#33
地面に倒れたレイチェルを完全に庇う位置に立ち、アレスは剣を構えて念じる。
これほどあからさまに「悪魔の血を引く者を守るために」という状況で、天使は果たして呼びかけに答えてくれるのか。しかも襲いかかって来る相手は聖剣を作った主であり、いわばこの天使と最初に契約を結んだ人間である。逆に言えば、この状況で融合に成功できるなら、それこそどんな状況であろうと成功すると確信できるだろう。
アレスの全身を光が包み始める――が、前回はここまで行ったところで解除されてしまったのだ。身動きが取れない状況の中、目の前からルティアのハンマーが迫ってくる状況で、アレスはひたすら祈り続けた――
そしてハンマーが命中した瞬間、とてつもない衝撃を感じ、アレスはその場に倒れそうになる。が、何とか踏みとどまり、危うく足元のレイチェルを踏みそうになりながらも体勢を立て直す。
「……成功した、のか?」
ルティアから目を離すわけにもいかないので、今の自分の姿を確かめられないが、そもそもあの一撃を正面から受けて生きている時点で、生身のままであるはずがない。
そんな中、再び聞き覚えのある声が、アレスの脳内に直接語りかけてきた。
『いやー成功して良かった良かった。正直これアリなのかどうかボクも不安だったんだけど、なんとか戒律の優先順位的に通せたみたいだよ』
「戒律の……優先順位?」
『とにかく自分の信じる道をまっすぐ行け、ってのが魂天使の戒律の根本なんだよ。悪魔の血は滅ぼすべし、ってのももちろん戒律としてはあるんだけど、どっちが優先なのかいまいちボク自身にもわかんなかったんだよねー』
「……魂天使の戒律か。何と言うか、武天使の戒律とはえらい違いだな。それはさて置き――」
アレスは新たに融合状態になった思われる聖剣をルティアに向かって構え、極力感情を排した声で告げる。
「これで武装もこちらが上回った。もはや君に勝ち目はない。退いてくれないか? そうすればその霊剣を破壊する必要もないし、我々は二度と君の村には近寄らな――」
しかし、アレスがその言葉を言い終わるよりも早く、ルティアはハンマーを軽く一振りする。彼女の全身を包んでいた鎧が瞬く間に消え去り、後には元の儀式服姿のルティアと、その右手に握られた何の変哲もない鍛冶用ハンマーが残された。
あまりといえばあまりの思い切りの良さに唖然とするアレスの背後で、レイチェルがゆっくりと立ち上がり、そして口を開くなりこう告げてきた。
「作戦成功、ですわね」
「作戦、ってお前……」
融合状態のまま立ち尽くすアレスに向かって、ルティアが頭を下げてくる。
「騙す形になってしまってごめんなさい。実はレイチェルさんに協力してもらって、本当に聖剣がアレスさんが必要な状況で機能するかどうかをテストさせて頂いたんです。事前に天使様にもお伺いを立てたのですが『やってみないと保証はできない』と言われてしまいまして……」
「じゃ、じゃあ村の決定でレイチェルを殺すとか言っていたのは……」
「あ、村の決定自体は本当です。でも私が全面的に反対して、八闘神の三人を何とか説得できたので、多分大丈夫だと思います。他に自ら手を汚してまでレイチェルさんを殺す覚悟のある人なんて、いるとは思えないですから」
あの八闘神の連中の態度を見る限り、説得云々以前に最初から完全にルティアの言いなりのような気がしないもでないが、そこはあえて口にせず黙っておく。
「……君は一体、何のためにそこまで……」
代わりに思わず口をついて出た疑問に、ルティアはさも当然と言った表情で答える。
「もちろん、ちゃんとした聖剣が作れたことを確認するためです。せっかく作っても役に立たないでは意味がないですから」
アレスが唖然としていると、ルティアが少し沈んだ声で付け加えてくる。
「それに……あの時、レイチェルさんのおかげで私が助かったのに、レイチェルさんの悪魔の血の力が発現しているのを見て、つい憎しみと恐怖感が先に浮かんで、あんな態度を取ってしまったんです。それに、とっても恥ずかしい話ですが……前二つの儀式がうまく行かなかったのが、近くにレイチェルさんがいたのが原因だってわかって、つい八つ当たりみたいな感じになってしまって……」
おそらく、悪魔の血を引くレイチェルが村にいたことによって、精霊や下位天使が寄り付きづらくなっていたということなのだろう、とアレスは理解した。
アレスはため息をつきつつ、剣を鞘に収める。同時に融合状態も解除され、元の革鎧のみの軽装に戻った。
「そういえばアレスさん、融合状態になって、何か副作用のようなものは出ませんでしたか?」
ルティアの問いに、アレスは先程までの状態を思い返してみるが、特に思い当たる節は無い。
「いや、特にないな。以前の聖剣では左半身が動かなくなったりしたんだが……」
「そうですか……良かった……さすが……です……」
ルティアの声から徐々に力が抜けて行き、続いて身体からも力が抜け、そのまま地面に倒れ込んでしまった。
「お、おい! まさかさっきので無理して――」
アレスは慌てて駆け寄り、ルティアの呼吸を確認する。
「……すぅ……すぅ……すぴ……」
「……完全に寝ているな、これは」
考えてみれば、最初にここで再会した時点で明らかに寝不足の様相を呈していたのだ。ひょっとしたら二日前に別れた時から、ずっと徹夜で聖剣を造っていたのかもしれない。
「レイチェル、ちょっと運ぶのを手伝ってくれないか……って、レイチェル?」
その時、ようやくアレスはレイチェルの様子がおかしいことに気付いた。
手足ががくがくと震え、歯がガチガチと鳴り、その場に立っているだけでもやっとという有様だ。
「おい、一体何が――」
「べ、別に怖かったわけではありませんわ。え、演技だってわかってましたもの。わかって……」
しかし、虚勢を張るのはそこまでが限界だったようだ。レイチェルは今にも泣きだしそうな顔で告げる。
「ルティアが、悪魔の血を引く者を――父親の仇を本気で恨み、憎んでいることは間違いありませんわ。その気持ちを、わたくしがあくまで犯人とは別人であると理解した上で、あえてわたくしに向けることで臨場感を出す……その説明は最初から受けておりましたの」
「つまり、向ける対象はともかく、あの殺意そのものは演技ではなかったということか。なるほど、それは見抜けるはずが無い」
「わたくしは怖がる演技をするつもり満々でしたのに、そんなもの必要ありませんでしたわ。これまでに死にそうになったことなど何度もありましたのに、そのどれと比べても……あまりにも恐ろしくて……」
そんなレイチェルの言葉を聞きながら、アレスは目の前で気持ちよさそうに寝息を立てる、ルティアの安心しきった表情を見下ろしていた。
ルティアが父や村の仲間の仇を憎む気持ちは、確かに本物なのだろう。だがそんな感情までをも、言っては何だがたかが「剣の出来を確かめるため」だけに躊躇いも無く利用する姿勢に、アレスは畏敬とも恐怖とも取れる感情を覚えていた。
いずれにしろ、このままこんな場所に寝かせておいては、ルティアがどれだけ丈夫と言っても風邪を引くのは免れないだろう。レイチェルは使い物になりそうにないし、覚悟を決めて運ぶことにした。
「そういえば最近、誰かを運んでばかりいるような気がするな」
しかし、幼い頃から共に過ごしたレイチェルはともかく、肉体的には既に大人の女性に限りなく近いルティアの身体を運ぶというのは、そもそも女性に対してトラウマのあるアレスにとっては極めて精神に負荷のかかる行為であった。素早く上半身を起こすと、そのまま一気に抱え上げて歩き始める。
「レイチェル、地図見てくれ地図。村はどっちだ?」
「先程と似たような獣道が、北東から伸びているはずですわ。それよりもお兄様、そんな運び方より背負った方が楽ではありませんの?」
「せせせせ背負う!? そ、そんなことができるわけあるか!」
自分の背中とルティアの胸が密着し、横顔が互いに近づく状態を想像し、アレスは思わず身震いした。この抱え方もこれはこれでいろいろと問題があるのだが、密着度が少ない分まだマシのように感じる。
ルティアの身体は見た目以上に締まっており、レイチェルの時のようなふにゃふにゃとした脆さが無いので非常に抱えやすい。一方、その体積の割にはそれなりに重さがあり、少なくともレイチェルが一人で持ち上げて運ぶのは無理かもしれないが、もちろんアレスが運ぶ分には全く支障のない程度の重さである。
わずかに鼻をかすめる汗の匂いから察するに、あれから本当に徹夜で作業をしていたのだろうと思われる。それでもこの程度の匂いで済んでいるのは、よほど普段から清潔にしているに違いない。
ついそんなことを考えてしまい、今すぐパニックになって暴れ出したい衝動に駆られながらも、アレスはひたすら心頭を滅却しつつ、ただ前に向かって歩き続けた。
獣道を抜け、更に三時間ほど歩いたところで、ようやくティティスの村へとたどり着いた。
村の決定のこともあり、アレスは警戒しながら近づこうとすると、予め見張り台から察知されていたのだろう、中から男が一人で出迎えがやってきた。
その出迎えの男――霊剣士のグレンはこちらの姿を、というよりルティアの顔を見るなりこう告げてきた。
「あーあ、だから無茶するなって言ったのに。まあ、その様子だと成功したみたいだな」
「途中で何度か起こそうとしたが、全く起きる気配がなかった。ここからは任せて構わないか?」
アレスがそう訊ねると、グレンは意外にも迷う素振りを見せた。
「あー、さすがに嫁に怒られないか心配だなぁ……いや、むしろこの状態でほっぽっといたらそっちのほうが殺されるな、うん」
「あんた、結婚してたのか」
意外そうに告げると、グレンは恥ずかしそうに答える。
「割と新婚ホヤホヤだよ。子供の頃からの許婚だったんだけど、俺が村を飛び出して無茶してたりしたのに、それでも待っててくれたんで、ようやく、な」
「ということは、この村に落ち着くつもりなのか?」
「ははっ、まさか。ただ、次に飛び出す時はあいつも一緒だ。連れて行かないと殺すって言われてる。そうそう、ついでだからこの荷物も持ってきておいたぜ」
そう言いながらグレンがその場に置いたのは、アレスが元々旅の道具として持ち歩いていた荷物だった。金目のものや貴重品を除く、テントや寝具の類が収められた大きな背負い鞄である。
「ああ、そういえばルティアの家に置きっぱなしだったんだ。すっかり忘れていた」
「正直、今あんたらが来ると大変な騒ぎになっちまうんでな。申し訳ないがほとぼりが冷めてから……そうだなぁ、さすがに半年はかからないと思うけど、次に来るのはその頃まで待ってくれ」
そう告げるグレンに、アレスはルティアの身体を預けると、代わりに鞄を担ぎ上げる。
「できればもう一度くらい、ルティアの手料理をレイチェルに食べさせてやりたかったな。そうだ、聖剣の代金については後で手紙を送る、と伝えておいてくれないか」
「わかった。そいじゃ気を付けて帰れよ、剣聖サマ」
「ああ」
別れの挨拶とともに、アレスは踵を返した。グレンはああ言っていたが――おそらく、もうこの村に戻ってくる機会はないだろう。
「行こう、レイチェル」
「……ええ」
レイチェルの目の端に光るものが見えた気がしたが、アレスは気づかないふりをした。




