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「犬を探してくれ、じゃなくて、探す人を紹介してくれと言われるあたり、ダーフィ氏の人脈の広さを感じるね」
アルファドはしみじみと頷いたが、クアイドは苦い顔をしていた。
「嫌みにしか聞こえませんよ、それ。そういうのはウチの商売を盛大に誤解してる典型的なタイプなんです。んで、そういうのに限って、親父が懇意にしてる人の紹介だったりするから余計にタチが悪い」
ヌマスカム商会は織物問屋で、近郊の職人から買い取って市場に卸すだけの堅い商売を先代からずっと守り続けている。主人の目利きが確かなので、固定客は多いそうだ。繁盛はしているが、羽振りは良くない。投資なんて体のいいバクチと思っているので、当然、ダーフィ相談事務所の本業に触れる余地は無い。
「なるほど、断れないね。望みに見合う人は紹介できたの?」
「まあ、いちおうは」
「ダーフィ先輩」
我慢できなくなって、ミオンは話に割り込んだ。なんだ、と振り向かれて意気込んで言った。
「犬を探すお仕事の人、私にも紹介してください!」
「……お前んちの犬もいなくなったのか?」
「犬は飼ってません」
「誰か知り合いの犬か?」
「違います。あ、そのお仕事の人はもしかして犬しか探さないんですか?」
「そんな限定してどうすんだよ。犬でも猫でもネズミでもカエルでも、探せと言われりゃ探すだろ」
「じゃあ大丈夫です」
「何が大丈夫なんだよ」
「迷子猫も探してみたいです!」
これだ、と思った。迷子のペット探しの専門家がいるなら話は簡単だ。カエル探しはどうかと思うが、手伝いを申し出て、うまくいけばあの子猫以外にも、教団に攫われた動物の捜索に加わることが出来るかもしれない。そうなればようやくアジトを見つけられる、はずだ。
そんな、人には話せない事情の希望を見出して目を輝かせていたのに、クアイドの眉根はぎゅっと寄せられたままだ。むしろ、先ほどより険しくなっている。
「お前、迷子犬の探し屋がいるとか思ってるだろ」
「え、だって、先輩、問屋さんに紹介したんですよね?」
「紹介はしたが……なんつーか、お前が思ってるような、ほのぼのした商売じゃねえ」
「……殺伐としてるんですか?」
やるかやられるかの迷子犬探しの状況というのが咄嗟に思いつかない。いや、秘密教団のような輩からペットを取り戻すのなら、命がけになることあるかもしれない。
ミオンは真剣に聞き返したのに、周囲から失笑が漏れ聞こえてきた。見れば、エリューサスまでが口元を押さえて俯いている。
「クアイドの訊き方もアレだけど……殺伐って……くっ」
「ほのぼのした商売の時点でダメでした……」
肩を震わせて慰め合うアルファドとマギーを極力視界に入れないようにして、クアイドは何かを押さえ込むような声で言った。
「……あのな、親父が紹介したのは、『何でも屋』なんだよ」
「何でも探すんですか?」
「そうとも言えるが、要するに面倒ごと全般を引き受けてくれるってことだ。ただし、依頼主に迷惑がかからないように、って以外のやり方は指定できない」
「……」
なにやら非合法な香りが漂ってきた。押し黙ったミオンに、ようやくクアイドの眉根が開く。
「別に何から何まで悪いことじゃないぞ? 俺たちじゃ行けない場所も探してくれる。それだけのことだからな」
「例えば、路地裏みたいな場所、ですか?」
「そうだな、そういう場所にも精通してる人間ってことだ。つーわけで、お前がやりたいって押しかけたところでつまみ出されるのが関の山だから諦めろ」
計画は、形になる前に泡と消えた。
(留守番役でも採用されないかな……留守番じゃアジトはわからないか……)
「何か探してるのか?」
往生際の悪いことをつらつら思い浮かべていると、エリューサスが問いかけてきた。
「えと……そうじゃなくて、迷子になってる犬とか、見つけてあげたいなって」
具体的には生け贄になりかけている彼らを探し出したいのであるが、その辺りはぼやかしておく。
「そうか」
エリューサスの答えはそれだけだ。先ほどまで笑いをかみ殺していたような片鱗は、もうどこにも見えない。ついでに言うと、今の質問の真意もわからない。
「ミオンだと、迷子犬を探しに行って自分が迷子になりそうだけど」
「ああ、迷子の気持ちがわかるからってこと?」
一方で、アルファドとマギーが好き勝手なことを言っている。そんなに言われるほど迷子にはなっていないはずだ。しかし道がわからなくなったときのあの絶望感は、きっと動物でも同じだと思うのだが。
「言っておくが、迷子になってる犬猫がみんな雨の中でぽつんと項垂れてるわけじゃねえんだぞ?」
ミオンの主張に、イライラしたようにクアイドが言い放つ。
「飼い主の隙を突いて逃げ出すような奴なら、下手に追いかけ回せば遊んでると勘違いするし、臆病な奴はどんどん狭いところに潜り込んでいくし、そういうのを必死に捕まえて連れて行ったらそいつは違うとか言われるんだからな。まったく報われねえんだぞ」
「なんだか、現実味のある話しぶりだね」
「つきあわされましたからね、実際」
(そんなに大変なのかなあ)
クアイドの言うとおり、帰り道がわからなくて寂しそうにしているペットをそっと抱き上げる場面しか想像していなかったミオンは、それから数週間後、クアイドの言う『現実』に遭遇することになった。
「――待て!」
焦ったような男性の声に、ミオンとマギーは足を止めた。講義とサロンに明け暮れた数週間の疲れを癒やす最高のお菓子を求めての外出日だった。同じようにワノバス通りで羽を伸ばす学生達を突き飛ばすようにして、一人の男が走ってくる。
「待て! こら!」
男は真っ直ぐにこちらに走ってきた。マギーが咄嗟に腕を掴んで引っ張ってきたが、ミオンは動かなかった。
「ミオン!?」
男は真っ直ぐ走ってくる。視線は、ミオンとマギーの足下だ。
「頼む! その犬を捕まえてくれ!」
耳と尻尾をピンと上向きに立てた、茶色の子犬がミオンの靴紐にじゃれていた。歩いているうちに緩んでいたらしい。
(普通、紐にじゃれるのって猫じゃないのかな)
楽しそうだがそのままにしておくと紐を噛みちぎられそうだったので、ミオンはひょいと子犬を抱き上げた。
「それ、食べ物じゃないからね?」
きゃん。
甲高い鳴き声をあげながら尻尾を振る子犬は、ミオンの言うことを全く聞いていないようだった。
「助かった!」
そして、男が最後に駆け寄ってきた。
男は、ミオンの前でほっとしたように息を吐いていた。仕立てのいいグレーの帽子、柔らかくて暖かそうな茶色のマフラー、艶のある黒いコート、おろしたてのようなぴかぴかの靴と、上から順に見て、最後にミオンは男の顔を見た。
男は、まだ若かった。綺麗に髭の剃られた顎は細く、まだ二十台と思われる。困ったように見下ろしてくる目の色は、子犬と同じ茶色だった。
「ありがとう、捕まえてくれて」
「この子、あなたの子犬ですか?」
子犬と男を対面させてみる。子犬は怯えもせずに、きゃんと、一声鳴いた。男が手を伸ばして頭を撫でると、尻尾がちぎれんばかりに振られる。
「そこのいたずら者が昨日から家出して、さっきようやく見つけてくれた人から受け取ったんだ」
「……それでまた逃げ出したところだったんですね」
「子犬はすばしこくてね」
男は苦笑し、バナージ・ホーゼンと名乗った。途端に、マギーが息を飲む。
「ホーゼンというと、シャーメノン伯爵家の……?」
「お嬢さんはよくご存じだ。もっとも今は何も身分を証明する者を持ってなくてね、今度こいつの首輪に紋章でも付けておこうかな」
ミオンから受け取った子犬の首輪にリードを繋いで、バナージは笑う。
「捕まえてもらったお礼に、どこかでお茶でもおごらせてくれないかな。卒業してからこの界隈に近寄ってないけど、昔は行き着けていた店もあるんだ」
そこなら自分の保証をしてくれると言ってバナージが案内してくれたのは、ワノバス通りでも人気の一件だった。子犬は店に預かってもらい――その頃には遊び疲れて眠り込んでいたので安心だ――三人はゆったりとお茶を楽しむことにした。店の主人はバナージのことをまだ覚えていてくれたので、シャーメノン伯爵家の次男坊であることが無事に証明された。
「へえ、あのナトワーズ商会のお嬢さんか」
改めて自己紹介すると、ミオンには軽く頷いただけだったが、マギーが名乗った途端この反応である。慣れているので、ミオンは目の前のパイの攻略方法に集中していた。フルーツクリームとパイ生地が交互に重なって芸術的な層を作り上げている。これをどうやって他人の前で綺麗に食べるのか、難問だ。
マギーの食べ方を参考にしようと思ったが、バナージの話がなかなか終わらないので、マギーはまだパイに手が付けられていなかった。
「あの犬は、母が知り合いから譲ってもらって、かわいがっていたんだよ」
息子が二人とも独立してしまって寂しいからと飼い始めたそうだ。それが昨日から姿が見えなくなって、家中総出で探していたそうだ。たまたま実家に帰っていたバナージも、休暇を子犬探しに当てる羽目になってしまったと苦笑する。
「それは大変でしたね。でも、早めに見つかって良かったですね」
そつなく返すマギーは、まだパイに手を付ける隙を見つけられない。ミオンもじっと我慢している。
「ああ、本当に。すごく運が良かったと思うよ。ネンク通りで、たまたま声をかけた男が見つけてくれたんだ」
ネンク通りは、ワノバス通りの突き当たりと交差する大通りだ。そこからここまで走って追いかけてきたとすれば、バナージの体力は賞賛に値する。
「すごい偶然ですね」
「うん、偶然に、こいつを連れて行った奴を見てたんだ。裏路地の危ない場所だから、話を付けてきてくれるって言うんで頼んだんだよ」
「あの……それって誘拐、じゃありませんか?」
「僕も一瞬疑ったんだけど、そうとも言い切れないんだよね。そいつが言うには、最近、犬とか猫を連れてきて欲しいって見習い神官が言ってるそうなんだよ」
「神官が……?」
マルティド教の見習いが修行の一環で行っている辻説法は、王都の各所で行われているが、特に多いのが貧困層が多く住む地区だ。その場合、辻説法と言うよりは、身の上相談のような形式になるので、茶や菓子が振る舞われることもある。余談だが、ルルバの店から売り始まった雑草茶は、この辻説法でも愛用されているそうだ。主に、値段の面で。
「そう。辻説法、知ってるかな。見習いの神官が修行のためにやるあれ。そこで獣も神の信徒の一員として祝福を与えるから、とか何とか言ってたそうなんだ。で、それを聞いた子供なんかが、お菓子も貰えるからって率先して捕まえているらしくて」
そのうちの一匹として、神官に引き渡されるところだったと言うのがバナージの話だった。首輪を付けた犬の飼い主を探すより、手っ取り早いのだろう。神官に渡せば神殿で飼い主を探してくれると思っていたのかもしれない。迷惑半分恩恵半分と言ったところだよと、バナージは肩をすくめた。
「あ、ごめん。僕の話はいつも長いと怒られるんだ。さ、食べて。これ、店の主人の新作なんだって」
「はい、いただきます!」
ようやくお許しが出たので、ミオンとマギーは心行くまで新作のパイを堪能した。
今回もお読みくださってありがとうございます。
使い勝手がいいので、クアイドの登場率が高くなっております。きっと本人は迷惑だと思っているでしょう。
次回は投稿が少し遅れるかもしれません。来週投稿されていたら奇跡が起きたと思ってください。主に仕事面で……。
いつもながらブクマ、評価、感想も、ありがとうございます!




