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「カリーヌ様、いつまでそうなさっているおつもりで?」
「レリエ、放っておいて頂戴……」
絶賛落ち込み中。
今朝の食卓でまったく相手にしてもらえず、そしてあんなことを言われてしまい私はかなりめげていた。
公爵家から唯一連れてきた侍女のレリエは亜麻色の髪に翠の瞳お人形みたいな女性。10歳のころから私の世話を見てくれている。
落ち込みながらソファでゴロゴロとする私にレリエは続けた。
「いつまでも落ち込んでいてもしょうがないでしょう。カリーヌ様が空気を読めないのは昔からですし過ぎたことはしょうがないのでは」
「……空気、読めるもん」
「子供ぶらないでください。そして貴女は空気が読めないし気遣いもできません」
「……だったらどうしろっていうのよ」
そう、私は決定的に人の気持ちを考えるというトコロが欠けている。
何より自分優先だし考えたつもりでもまったく相手には届いていない。
そんなの…誰よりもわかっている。
「――カリーヌ様はカリーヌ様らしく、その我儘で甘ったれた性格をぶつけていくしかないのでは?」
我儘、甘ったれ。
私にこんなことを言うのは侍女のレリエだけで他の使用人もお兄様もお友達も言ったことがない。
だけど、私はこの言葉は意地悪ではなくてとんでもなく真実だと知っている。
そんな最悪な性格で旦那様とまた話せだなんて、悪魔の所業だ。また怒らせてしまう。
「貴女は確かに我儘甘ったれお姫様気質の人間ですが……善人です。とてつもなく迷惑な善人。純粋で明るくて笑顔を絶やさない裏がない、そんな人間ですよ」
……そうよ、お兄様だって言っていた。
私は純粋で明るい、だから誰もが好きになる…お兄様はそう言って私の頭をよく撫でてくれた。
レリエはそういうことを言っているのではないだろうか。
つまり、素の私の良さをぶつけていけばいいのでは!?
「――ありがとうレリエ。私、もっともっと頑張るわ!」
「…よかったですね、カリーヌ様」
どことなく恐れた顔をしたレリエは放っておいて、私はソファの上に立ちあがり宣言する。
「――絶対、旦那様を笑わせて見せる!」
それが私のこの家での初仕事となったのだ。
■
一週間後、とっておきの作戦を秘めた私は家に帰ってくる旦那様を待っていた。
「ふふふふふ…これで旦那様も笑ってしまうはずよ」
「…カリーヌ様、やめません?」
「恐れず飛び込むことが大事よ、レリエ!」
怯えるレリエを元気づけて私は鼻息荒く『その恰好』で玄関ホールへ向かった。
「――この家はいつから見世物小屋になったのだ?」
「今日からですわ!」
大きな声で私がそう返したのに旦那様は完全に無視をした。
数人の使用人の視線が大変痛い。そして公爵家の執事の視線は哀れなものを見る目である。
だが私は数歩後ろに下がっているレリエを引っ張って続けた。
「――ではこれからピエロの芸をしますので、とくとご覧あれ!」
そうである、私とレリエはピエロの格好をしながら芸をするのだ。
昔お兄様と屋敷を抜け出して城下町に出たことがある。そこでみた奇天烈な道化師に私は大変笑わされた。だからきっと、旦那様も笑ってくれるはず…なのだ!
様々な芸を無音のホールで行う。
最初は意気揚々とやっていたものも、私は次第に全く笑わない旦那様と周りの使用人たちの視線に気づいていた。
――どうしよう!?
レリエに至っては死にそうな顔である。
こんな恰好をしてよくわからない芸をしている私たちは、もしかしてとんでもない馬鹿なのではないだろうか?
しかし演目は流れていく。
次はジャグリング、練習の時はうまくできたのだ。だから本番でも――
ボールを勢いよく空に投げて――
「――っ!」
トントン…とボールが床に落ちる音、そして旦那様のうめき声が爆発しそうな脳内で響いた。
勢いよく投げすぎてしまったボールは旦那様の頭に直撃し床に落ちていく。
「――不快だ」
「だ、旦那様――!」
そんな一言ともに、執事を連れて私の横を通り去っていった。
「カリーヌ様…」
「…うん、これはつまらなかったみたいね。次はなにをするべきかしら?」
「カリーヌ様」
残された使用人数人と私とレリエ。
不思議な沈黙がその場を支配していた。
「…皆さん、下がってよくてよ。女主人の失態は目に余るでしょうし……」
使用人はその言葉に視線を逸らすものが大半だった。
女主人のこんな頭がどうにかしている行動、彼らも疲れたに違いない。
「さ、もう夜ですし部屋に――」
「――あのっ!」
その大きな声を上げたのは、綺麗な白い肌を持ったメイドの女の子。
「私は…奥様の芸が面白かったと思います…」
終盤に連れ小さくなっていく声に、私は嬉しくなってしまった。旦那様がクスリとも笑わなかったけど彼女を笑わせられたなら…やる意味はあったかもしれない。
「――私も!」
「お、俺も!」
他の使用人が声を上げた。
レリエが私の服の袖を引く。彼女の瞳には「ほだされるな」と書いてあるけど…
「――とっても、嬉しいわ!」
幸せを詰め込んだ笑顔でそう言った私に、レリエは「信じられない」とつぶやいた。
私の言葉に使用人の子たちは安堵した表情になる。
「今日は私の芸を見てくれてありがとう、これから仲良くしてもらえると嬉しいわ!」
彼らの顔をその言葉とともに見渡す。
…皆、頷いてくれた。
そしてまだ話そうとする私にレリエは我慢ならなかったらしく、腕を引いて私の部屋へ強制連行していったのだ。
■
「カリーヌ様は馬鹿ですか、阿呆ですか、気狂いですか!?」
「どれでもなくてよ」
「いえ、貴女はこの全てです!」
ピエロの格好をやめた私を風呂に入れネグリジェを着せ髪をとかしながらレリエは怒る。
「あの使用人たちが憐みで言ってるとわからないのですか、貴女様は使用人ごときに憐れまれていい存在じゃないんですよ!」
「…いい子たちだったわ」
「カリーヌ様が馬鹿だからそう思うんです!」
レリエが、怒っている。
…きっと彼女は私の代わりに怒っているのだ。昔からそうだった、誰よりも冷たく見えて誰よりも優しい。
怒れない私の代わりに彼女が代わってくれた。
「…カリーヌ様」
「なぁに、レリエ」
鏡の中で見つめあう。
彼女の翠の瞳は不安そうに揺れていて、私は彼女を励ましたくて後ろを振り向き抱きしめた。
「大丈夫よ、私は大丈夫。こんなにも幸せなんですもの」
「…馬鹿カリーヌ様」
レリエの身体は折れてしまいそうなぐらい華奢で、だけど私をいつも守ってくれた。
私のことを罵るくせに私のことを愛してくれる彼女が、私は大好きだ。
「幸せを呼ぶためには、いつも笑顔でいることよレリエ。…ねぇ、笑ってよ」
「…馬鹿」
彼女は泣きそうな顔で、にっこり笑った。
その顔はやっぱり人形みたいに整っていて、私は少しうらやましくなったのだ。
――だってこんな醜くて汚い私を大切にしてくれる人が、羨ましくないわけない。