#4
アレスとレイチェルの二人は、モフトの街を出て北の山脈方面へと歩き続けた。
一応、馬車がすれ違えるほどの道は整備されているのだが、馬車の姿も歩く人の姿もほとんど見つからない。岩や茂みなどの物陰も多く、山賊などが待ち伏せするにはうってつけの環境だろう。
行商人のものと思しき荷馬車が一台、向かい側からやって来たが、二人とすれ違う際にも一言も声をかけずに駆け抜けて行く。
「今の馬車、二人も用心棒を乗せていた上に、御者までしっかり武装していたぞ」
「とんでもない魔境に来てしまった気分ですわね……」
聖剣さえあれば山賊ごとき何人来ようとどうとでもなったのだが、今の武装では三人も出てくればたちまち窮地に陥りかねない。
「ところで足はまだ大丈夫なのか?」
ソフェーン近郊からの逃避行の際、相当の距離を歩き通したことで一時はまっすぐ歩けないほどに痛めてしまったレイチェルの足について訊ねると、彼女は深々とため息をついた。
「今のところ、ぶり返したりはしていないようですわ。こんなことを繰り返しているせいで、たおやかだったわたくしの足も随分と逞しくなってしまいましたわね……」
アレスの目には、相変わらず簡単に折れてしまいそうなほどの華奢な脚にしか見えないが、本人にはいろいろ思うところがあるらしい。何度も大変な目に遭わせてしまっていること自体は心苦しいが、次第に順応してきているおかげで大いに助かっているのも事実である。この調子なら日が傾く前にティティスの村に辿り着くペースを維持できそうだ。
そんなこんなで歩き続けることおよそ四時間。
結局山賊に襲われることも、先程の荷馬車以外の通行人とすれ違うこともなく辿り着いた終着点で、二人は目の前の光景をぽかんと見上げていた。
この国における一般的な「農村」のイメージといえば、数十軒程度の家々が畑の合間にぽつぽつと建ち並び、その外周に簡単な獣除けの柵が張り巡らされ、入り口の門は昼間は適当に開け放たれ日が暮れると閉ざされる、といった感じのものだろう。地域によっては、柵や門自体が存在しないような村も多く存在する。
しかし目の前にそびえ立つのは、木製とはいえ少なくとも一般的な民家の壁よりは厚そうな塀だった。大人二人が肩車をしても乗り越えられそうにない高さに加え、てっぺんにはねずみ返しのようなものまで付いている。
そんな塀の中に設けられた門は、これまた破城槌でも持って来ないと容易に破れそうにない代物で、昼間だというのにしっかりと閉ざされている。その脇にはかなりの高さの見張り台が備え付けられており、そこから村人らしき男がこちらに声をかけてきた。
「旅人さんがこんな所に来るとは珍しいね。このティティスの村に何の用だい?」
表向き友好的に接してきてはいるが、明らかにこちらを警戒しているのが雰囲気として伝わってくる。アレスはあえてそれに気づかないふりをして答える。
「この村に武器工房があると聞いてやって来たのだが」
「ああ、工房のお客さんか。ちょっと待ってな」
そう言いつつ、見張り台の下にいると思われる相手と何らかのやり取りをした後で、改めて周囲を警戒した後、こちらに向かって手を振ってきた。
「それじゃ、今から開けるから素早く入ってくれよ」
それと同時に、門が重苦しい音を立てて外向きに開いてきた。言われた通りに二人が素早く入ると、門は開ききる前に再び閉じ始め、閉じきったところで瞬く間に閂がかけられる。
「ずいぶんと厳重なんだな」
「昔からここらは物騒だったけど、ここまでやるようになったのはやっぱ去年の一件があってからだね。おっと、ここに名前を書いて行ってくれ」
見張り台の上の男とは別の、門の開け閉めを行っていた男がそう答える。
「去年の一件?」
アレスが首を傾げると、男は少し困ったような顔を見せた。
「あー、知らないで来ちゃったのか……ということはひょっとしてあのことも知らないのかな?」
「それはどういう――」
「まあせっかく来たんだし、とりあえず行くだけ行ってみるといいよ。工房はこのまままっすぐ進んで、橋を渡ってすぐ左に曲がって川沿いに歩いて行けばすぐだから」
アレスは思わずレイチェルと顔を見合わせつつ、とりあえず礼を言って言われた通りの道を進んでいく。
外側から見た物々しさとは裏腹に、内側から見ると至って普通の農村のように見える。麦や野菜を育てる畑や、それほど規模は大きくないが乳牛や鶏を飼っている厩舎なども見受けられる。あえて普通と違うところを挙げるならば、農作業をする村人の中で女性の割合が多いことくらいだろうか。
橋を渡ったところで左に曲がり、川沿いの道を川上に向かって歩いて行くと、辺りの雰囲気ががらりと変わる。周囲には民家も畑もなく、石やら岩やらがごろごろと転がり、まばらに生えた雑草が好き放題伸びた荒れ地が広がっており、人の気配もほとんど感じられない。
「こんなところに工房があるのか?」
「きっとここの主は偏屈な老人に違いありませんわ。気に入らない相手には決して武器を売らないとかそういう類の」
「それでも腕が確かならいいんだけどな……単に腕が悪いせいでまともな場所に工房を構える資金が稼げないとかだと、ここまで来たのが完全に時間の無駄になる」
ふと空を見上げると、昼下がりというよりは夕方に近い角度にまで陽が傾いている。今から歩いてモフトの街まで戻れば、下手をすると辿り着く頃には陽が沈み切ってしまうかもしれない。
そんな心配をしながら、更に川沿いの道を歩いて行くと――
「何か見えてきましたわ。あの建物ではありませんこと?」
「……まあ、個人規模の工房としては立派に見えなくもないが……」
そこには、二つの建物が並んで建っていた。
一つは、川に寄り添うように建てられた石造りの建物で、よく見ると水車が備え付けられている。しかしはっきりと水車小屋と言ってしまうには広い建物であり、水車以外が占めていると思われる割合が大きすぎる。
そしてもう一つは、その水車付きの建物から二十歩分ほど離れた場所に立つ、こちらもそれなりに大きな木造の家屋である。正面はいかにも店舗めいた外装だが、奥の方にはいかにもな生活感が漂っており、店主の住居を兼ねているのは間違いないだろう。
とりあえず店舗の入口に近づいてみると、大きな一つの看板と、小さな二つのプレートが目に付いた。看板はそれなりに年季が入っているが、プレートの方はまだまだ新しいようで、傾きかけた日差しを浴びてピカピカと光っている。
「……これは駄目かもしれないな」
小さなプレートの方に目を向けていたアレスがぽつりと呟く。
「どういうことですの?」
「この二つのプレートを見てみろ。左は剣工ギルドのもので、右は鍛冶ギルドのものだ」
「ええと、その二つは何が違いますの?」
「剣工ギルドというのは読んで字のごとく、剣をはじめとした武器を作る職人の組合だ。ここに属してない職人の作った武器は闇武器と呼ばれ、これを密輸したりすると普通に捕まったりもするんだが……」
そう言いながらため息を挟みつつ、今度は右のプレートを指して続ける。
「で、こっちの鍛冶ギルドというのは、武器とは関係ない金属製品を作る職人の組合だ。鍋や釜、農具や車輪、あとは蹄鉄に包丁に日常小道具。こういう村ではそっちの需要の方が圧倒的に大きいだろうな」
「では、この工房は両方作れるということですのね」
「良く言えばそういうことだが、ここに書いてある文をよく読んでみろ」
「ええと、剣工ギルド認定徒弟・副会員? こちらは鍛冶ギルド認定徒弟・副会員……どちらにも星のマークが一つ……よく見ると微妙に星の形が違いますのね」
「剣工ギルドと鍛冶ギルドは非常に仲が悪くてな。一方の正会員になると、もう一方の会員になることはできないんだそうだ。とりあえず駆け出しの剣工が、食べて行くために日用品も作ってたりする場合にこういう掛け持ちの仕方をするらしいが、少なくとも王都ではそんなことをわざわざ堂々と喧伝する奴はいなかったな」
「ああ、なんとなくわかりましたわ。パンとケーキを両方売っている店のケーキは、専門店のケーキと比べるとどうしても残念なことが多いのと同じですわね」
よくわからない喩えを持ち出されたものの、とりあえず言いたいことは伝わったらしい。
「おまけにどちらも一つ星、つまり半人前扱いということだ。単に申請していないだけかもしれんが……それにこの看板を見てみろ」
そう言ってアレスが指差した看板にはこう書かれていた――『ガンドリック工房直売所』。
「どこかで聞いた名前ですわね」
「今日買ったこの玩具の製造元だ。この剣に刻まれているこのロゴも、そこの看板に彫られているのと全く同じだ」
「……あの色男に担がれたのかしら?」
レイチェルの声色に険悪なものが混じったのを感じつつ、アレスはあくまで平静を装って告げる。
「こんなところまでわざわざ来たんだ。見るだけ見て行こう。それに、もしもここの主があの詐欺まがいの商法に加担しているのだとしたら――」
「お灸をすえてやらなければなりませんわね」
レイチェルの言葉にアレスは頷くと、入口のドアノブに手をかけた――その瞬間、中から怒鳴り声が響き渡る。




