#21
およそ一時間後、食卓にはアレスの作った食事が並べられていた。
食前の祈りを済ませ、料理を一口食べたルティアは再び驚きの声を上げた。
「これは美味しいです! それにしても、不思議と私が作る時と方向性が似ているような気がします。アレスさんって王都の出身なんですよね?」
「ああ。まあ俺の料理は、いかにレイチェルの食欲を刺激して少しでも多く食べさせるか、という勝負だったからな。そういう意味では君の料理と方向性は似ているのかもしれない」
「でもそれって、孤児院時代……ということは、まだ子供でいらした頃の話ですよね。これだけの料理を作れる子供が、どうして剣士になろうとしたのか凄く興味があります」
「子供と言っても今の君と大して変わらないくらいの頃の話だし、明らかに君の方が腕は上なのにどうして剣工の道を進んだのかむしろそちらが非常に気になるが……」
そう前置きした上で、アレスは持っていたスプーンを置くと、昔を思い出すようにして語り始めた。
「あのグレンって奴もちらっと言っていたが――俺が六歳の頃におふくろが死んで、それからすぐに親父が王族襲って返り討ちに遭って死んだのがそもそもの発端だった」
「お、王族の人を!? ええと、それでよく……あ、すみませんそういう意味では無く……」
表情をくるくる変えながらしどろもどろに告げるルティアの言葉を、アレスは途中で遮る。
「ああいや、君の言いたいことももっともだ。普通だったら身内が大逆罪なんて犯せば、一族揃って処刑台送りだろう。しかしいろいろ事情があって、陛下の勅命により俺たちは孤児院に保護されることになったんだ」
「何はともあれ、大人の都合で子供が処刑されちゃうようなことが無くて良かったです……」
「陛下には今でも感謝している。だが、それでもやはり世間の目は厳しくてな。いろいろ酷い言葉を浴びせられたり、近所の悪ガキどもの憂さ晴らしの格好の的になったりいろいろあった。人一倍身体の弱かったレイチェルなんか何度も死にかけたが、当時の俺の力ではどうにもできなかった」
「だから、強くなろう、って思ったんですか?」
ルティアの問いにアレスは頷く。
「孤児院の近くに、王軍兵や騎士見習いのための訓練場があってな。そこに潜り込んで、見て覚えた内容を帰ってから真似する、なんてことを最初は繰り返してたんだが、ある時教官に見つかって捕まってしまってな」
「だ、大丈夫だったんですか!?」
「あの時はいろいろ覚悟したが、洗いざらい話したら、だったら雑用として雇ってやると言われてな。掃除や洗濯、道具の手入れなどで、合法的に潜り込めて小遣いまで稼げる夢のような環境だった。訓練生たちにも案外可愛がられて、休憩時間には俺の練習にまで付き合ってもらってたから、十五の頃には大半の訓練生と互角に渡り合えるくらいの腕にはなってたな。もちろん近所の悪ガキなんて、もはや相手にもならなかった」
この国では十五になれば成人とみなされ、多くの仕事に就けるようになるが、逆に言えば自分の食い扶持は自分で稼がねばならない、ということである。裕福な家であれば、親の援助で学生や花嫁修業を続けることもできるが、いくらなんでも孤児院がそこまで面倒を見てくれるわけはなかった。
「成人して孤児院を出て、さすがに雑用の手間賃だけで自分の食い扶持を稼ぐのは厳しかったからな、さてどうするかってところで、まずは王軍兵に取り立ててもらう道を考えたんだが……実は王軍ってところは騎士だけでなく、一般兵までもがそれなりの家柄と実力の両方を要求されるエリートらしくてな。徴兵農民主体の国軍とは何もかもが違うらしい。まあ何にしろ、親父が大罪人ってハンデを背負っている以上、まっとうな手段で取り立ててもらうのはどう考えても不可能だった。そこで俺は大変困ったことに気付いたんだ」
「ええと、就ける職が無い、とかそういうことですか?」
「いやまあ、俺が食べて行くだけなら、王都にはそれこそ肉体労働系の職ならゴロゴロ転がっているから何とかなったんだが――問題はレイチェルだ。まさか俺が一生養っていくわけにも行かないし――ええと、君の前でこんなこと言うのも非常に変な話だが、このご時世に女性が独り立ちして生きて行くのはあまりにも難しい」
ルティアに向けられたアレスの言葉に、レイチェルが横から口を挟む。
「わたくしもそう思い込んでおりましたわ。なので、こうして一人前の職人として生きるルティアの姿を見て、正直なところかなり驚いておりますの。ひょっとして、王都以外では当たり前に行われていることなのかしら?」
そう問われて、ルティアは戸惑い気味に答える。
「ええと、この辺だと普通は小さい頃に嫁ぎ先が決まっていて、十五になったら嫁入りして、家事や畑仕事で夫を支えていく、というのが当たり前の生き方になっていました。でも一年前の襲撃で男の人が大勢亡くなって、それで旦那さんや許婚を失った人がいっぱいいて……それでも生きていくために、皆一生懸命頑張っています」
「あっ……もしかして、ルティアにも許婚がいらしたのかしら?」
「いえ、私は小さい頃に母を亡くしていて、父も村一番の変わり者扱いでしたから、そういう話が持ち込まれることもありませんでした。今は近い年頃の男の人は皆相手が決まっていて、女の人が余っている状態ですから、私は多分一生結婚することは無いと思います。幸い、この工房のおかげで食べて行くには困らないでしょうし」
「なるほど……それはそれは」
レイチェルの目が怪しく光ったような気がして、訳も無く身震いをしたアレスはやや強引に話を戻す。
「まあそんなわけで、レイチェルが生きて行くために何とかして嫁入り先を見つけないといけないと思ったわけだ。だがレイチェルの身体が貧乏暮らしに耐えられるとは思えなかったし、しかしそれなりの家に嫁がせようとすると、今度は親父の素性が問題になってくるし、そもそもある程度の学が無いと相手にもしてもらえない」
親同士の付き合いや地域の慣習で許婚が決まる農村部と違い、都市部では地位があったり裕福であったりする者ほど、結婚相手に相応の出自と教養レベルを求める傾向が高い。二人のいた孤児院で教わるのは初歩の読み書きと計算くらいで、それだけでも農村部の平均的な女性よりは遥かに恵まれた環境ではあるのだが、王都でその程度ではその辺の商家に嫁ぐことすら難しい。
「幸い、こいつは昔から頭だけはべらぼうに良かったからな。あとは学校に行かせる金と、家柄だけが問題だったんだが――金だけならまだしも、家柄はさすがに難問だった。しかし一つだけ方法が見つかったんだ」
「あっ――ひょっとして、王国捧武会ですか?」
「その通りだ。捧武会で上位入賞して王軍騎士にでもなれば、その身内というだけでかなりの信用度が得られるだろう。そして捧武会に出るためには推薦が必要になるわけだが、俺が現実的に推薦を得ようとしたら、傭兵ギルドか用心棒ギルドで実績を積むのが一番の近道だった。危険な仕事だが、その分稼ぎもなかなかだから、学費の件も解決して一石二鳥というわけだ」
「なるほど……レイチェルさんがアレスさんのことを『お兄様』と呼ぶ理由がわかったような気がします」
妙なところで納得するルティアに、レイチェルは何故か自慢げに薄い胸を張って答える。
「まあ、お兄様がそこまでする以上、わたくしも本気を出さねばならないと思いましたの。可能な限り最高の学校で、最高の教育を受けることこそがわたくしの務め、というわけですわ」
「いやまあ、それで本当にブルワージュ学院の特待生になったと聞いた時には、さすがに驚きすぎて実際に椅子ごとひっくり返ったわけだが……」
「こちらこそ、お兄様が上位入賞して王軍騎士を通り越して、優勝して王国聖剣士になったと聞いた時には、本気でどうしようと思いましたわ。わたくしも入学してからも必死で頑張っておりますのに……いつまで経っても次席の座から抜け出せず……一度も勝てないままこうして勉学を中断する羽目になり……このままではますます引き離されてしまいますわ……」
実に悔しそうな表情で歯噛みするレイチェルを前に、ルティアは半ば呆然とした口調で呟く。
「ええと、あのブルワージュ学院で次席って、ひょっとしてそれはもう嫁入りがどうとかいうレベルの話ではないのでは……?」
「こいつの完璧主義は昔からだからな。本末転倒もいいところだが、まあ頑張れる時に頑張れるだけ頑張るのはいいことだ」
とはいえここまで突き抜けていれば、仮に嫁入りがうまく行かなかったとしても、学問で身を立てるという道が開けるかもしれない、という打算もアレスにはあった。もちろんこの国では学問の世界も完全な男社会で、女性が単身で切り込むには相当の苦労があるだろうが、これだけ圧倒的な才能と情熱があればどうにかなってしまうだろう――ルティアが目の前で実際に成し遂げつつあることに比べれば、まだしも現実味がある。
「まあ何にしても、このまま逃亡生活が続けば続くほど、勉学だの嫁入りだのって話からどんどん遠ざかってしまうからな。何とか突破口を開くためにも、今のうちに新しい聖剣を確保しておきたいんだ」
半ば独白するようなアレスの言葉に、ルティアは気合の入った表情で勢い良く立ち上がった。
「わかりました! お二人が一刻も早く元の生活に戻れるよう、私も最大限頑張ります!」
しかし、横からレイチェルが冷や水のような言葉をかける。
「頑張るのは結構ですが、度が過ぎるのは感心いたしませんわ。昨日だって夜遅くまで聖剣に関する文献を読みふけって、ろくに寝ていないのではありませんこと?」
「うう、遅くまで手伝わせてしまってごめんなさい。あ、レイチェルさんには古典語の文献を読むお手伝いをしてもらっているんです。お恥ずかしい話ですが、私、ほとんど古典語の読み書きができないので……」
普段の生活で使われている新約語に対し、公式文書や学術文書などで用いられる古典語は、厳密さや表現力に優れるものの比較的難解であるため、一般的な庶民にはほとんど馴染みのない代物である。仮にルティアが学ぼうとしても、古典語を教えることのできる者など、モフトの街にすら数えるほどしか存在しないだろう。
一方で、領地を持つレベルの階級にとっては必須の教養であるため、王国聖剣士となったアレスも必死に習得を続けており、一年かけてようやく最低限の読み書きができるようになってきたところである。もちろん、とてもではないがレイチェルのように専門書の翻訳などができるレベルには達していない。
「古典語は本当に訳がわからないからな……しかしレイチェルの言う通り、度が過ぎてもいいことは無いぞ。さんざん無理して倒れて俺に心配かけまくった本人が言うんだから間違いない。もう少し限度を弁えていれば、もっと効率よく勉学も進んでいただろうに」
アレスの言葉に、レイチェルが露骨に目を逸らす。
そんな会話を繰り広げながら――
アレスたちがこの家で過ごす、最後の夜が更けて行った。