#5
「だからあんたもわからん人だな!」
声を聞く限り中年の男のようだが、それ以外のことはよくわからない。
巻き込まれるのも面倒だが、さすがに放置するのも気が引けるので、アレスはもう少し中の様子を確かめるべく、音を立てないようゆっくりと扉を開く。
中を覗き見ると、こんな場所に立っている割にはずいぶんと小奇麗な店内である。剣などの武器を並べたコーナーと、農具や日用品などを並べたコーナーがあり、割合としては明らかに後者の方が大きい。おそらくこの店の客の大半は村人なのだろう。
「今のうちに波に乗らないと、商機ってのは簡単に過ぎ去っちまうものなんだよ。ちゃんとその分の金も払うって言ってるだろう!」
そんな声が聞こえてきた方向を見ると、そこには男が三人、こちらに背を向ける形で立っていて、カウンターの向こうにいる人物に向かって詰め寄っている。
「何も難しいことは無い。毎週二十本ずつ納品してもらっているところを三十本にするだけだ。そうすれば週六千の収入が九千になる。大きく儲けるチャンスだろうが」
「うちとしても商材の確保は命綱なんだよねぇ。ここでモタモタしていると大きな損害につながるんだよ」
まるで打ち合わせでもしてきたかのように、男たちが口々にまくし立てる。おそらく相手に考える隙を与えず、一気に押し切ろうという作戦なのだろう。
その連携が一瞬だけ途切れた隙間を縫うようにして、それまで黙って話を聞いていたカウンターの向こうの人物が、ようやく口を開く。
「ですから先程から何度も申し上げている通り、当工房の生産能力から見て、現状の週二十本ですら非常に大きな負担となっております。他製品の在庫も底をつきつつありますし、他のお客様の依頼を進めることもできなくなっております。申し訳ありませんが、これ以上納品数を増やすというご要望にはお応えいたしかねます」
感情を排し、あくまで冷静に言い聞かせるような口調で答えるその声は、決して大きくはないものの、不思議な透明感と力強さを備えた声だった。これで歌でも歌えばさぞかし多くの人の心を動かせるだろう――とまで考えたところで、ふと重要な事実に気付く。
「今の声……子供の声? にしては落ち着きすぎているな、こんな状況で」
「ちょっとお兄様、そんなところで立ち止まっていないで先に進んで頂けませんこと?」
レイチェルに促され、アレスはもう少し奥にまで歩みを進める。すると角度が変わり、カウンターの奥の人物の顔がなんとか見えるようになった。
遠目にぱっと見た感じでは、年端の行かぬ少年のようにも少女のようにも見える。前者であって欲しいなどと思いつつ、なんとなく足音を殺したまま近づいて行く。
「どうもあんた、自分の置かれている立場がわかっていないらしいな」
「在庫がどうとか他の客がどうとか知ったこっちゃないんだよこっちは。ちゃんと作るもの作ってくれないと商売あがったりなんだよこっちは」
「損害が出たらちゃんとあんたが補償してくれるんだろうな? ええ?」
徐々になりふり構わぬ態度を見せ始める男たちであったが、よくよく挙動を観察すると三人共にじわじわとした焦りのようなものが感じられる。このまま手ぶらで引き下がると今度は自分たちの立場が危ういとか、そういった背景でもあるのかもしれない。
「ですから無理なものは無理なんです。すみませんが今日はもうお帰り頂けますか。そろそろお店を閉めて工房に――」
カウンターの向こうの人物がそう告げた瞬間、男たちの一人がカウンターから身を乗り出し、相手の胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「どうやら少しは痛い目を見ねぇとわからないようだな」
「怪我したくなかったら素直に言うこと聞いた方が身のためだぞ?」
「こっちだってあんたが首を縦に振るまで帰れねぇんだ」
その様子を見て、レイチェルが鋭く声をかけてくる。
「お兄様!」
「ああ、わかっている」
アレスは三人組の近くまで歩み寄り、低く抑えた声で告げる。
「そろそろいい加減にしておけ」
すると、胸ぐらを掴み上げていた男が手を離してこちらに向き直り、苛立たしそうな声で返答してくる。
「大事な商談の最中なんだ。悪いが引っ込んでてくれないか」
そしてそれとほぼ同時に、胸ぐらを掴まれていた店員がこちらに気付き声をかけてきた。
「えっと、お待たせして申し訳ございません。あちらに椅子がございますので、よろしければそちらでもう少々お待ち頂けますでしょうか」
その姿を見た瞬間、アレスは思わず仰け反り硬直する。
店員は、明らかにレイチェルと大して違わない年頃の少女だった。顔立ちの凛々しさや立ち姿の雰囲気から遠目には少年のようにも見えていたが、店名の刺繍されたエプロンを持ち上げるしっかりとした二つの膨らみや、腰のあたりのメリハリのある曲線は明らかに健康的な女性のそれである。
赤茶けた色調の髪は、王都ではいかにも平民じみた特徴として低い扱いを受けやすいが、その艶やかさはレイチェルのものにも負けていないように見える。しかし繊細で柔らかなレイチェルの髪とは対照的に、張りとコシのあるそれを頭の後ろのあたりで一つにまとめている。そんな髪の色によく似た色の瞳はいかにも意志の強そうな光をたたえているが、一方でその圧倒的な透明感は妙な危うさをも孕んでいるように見える。
そしてよく見ると、少女の姿は全体として想像以上に小柄で、身長はレイチェルとあまり変わりがなさそうだ。三人の屈強な男たちを前に全く怯まぬ態度のせいで、実際以上に大きく見えていたのかもしれない。
アレスはそんな少女を目の前にして、反射的にその場から飛び退こうとするが――その行動を先読みしていたレイチェルに思いきり尻を蹴飛ばされる。大した痛みはなかったものの、その見事なタイミングのせいでバランスを崩しかけ、男たちの目の前によろけて踏み出す格好になってしまう。
こうなればヤケだと、アレスは覚悟を決めた。そしてできるだけ少女に視線を向けないよう、身体ごと三人の男たちに向き直る。
「いかに脅迫めいていたとはいえ、仮にも商談であるならば第三者が勝手に口を挟むべきではない――と考えて様子を見ていたが、暴力に訴えるというなら話は別だ」
「おう何だ、やるってのか?」
三人の男が身構えるのを見て、アレスは一瞬考え込む。三人組に退く気は全くなさそうだが、さすがに一対三で手加減して戦うことなど不可能なので、こちらが怪我をしたくなければ全力で叩きのめすか、さもなくば腰の玩具でも抜くしかない。しかし下手にやり過ぎてしまうと、官憲に見咎められた際に面倒なことになりかねない。
一応、王国聖剣士には同時に王軍騎士としての地位も付随しているため、正式に名乗りさえすればむしろ自らが官憲の一員として彼らを取り締まることもできるのだが、こんな村によりによって王軍騎士が現れたなどと噂になればちょっとした騒ぎになるだろう。仮にも追われている立場であることを考えると、できるだけ避けたい事態ではある。
どうしたものかと考えているうちに、男たちは互いにひそひそと話を始める。
「おい、こいつの腰見てみろ。この剣ってもしかして……」
「間違いないだろう。これ持ってわざわざここに来るってことはひょっとして……」
「面倒なことになったな。さすがに俺たちの独断で動くのは……」
そんな会話を交わすや否や、男たちは瞬く間に後ろを向いて駆け出し、そして振り返りもせずに店から飛び出して行ってしまった。
「あの連中もしかして……とりあえず引き下がってくれたようで助かった」
開け放たれた店の扉と、その向こうに消えて行く男たちの背を見送りながら、アレスは大きくため息をついた。