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#30

「……お兄様も……」

「ん? 何だ?」

「お兄様も、わたくしから離れなくてよろしいのかしら?」

「いきなり何を言っているんだ」

 泣きすぎで脳味噌まで疲労してしまったのかと、アレスは一瞬訝るが――

「聖剣を失ったとはいえ、聖剣士であるお兄様が、悪魔の血を引くわたくしと行動を共にするというのは、許されざる行為なのではありませんこと?」

「やはり脳味噌まで疲れ切っているようだな。もう少し寝ていた方がいい」

 そもそもアレスが何のために聖剣士をやっていたのかを考えれば、レイチェルの質問は全く的外れと言わざるを得ない。レイチェルを守ることができないのであれば、もはや聖剣士でいることに何の意味などありはしない。

 と思ったが、さすがにそれは恥ずかしくて口にできなかったので、アレスは別の疑問を口にする。

「大体だ、許されざるも何も一体誰が……許さな……い……?」

 そこまで言って、ようやくアレスはとんでもないことに気付いた。

 レイチェルが悪魔の血を引いているというのは、おそらく事実なのだろう。しかし状況から考えて、アレス自身が悪魔の血を引いているということはまずあり得ない。

 つまり、悪魔の血というのは二人の共通の母親由来ではなく、レイチェルの父親由来なのだ。

 思い返せば、ティダーは先王エドワード六世は「同志を裏切った」と表現していた。あの時は意味がわからなかったが――何故、公的に悪魔の血の存在を肯定することが禁じられているのかも含めて考えれば、自ずと答えは明らかになる。

 考えてみれば「王国聖剣士は、仮に緊急時であっても、王族から七歩以内の距離で聖剣を抜いてはならず、三十歩以内の距離で融合状態になってはいけない」という掟があり、これは百年以上も前から続く伝統だと言われていた。一方で霊剣士にはそのような制約はなかったため、王族の身辺警護は大抵は霊剣士が務めていたのだが――

「まさか、王族には昔から悪魔の血が……」

 おそらく、このことは深淵党にしてみれば周知の事実なのだろう。ひょっとしたら昔から国王と深淵党は裏で繋がっていて、しかしその繋がりが先王エドワード六世の「裏切り」により断たれたことで、それこそ食い扶持のために辺境の村々を襲わなければならないほどに追い詰められたのかもしれない。

 だが、もしも他の者にこのことが知られたら――

 実際に深淵党の一味に襲われたことのあるティティスの村の住人ほどではないにしろ、この国の民の大半を占める武天使信徒であれば、誰もが「悪魔」やそれと繋がるような存在を忌み嫌っている。

 少なくとも、間違っても口外してはいけないということだけは確かだろう。普通であれば「王族には悪魔の血が流れている」などと言ったところで、単なる悪質なデマとして不敬罪で衛視にしょっ引かれて終わりだろう。だが、それを口にしたのが王軍騎士の一員であったなどということになれば、当然のことながら話は別だ。

 そんなことを考えていた折、不意に部屋の扉がノックされた。

「お客さん、さっきなんか凄い泣き声が聞こえたらしいけど、大丈夫かい?」

 ドア越しにそう訊ねてきた宿の主人に、アレスは返答する。

「ああ、さっきようやく目を覚ましたんだ。とりあえず粥か何かを一人分用意して欲しい」

「あー、まあメニューには無いが何とかしよう。っと、本題を忘れるところだった。あんたら宛に手紙を預かっていてな」

「手紙? 誰からだ? それに、俺たち宛てってどういうことだ?」

 隊長に深淵党、更には村人にも狙われているかもしれない状況であるが故に、ここの宿は偽名で取っているはずだ。

「封筒には宛名も差出人も書いてないねぇ。配達屋曰く、この街の宿に泊まってる、二十歳前後の男と十代前半の女の二人組、って指定されたそうだ。他の宿にそういう客はいないそうだし、この宿でもあんたらしかいないからねぇ」

 なるほど、とアレスは納得した。そもそもこんな小規模な街だ、片手で数えられる数を超えるほどの宿屋があるとも思えない。このようなやり方でも十分に手紙を届けることが可能なわけだ。

 しかしこれで、このままこの宿に長居するのが危険であることははっきりした。もしもこの差出人が配達人に「どこの宿に届けたのか」と訊ねれば、たちまち居所が突き止められてしまうのは間違いないだろう。

「とりあえず、手紙はここに挟んどくよ」

 そう言い残し、宿の主人は下の階へと戻って行ったようだ。

 扉の隙間に挟まれた手紙を抜き取り、アレスはまず封筒の様子を観察する。明らかに「この街の雑貨屋で売っている一番安い封筒」といった感じの代物であり、これでまず差出人の候補から隊長をはじめとする宰相派は外れるだろう。

 中に何かを仕込んでいる可能性を考慮して、素手で開けるのはやめておく。念のためにレイチェルから十分に離れた場所で、ペーパーナイフが無いので、代わりに霊剣もどきを抜き放つ。

 ティダーとの戦いで魔剣の攻撃を何度も正面から受け止めていたため、さぞガタが来ていることだろうと想像していたが、実際にはかすかに目に見える程度の刃こぼれが一つついているだけだった。おそらく融合状態になってからの一撃を受けた時についたものと思われる。さすがに日常の手入れで直すのは難しいが、この程度なら砥ぎ屋に出せば一発で綺麗になるだろう。

 アレスが剣を一振りすると、封の口が何の抵抗も無く切り落とされる。特に何かを仕込んでいた様子も無く、中には二枚の手紙が入っていた。

 まず一枚目を取り出して読み上げる。

「えーと……『ようやく準備ができました。本日の昼過ぎから夕方の間頃に、地図の場所でお待ちしています。必ずお二人でいらして下さい』と書いてある。やはり宛名も差出人も書いてないな」

 しかし、アレスはその手紙に書かれた字に見覚えがあった。聖剣の材料を買い集める際に渡されたリストに書かれた文字によく似ている。こちらの方がやや字が乱れているようだが、それでも読みやすくすっきりとした字だ。

 続いて二枚目を見ると、こちらにはこの付近の略図のようなものが書かれていた。印が打たれた地点は、どうやらこの街から北に歩いて一時間ほどの地点のようだ。アレスの記憶が確かなら、近隣のどの村からもそれなりに離れた場所のはずだ。

「……一体どういうことなんだ?」

「お兄様、わたくしにも見せて頂けませんこと?」

 アレスがレイチェルに手紙を渡すと、瞬く間にレイチェルの表情が何通りかに変化した後、ベッドから這い出るべくもぞもぞと動き始めた。

「お兄様、いますぐ参りましょう!」

「いや、今出ても昼前に着いてしまうぞ。それにどんな危険があるかだって……」

 差出人には既に見当がついているが、しかしそれだからこそ、レイチェルを連れて行くのはためらわれる。この状況では最悪の場合、ティティスの村人たちが総出で待ち構えている可能性だって考えられるからだ。

「まさか、わたくしをこのような場所に置き去りにして一人で行ってしまうつもりではありませんわよね?」

「そう言われると辛いが……」

 しかしレイチェルの言う通りではあった。既にアレスは「行かない」という選択肢は捨てている――相手の意図が何であれ、それを確認すらせずに放置するのは怖すぎるからだ。その上、相手に居場所が筒抜けになっている可能性が否定できない以上、ここにレイチェルを残していくという選択肢もあり得ない。

「わかった、一緒に行こう。しかし、また倒れられてもかなわんからな。ちゃんと食事を取ってからだ。残さず食べないと置いて行くぞ」


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