#36
「う、うーん……」
まだクラクラする頭を押さえ、アレスは足元もおぼつかないまま立ち上がる。
一体ここはどこなのか。自分は誰なのか。なぜ夕暮れの山道で立ち尽くしているのか。足元に転がる人間の身体は――
「――レイチェルっ!?」
「いきなり大きな声を出さないで下さいませ」
その声は足元に転がる人間――ではなく、アレスの背後から聞こえてきた。
「レイチェル! 無事だったのか?」
「それはこちらの台詞ですわ、お兄様」
先程の戦いの余波でひどく消耗したのだろう、地面にぺたんと座り込んだままのレイチェルが、こちらを見上げるようにして、怒ったような顔を見せている。
「俺は……どのくらい気を失っていたんだ?」
「一分かそこらといったところですわ。ところで、そちらの隊長さんを放っておいていいのかしら?」
言われて、アレスはレイチェルの指す方向、すなわち足元に転がる人間に視線を向けた。
そこには、融合状態を解かれた生身の隊長が、何やらうめき声を上げながらのた打ち回る姿があった。
「一体これはどういう……」
「お兄様は、これに頭を打たれて気を失っていたのですわ。おまけにものすごい爆発が起きて、二人で仲良く吹き飛んでいましわたね」
もう一つ、レイチェルが指差した先には、折れた刀身のようなものが落ちていた。それはおそらく純粋な聖銀製で、更に言えば隊長が持っていたはずの聖剣の刀身によく似ていた――というよりそのものだった。
対して、アレスは自分の姿を確かめる。全身は青白い鎧に覆われており、聖剣は融合状態特有の強い光を放ったままで、もちろん傷など欠片もついていない。
「まさか、折れた刀身がそのままの勢いで飛んできて……」
『怖かったよー。ボクが叩き出されるのが先か、あっちの聖剣が折れるのが先かって勝負だったからね』
天使の心底ほっとしたような呟きに、アレスは思わず口に出して訊ねる。
「もしかして、こうなることを予期していたのか……? しかし隊長の剣は純聖銀製のはずでは……」
『言ったでしょ、この剣は頭おかしいって。あっちは純聖銀製とはいえただの一級品。そりゃ同程度の出来栄えの鋼鉄製と純聖銀製を比べれば後者が圧倒的に強いけど、いくらなんでもこれだけ差があると……ねぇ?』
「ただの一級品、なんて表現を初めて聞いたぞ俺は」
そんな会話をしているうちに、ようやく倒れていた隊長が立ち上がった。警戒して聖剣を構え直すアレスに、隊長は両手を挙げて降参のポーズを取る。
「お前がここまで強くなっていたのも驚きだが……まさかよりによって武器の質の差が決め手になって負けるとは、いくらなんでも想定外にも程がある。王国聖剣士の持つ聖剣の中では、五本の指に入る代物だったはずなんだがな」
「……まだ、レイチェルを狙うつもりですか。もしそうであれば、俺は……」
「当然のことながら、俺を殺すだろうな。俺がお前の立場だったとしてもそうする。しかし……ここで殺されるくらいなら、もう一つの想定外に賭けてみるしかないな」
「もう一つの、想定外?」
訳が分からずアレスが訊き返すと、隊長はレイチェルに視線を向けながら答える。
「俺が彼女を消そうとしたのは、誰がどうしたところで、大将軍派や深淵党の連中から彼女を守り切るのは極めて難しい、と考えたからだ。聖剣の力で悪魔の血を引く者を守ろうとしても、融合状態にまで進むのは不可能、そうなれば魔剣士相手に太刀打ちするのは無理だろう、ってな」
「開放状態の聖剣で、融合状態の魔剣士を斬り殺した隊長が言っても説得力無いですよ」
「いやまあ、さっきのあれは半ば闇討ちみたいなものだったからな。しかしお前は、一体どうやったのかは知らんが、現に彼女を融合状態で守ることに成功している。しかも本気で襲いかかった俺を退けるにまで至った。……少しは希望を持っても構わないかもしれないな」
そう告げると、隊長はアレスに背を向けて歩き出した。
「隊長、どちらへ……」
「王都に戻って、とりあえずは継承権者リストの原本を焼き捨てるところからだ。少なくとも、これで彼女以外の継承権者まで始末する必要はなくなるからな。彼女については――お前が身柄を確保している限りは手出ししないようにしよう。だが、もしも深淵党や大将軍派の手に渡るようなことがあれば、最後の手段に出ざるを得ない」
レイチェルの安全を第一に考えるならば、このまま背後から隊長を斬るべきかもしれない――しかし、どうしてもアレスにはその決断を下すことができなかった。
「――必ず守り通せよ。さもなくば彼女か、もしくは多くの民が命を落とすことになるぞ」
最後にそれだけ言い残すと、隊長はそのまま黙って去って行った。




