後編
◇
何とかなだめすかした智絵と別れて、私は約束の場所に行った。まだ約束の時間まで30分はあるから、課長は来ていないだろうと思っていたのに、彼はもう来ていたの。
それもいつもと違いなんか不機嫌そうな?
ううん。違う。居心地悪そうにしているんだ。
少し隠れて観察していると、腕を組んで一点を睨むようにしている様子に目を瞬いてしまう。
というか、どうしよう。浴衣を着ている桐谷課長は凄い好みなんだけど。
あら、両袖口に手を突っ込むように腕を組み直したわ。
というか、あの柄って猫?
もしかしなくても猫? 白地に黒猫が飛び跳ねているなんて。
あ~、そばに行って見たい。心行くまで触りたい。撫でまわしたい。
私は猫が好きだ。小さい頃から飼いたくて仕方がなかったの。だけどやっと許可をもらって子猫が生まれた友達の家に貰いに行ったら、目はウルウルになってくしゃみ、鼻水、ついでに猫の毛に触れたところが痒くなる始末。病院で猫アレルギーと言われて、猫を飼うことは諦めたの。
だから『ツイン猫』シリーズを見つけた時には、小躍りして喜んだ。それが大輔先輩のところで作られたものだと知った時には、全品予約しようかと思ったくらいだ。
ああ、いけない。こんな事をしている間にも、また課長は女の人に声を掛けられている。あんないい男が浴衣を着て一人の訳ないでしょう。
私は物陰から出て課長の方へと歩いて行ったの。
◇
小走りに近づいてきた萌音の浴衣姿は先ほどチラリとみた時も思ったけど、本当によく似合って可愛らしい。今日は髪もまとめられて、花のコサージュとトンボ玉の簪が華やかさを添えていた。
「お待たせしました」
と、少し潤んだ瞳で見つめられて、ドキドキが止まらない。
あの男、杉山大輔に言われた通り、この浴衣が萌音の好みドストライクなのだろう。
本当はいい歳をした俺には猫の柄なんて似合わないと思ったのだけど、これなら絶対萌音を落とせると太鼓判付きで着付けられた。
待ち合わせより40分も前についてしまいどうしようかと思っていた俺に、何人かの女が声を掛けてきた。この女達はアホなのかと思った。普通、相手がいなければこんな格好はしないだろう。恋人と待ち合わせているというと、ほとんどの女が残念そうな顔をして離れていった。
萌音が現れる前に声を掛けてきた女はしつこかった。確かに美人なのだろうが、やたら胸を強調した服装をして、それを俺の腕に押し付けようとするのだ。それは本気の恋を知らないどこぞの若造にでもやってくれ。ケバイ化粧も好みじゃないし。
女にそう、暴言を吐こうとした時に萌音が来たのだ。俺に擦り寄る女を一瞥すると、女に触られていない方の腕に萌音が腕を絡ませてきた。
「どこのどなたか知りませんけど、待ち合わせの相手がいると判る人に擦り寄るなんて、はしたないですね」
「なっ!」
そう言われた女は絶句した。俺も普段と違う萌音の様子に言葉が出て来ない。
「そろそろ尋登さんから腕を放してくれません? 自分に相手がいないからって図々しいわ。泥棒猫になりたいのなら、相手を見てからすることね」
いつもと違い強気な発言をする萌音にドキドキが止まらない。本当に俺は萌音のことを知らなかったんだな。
萌音は女に一瞥をくれると、俺の腕を引っ張り祭り会場へと歩き出したのだった。
◇
女から尋昇さんを引きはがし気分が良くなった私は、彼の腕に腕を絡めたまま祭り会場をそぞろ歩いた。
喫茶店を出てから智絵を納得させるために、自分の正直な気持ちを話した。まあ、言うまでもなく智絵も承知はしていたんだけどね。
私こと萱間萌音は桐谷尋昇さんのことが好きです。
だからこそ、ちゃんとした言葉が欲しかったの。
でも、お祭りを二人で楽しみながら歩くうちに、そんなことはどうでもよくなってきたの。
だって、大輔先輩の策略だとしても30代半ばになろうという人が、猫の柄の着物を着てくれたのよ。私のために。
今まで、なんであんなにこだわっていたのかしら。言ってくれないのなら、私から言えばいいじゃない。
私は決意を固めると、マンションに戻ったら押し倒す勢いで告白することを決めたのでした。
◇
はしゃぐ萌音に引っ張り回されて、いろいろな屋台を覗いていった。射的で萌音が好きそうな猫のぬいぐるみ(手のひら大)を落としたら、とても喜んでくれた。こんなに積極的な萌音は初めて見る気がする。
時々もの言いたげに潤んだ瞳で見上げてくる。俺はその瞳に射抜かれて、今日また萌音に惚れ直した。俺は祭りの会場を回りながら決意した。部屋に戻ったら、ちゃんと告白してプロポーズをしようと。
そんなことを思いながら歩いていたら、ある屋台のところで見知った顔がいるのを見つけた。必死な様子で屋台の人に話しかけている。
「あれは・・・」
「どうしたんですか・・・あれって○○商事の菱沼主任ですね。あら、裏の方に行かれましたね」
萌音も取引先の主任である、彼の様子が気になったようだ。人波を避けながら彼がいた屋台のほうに寄っていった。こちらと違って裏側はかなり暗くなっていたが、何人か人がいるのが見えた。
それが何をしているのかわかった俺は、速足で歩きだした。
「萌音はそこにいろ」
「いえ、安全な位置にいますから、ついていきます」
萌音の返答に口元に笑みが浮かんだ。こんな時なのにニヤケる自分に呆れてしまう。
「だけど危なそうなら逃げろよ」
「はい。ですが大丈夫です」
菱沼ともう一人の男が、女の子達を捕まえていた男達をねじ伏せるのが見えた。これなら大丈夫かと歩みを緩めようとしたら、もう一人の男が腰を落としていて、立ち上がるのが見えた。手には何か棒のようなものを持っている。俺はその男に近づき、男を組み伏せた。
「道具を使うなんていけないな~」
つい楽しそうな声が出てしまった。男達が全員取り押さえられたとみて、萌音が女の子たちの方に近づいていった。
「あの、お二方とも、怪我はありませんか?」
「ええ。大丈夫です」
「私も。・・・えーと、あの人はあなたの彼氏なの」
萌音の様子を見ていたら、萌音も俺の事をじっと見つめてきた。女性の質問に萌音は呟くように答えていた。
「そうなの。私の好きな人なの」
萌音の言葉に俺の頬に熱が集まった。かなり暗くなっているから、萌音には気付かれないだろうけどな。俺の心は喜びに満たされたのだった。
しばらくしたら誰かが連絡をしたのだろう、警備員がやってきた。彼らに男達を引き渡し、事情を聞きたいと言われ本部に向かった。俺たちが見た様子を伝えて、他の人も事情を話して俺達は解放された。
菱沼には本部に向かうところでお礼を言われた。実は彼と俺は同い年だ。だから何となく俺は親近感を持っていたのだ。
本部を出た俺達は男同士で少し話・・・というか、改めてお礼を言われた。まあ、知らない仲じゃない二人だったことだし。
若い彼からお礼と称して、屋台に売っているものをいくつも手渡されたのには困ってしまった。だが、気持ちだからと有り難く頂くことにした。
そして、俺達はそこで別れたのだった。
◇
菱沼さんの後を追った結果、男の人に絡まれた女の人達を助けることになりました。片方の浴衣の似合うスラリとした美人さんは、菱沼さんの彼女だそうです。春から恋人同士になったと聞いたことがあります。
もう一人のキリリとした感じの美人さんは、たまたま知り合ったと言っていました。二人は菱沼さんの彼女のほうが年上だと思うのだけど、キリリ美人さんが彼女を庇う感じで姉、妹が逆転して見えました。
私達は軽く自己紹介をして、菱沼さんの彼女が上条聖子さん、キリリ美人さんが結城和花菜さんだと、知ったの。
二人とも背が高くてうらやましいな。聞いてみたら160センチを越しているそうな。私なんて153センチしかないから、ほんとうらやましい。
二人とはそんなことを話して別れることになった。
二人になった尋登さんの手には屋台で売っていた、たこ焼きや焼きそばが入った袋を持っていた。
「どうしたんですか、それ」
「お礼に貰ったんだよ。どれか食べるか」
尋登さんに言われて少し考えた。どこかに座るにしても、この人混みだから周りに気を遣うだろう。それならいっそ・・・。
「課長、マンションに戻りましょうか」
「いいのか? これから花火が上がるんだぞ」
「確か課長が言ってましたよね。小さいけどマンションから見えるって。それなら人混みの中見るのではなくて、ゆっくりと見ませんか」
「萌音がいいのなら」
そうして、私達は会場を出てタクシーに乗ってマンションに戻ったのよ。
◇
マンションに着いてエアコンを入れ、部屋の温度が下がると暑さから解放されてホッとした。貰った料理をテーブルに置き、飲み物を取りに行こうとしたら萌音に引き留められた。
・・・というか、なんでこんな体勢になったんだ?
今の俺は2人掛けソファーに半ば押し倒される形になっていた。萌音が瞳を潤ませて、俺の胸に手をついて言った。
「桐谷課長。私、お祭りの会場にいた時から我慢できなかったんです」
「萌音?」
「私・・・好きなんです。課長も知っていますよね」
「萌音!」
萌音からの告白に俺は天にも上る気持ちだった。萌音から言わせてしまうだなんて申し訳ないけど、絶好のチャンスだと思った。胸に手をついている萌音の手を掴もうとしたら、逆に俺の手を握りしめてきた。
「課長・・・どこに隠したんですか? 『ツイン猫』の手ぬぐい! ずるいです。私がそのシリーズを大好きなのを知ってるのに、なんで私に見せる前に使っちゃうんですか~!」
・・・そっちかよ。
俺は心の中でがっくりと肩を落とした。そんな俺の気持ちを知らずに、萌音の手が浴衣の襟にかかっている。
「課長。私に見せる気がないのなら、実力行使に出ますからね」
そう言うと萌音の手が浴衣の中に入ってきた。素肌に触れる萌音の手が、いまの体勢と合わさって倒錯した気分になってきた。はだけて胸元があらわになった所で、萌音の肩を掴まえて引きはがした。
「待てよ、萌音。これじゃあ体勢がおかしいだろ」
「それは課長が隠すから悪いんです」
「隠してないからな。萌音用にもちゃんとあるから」
「本当ですか?」
「ああ、もちろん」
俺の言葉に喜んでいる萌音。だけど一向に俺の上から退く気配がない。それよりももっと瞳を潤ませて俺の事を見つめてきた。肩にある俺の手をどかすと、萌音は身体を倒してきた。俺の唇に萌音の柔らかい唇が触れる。
唇が離れたら、泣きそうな瞳で萌音は俺の事を見てきた。
「いい加減、しびれを切らしました。言ってくれないのなら、私から言うことにしたの。桐谷尋昇さん。私はあなたのことが、ムグッ」
萌音が全部言う前に、萌音の後頭部に手を当てて俺のほうに引き寄せて唇を重ねる。萌音は抗議するように俺の胸を叩いてきた。そのうちに萌音の抵抗がなくなった所で、唇を離して萌音を抱きしめる腕を緩めた。そうしたらやっと萌音が退いてくれて俺は身体を起こすことが出来た。
「酷いわ、私から言おうと思ったのに」
萌音は唇を尖らせて文句を言った。
「それじゃあ駄目だろう。・・・その、今まで悪かった。一緒にいられるのが嬉しくて舞い上がってた。今更かもしれないけど」
ここで一度言葉を切って息を大きく吸う。
「萱間萌音さん。あなたのことが好きです。公私共に一緒にいてくれませんか」
萌音は口に手を当てて潤んだ瞳で俺の事を見つめてきた。口に当てていた手が離れて俺のほうに伸ばしてくる。俺は萌音を抱きしめようと、腕を広げた。
・・・のに、またソファーに押し倒された。
「本当に遅い! 智絵と大輔先輩のお節介がなければ気がつかないなんて!」
そう言って萌音がまた唇を重ねてきた。今度はすぐに離れ、萌音が微笑みながら言った。
「で、どこに隠しているんですか?」
「・・・おい。ここで言うか?」
「だって課長が悪いのですから。というわけで捜索します」
萌音の手が腰の辺りを触って、背中の帯結びに手をかけようとしているようだ。
「萌音? 何をする気だ?」
「脱がして探すんですけど?」
ムッとした顔の萌音に睨まれた。
「脱がせても、そこにはないから」
「チッ」
「いま舌打ちしたよな」
「気のせいです」
「い~や、気のせいじゃない。・・・というか、普通逆だろう」
萌音は器用に帯結びを解いて、今は着物を縛っている紐をほどこうとしている。俺は萌音の手を掴まえて言った。なのに。
「課長、観念して襲われてください」
そう言って萌音がまた口づけをしてきたのだった。
◇
部屋に戻りタイミングを見計らって、桐谷課長のことを押し倒した。少し、懲らしめるつもりで言葉遊びをする。案の定誤解した課長は落胆の色を隠せていない。
本当に私より8歳も年上なのかと思うけど、散々じらされた私としてはもう少し意地悪をしようと思う。
だっていいでしょ。この後、私はあなたに食べられてあげるんだから。私の初めてをあげるのよ。もう少しくらい遊んでね。
智絵と大輔先輩のお膳立てには気がついたもの。それに乗ってあげるんだからさ。
浴衣の中に手を入れて手ぬぐいを捜索する振りをしながら引き締まった腹筋に指を這わす。この後のことに期待と慄きを感じながら、微笑みを浮かべて尋昇さんの浴衣を脱がせることに意識を集中させたのだった。
本編後の攻防(笑)
尋「萌音、待った、待った!」
萌「なんで待たなくちゃいけないんですか」といいながら尋登の浴衣をはだけさせる。
尋「いや、どう見てもおかしいだろ」浴衣を押さえて脱がされないようにする。
萌「おかしくないです。恋人として当たり前の行為をするだけです」
尋「だから、待てってば。萌音はちゃんとデートしたりしてお付き合いを楽しみたいんじゃないのか」
萌「それはそうですけど・・・でも今更いいです」
尋「いや、良くないから。これからは萌音のペースでいくから」
萌「・・・と言いながらこの昂りはどうするんですか?」
尋「そこは心配するところじゃないぞ。大丈夫何とかするから」
萌「何とかするなのならお手伝いします」
尋「・・・もう、俺が悪かったから。そろそろ勘弁してくれ~」
・・・
と、しばらくは攻防が続いたのでした。
ちゃんちゃん!
というか、大切にしようとする基準が間違っている気がする(笑)




