#31
宿の主人が用意してくれた粥をレイチェルが頑張って食べ切ったので、二人は手紙の主に指定された場所に向かうこととなった。
途中までは近隣の別の村に向かう細道を歩いて行ったが、途中で獣道のような脇道に入り、木々の間を抜けるようなルートが指定されていた。アレスは周囲の警戒を怠ることなく進んでいく。
やがて獣道を抜けると、大きく開けた丘のような場所に出た。指定された場所はこの辺りらしいが――
「少し早く着きすぎたかな。まだ太陽がてっぺんに昇ったばかりだ」
アレスは周囲を警戒しながら呟く。
一方、レイチェルは指定の場所が近づくにつれて目に見えてそわそわとした態度を取っていたが、ここに来て目に見えて膝と指先が震えているようだ。アレスの袖をつかむべく無意識に手を伸ばそうとして、しかしはっと気付いて引っ込める、といったことを何度も繰り返している。
「少なくとも、大人数で待ち伏せしている気配は無さそうだ。人がいるとしたら――」
アレスが前方の岩に目を向けると、その岩陰から一人の少女が姿を現した。
「アレスさん、ずいぶん早かったですね。もう少し手紙が届くのに時間がかかると思ってました」
「ルティア……か?」
それは明らかにルティアの姿をしているにも関わらず、アレスは思わず訊ねてしまった。
以前見た時と比べて頬はこけ、目の下には酷い隈ができており、髪は乱れ、足元も微妙にふらついているように見える。
そして、着ている服は店員服でも作業着でも街行き用の服でもなく、霊剣や聖剣の儀式を行った際に着ていた純白のローブだった。元々は染みひとつなかったはずのそれが、おそらくその格好で村から街まで歩き、更にはそのままこの場所まで獣道を歩いて来たと思える程度には薄汚れてヨレヨレになっている。
「二回目にして、ようやく成功しました。さあ、受け取って下さい」
微妙に目の焦点の合わないまま、ルティアはゆっくりとこちらに歩みを進めてくる。左手には、派手さは無いがしっかりとした造りの鞘に収められたままの剣が握られている。柄の部分は、前回祭壇で灰になったものとよく似ている。
アレスの傍らでは、レイチェルがルティアを見つめたまま、固まってぴくりとも動けなくなっている。
どうしたものか、とアレスは一瞬悩んだものの、今はあまりこの二人を近づけない方がいいかもしれない――そう判断して、こちらからルティアに歩み寄って行く。
そして、アレスとルティアの距離があと一歩というところまで近づいたところで、ルティアは持っていた剣をアレスに差し出してきた。
恐る恐る手を伸ばして受け取ると、ルティアは口を開き、こう告げてきた。
「剣の銘は『フィロソフィア』、宿る天使の名は『フィリエル』です。主無き休眠状態である今は、作成者の私自身でも鞘から抜くことはできません。理論上は、鞘を壊せば単なる剣として使うこともできるのですが……お勧めはしません」
「つまり、俺がこの剣に宿る天使に認められれば抜くことができるし、そうでなければ抜けない、ということか」
かつて王家より賜った聖剣グラヴィティアの時は、確か鞘では無く台座に刺さっていたはずであるが、使い手として認められなければ抜けなかったのは同じだった。
「主として認められるには、剣との――あるいは剣に宿る天使との対話が必要と聞きます。邪魔にならないよう、向こうでお待ちしています」
そう告げると、ルティアは後退してアレスから距離を取った。あくまでこの場で見届けるつもりらしく、視線をこちらから離そうとはしない。
「……やるしかない、か」
剣との対話は心の中で行うものだ。ルティアの様子は気になるものの、気を散らしていては対話などうまく行くはずもない。
まずは柄に手をかけ、鞘から抜き放ってみようとするが、当然のことながら抜ける気配は微塵もない。
両目を閉じ、大きく深呼吸をして、そして剣に心で語りかける。
すると、何かが向こうからこちらの心の中に呼びかけてきた。
『……何のために、力が要るの?』
その気配は、以前の聖剣が呼びかけてきた時のものと状況は似てはいるものの、雰囲気が明らかに違った。以前のものは神聖さや威厳といったものを嫌というほどに感じさせるものだったが、今度のはむしろ純粋さや真摯さといった方向性を強く感じる。
何となくだが、武天使の系列ではないのかもしれない――と、アレスは直感した。
そして、呼びかけの内容自体も以前とは異なっている。以前は確か『卑劣なふるまいをせず、常に正々堂々と戦うことを誓うか?』だの『常に鍛錬を怠らず、自らを磨き続ける覚悟はあるか?』などといった質問をいくつか並べられ、それを心から誓いさえすれば良かったのだが、それゆえ今回の問いかけには意表を突かれる形となった。
一体どう答えれば良いのか――アレスは迷ったがそれも束の間だった。そもそも正直に答える以外に無いのだ。正直に言って認められないのであれば、仮にここで受けのいい答えを並べて一旦は認められたとしても、いずれ見放されて役に立たなくなるのは目に見えている。
「俺たちが生き延びるためだ。自分を守り、守るべき人を守り、理不尽な力に屈せずに生き抜くために、力が必要だ」
その「守るべき人」には悪魔の血を引くレイチェルも当然含まれる、というよりむしろ最優先で守るべき対象なのだが――という点に考えが及びそうになる寸前で、アレスの目の前で光が弾けた。
強烈な閃光は、きつく閉じた瞼を貫いてなお、アレスの目を眩ませた。
やがて徐々に光が収まって行くと、閉じた視界のなかに短髪の快活そうな少女の姿が浮かんでくる。その頭上には、無数の輝点で構成された輪のようなものが浮かんでいるようだ。
ゆっくりと目を開けると視界から少女の姿は消え、代わりに既に鞘から抜かれた聖剣の姿が映し出された。右手に剣を、左手に鞘を持ったままの姿勢で立ち尽くすアレスの脳裏に、先程の少女のものと思しき声が直接浮かんでくる。
『キミが最初の持ち主だね? ボクはフィリエル。魂天使に連なる新米天使だよ。これからよろしくねっ』
あまりにも軽い調子で言われ、アレスは若干ペースを崩しかけたが、何とか持ち直して答える。
「あ、ああ、こちらこそよろしく頼む。しかし、あんな回答で良かったのか?」
『んー、実を言うと、本気で思っていることを正直に答えてくれさえすれば、多分内容は割とどうでも良かったり』
「多分って……」
『ま、ボクが認めるかどうかなんてのは些細な問題で、本当に重要なのはこれからだよ。キミがこの剣を使って何を成し遂げるか、ってね。いやボクが言うのも何だけど、この剣の性能はちょっと頭おかしいからね。使い方間違えると割ととんでもないことになるよ?』
言われてみれば、そもそも単純に剣としての出来自体が、これまでにアレスが見たことのあるどの剣とも比較にならないという事実が、こうして手に持っているだけでも伝わってくる。前回の儀式で灰になった剣もこれに近かったが、これはあの時よりも更に細かい部分で磨きがかかり、完成度が高まっているのが肌で感じられる。
これはもう、聖剣云々とか関係なしに、腕前次第では板金鎧どころか金属盾をも容易に切り裂けるのではないだろうか。そんな印象を抱きつつ、アレスは剣を鞘に収める。
全体のバランスが良すぎるせいであまり気にならなかったが、こうして鞘に収めてみると刀身はかなり長めで、戦士としてはどちらかといえば小柄なアレスとしては、腰に吊るよりは背中に背負う形の方が良いかもしれない。吊り紐をどう結べば良いのか――と考えたところで、ようやくアレスは周囲の違和感に気付いた。
てっきり、少し離れたところからこちらを見ているとばかり思っていたレイチェルとルティアの二人の姿が、どこにも見当たらないのだ。
「レイチェル……? ルティア……? どこに行ったんだ……?」




