#3
「あー……営業妨害してしまったかな?」
「もご、もごもぐ、ぷはぁ! ちょっとお兄様、なんてことなさるんですの!」
「やかましい」
もう一つのパンをレイチェルの口にねじ込みながら、アレスはレイチェルに言い聞かせる。
「お前が腹を立てる気もわからんでもないが、わざわざ要らぬ喧嘩を買うんじゃない」
「おふぅ」
「おふぅじゃない。あいつらが正規の用心棒で、しかも一応こっちが格上だったから何とか事なきを得たが……しかし用心棒稼業を卒業してからもなんとなく払い続けていたギルド会費が、こんな形で役に立つとは思いもしなかったな」
用心棒といえば、世間的にはゴロツキと大差ない自由気ままな荒くれ集団と思われているが、業界の構造上、いわゆる上下関係には極めて厳しい社会であることはあまり知られていない。特に、一つ星や二つ星が三つ星に逆らうなどということは、それこそ命がけの覚悟が必要な行為とされているのだ――もちろん、仕事上での顧客の意向の方がはるかに高い強制力を持つのは言うまでもないが。
「むぐっ……ほ、ほいいはわい」
そこまで言いかけて、口の中のパンを飲み込んでからレイチェルは続ける。
「お兄様に任せたら、どうせ下手に出てひたすら穏便に済ませようとするだけではありませんの? そんなことすればするほどああいう手合いは調子に乗っていくものですわ。誰かがガツンと言ってあげた方が世のため人のためではありませんこと?」
「世のため人のためより先に、今の俺たちの今の立場を考えろ。下手に喧嘩などして目立てばそれだけ俺たちの身が危険に晒される。そもそも、もしもあの四人が切れて俺たちに襲いかかったとして、それで殴り合いにでもなったとしてだ。仮にも本職の連中四人を同時に相手にして勝てる保証はどこにもないぞ」
「えっ?」
アレスは当たり前のことを言ったつもりだったが、その言葉にレイチェルは思わぬショックを受けているようだった。
「言っておくが、俺は無敵の超人でも何でもないんだ。確かに聖剣さえあれば、例えばさっきの四人組が剣を抜いて襲いかかって来たとしてもどうにでもなったかもしれないが、その剣をへし折るような奴が現実に存在したからこそ、こうして間に合わせの剣を買う羽目になったんだ」
「聖剣……まさか折れたりするようなものだとは思いもしませんでしたわ」
深刻そうな声色でレイチェルが告げる。話を逸らそうとしているのは見え見えだったが、確かに先程の四人組などよりもこちらの方がはるかに深刻な問題だった。
「それほど珍しいことではない。聖剣に所有者を守る性質がある関係上、聖剣が健在である限り所有者は倒れない。逆に言えば、所有者が打ち倒されるということはすなわち聖剣が破壊されるということだ。むしろ、あの状況から生きて逃れられたことの方が奇跡と言えるかもしれないな」
二人が王都からの逃避行を始めておよそ三週間、度々襲いかかる刺客たちを聖剣の力をもって退けていたのだが、ある日現れた刺客は恐るべき力をもつ魔剣を携えていた。剣技もアレスと互角かそれ以上であったが、何よりこちらの聖剣の力が完全には発動せず、その隙を突かれて聖剣を粉々に砕かれてしまったのだ。
その際に解き放たれたエネルギーにより大爆発が生じ、双方ともに吹き飛ばされかなりの傷を負うことになったのだが、その際のどさくさに紛れて脱出に成功し、更に一週間ほどの時間をかけて命からがらここまで落ち延びて来たのだ。
王都から離れるほど刺客の現れる頻度は減っており、これは敵が王都を中心に活動している可能性が高いことを示唆していた。こんな辺境の地で目撃情報を得られたとしても、その情報が王都に届き、それを受けて放たれた刺客が辿り着くまでにはかなりの時間がかかるはずである。
問題は、その刺客を放っている黒幕が何者であるか、いまだに正確には把握できていないということだった。いくつかの目星は付いており、少なくともそのうちの二つ以上の陣営が動いていると思われるのだが、いまいち彼らの最終的な目的がはっきりとしないのだ。
確実に言えるのは、あくまで敵の目的はレイチェルであり、アレスはあくまで敵から見て単なる邪魔者に過ぎない、ということである。それ以外は――たとえばレイチェルを生かして捕らえたいのか死んでいても構わないのかについてすら判明していない。そもそも敵の中で意思の統一が取れているのかどうかすら怪しい。
「それにしても……王国聖剣士であるお兄様が聖剣を失ってしまったら、聖剣士としての職務はどうなるんですの?」
さすがに大声で話せる話題ではないことはレイチェルも理解しているようで、周囲の耳を気にしつつ小声で訊ねてきた。
「聖剣を失ったからといって、直ちに王国聖剣士としての資格が失われるわけではないが、しかし次の聖剣が王室から下賜されるわけではないからな。何とか自前で手に入れるしかない。だが、単に金を出せば買えるというものでもないのがな……」
そもそも聖剣とは、天使をその身に宿し、その力を行使することのできる武器の総称である。単身で数百規模の軍勢と渡り合えるだけの力を秘めた、武器というよりは戦略兵器にも等しい代物だが、一方で剣自身に――というより剣に宿った天使に認められない限り、決してその力を振るうことができないという制約がある。
どういった人間が聖剣の所有者として認められるか、正確なところはわかっていないが、少なくともこれまでに認められた者の共通点として、例外なく「類稀なる剣技の使い手」であったことだけはほぼ間違いないとされている。ある研究者によると、人口一千万人を擁するこのソルディランド王国において、聖剣の使い手になり得る者はおよそ数百人程度と見積もられるという。
正式に認められた所有者でなければ鞘から抜くことすらできないため、中には鞘ごと振り回して使ったという諦めの悪い馬鹿がいたという話も伝えられている。そんな代物であるがゆえ、普通の者が聖剣を手に入れたところで美術品としての価値すら微妙である。一方で、使う者が使えば大量殺戮兵器になり得る物騒な代物であることは事実であるため、コレクションとしておおっぴらに自慢することすら覚束ない。
故に、本物の聖剣が市場に出回ることは、皆無とはいえないが稀なケースであるとアレスは聞かされている。王国聖剣士隊を擁する王家や、独自の聖剣士隊を密かに抱える大貴族などは、専門の職人と独占契約を結んで聖剣を作らせているらしい。
「まあ、そんな先のことは置いといてだ。さすがに今日買って来た安物の剣だけでは、おちおち街から出ることすらできない」
「そんなに違うものですの? その、簡易鍛造品というのと本格鍛造品というのとでは」
「これまでに襲ってきた刺客の中には、いわゆる一流品と言われるブツで襲ってきた奴もいた。というより、たまたま襲ってきた地元の山賊みたいなのはともかく、王都からはるばる派遣されてきたような本職連中は大半がそれなりの得物を持っていた。こんな玩具でまともに打ち合って、五回も耐えられれば奇跡と呼んでいいレベルだろう」
もっとも、あの魔剣の剣士が再び襲ってきたら、いくら一流だろうと通常の剣ではまともに太刀打ちできないだろうが――という思いはあえて口にしなかった。
「とりあえず、もっとマシな剣を探すためにもう少し都会に移動するとしてだ。道中の危険もさることながら、都会に移動するということは王都に近づくということでもあるから……」
「当然、より連中に見つかりやすくなるということですのね。でも、この街に留まって動かなかったとしてもそれはそれで見つかりやすくなるわけですし、街にいるからと言って必ずしも安全というわけではありませんわ」
「それはそうなんだが……」
重苦しい空気に包まれる中、突然「ボロロロン!」という音が響き渡り、思わず二人はぎょっとして辺りを見回した。
続いて笛の音が加わり、思わず踊りだしたくなるような陽気な音楽として奏でられる。
音の源に目を向けると、そこにはアレスと変わらないと思われる年頃の青年が何やら見慣れない弦楽器のようなものを奏でながら、しかも同時に何やら見慣れない笛のようなものを吹いていた。
笛のようなは首の後ろから出ている棒によって固定され、口の方を動かすことによって音色を変えているらしい。
「な、何ですのあれ……?」
「あれでちゃんと演奏できているのは凄いな。王都の酒場でもああいった演奏家は時々見かけるが、さすがにこんな芸当は見たことが無い」
「それに顔も悪くないですわね。ちょっと軽そうな雰囲気なのが気にかかるけれど……一体どれだけの女性を泣かせているのかしら。お兄様と足して二で割ればちょうどいい感じになりそうですわね?」
「一言も話してないうちにそこまで決めつけるというのも凄いな」
その曲はアレスが今までに聴いたことのないものであったが、雰囲気からしておそらくこの地方に伝わる民俗音楽のようなものだろう。夜に酒飲み客が集まっているところで奏でれば、さぞ盛り上がるに違いない。彼自身も用心棒時代、一仕事終わった後の酒場で仲間と一緒に飲み交わし、演奏を背景に踊ったり騒いだりしたものである――
そんな懐かしい回想に浸っているうちに、いつの間にか演奏は終わっていた。レイチェルも何だかんだで気に入っていたらしく、店にまばらに残っている他の客と一緒に拍手などを送っている。
アレスは立ち上がり、その演奏家の青年の元に歩み寄る。そして床に置かれている帽子の中に十ソル銀貨を一枚投げ入れると、思わぬ大盤振る舞いに青年は目を丸くした。
「おっと、これは気前がいいね」
「連れの分も入ってる。素晴らしい演奏をありがとう」
「こちらこそありがとう。あ、僕はヴィン。ここらじゃ二重奏のヴィンとして通っている。お連れさんってのはあそこの麗しい彼女かい?」
そう言われて視線を向けられたレイチェルは、彼女には少し高すぎる椅子から半ば飛び降りるようにして降り立ち、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「まあ麗しいだなんて、本当のことを言われると照れますわ。でもナンパとかそういうのは間に合っておりますの」
「それは残念だね。しかし君ほどの美人をこの街で見かけたのは初めてだ。ひょっとするとうちのどうしようもなく可愛すぎる妹にも引けを取らないんじゃないかな」
冗談めかした口調で、しかし明らかに冗談でも何でもない表情でさらりと告げる青年の言葉に、レイチェルは思わず顔をひきつらせた。
「うわ……見た目は好青年ですのに、中身はたいそう残念な方でしたのね」
「よく言われるんだけど何故だろうね。それよりさっき、剣を探しているとかそんなことを言っていなかったかい?」
ヴィンと名乗る青年の突然の質問に、アレスは頷きつつ答える。
「仕事で使えるくらいのちゃんとした剣が欲しいのだが、この街で手に入るかどうか……」
「ああ、隣の通りに大きい武器屋があるけど、あそこは正直おすすめできないね。そもそも安物しか置いてないくせに、余所者とわかると物凄い勢いでぼったくりにかかってくるからね。地元の用心棒も、中堅以下の貧乏な連中は仕方なく使ってるけど、三つ星持ちの先生方なんかは見向きもしないらしい」
隣の通りの大きな武器屋といえば、まさにアレスが先程間に合わせの剣を買ったあの店に間違いないだろう。それにしてもこのヴィンという男は随分とその手の情報に詳しいようだが、やはり用心棒が集まる酒場に出入りするだけあって、いろいろと耳に挟むことも多いのだろうか。
「となると、この街では探すだけ無駄というわけか」
「この街では、ね。普通に考えれば、西のソフェーンの街あたりに買い出しに行くのが王道だろうけど――もしもそちらの麗しい彼女を連れて何時間か山道を歩くのが嫌でなければ、実はちょっとした穴場があるんだ」
「山道……ということはどこかの村に?」
実を言えばソフェーンの街というのは既に通った街であり、例の魔剣の刺客に襲われて聖剣を失ったのはそのソフェーンの街のすぐ近くである。命からがら北に逃げると見せかけつつ東進し、本来なら馬車で一泊の道のりを、野宿を繰り返しながら四日もかけてこのモフトの街までやって来たのだ。
街に着いてすぐに調べたところ、このモフトの街の西にはソフェーンの街、東には対魔境防衛を担うヴァルゴ砦、南には大きな湿地帯があり、そして北には無数とも言える山々が峰を連ねている。そしてモフトの街に寄り添うような形で、北の山々の間や南の湿地帯に面した地域にはいくつもの農村が散らばり、モフトやソフェーンをはじめとした街への食料供給源になっているという。
「街の北門から外に出て、そのままひたすら道なりに進んでいくと、ティティスの村ってところがあるんだ。そこに個人経営の武器工房があるんだけど、ここは一本から直接買い付けを受け付けている。中間業者を通さない分それなりに安上がりとあって、耳ざとい連中の間では密かに話題になっているんだ」
「値段はともかく、質はどうなんだ?」
「評判は悪くない――けど、実際にその目で見て確かめるのが一番だと思うよ」
「それもそうだ。いい話を聞かせてくれてありがとう」
「なあに、銀貨一枚と、それにそちらの麗しい彼女と顔見知りになれた分のお礼と思えば安すぎるくらいだよ」
そう告げるヴィンに意味ありげな視線を向けられ、レイチェルはやれやれといった調子で首をすくめた。
「お兄様、とりあえずこの方の口車に乗ってみるのもよろしいのではありませんこと? 街に長居もできない上に、今からソフェーンに戻るわけにも行かないのでしょう?」
「口車ってお前……いずれにせよ、とりあえず当たってみるしかないのは事実だな」
すると、その会話を横から聞いていたヴィンが、突然弾かれたように顔を上げる。
「お兄様、ということは……そちらの麗しの彼女はあなたの妹さんなのかい?」
「ああ、そういえば言ってなかったな。俺はアレス、こっちの『麗しの彼女』は妹のレイチェルだ」
すると突然ヴィンが立ち上がり、アレスの手を両手で握ってきた。
「事情はよくわからないけど、可愛くて可愛くて仕方がない妹を持つ者同士、道を同じくする仲間としてあなたのことを心から応援するよ」
「まだ言ってますのね……お兄様、早くこの残念空間から離れましょう」
右手をヴィンに握られ、左手をレイチェルに思いきり引っ張られつつ、アレスはこれ以上言うべき言葉も見つからず、深く大きなため息をついた。