27
この空き家で、何かが行われたことは間違いなかった。
何が行われたのかを考えて――ミオンは、気づけば走り出していた。
「君!」
少年に呼び止められたが、ミオンは構わず空き家から走り出て限界まで走り続けた。
(間に合わなかった)
頭の中で繰り返されるその言葉に追い立てられるように走った。よく道を間違えなかったと、思う。夢中で走って、最後はよろけるようにして寮に戻り、ベッドに倒れ込んだ。枕に顔を埋めて、掛布を頭から被って、気がつけばそのまま眠ってしまったらしい。マギーに揺り起こされて顔を上げると、驚かれた。
「どうしたのよ、その顔!」
泣きながら枕に顔を押しつけていたので、酷い顔になっていたようだ。鏡で確かめる前に絞った布を渡された。ひんやりとして、気持ちが良かった。
「なにがあったの?」
「えーと……」
どう答えたら良いのだろうか。考えているうちに、小さなため息が聞こえた。
「お腹空いてる? 何か貰ってくるわ」
「……うん」
顔に当てた布が気持ちよくて、ちょっと目を閉じているだけのつもりが、次に目を開けたら夜が明けていた。
「死ぬところだったわよ?」
横を向くとベッドの脇で、マギーが呆れていた。濡れた布で窒息するところだったらしい。一日に何度も脅かすなと怒られ、怒られついでに何があったのかと問い詰められた。さんざんを心配掛けたミオンに拒否権は、無い。
「えーと、実はそんなに大したことじゃなくて……」
一人でこっそりネンク通りまで出たところから、ミオンは正直に話した。黙って聞いてくれたマギーは、最後に、予想通りため息を吐いた。
「その臭いが酷くて気持ち悪くなって走って帰ってきたと? だいたい、あの件は危ないから関わるなって、アルファド様も言ってたでしょ。その空き家を開けてくれた人たちって、ほんとに怪しくなかったの?」
「話し方も丁寧だったし、大丈夫だと思うけど……」
「丁寧に話す悪人なんて掃いて捨てるほどいるわよ!」
怒りのせいで、マギーはいつになく容赦なかった。その通りでございますと、ミオンは首をすくめてやり過ごす。
「それで、具合はもう良いの? 顔の腫れは引いたみたいだけど」
「うん、もう大丈夫。あの時は、多分、臭いのせいで目が痛くて涙が止まらなくて」
「それならせめて目を洗うとか、医務室に行くとかしなさいよ」
人騒がせにもほどがあると、マギーから追加の説教を食らって、ミオンはようやく朝食の席に着いた。食欲はあったので、マギーにこれ以上心配を掛けなくて済みそうだ。
(あとでアル様には怒られそうだなあ……)
マギーには言わないように頼んでおいたが、どこから嗅ぎ付けるのがアルファドである。笑顔で怒られる自分の姿が様子に想像できて、今から背筋が凍りそうだ。結局、知られてしまうなら、先に偽神官と迷子動物の一件がどうなっているのか、こちらから聞いてしまうのはどうだろうかと開き直った考えも浮かんでくる。正面から怒られに行く勇気が持てたら実行しようと思う。
(……次は、間に合うといいなあ……)
頭の中でうるさいくらいに響いていた声は止んでいた。その代わり、何でもない一瞬に、急に胸が痛むようになった。
エリューサスからのお茶会の誘いがあったのは、そんな日々が数日続いた後のことだった。
マギーは呼ばれていないというので、ミオンは一人でエリューサスの別邸に向かった。すんなりと中に通されたが、入った部屋は、サロンメンバーでお茶会をする部屋ではなかった。どこがどう、とは言えないが、内部の雰囲気が身分の高い人のための部屋だと言っている。
室内には既にエリューサスとアルファドがくつろいでいた。二人の向かいのソファに座っているのは、濃い紫のドレスの少女だ。ドレス生地と同じくらいに、黒髪が艶を放っている。やや大きめの灰色の目が、ミオンを映して柔らかく微笑んでいた。
(……?)
初めて見る顔なのに、どこかで見たような気がする。黒髪のご令嬢はクロシェナを始め何人も見知っているが、目の前の彼女と血縁関係がありそうな顔は浮かんでこない。かなりの美形なので一度見たら忘れないと思うのだが。
(ゲームに出てきたとか……)
過去の記憶に問い合わせる前に、アルファドが立ち上がった。
「早かったね、ミオン。急に呼びだして悪かった」
いつもどおり、少しも悪びれない挨拶から始めて、アルファドは客人を紹介した。
「こちらのご令嬢がどうしても君に会いたいというのでね」
「わたしに?」
まさかの指名に目を瞬かせていると、少女がふわりと立ち上がった。いつの間に忍び寄ったのだと言いたくなるくらい静かに、気づいたら側に立っていた。ミオンの言葉に、傷ついたように目頭を押さえる。
「まあ。ほんの数日で忘れられてるなんて、寂しいわ」
「え、と……?」
数日前というのは何日前のことなのか。記憶をフル回転させていると、アルファドが隣で苦笑する。
「僕もエルも初対面だって言うのに、君はいつの間に先回りしてたんだ?」
「え? あの、申し訳ありません……?」
「アル。いい加減にして紹介してやれ。姫にも失礼だ」
不機嫌そうなエリューサスの声に、アルファドは少女に向かって一礼した。
「失礼しました、アビアナ姫。こちらがお探しのミオン・ハルニーです」
「ご丁寧にありがとうございます、アルファド様。でも、その態度は今更ですから結構ですわ」
「そう言ってくださると思ってました」
にこやかに言って、アルファドは、ぽかんと口を開けたままのミオンを振り返った。
「というわけで、ミオン、こちらはハベト自治領王のアビアナ・メドゥジ・ナルハビ王女殿下なんだけどその顔を見る限り、知らなかったみたいだね?」
クアンバド王国の一部、ハベト族自治領を治める領主は特別に領王を名乗ることが許されている。領王の娘だから、名目上は王女殿下になる。そこまではミオンでも理解できたが、本人を知っているかと言われたら答えは否だ。声に出して良いのであれば、こんな人知りません、だ。
さすがにそれは失礼だと思ったので、首だけ振って必死の思いを伝えていると、アビアナが堪えきれないとばかりに吹き出した。
「そんなに驚かれるとは思わなかった。でもつれないな。そんなにわからない? 着替えてこようか? それとも、そうだ、ナトゥーワとオムギも連れてこようか?」
「――あ!」
それまでの口調と打って変わった姫の声と『ナトゥーワ』でようやくわかった。
「空き家の時の!」
あの時の少年だ。柔らかい印象があると思ったが、まさか少女だったとは思わなかった。
「そう。やっと思い出してくれて良かった」
アビアナはそう言って、心配そうな顔を寄せてきた。
「急に走って行ってしまったから、どうしたのかと思って」
「あの……部屋の臭いがすごくて、気持ち悪くなってそれで……ごめんなさい」
「謝ることはないんだ。そうか、やっぱりあの臭いのせいだったか。それなら早めに出て正解だったよ。あまり吸い込まない方がいい物だったから」
「あの――」
あの空き家の臭いとシミが何だったのか、尋ねようとして、肩に手が置かれた。なんだか、ずしりと重たい。
「なかなか楽しそうな話なんだけど、良かったら僕らも仲間に入れて欲しいなあ」
振り返れば、アルファドが微笑んでいた。深淵をのぞき込んだかのような黒さがあった。
硬直するミオンと対照的に、アビアナは優雅に微笑み返した。
「あら、つい話が弾んでしまって。失礼しましたわ」
今の会話のどの辺が弾んでいたのか、記憶を遡ってみてもわからない。これが社交辞令なのだと言うことに気づいた頃には、ミオンはアルファドの隣に座らされて、一切合切を白状していた。
「迷子捜しにやたらとこだわっていたから、そんなことじゃないかとは思っていたけど」
「すみません……」
「うん、君の行動を読めなかった僕らにも責任はあるから気にしないでいいよ」
優しいアルファドの言葉の裏から、ちくちくしたものが刺さってくる。今座っているのは、もしかしてソファではなくて針山だったのかもしれない。いっそ部屋の隅に立たせてくれればいいのに。
ミオンは、ちらりとアビアナを盗み見た。一瞬だったのに、アビアナはミオンの視線を拾って、苦笑した。
「アルファド様、そんなに責めないであげてください。生き物を思う心はとても尊いと思いますわ」
「アビアナ姫、僕からもその態度は今更だと思うので、そろそろ本音でお願いしてもいいかな」
「せっかく練習したのに残念ですわ。でも、そうですね、こんな言葉遊びをしている時間ももったいない」
きりっとした口調に切り替えると、アビアナは背筋まで伸ばしてエリューサスに向き直った。
「エリューサス殿下、この度は急なお願いにも関わらず、快く引き受けてくださって感謝いたします。おかげで、何の罪科も無いどころか、優しい心の持ち主を責め立ててしまうところでした」
「つまるところ、ミオンの何を疑っていたのか訊いてもいいか?」
エリューサスが尋ねると、アビアナは頷いた。ミオンは口を開けた。疑われて呼び出されたとは、初耳だった。
「私どもは、とある人物を追ってまいりました。本来なら領内で納めるべきところを、取り逃がしてしまい、王都を騒がせることになってしまい申し訳ありません」
「その人物というのが、神官を騙って動物を集めていたということでいいのかな。まさかミオンがその人物だと誤解してた、ってわけはないよね?」
そんなはずは絶対無いですと、ミオンは目で訴えた。アビアナの口元が一瞬緩み、慌てたよう引き締められた。
「協力者かと思っておりましたが、ここで話を聞いて誤解だということがわかりました」
ぱあっと顔を明るくするミオンに、アルファドも笑顔で頷く。
「こんなにわかりやすいからね」
「……どういう意味でしょうか……」
答えはどこからも返ってこなかった。
何事も無かったかのように、エリューサスは話を戻した。
「よければ、詳しく話してくれないだろうか。手を貸すことも出来るかもしれない」
「それは」
アビアナは、当然だが言い淀んだ。エリューサスはミオンを指した。
「同様の事件が続くとなると、落ち着けないようなので」
「……わかりました。では、こちらも相談の上、後日改めてお伺いいたします」
遠回しに話から外されそうなのを感じとったミオンは、咄嗟に声に出していた。
「あのっ、アビアナ様っ、空き家にあったアレって、その……何だったんでしょうか!」
あの臭いとシミは、生け贄の儀式の後だったのかとは、訊けなかった。偽神官が魔神召喚を企む秘密教団の一味だとはまだわからない。仮にそうだったとしても、この場で知っているのは、ミオンの、過去の記憶だけだ。
「わかっているなら、説明を頼めるだろうか」
援護の声は、エリューサスからだった。
「また勝手に調べ始めるとそちらも迷惑を被ることになると思う」
「……」
そんなことしませんと、断言はできる。問題は、誰も信じてくれないことである。
ミオンの恨みがましい視線を受け流して、エリューサスはアビアナを見つめる。アビアナは考え込んだ。
「そうですね……どのみち、こちらから医師を派遣しておきたいと思っていたので、ちょうど良いかもしれません」
アビアナは座り直すと、ミオンを真正面から見据える。ミオンも思わず背筋を伸ばした。
「最初に尋ねるべきでした。ミオン、具合が悪いところはありませんか? あの空き家に残っていた臭いは、麻薬の一種で、大量に吸い込むと体調を崩すこともあります。私どもが追っているのは一人の人物であり、同時に一つの組織です。床に残っていたシミは、おそらく焚いた香木で魔法陣を描いていたのでしょう」
「えっ?」
一息に言われて、頭が付いていかなかった。一方で、エリューサスとアルファドの表情が変わった。
「組織? 麻薬とはいったい何だ?」
「魔法陣って、魔法使いがいるの? まさか動物を集めてるのって何かの実験?」
アルファドの問いに、ミオンは声を押さえられなかった。
「実験って、なんですか。それって、もしかして、殺されちゃうんですか?」
アビアナは順に一人ずつ見回して、静かに首を振った。
「詳しいことは、私どももまだわかっていなくて、申し訳ない限りです。現時点で推測の域を出ませんが、集めていた動物は恐らく、身代わりのためではないか、と」
血の気が引いたミオンの顔に、アビアナは手を伸ばした。
「待って、そんな顔しないで。私が調べた限り、あの空き家で命が消えた痕跡はありません。ナトゥーワとオムギにも調べさせていますが、集められた動物はどうやら他の場所で解き放たれた可能性が高いと報告が上がっています」
大丈夫と繰り返すアビアナの言葉に慰撫されて、ミオンはソファにもたれかかった。
「……間に合ったんだ……」
ミオンの呟きを真に理解できたのは、過去のミオンだけだった。
アビアナ姫、実は男性のままで通すかどうか悩みましたが、同性の方が話しやすいかなと。
姫については次でもう少し詳しく書く予定です。身分と容姿しか書けませんでしたので……。
恐らくジェラールが頭を抱えると思います。
それではお読みくださってありがとうございました!




