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#29

「……ルティア!」

 そんな叫びを発しながらレイチェルは身を起こし――実際には起こし切れずにそのまま倒れ込み、慌てて辺りを見回した。

 ベッド脇の椅子に腰かけたまま半分眠りかけていたアレスは、その声で慌てて目を覚ました。

「ようやく意識が戻ったか。とりあえず、まずは水でも飲め」

 アレスはレイチェルの背中に手を添えて助け起こす。何も食べずに寝込んでいたせいか、その背中は彼の記憶にあったよりも更に薄く骨ばった感触になっている。

「こ……ここはどこですの? ルティアは? あの魔剣士は……?」

「ここはモフトの街で、新しく取った宿だ。本当は診療所に行きたかったが、あまり隊長に見つかりたくなかったしな。ルティアは八闘神の連中に連れられて村に戻ったよ。魔剣士は逃げた」

 アレスに渡されたコップに口をつけながら、レイチェルの瞳に徐々に焦点が戻ってくる。

「あれから二日経っている。ここに来てからは俺も外に出てないから、その後どうなったかは確認できていない」

「……お兄様は、どこまでご存知なのですか?」

 レイチェルはアレスの目をじっと見つめながら、細いながらもはっきりとした声で訊ねてくる。

「正直、こんなに弱った状態のお前に聞かせたい話ではなかったが……この状況ではやむを得ないか」

 アレスは覚悟を決め、自分の知っている全てを話し始める。

 レイチェルが実は当時の王太子とアレスの実母との間にできた娘であったこと、そのためにアレスの実父が王太子の暗殺を試みて失敗したこと。そして、立場を同じくする百名以上の子供たちと共に第二位の王位継承権を持ち、これは行方不明となった王太子に次ぐ位であること。

「ここまでは、俺が聖剣士になった時に知らされたことで、お前が十五になって成人を迎えたら話そうと思ってたことだ。で、ここからは最近になって知ったことだが……」

 レイチェルを狙っている勢力の中で、今のところ明らかになっているのは宰相派、大将軍派、深淵党の三つ。このうち宰相派がレイチェルを新国王として擁立することを目指しているのは明らかだが、大将軍派の狙いは不明。深淵党の狙いも不明ではあったが、少なくともあのティダーという魔剣士は『同志として迎え入れる』ことを企図しているようだ、ということも合わせて伝える。

「前にルティアが、深淵党というのは悪魔の血を引く者の集まりだ、と言っていた。そして、あの時様子が急変したお前を見て……」

 そこまで言いかけた瞬間、レイチェルは思いもよらない行動に出た。

「……うわああああああああん!」

 周りを憚ることも無く、レイチェルが突然大声で泣き出したのだ。三歳を過ぎた頃からは、人前では――それこそアレスの前ですら一度も涙を流す姿を見せたことのないレイチェルが、である。

「お、おい」

 さすがに心配になって近づいたアレスの胸倉を引っ掴むようにして、そのまま縋りつきながらレイチェルは更に泣き続ける。

 とりあえず頭を撫でてやることくらいしかできないまま、数分間に渡って泣き続けさせたところ、さすがに体力が尽きてきたのか、叫ぶような鳴き声から徐々に啜り泣きへと変わっていった。

 今までずっと意地を張って生きてきたのが、ここに来て糸が切れてしまったのだろう――とアレスは考えたが、ふと引っ掛かりを感じて訊ねる。

「お前は今の話を聞いて……ええと、念のために最初から確認だ。生まれた経緯や王位継承権についてはどう感じている?」

「うっ、ひっく……正直言って、割とどうでもいいことですわ」

 そんな一言で済まされてしまい、かつてはどうやってレイチェルにこの話を伝えればショックが少なくて済むか、かなり深刻に考えていたこともあるアレスとしては実に複雑な心境だった。

「じゃあ、悪魔の血とやらについては……」

「……実はわたくし、お兄様に黙っていたことがありますの」

 アレスの胸元から顔を離し、しかし泣きはらした顔を見せたくないのか、うつむいたままレイチェルは告げる。

「一年くらい前から、変な夢を見るようになりましたの。わたくしの中にいる、わたくしであってわたくしではないような奇妙な存在が語りかけてくる夢ですわ。欲望を解き放て、全てを手に入れろ、邪魔をする者は排除しろ……今にして思えば、わたくしの中に眠る悪魔的なものが目覚めようとしていたに違いありませんわ」

「一年前から、か……ちょうど聖剣士になって忙しくなった頃だったな。気が付かなくて済まない」

「わたくしは元々自分に正直に生きておりましたし、短絡的な手段で手に入る程度のものに、わたくしは元々大した魅力を感じたりしませんわ。だから、別にそれ自体はどうということはありませんでしたの。ただ……」

 袖で涙を拭いながら、レイチェルは側に置いてあったコップの水で一息ついてから続ける。

「あれ以来、どうにも教会ですとか、そういう場所に近づくと妙な不快感といいますか、力が抜けて行くような感じを覚えるようになって、実生活ではそちらの方が厄介でしたわ。それにこの旅が始まってから……お兄様が聖剣を抜くたびに、その時に近くにいればいるほど強い影響を受けておりましたの」

 やはり、天使に由来する聖剣の力は、悪魔の血とは相容れないものなのだろう。この街に来る前にあの魔剣士に襲われた際、融合状態になろうとして失敗したのもそのせいかもしれない――とアレスはぼんやりと考える。

「それこそすぐに気付くべきだったな。そういえば聖剣の儀式の時も、確かちょうどルティアが聖油を」

「うわあああああああああああん!」

 それまで落ち着いていたレイチェルが、再び突然火が付いたように泣き出してしまった。

「あー……やはりそういうことか……」

 理由はわかったものの、しかしこればかりはアレスとしてもどうしようもなかった。

 何しろルティアにとって、悪魔の血を引く者というのは父親をはじめとする村の仲間たちの仇なのである。これまでの言動からして、相当に強い恨みを抱いているのは間違いないだろう。

「わたくし、あの魔剣士にルティアが殺されると思って、心臓が止まるかと思って、そうしたら頭の中であの声が鳴り響いて、そのまま心を委ねたと思ったら……徐々に意識が戻ってきたところであの子の声が……悪魔の血がどうこうって……」

「……あの状況で、ルティアさえその気であれば、八闘神の二人は俺たちを殺しただろう。だが彼女はむしろそれを止めて、俺たちを見逃してくれたんだ」

 アレスには、そう言うのが精いっぱいだった。


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