断章9話『破天候』
「貴様、ミネアといったか。ネルの髪を手入れしろ」
「え、っと、ネルちゃん、それはいいけど……どうしたの?」
「飽きた」
「……何に、飽きたのかしら?」
「異なことを。髪型に決まっていよう。疾く、頼む」
「わ、分かったわ! 任せてちょうだい! ふふっ、私、いつか誰かの髪を結んでみたかったのよねー」
皇帝ナフィリンが店を出てすぐ、予兆なく発せられたネルヴィスの命令に、ミネアがうきうきで乗じた。
蘇生前は病弱だったそうだから、そうした機会も無かったのだろう。「ふむ、上手いな」と零すネルヴィスに、ミネアはご満悦の表情を浮かべていた。
「ねぇ、ネルちゃんはこのお店の店長さんなの?」
「はは、貴様は妙な事を尋ねる専門家だな。無論、ネルこそが『カフェ・ネルヴィス』店主よ」
「やっぱりそうなのね? なら、さっきは店長さん自ら接客してくれてたのよね」
「んむ。そうなるな」
「ふふっ、嬉しいわ! ありがとね、ネルちゃん!」
「――ふん。光栄に思うがいい」
そうして鼻を鳴らすネルヴィスの声は微かに上擦っていた。
「……流石ミネアさんですね。上皇閣下でさえ和ませてしまうなんて」
「でも、さっきみたいに『――飽きた。ネルは寝る』とか言い始めるかもしれないよ?」
「それはさすがに……とは言い切れないのが上皇閣下なんですよね……」
レティシアの素朴な懸念にイリスが苦笑い。
「――うん! 完成よ!」
そんなことをぼやいている間に、ミネアの手入れが終わったようだ。レティシアもネルヴィスの髪型に目を向けてみる。
以前のネルヴィスは、腰の辺りまで伸びる長髪をそのまま背中に流していた。それもそれでネルヴィスっぽさが出ていたのだが、ミネアの手腕は彼女の新たな魅力を引き出していた。
前髪の編み込み、正面レティシアから見て左側で結ばれたサイドテール。
以前のサンドラが見たら、きっと「オシャレ」と評するだろう出来栄えだった。今のサンドラも、隣で口をパクパクと開閉して目をキラキラさせていた。
「イリス、鏡はないか」
「すみません、生憎と持ち合わせが……」
「そうか。なら目を貸せ」
「ひゃわ!?」
真顔のネルヴィスが席を立ってずいっと近寄り、甲高い絶叫を上げるイリスに顔を至近距離まで接近させた。
そうして透明感のある青い双眼をしばらく覗き込み、次第にイリスの顔が茹でていくのを気にもとめずに見つめ続ける。
「――これが、今のネルか」
「ネルヴィス……?」
「貴様、ネル専属のメイドにならないか?」
ひょいっと、お役御免となったイリスから離れ、ミネアに振り返ってネルヴィスが不敵に笑う。
しかし、上皇閣下の誘いにミネアはふるふると首を振り、
「ごめんなさい。それはできないわ」
「ふむ。ネルの誘いを断るというのか?」
「ええ。だって――私は、フォレ君のお嫁さんなんですもの」
「――――そうか。飽きた。ネルは寝る」
ネルヴィスは薄紫色の髪を揺らして扉の奥へと消えていった。
「……今のって」
「悔しかったんでしょうね……」
レティシアの戸惑いに、顔を赤くしたままイリスがそう所感を述べてくれる。ふて寝、というものだろうか。レティシアの知る範囲でのネルヴィスの性格からして、不自然ではなかった。
「でも、ね、えがおだったよ?」
「きっと、この答えを求めていたのよ。ネルちゃんは、私を試していたんだわ」
捨て台詞、と意見が固まりつつあったところに、サンドラとミネアが新しい解釈を提示してくれた。
――今朝は眼帯の奥の双眸と再び目を合わせられたことしか頭になく素通ししてしまったが、サンドラの桃目は見た目形だけではなく、視力も含めて回復していた。とはいえまだ完全にとはいかないようで、遠くのものはぼんやりとした形と色しか見えないようだ。
だが、サンドラは視力が回復してから表情や色、見た目といった言葉と情報をみるみると連結、覚えていき、今では「涙」も「辛い」も認識できるようになった。
十六年も気付けなかったレティシアとしては複雑な心境だったが、なんであれ、記憶以外が元通りになったサンドラと――二度と会えなかったはずの親友と一緒に過ごせることに、頬の緩みを自制できない。
そうしてサンドラの疑問顔を眺めていると、
「――すみません、レティシアさん、サンドラさん。このようでは、ミルクティーをお見せするのは今度になりそうです」
「仕方ないよ、イリス。また今度ゆっくり見せてよ」
「さ、も、まつよ!」
「……ありがとうございます。では、私達はそろそろ――」
とイリスが言いかけた折、「おい」と扉の奥からネルヴィスの声が聞こえてきた。
「――貴様ら、早く出ろ。閉店だ。ネルは飽きた。早く寝たい」
「すごい。本当に五分くらいで飽きちゃった」
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「ふふっ、それにしても、本当に楽しかったわね!」
「だね、ミネア。気分屋のネルヴィスはちょっと大変だったけど」
「レティシアさん! ……あまりそういうのは外で言わないように。あれでも上皇閣下、国民からの支持は根強いのですから。お気持ちは分かりますが、心に留めておいてください」
「うん、ありがとう」
「大丈夫です」
素直な感想をそのまま口にしてしまい、イリスの忠言に配慮が足りなかったとレティシアは自分を戒める。
「訓戒」のように自身の生存のためではない。他者との共存のためのものだ。――そう考えると、イリスと出会ってからレティシアの考え方は大きく変わった。
生きやすさでは前者が勝るが、大変だけど笑顔になれるのは後者だった。
「イリス、ありがとね」
「はい?」
再度、イリスに感謝を告げる。本人は首を傾げ、心当たりがないようだったが、すぐに思い至るだろう。
「さ、たち。どこに、いく、するの?」
そんなことを話しながら往来の激しい街道を歩いていると、繋いだ右手が軽く引っ張られ、見るとつぶらな瞳のサンドラが、さっきのイリスみたいに首を傾げていた。その桃色の瞳孔に意識を奪われかけたが、何とか持ち直し、レティシアは口角を上げる。
「王様たちと待ち合わせ。その後は、朝話してた帝都観光をするんだよ」
「かんこう……りょこう……!! さ、たのしみ!!」
「ふふ、私もだよサンドラ。だから、まずは皆と合流しないと……」
と、口にしたと同時、探していた姿を群衆の中から見つけて――、
「――早かったな。ナフィリンとの茶会は楽しめたか?」
陽気に手を振るフォレオスの傍ら、今朝の生気溢れる好青年から一変、死人のような顔をしたフレディが壁に寄りかかっていた。




