#22
そして翌日を迎え――再びハンマーの音が工房の近くに響き渡っている。
ちなみに昨晩のルティアはレイチェルに無理やりベッドに引きずり込まれたらしく、しっかりと睡眠を取ったおかげかハンマーの音も心なしか軽快に響いているように聞こえる。
更に待ち続けること数時間、太陽が頂点を通り過ぎたあたりでハンマーの音が鳴りやみ、そして間もなく駆け込んできたルティアが剣を掲げて見せた。
「できましたっ! まだ肝心の儀式が残っていますが、その前に一度、試しに持って抜いてみて下さい!」
そう言い残すとルティアはアレスに剣を手渡し、そしてそのまま儀式の準備のために走って行ってしまった。
アレスは鞘に入ったままのその剣を観察する。鞘自体は革製でそれほど手が込んでおらず、おそらく間に合わせの市販品なのだろう。柄の部分は黄銅系と思われる金属製で、一見して精巧さが際立つ造りになっており、間違いなくルティア自身が手を入れていると思われる。装飾もかなり凝っているようだが、華美というよりは優美で、何より機能性を全く損なっていない点が凄まじい。
抜き放つべく柄に手をかけると、その吸い付くような感触に一瞬違和感を覚え――そしてすぐにそれを忘れ、それどころか手に何かを持っているという感覚すらもが曖昧になる。そのまま抜き放つと、わずかに青みを帯びたような深い色合いの刃が姿を現し、鏡のようにアレスの顔を映し出す。
そして完全に抜き放ったところで、アレスはこれまでに味わったことのないような感覚に襲われた。それは『剣を持っている』というより、むしろ『自らの手が剣の長さ分だけ伸びた』とでも言うべきもので、それこそ指先を動かすような精度で剣を動かすこともできるし、おそらく一日中持っていても手や腕が疲れたりすることも無いだろう。
単純に剣としての品質としては、先日買い取った霊剣もどきと比べても、そう極端に格が違うわけではなさそうなのに――と思ったところで、その後聖剣を作るためにいろいろ身体のサイズや動きの癖などを念入りに調べられたことを思い出した。霊剣もどきが誰にでも扱えるように作られたのに対し、この剣は正真正銘、アレスが使うことのみを考えて最適化された代物なのだろう。
間もなく、作業着から何やら小奇麗な服に着替えた上で、儀式に使う道具類を抱えたルティアが戻ってきた。そして剣を持ったアレスの姿を見て声を上げる。
「良かった、ちゃんと調整できているみたいですね。それにしても、こんな一瞬でそこまで剣と一体になれるなんて、やっぱり一流の剣士さんって凄いです!」
「いや、一流云々以前に単にこの剣が凄すぎるだけだと思うんだが……」
半ば呆れ顔で告げつつ、アレスは剣を鞘に戻してルティアに返そうとするが、しかしルティアは両手に道具類を抱えていてこれ以上物を持てそうにない。
「その剣は祭壇まで一緒に持ってきて下さい。レイチェルさんも、よろしければ是非今度こそ見ていて下さい」
先日の霊剣の儀式で、祭壇に行く途中で体調不良により離脱していたレイチェルは、ルティアの言葉にしっかりと頷いた。
「わたくしとしたことが、前回はあのような不覚を……さすがに休息も食事も十分に取りましたし、今度こそ大丈夫だと思いますわ」
そして、三人は再び丘の上の祭壇を目指して出発した。
途中で、おそらく畑仕事の合間と思われる、ルティアと同年代くらいに見える村娘たちとすれ違う。ルティア相手にはだいぶ慣れたはずだったが、改めて見知らぬ女性を目の前にしたアレスは例によって背筋を硬直させる。
しかし、村娘たちはこちらと互いにぎこちない挨拶を交わした後、そそくさ去って行ってしまった。その後何やら遠くでひそひそと会話を交わしているようだが、その内容までは聞こえて来ない。
「やはり、俺たちのような余所者が珍しいのかな?」
額にびっしりと浮かんだ汗を拭いつつ、アレスが何気なく呟くと、ルティアは少々寂しげな口調で返す。
「あの子たち、私の前ではいつもこんな感じなんです。昔は家庭の事情のせいかなと思っていたんですが、最近、どうも私自身が普通とはちょっとズレてるせいなんじゃないかって……あ、すみません、変な愚痴を言ってしまって」
「いや、まあ、ちょっとというか……」
確かにアレスから見てもルティアは普通とはちょっと――いや、かなりかけ離れているのは間違いない。しかし調和と伝統を重んじる年寄り連中ならともかく、若い娘たちまでもがそれだけを理由に敬遠するというのは、いくら辺境の農村とはいえ偏狭が過ぎるのではないだろうか。
が、ふとレイチェルの様子を見ると、どうやらそれとは全く別のことに思い当たったらしく、微妙に悩むような表情を浮かべている。
「どうしたんだ?」
アレスが訊ねると、レイチェルは先頭を歩くルティアに聞こえないような小声で返してくる。
「……一昨日お兄様たちが街に行っている間、わたくし少しあの娘たちと話しておりましたの」
「何だと?」
「その辺をぶらぶら散歩していたら突然あの娘たちに話しかけれて、立ち話で小一時間にも渡っていろいろ訊かれたのですが……まあ、口止めもされていることですし黙っておきますわ。第一、わざわざ敵に塩を送るような真似をする必要なんてありませんもの」
にやりと笑みを浮かべるレイチェルを前にアレスは困惑するが、どうもこれ以上は話してくれそうにない。口調からして「敵」というのはあの村娘たちのことを指しているようだが、その村娘たちに口止めされている内容を口外することが何故「敵」に塩を送ることになるのか――
「……いやいや、まさか、な」
考え過ぎた、とばかりにアレスは頭を振って思考を追い払うと、だいぶ先に行ってしまったルティアを追うべく足を速めた。
祭壇に辿り着くと、早速ルティアが儀式の準備を始めていた。基本的には先日の霊剣の儀式と似ていたが、置かれている道具の種類が若干違う上、数や種類も多いように見受けられる。
相変わらず、通り抜ける空気までもが張りつめたような静けさと冷たさを帯び、村の大部分を占める穏やかな空気とは一線を画しているように思える。
ふと、レイチェルの様子が気になって視線を向けると、先程までに比べてやや顔色が悪くなっているように見える。
「大丈夫か? ひょっとして、この間体調を崩したのも、ここの風の冷たさが原因だったのか」
「ま、まだ大丈夫ですわ。上着を一枚多く着て来ましたもの、このくらいは――」
しかし、ルティアがランプに油を注いだあたりで、レイチェルの顔色が目に見えて悪くなっているのが傍目にも明らかになっていた。
「おい、明らかに顔色が大丈夫じゃないぞ。昨日の夜、ルティアに無理するなって言ったのはどこのどいつだ?」
「……二回連続で見られないのは悔しいけれど、仕方ありませんわね。限界まで粘って倒れてお兄様の手を煩わせるのも癪ですし、余力のある今のうちに戻って休んでおきますわ。代わりにお兄様の目にしっかりと焼きつけておいてもらって、後でわたくしに微塵も漏らさず語って頂きますわ」
学院でも無二の負けず嫌いで通っているらしいレイチェルがそこまで言うということは、ひょっとしたら相当深刻な状態なのかもしれない――が、ここで送って行くなどと言ったらまた意固地になりそうなので、ここは素直に見送ることにする。
「近いとはいえ、気を付けて行けよ」
自分の聖剣が完成する現場を見届けたいアレス自身はともかく、何故レイチェルがそこまでして儀式を見届けたがっているのだろうか。もしかしたらレイチェルが見たいのは儀式そのものではなく――
と、そこまで考えたところでルティアが声をかけてきた。
「準備できました……あれっ、レイチェルさんは?」
「ああ……どうもまた辛そうだったので戻ってもらった。どうもまだ体調が完全に回復していなかったようだな」
「うーん、昨日までは元気そうに見えたのですが、ちょっと心配です……一度お医者様に診てもらったら方がいいのではないでしょうか? 一応、モフトの街に行けば診療所がありますので……」
「そうだな、念のため明日にでも連れて行ってみよう。で、この剣はどうすればいい?」
「そのまま鞘から抜いて、祭壇の上に置いて下さい」
言われるままに祭壇に抜身の剣を置くと、ルティアは頷いた。アレスが少し離れた位置に立つと、ルティアはランプに火を灯し、そして村中に響くような音で鐘を鳴らし、そして霊剣の儀式の時と同じく、錫杖を掲げながら何やら不思議な言葉を唱え始めた。
聖なる香油の放つ、安らぎと厳粛さを兼ね備えた不思議な香りに包まれながら、ルティアの澄んだ張りのある声が辺りに染みわたる。神秘的とも幻想的とも言えるその光景に、アレスはしばし目と意識を奪われていた。