そうっと瞼を上げた。芝生の上を静かに歩いてきた気配だけは感じていたから、あの人だと分かっていた。

「よく抜けられたね」

 ふわりと、揶揄ではなく、嬉しくて微笑みが零れる。あの人は、なんだか落ち着かない仕草でコートのポケットから手を出して髪をかきあげた。

「そっちこそ。皆が騒いでたよ。あれいつの間にって。今日こそ彼氏の話してもらうって取り決めてたみたいだぞ」

「彼氏」

 そんなの、あなたと付き合っていたときにも訊かれなかったのに。なんだかおかしくて、漏れる声を隠すでもなくそのままにしていると、あの人は心配そうにしていた。

「酔ってるのか」

「そうかも。でもね、人生の一大イベントを前にして気が高ぶっているだけだからきっと」

 私が何を言う気なのか、あなたはきっと気付いていない。だからそんな風に部下を気遣うような、困ったような顔で動けないんだ。

 私がカードに書いたのは、日にちと場所だけ。ここで何が起こるのかなんて、予想もしていない。

「実は私、初めて会ったときからあなたのことが好きです」

 正面から目を合わせて、余りにも高さが違って首が辛いから立ち上がった。

 絶句して、瞬きして。ほら、やっぱり驚いてる。

「今まで黙っていてごめんなさい。本当は付き合ってくれてとても嬉しかった。あなたとの時間が和やかすぎて、このままずっと一緒にいられるかもなんて自惚れたくなくて何も告げなくて、そんなずるい自分をちゃんと精算してしまいたくてここに来てもらったの」

 一歩前に出ると、あの人の腕なら届く距離になった。あの人は声も出さずに立ち尽くしている。

「職場恋愛って、難しいね。だから予防線張って張りまくって、あなたのこと凄く蔑ろにしてた。私自身も好きになれない私なんて誰も好きにならないと思ってた。ごめんなさい。別れてからずっと後にこんなこと言われても、困らせるだけだって分かってる。だから」

 もう一度、すっぱりと、一ミリグラムも変な期待を持たないようにここで終わらせて。

 最後のところだけ、声が震えてしまった。コントロールできずに眦から零れた滴が頬を伝う。それでも、視線だけはあの人から外さなかった。

「どうして」

 泣きそうに目を細めて、あの人が一歩前に。そうするともう至近距離で。手袋もはめていない大きな手がそっと頬を拭う。

 ふわりとコートが風を孕み、その下のセーターに顔を押しつけるように抱き込まれた。

「あのクッキーもらった後、なんだか良く眠れるようになったんだ。君以外にあのカフェに行く相手なんかいない。楽しくもないおしゃべりで余計な気力使って、体力まですり減らして。そんなことしなくても傍にいてくれたのはきみだけだった」

 ぱちくりと目を瞠り、呆然とその言い分を聞く。

「もう一度、付き合って欲しい。勿論二股なんてしないから、今日にでも別れるから、彼女と」

「でも、あの」

「問題ある? 浮気症だからダメだと思う?」

 情けなさそうに声だけが降ってくる。震えながら、肩に降り積もる。

「あります。私、ちょっと不満だったの」

 そうっと背中に手を回すと、あなたはびくりと震えた。

「私、家も知らないしあなたのこと何も知らない。それはこれから知ればいいと思うけど、他にも」

 この際だから言ってとあなたが言う。もう恥ずかしいとかそんなこと言っていられなくなって、面と向かっていないのを良いことに、唇を震わせて想いをぶつけた。

「私のことも、ちゃんと抱いて……私だって、生身の女なの。そんなに綺麗なものじゃない。ペットでも人形でもない。だから」

 ぐいと引きはがされて、表情を確かめる間もなく噛みつくようにキスをされる。

 獣のような、私の知らなかったあなた。

 夢中になって応えて、その言葉の責任とれよと意地悪く笑われたのは数分後の話。



               了


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