#34
「……せっかく、お兄様の伴侶候補として及第点と言える人材が現れたと思いましたのに」
数時間歩いて山を降り、そろそろ日が傾き街が見えてきたあたりで、ようやく口を開いたレイチェルの言った言葉がよりによってそれであった。
「ぐはっ、がはっ、お、思わず咳き込んだじゃないか――とりあえず伴侶云々は余計なお世話だと言っておこう」
「あら、お兄様ももうすぐ二十歳でしたわよね? 仮にも領主という立場的にも、そろそろ身を固めることも考えた方がよろしいのではなくて?」
「それにしても、あのルティアでようやく及第点というのはなかなか厳しいな。お前の目から見て、他に及第点な人材とやらは存在するのか?」
アレスの問いに、レイチェルは少しだけ考えた後、きっぱりと言い切った。
「少なくとも、わたくしが会ったことのある者の中には見当たりませんわね」
「だろうと思った。ところでレイチェル……いきなりで悪いが、頑張って耐えてくれ」
言うや否やアレスは聖剣を抜き放ち、それを開放状態――を通り越し、いきなり融合状態にまで持って行った。
それに呼応するように、近くの樹の上に潜んでいた影が猛烈な速度で飛び出し――一直線にアレスへと向かってきた。
振り下ろされた刃を聖剣で受け止め、アレスはその人影に向かって言葉を投げかける。
「ティダーとか言ったか。そろそろ出てくると思っていた」
「貴様、その聖剣は何だ!」
襲いかかってきた魔剣士も、アレスと同じく既に融合状態になっていた。だが、前の聖剣を叩き折った一撃が直撃したにも関わらず、この聖剣フィロソフィアには全く通用していないようだ。
「何だと言われても聖剣は聖剣だ。この先何度も襲われたらかなわないからな、少なくとも魔剣だけでも叩き折らせてもらうぞ」
言うや否や、アレスは猛然とティダーに向かって打ちかかった。
単純なパワーという点では、それでもまだパワーに特化したティダーの魔剣の方が上回っていたかもしれない。しかし、融合状態となった聖剣の耐久力はそれを物ともせず、そして何よりも持ち主の技量の差がこれでもかというほどに顕著に表れ、アレスは最初から最後までティダーを圧倒し通す。
「俺は……俺はぬくぬく生きてきた聖剣士ごときに……」
「俺だって死線くらい何度も超えてきた。しかしまあ、正直に言ってしまえば大体この剣のおかげだな。普通は剣ってのは動かした通りにしか動かないもんだが、この剣は動かそうとした通りに動く。そのくらいの違いがある」
さすがに一流の剣士であるティダーには、その言葉の意味が十二分に伝わったのだろう、悔しさに顔を歪ませて叫ぶ。
「は……反則だ!」
「俺だってそう思う。だがレイチェルを守るためには、手段なんて選んでいられないんでな」
既にかなりの体力と精神力を使い果たしたのか、目に見えて動きが鈍っているティダーに対し、アレスはとどめの一撃を叩き込むべく構える。これ一発で死にはしないかもしれないが――正直言って本人の生死などどうでもいい――魔剣の破壊は確実にできるはずだ。
その気配を感じ取ったのか、ティダーは懐に手を入れて何かを取り出した。警戒するアレスに向かって、ティダーは捨て台詞にも近い言葉を吐き捨てる。
「この……この屈辱、生きている限り絶対に忘れないぞ!」
そして懐から投げた物体を、地面に向かって叩きつける。それは爆音とともに大量の煙を撒き散らし、瞬く間に辺り一面を灰色に包み込む。
「くっ!」
ティダーの行方を追いたいところだが、この状況でレイチェルから離れるわけにはいかない。それでも動きだけは察知すべく、ティダーの気配を追おうとするが――
「ぎゃんっ!」
厚い煙の向こうから、只事とは思えない叫び声が聞こえてきた。同時に何かが爆発するような音、新たな闖入者の気配――
そして煙が晴れた瞬間に目に入ったのは、既に魔剣と、魔剣の生み出した鎧が共に砕かれ、生身となったまま倒れ伏したティダーの背に、何者かが剣を深々と突き立てている光景だった。
「せい、けん、し……俺は……お前らなど……に……」
それが、深淵党の魔剣士・ティダーが最後に遺した言葉となった。