断章10話『帝都観光』
「早かったな。ナフィリンとの茶会は楽しめたか?」
集合場所――街道から少し外れた開けた場所で、レティシア達を朗らかに出迎えたフォレオス。彼が快い歓待する一方で、疲弊で染まった双眸で虚空を見つめた秘書官が項垂れていた。
「どうしたの? フレディ」
「し、『侵色』様……それに皆様も…………」
「ふ、つらい、の……?」
明らかに具合が悪そうなフレディの顔を、サンドラが心配そうに覗き込んだ。半開きの眼をピクりと動かし、フレディは「……すみません」と断りを入れてから、事の次第を説明し始める。
「――皆様がお茶会を楽しんでいた間、僕達もお酒を飲んでいたんです。ですが、その面子が……その……」
「その?」
「陛下はもちろん、ニムレット代理教皇猊下と皇帝閣下の側近ザレンさんだったんです……」
「モーハルラントさんはいなかったんだ」
「誘ったのですが、御者に深酒はご法度だと断られてしまいまして」
困った顔で肩をすくめるフレディだが、確かに業務遂行上差し障りがありそうだ。今日の夜もお世話になるモーハルラントの言い分は正しかった。
と、先ほどからイリスの反応が聞こえないことに違和感を覚え、視線を移す。長い白髪をたなびかせる聖女は青色の双眸をパチクリとさせ、口元をわなわなと震わせていた。
「――待ってください。フレディさん、今、何と?」
「え? いや、モーハルラントさんを誘ったけど断られてしまったと」
「その前です。――ニムレットさんが、何だと?」
「……ニムレット代理教皇猊下のことですか? 何か言ってましたっけ」
「それですっ!! それ! 代理教皇って、何かの冗談ですよね……?」
当たりを引き、鬼気迫る勢いでフレディに詰め寄るイリス。それにたじろぎながらもフレディは静かに、顔をしっかり見て、
「――まさか、ご存知でなかったのですか?」
フレディの確認に勢いよく振り返り、レティシア達の方へと目を血走らせる。イリスの顔から笑顔が消えていた。
「……あの人はどこですか?」
「すまない、イーたん。余らも酒場で解散した手前、ニムレット殿の居場所は分からんのだ」
「あの人は、どの方角に行きましたか?」
「えっと……あっち、でしたっけ」
「うむ、そうだったような……」
フレディの指し示す方角に、イリスが全力疾走を始める。先回りしたレティシアが阻止した。
「邪魔っ、しないでくださいっ! あの人に、あの人に直接話を聞かなければ……っ!」
「それはいいけど、今はやめようよ、イリス。ほら、サンドラもいるんだよ?」
背後を向くよう促し、困り顔のサンドラに意識を向けさせる。心なしか憐憫が入っていそうなサンドラの怪訝な視線に、癇癪を起こしたイリスも次第に冷静さを取り戻していった。
「……すみません。醜態を晒しましたね」
「大丈夫。イリスの気持ちも、分かるから」
レティシアも、親に重要なことを伏せられ続けた側の人間だ。イリスの怒る気持ちも、少しは分かってあげられる。――レティシアの場合、言葉ではなく剣と抱擁で決着をつけてしまったために彼女の参考となることはできないが。
「ニムレットさんに剣を突き立てないようにね。あの人はきっと、死を望んでいないから」
「そんなこと、しませんよ……」
励ましを込めたレティシアの冗談に、何故かイリスの顔が曇ってしまう。どうしてだろう。
「とにかく、戻ろう? 皆、こっちを見てるよ」
「――あれはまさか、イリス様……?」
「聖女様だ! 聖女様がおられるぞ!!」
「あぁ、『救国の聖女』様! 不機嫌そうなむくれ顔もしゅんと萎れた物憂げな顔も愛おしいっ!」
「……。…………。すみません、レティシアさん。やはり尋も……所用を片付けてからにさせてください」
「…………気持ちは分かるけど、今は我慢しよう。帰りの馬車に乗る時に、きっとお見送りしてくれるだろうし。その時に私も一緒に怒るから」
イリスが嫌がっていた異名が市井に浸透しているのは、十中八九ニムレットが原因だ。彼の余罪が明らかになり、憤慨に静かに肩を震わせるイリスの苦労が偲ばれる。
――なんだか帝国の人の声の中に変なのが混ざってた気がしたが、聞かなかったことにした。
「……ありがとうございます、レティシアさん。――今、私、あの人にこれまでに無いほど怒り心頭ですので」
「うん、分かってる――後で一緒にニムレットさんを『侵色』しよう」
「……比喩ですよね?」
「ふふっ、比喩だよ」
レティシア渾身の冗句だった。イリスは笑ってくれなかった。
□ ■ □
「……それで、ニムレットさんへの私刑は後回しになったのね」
イリスを宥め、皆のところに戻り事情を説明したあと、ミネアがそう総括してくれる。
いつの間にかフォレオスの腕にくっついているミネアだが、彼女もイリスの心情に同情しているようだった。
「よ、余は反対だがな……人には心を痛めてでも隠し通さねばならないことがたくさんあるのだ。ニムレット殿も、やむを得ない事情があったのだろう」
「……王様って、こんな事言う人だったっけ?」
「色々あったんですよ……本当に、色々と……」
やましい事も含めて全てを受け入れ打ち明けるフォレオス像との乖離を訝しむレティシアに、深々と息を吐き、肩を落とすフレディが説明を加えた。
辛酸を舐めきった口元からは、常にため息が漏れ出ている。レティシアの知らない間に、飲み会とやらでフォレオスの価値観を変える出来事が起こったのだろう。可哀想なので今度フレディによしよししてあげることにした。
「……そういえば」
「れ、どうしたの?」
「ううん、何でもないよ、サンドラ」
心の中で思い定めていた、フレディに食べ物を渡すのと、お菓子を買ってあげるのをまだ達成できていない。
これからの観光中に、機を見つけて買ってあげよう。
「では、まずは食事からにしましょうか。お昼時ですし、一般的な帝国料理も味わって欲しいですから」
「うんうん賛成よイリちゃんっ! フォレ君、楽しみね!」
「あぁミネア。余も同意だイーたんよ。はは、心が踊るな」
「みとふ、なかよし、だね!」
「うむ、サンたん。余とミネアは未来永劫仲良しだ」
「えぇ、サンちゃん。私とフォレ君はおしどり夫婦よ!」
はは、ふふと顔を合わせて笑い合っている国王夫妻は楽しそうだった。――気付いた時にはレティシアの左手は国王夫妻を指さしていた。
「――サンドラ、イリス。あれやろう」
「うん、わかった!」
「え、何です――きゃっ!?」
同意と困惑、それぞれの反応に頷き、二人の腕に手を通し、ギュッと引き寄せた。そうして二人の親友と腕を組んで、王様に向かってナフィリンみたいに胸を張る。
「ふふ……フォレオス、私達も仲良しだよ」
「うむ! 微笑ましくてなによりだな! となれば……フレディ」
「……え、どうされました? 陛下? ほわっ!?」
そう悲鳴を上げるフレディの左腕が、フォレオスに捕まった。
「はは、レーたんよ。これで皆仲良しだな!」
「む……なら――サンドラ」
「まかせて、れ!」
目で合図を送り、サンドラと思考を共有する。勢いよく頷いたサンドラの疾駆にイリスの悲鳴が上がるも、笑顔で駆け寄ったサンドラがミネアの腕に手を回し、――結果的に、六人全員が一列に並んだ。
左からイリス、レティシア、サンドラ、ミネア、フォレオス、フレディとなっている。
「ふふっ! これで、全員仲良しね!」
「あ、あの……レティシアさん、そろそろ離れませんか? その……くっつきすぎです。恥ずかしいといいますか……」
「嫌」
「え、え……?」
「絶対に離さないから」
「ひゃなっ……!?」
「れとみ、あったかいね! さ、しあわせ、だよ!!」
「ふふっ、私もだわサンちゃん。ねーフォレ君っ!」
「あぁ、ミネア! 余は……この日を、どれだけ……っ!」
「もう、泣かないでよ……こっちまで、込み上げてきちゃうじゃない…………」
「……強く生きてください、聖女様。僕も、強く生きますから」
「フレディさん…………!」
――涙ぐむフォレオスに引っ張られ、ぐったりと顔だけを持ち上げたフレディだけが、赤面するイリスの心に寄り添っていた。
□■□ □■□
「こ、ここが『天界の庭』、食事もそうですが、食後のデザートが絶品なんです……!」
イリスの誘導に従い、六人仲良く歩いて数分が経過した辺りで、顔を真っ赤にしながらイリスが声を震わせて、左手で該当のお店を指し示した。
――服越しに腕から伝わる体温が温かい。心地いい。離したくない。ギュッとする。
「へぁ!? ……レティシアさん」
湿度の高い目で、じとーっと睨まれる。頬が膨らんでいる。ぷにっとしたい。
「……分かったよ。また今度やろうね」
「何も分かってません!!」
名残惜しいが、イリスがそういうので組んだ腕を離してあげる。胸を撫で下ろし、深呼吸しているイリスを後目に、『天界の庭』と紹介された建築物を見据える。
白い石で作られていて、金色の飾りが目立つ看板には何か文字が書いてある。綺麗な扉の前には店員さんと思しき人が立っており、笑顔で出迎えてくれていた。
「いらっしゃいませ! 『天界の庭』へようこそお越しくださいました! 六名様でよろしいでしょうか」
「いち、にー、さん、しー、ごー…………ちがう、ろく! うん、ろくめーさまであってる、よ!」
一人一人数える最後にはっと自分を指さしたサンドラを、手放した右手で撫でてあげる。「えへへ」と嬉しそうに目を瞑るサンドラに薄く微笑み、笑顔が深まる店員さんへと顔を向ける。
「席は空いてる?」
「はい! 丁度、六名様分空いております!」
「良かった。じゃあ――」
そこで、ようやく息が整った様子のイリスに視線を送る。いつもの顔色に戻った彼女が短く頷き、
「では、ご案内します。席番号だけ教えてくだされば、呼び込みを続けてもらって構いません」
「二十四番です、『救国』のイリス様。毎度、ありがとうございます!」
さっきまでの動転ぶりは何処へやら、凛とした佇まいで案内役を買って出るイリスに、店員さんが深々とお辞儀した。……一瞬イリスの肩がぶるりと震えたものの、そのまま足を前へと踏み出していった。
深く頭を下げる店員の横をゆっくりと歩き、扉の前に着いたところで、イリスの白髪が揺らぎ――、
「さぁ、付いてきてください。帝国の良さを、皆さんに身をもって体験してもらいます!」
□ ■ □
得意げな顔で一行を先導したイリスの言葉通り、レティシア達は帝国の良さを身をもって体験することになった。
「こ、この……おむれつ? というのかしら。お米じゃなくて野菜が入っているのね。ん〜、頬が蕩けちゃいそう!」
「何なのだ何なのだ! このコクのあるスープは! 水っぽさとシチューっぽさが共存しているのも初めてだぞ!」
「コーンスープというんです! たしか、コーンは王国にはありませんでしたよね」
「うむ! この、表面の膜みたいなのも美味だな! 種子のようなつぶつぶも、口で潰す度にスープの染み込んだ濃厚な汁が溢れてきて……」
「ふふっ、それはただのスープです、フォレオスさん」
「イーたんよ、機会があればナフィリンにコーンスープのレシピとコーンの輸出について話を通しておいてくれぬか? ――これは、流行るぞ」
「えぇ、分かりました。ニムレットさんをこてんぱんにした後にでもお伝えしましょう。あとその呼び方はご遠慮ください――フレディさん、お味はどうですか?」
「んむ……ん、はい! 皇城でのご馳走もそうでしたが、王国では食べたことのない系統の料理で新鮮です。美味しいですよ!」
「ふふっ、お口に合ったようで何よりです!」
と、そんな会話が周囲で繰り広げられていたが、レティシアの耳には入ってこない。
橙色に染まった白、そこにまとわりつく黄色い卵。四角くて口に含むと油分で溶けるお肉に、丸く刻まれたネギ。オムライスの中に入っていたモノとも少し異なる、お米料理に心を奪われていた。
「……ん、…………あむ…………」
口に入れた途端、トマトソースの酸味が舌先を刺激する――のも束の間、ピリッとブラックペッパーの後味が口の中に取り残される。お米の歯応えもオムライスのそれと少し異なる。弾力があるというか、モチモチというか……。ともあれ、美味しい。
塩辛い味わいに渇きを訴える喉を、ミルクティーで潤す。ミルクのまろやかな口当たりと、紅茶……恐らく硬水の渋みが溶け合い、混ざり合い――。
ミルクと紅茶を足したものではなく、「ミルクティー」という新しい飲み物がそこにあった。
「い、これおいしい!! いも、たべて!!」
「ふふっ、それは良かったです。あと、私も自分の分があるのでサンドラさんのはわわんっ!?」
「――えへへ! すーぷ、おいしい?」
「……はい、美味しいです」
「ごちそうさまでした。イリス、このお米、すごく美味しかった。後、ミルクティーも――イリス?」
完食し、顔を上げて感想をイリスに伝えるも、イリスは口元に手を当て、目を開閉するのに夢中で聞こえていないようだった。
「イリス、どうしたの?」
「……はい、美味しいです」
「ミネア。イリスが壊れちゃった」
「イリちゃんが? ……フォレ君」
「うむ。……調子はどうだ、イーたん」
「……はい、美味しいです」
「これは……重症だわ……」
「あぁ……余の呼び方を素直に受け入れてくれるとは……」
「陛下、論点ズレていますよ」
ミネア達に救援を要請するも、進展はない。
「サンドラ、どうして壊れちゃったのか知らない?」
期待薄だが、初めて視界に移すスプーンとフォークを頑張って駆使しているサンドラに聞いてみる。
「あのね、い、すーぷのんだ。い、こうなったの」
「どうやら、このコーンスープが原因のようですね……」
「でも、私達のと同じもののはずよ? 毒が入っていても、イリちゃんなら気付くでしょう?」
「…………ん」
「えっ?」「うむ?」「へ?」「れ?」
一同の当惑の視線を一身に浴び、レティシアはイリスのコーンスープに口を付ける。レティシアのスープと遜色なかった。
「うん。特におかしなところは無かったよ」
「だ、大胆ねぇ……」
「フレディ、紙を。この出来事を両国の和解の象徴とするのだ」
「陛下、お言葉ですがそれは無いかと」
「れ! さも、さのものんで!!」
「え、どうしたのサンド――」
呼びかけに振り返り――口に温もりを感じる。何かが注ぎ込まれた。
「……うん、美味しい」
「レーたん……?」
「……うん、美味しい」
「――原因が、分かりましたね」
「えぇ、フレ君……これは、仕方ないわ……」
――レティシアとイリスの意識が現実に戻ってきたのは、デザートが到着する数分前のことだった。
サンドラを除く他三人は、何故か額に汗を浮かべていた。




