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「マルティド教団からの正式な回答は『そのような事実は存在しない』だそうだ」
エリューサスの名前が聞いたのか、神殿からの回答は思ったよりも早かった。アルファドは教団の印の入った封筒と便せんを机の上に広げて置いた。サロン用の小部屋は、今はまだサロンのメンバーしかいない。もうしばらくすると、いつもどおり、クアイド主催のサロンが開かれる予定になっている。
「でしょうね。俺もそんな話は聞いたことが無い」
アルファドの手を離れた手紙に最初に手を伸ばしたのは、メンバーの一人、ロネ・サームスだ。男爵家の次男坊である彼は、騎士団からの誘いが途切れない剣の使い手だという評判だが、本人は領地の大半を占める沼地を開墾する方法を研究するのに忙しいらしい。
とはいえ、鍛錬は欠かさない肉体系なので、髪も邪魔にならないよう短く刈り込んでいる。黒く見えるが、陽に透けるとエメラルドグリーンになるという不思議な髪質は神秘的だと一部の女子からは好評だが、ミオンの感想は『庭の芝そっくり』である。もちろん、口には出さない。彼の髪が何であれ、今回サロンに加わったのは、エリューサスの護衛を兼ねているからだろうというのが、マギーの意見だ。
「というより、そんな話を聞いたことがある人なんていないのでは?」
ロネから手紙を回してもらって、ティオナが言う。下級貴族の娘だが、伯母が王宮の高級女官の地位にあり、その口利きで近いうちに王宮勤めをする予定だそうである。おそらくは王宮内の情報網の一人とするつもりだろうというのが、これまたマギーの意見である。
燃える炎のような金ともオレンジとも付かない豊かな髪色のティオナだが、エリューサス以上に喜怒哀楽が薄い。王宮勤めには欠かせない資質だと周囲は褒めそやしているそうだが、実はこのティオナこそが、エリューサスに次ぐミオンの茶菓子争奪戦のライバルである。時折、エリューサスの別邸で開かれるお茶会では、エリューサス、ティオナ、ミオンの仁義なき戦いが繰り広げられることを知るのは、サロンメンバーだけだ。
「見習い神官の振りをした人攫いならぬ犬攫い、か」
受け取った手紙はざっと眺めてただけで、ニスモアは隣のミオンに渡した。ゴシップ好きの少年は、新たな謎を目の前にぶら下げられて、とても楽しそうだ。
「クアイド、例の商人の犬探しはどうなったか聞いている?」
アルファドに訊かれて、クアイドは肩をすくめた。
「ヌマスカムの犬でしたら、すぐに見つかりましたよ」
近所の裏通りで、あっという間に捕獲されたそうだ。迷子になって雨に打たれてはいなかったとクアイドは強調した。
「じゃあ、そちらは関係なしと見ていいかな。ロネ、バナージ卿が言っていたネンク通りの男というのは、調べが付いた?」
「残念ながら、男の身元はわかりませんでしたが、その日、見習い神官が辻説法に来ていたのは間違いないみたいでした」
「ただ、それは神殿は配置していない場所だった、と」
なるほどね、とアルファドは机を指で弾いてエリューサスに視線を送る。エリューサスは言った。
「教団もバナージ卿も近所の人間も嘘を吐いていないとするなら、簡単だ」
「まあ、そうなるね」
辻説法をする見習い神官は、毎回異なる場所に配置される。特定の人物に入れ込まないようにとの配慮が、利用されたとてみていい。
「誰も見習の顔なんて覚えてませんからね」
集まる人間のほとんどが、振る舞われる茶菓子目当てだ。目の前にいる見習いが前回と同一人物かどうか、そもそも本当に神殿から派遣されてきているかどうかなんて、気にしちゃいない。
「にしても、何のために犬猫を集めてたんでしょうね」
わくわくした様子で、ニスモア。次のサロンの主題にしようと言い出さんばかりである。
「ついでにネズミも捕ってくれたら良かったのに」
ぼそりと、マギー。冗談かと思ったら、目は真剣だった。ミオンは見なかったことにして、回ってきた手紙に集中した。
マルティド教の紋が中央上部に刻印された上質の紙には、達筆な文字が並んでいる。仰々しい前書きが便せんの中程まで綴られ、要点は、その後の数行だけだった。その後から、締めの挨拶文がだらだらと続いている。ニスモアがすぐに回してきた理由がよくわかった。
マギーに渡そうとしたら首を振られたので、ミオンは手紙を封筒にしまって、机の上に置いた。
「目的が見えませんね」
ティオナが言うと、エリューサスが頷いた。
「それにしては大仕掛けなのが気になるな」
「ああ。犬や猫が人に変わらないとも限らないし、後はしかるべき部門に任せた方がいいと思う。みんなもこれ以上の余計な詮索は禁止で頼むよ」
それで、この一件はお開きとなった。
(でも、それじゃ……)
アルファドには念を押されたが、ミオンは次の外出日には再びネンク通りまで出てきていた。
もし、見習い神官が秘密教団の一人だったとしたら、連れて行かれた動物たちの末路は無残だ。後手に回り過ぎているし、時間が経ちすぎている。ただの勘違いだと言うこともある。わかっていても、ミオンはじっとしていられなかった。
マギーは例の新入生を連れて、ワノバス通りを案内に出かけていった。一緒にどうかと誘われたが、エリューサスと知り合った経緯を根掘り葉掘り聞かれそうだからと断った。憂鬱そうなマギーを見送ってから、実家暮らしをしていた頃の服装に変えて、ミオンは足早に賑やかな通りを駆け抜けた。
(この辺、だっけ)
ネンク通りは商店と住宅が入り交じる、穏やかな通りだった。そのせいかもしれないが、裏路地といってもさほど薄暗く感じない。ごく普通の、下町の風景にも見える。この程度の路地なら、昔、下町の学校の友達とやった探検ごっこの範疇だ。
バナージの話と、サロンでの話から、辻説法が行われていたと思われる位置は把握できている。側に小さな雑貨屋があったので、店番の小母さんに尋ねてみると、奥の四辻が定位置だそうだ。ただし今日はやる日じゃないよと、親切に教えてくれた。
(えーと、そうすると、こっちかな)
四辻は、少し広かった。真ん中に立ってぐるっと見回して、ミオンは一番細い道を選んだ。日の当たらない場所特有の、じめっとした匂いが鼻につく。しかしこの程度なら自宅の近くにいくらでもあった。
ゆっくり進む先に、買い物帰りらしき中年の女性が急ぎ足で通り過ぎていった。どこかで井戸端会議でもしているのか、甲高いおしゃべりの声も響いてくる。恐怖感は、だいぶ薄まった。
(もう少し)
バナージの話では、話をつけに行ってくれた男は、奥まで行かなかったように見えた、とのことだった。角を二つも曲がれば人の姿が見えなくなってしまうので、どこまで信用できるかは怪しいが、パタック通りの外れの裏路地の雰囲気に比べると、ここはまだ、人が生活している気配がする。
(どっちにしよう)
道は行き止まりになって、左右に分かれていた。左手の家の扉が開いて、住人と思われる初老の男性が怪訝そうな顔で見つめてきた。
「あのっ」
一瞬、反対側に歩き去ろうとしたミオンだったが、思い直した。
「この辺で、この前、見習いの神官様が迷い犬を保護していたって聞いて、もしかしたらうちの子も見ていないかなって」
怪しむような男性の表情は、それで少し和らいだ。
「ああ、あんたも犬探しか。残念だけど、もういないよ」
少し遅かったねと、男性は慰めるように言った。
「えと……いつまで、いたんですか?」
「いつだったかなあ……先週だったかな。その先の、そこの空き家を少し貸してくれって、全部置いていったらしいんだよ。近所のもんが、鳴き声がうるさいって文句言ってたんだが、相手が神官様じゃなあ」
それも先週から静かになったから、引き払ったんだろうと男性は言った。
「神殿の方に聞きに行った方がいいんじゃないかな」
「ありがとうございます。でも、一応、いってみます」
教えてもらった先は、袋小路の先にある一軒家だった。ぼろぼろだが、ごく普通の民家に見える。怪しげな教団のアジトには思えなかった。
(そう見えないけど実は、ってことかも……でもあれってアリーゼが来てからだから、やっぱり違うかなあ……)
玄関扉は、鎖でぐるぐる巻きにされていて、南京錠で止められていた。隣の窓からのぞいてみたが、暗くて室内の様子はよくわからない。家具っぽい物の形がうっすらと見えた。動くものは、何も無いようだ。
(やっぱり、もういないか)
諦めて戻ろうと振り返ったところで、ミオンはぎょっとした。
道の先に、三人の人影があった。一番前に青年が一人、一歩下がったところに中年の男性と、その陰に隠れるようにして少年が一人。全員、ミオンを凝視している。
(この家の人……?)
三人は全員地味な出で立ちだが、どこか下町にはそぐわない雰囲気を醸し出している。なんだか、エリューサスと初めて出会った時と似ていると思った。
「失礼ですが、こちらのお宅の方でしょうか?」
青年が一歩前に出て、尋ねてきた。帽子を目深に被っているが、ミオンを見る目はやたらと鋭い。
「いえ、違います」
押されるように、一歩下がって首を振ると、それまで陰に隠れていた少年が進み出てきた。止めようとする中年男性の手を、静かに押し戻す仕草が堂に入っている。身分のある家の子供なんだろうと思った。
「脅かしてしまったなら済まない。僕たちは最近この辺りで小動物を集めていた人間を探しているんだ」
ぎこちない笑顔でミオンの前に立った少年は、艶やかな黒髪をしていた。薄暗い路地に立っていても、天使の輪が綺麗に見える。肌の色はやや白く、顔立ちは少女と言ってもいいほど柔らかい。
「小動物って……犬とか、猫とか?」
「そう。何か知っている?」
「知ってるって言うか、ここにみんないたみたいだけど……」
今はどこに行ったのか分からないとミオンが言うと、少年は頷いた。
「やっぱりそうか。教えてくれてありがとう。この辺に住んでいるの?」
「ううん、家はここじゃないけど……」
話している間に、先ほど声をかけてきた青年が近寄ってくる。身を固くしていると、少年が大丈夫と微笑んだ。今度は、ぎこちなさは無かった。
青年は、ミオンの横を通り過ぎて、空き家の前に立った。ポケットから鍵を取り出すと、南京錠を開けて鎖を外した。扉を開けると、一度振り向いた。少年が頷くと、中に入り込む。
「あの……わたしも、中を見てもいい、ですか?」
「君も?」
ミオンの願い出に、少年は考え込んだ。が、すぐに頷く。
「じゃあ、僕も一緒にいこう」
少年は、中に入った青年に向かって声をかけた。
「ナトゥーワ、僕も中に入る」
「少々お待ちを」
返事からしばらくして、ナトゥーワと呼ばれた青年が出てきた。戸口の横に立って、少年を案内する。すぐ後にミオンが続いたのを咎めようとして、少年に止められる。
「いい。一緒にいく」
「わかりました。暗いので、お気を付けて」
ミオンは突き刺さるような青年の視線を俯いて避けながら、家の中に入った。
窓から覗いたとおり、家の中は薄暗かった。小さなテーブルが一つと、椅子が数脚の他、家具は何も無い。作り付けの棚は、壁から外れて傾いていた。
(なんか……臭い)
入った瞬間から、異様な匂いがした。匂いの元と思われるものは何も無いので、集められていた動物の匂いが残っているのだろうか。
「ナトゥーワ。あれは」
少年が、掠れた声で青年を呼ぶ。青年は戸口に立ったまま、頷いた。
「間違いないようです」
少年が見つめていたのは、部屋の隅の床だった。ミオンは肩越しに覗いてみた。
床の一部が、黒く汚れている。
(違う……模様?)
文字のようにも見える床のシミを、少年はじっと見つめていた。両手が、ぎゅっと握りしめられたのを、ミオンは見ていた。
ようやく残りのサロンメンバーも登場させることが出来ました。仁義なきお茶会の様子をお届けできる日が来るかどうかはわかりません……。
そして申し訳ありませんが、次回もまた遅れます……連休に書きためられたら追加します……。
それでは、お読みくださってありがとうございました!




