#19
その後、二人は短い会話を交わした後に店を出た。
別れ際に、隊長は滞在先の宿の場所と名前を記した紙を渡してきた。曰く、気が変わったらいつでも『彼女』を連れて来てほしい、とのことらしい。
「……しかし、そろそろ移動しないとまずいな」
アレスは思わずそう呟いた。アレンハイム隊長が自分を目撃した、という情報が王都に着くまでに最速で一週間、それを聞きつけたどこぞの勢力が本格的に動いたとしてそれがここまでたどり着くのに更に一週間。そう考えると、この街の近くに滞在できる限度はあと二週間未満ということになるだろう。
「アレスさん! お待たせしました」
声をかけられて振り返ると、そこには何やら重そうな荷袋を背負ったルティアの姿があった。
「いや、俺もさっき来たばかりだ。先程そこで知人とばったり出くわして――それよりその荷物、この荷車に乗せた方がいいんじゃないか?」
「そうですね、さすがにこれを背負ったまま村まで帰るのは大変そうです」
そう告げながらルティアが荷車に荷袋を置くと、見た目よりはるかに重そうな金属音が辺りに響いた。そしてルティアはそのまま荷車を牽こうとし――
「いや待て、君がそれを牽いてどうするんだ」
「えっ?」
本気で意味がわからない様子で首を傾げるルティアを前に、アレスは大きくため息をつく。
「……これから聖剣を作るというのに、無駄に体力を消耗してどうするんだ」
本当はそれ以前の問題だとアレスは思ったが、ルティアにとって一番効果的だろうと思われる言葉を選んで口にする。
「ええと、その、お客さんにこんなことお任せするのは心苦しいですが……お願いいたします」
そんなやり取りの後、二人はモフトの街を後にし、元来た道を辿って行った。
帰りは山賊に出くわすこともなく、山道に差し掛かっても荷車はすいすいと動き――空が赤くなり始める頃にはティティスの村に辿り着いた。
「すみません、荷車、重くなかったですか?」
「一応これでも現役の戦士だからな、この程度ならどうということはない」
正直言ってルティアでも運べないことのない重さではあったが、さすがに本当に牽かせていたらそれなりに大変な目に遭っていただろう――と考えていたところで、村の正門の見張り台から叫ぶ人の声が聞こえてきた。
「おお、ルティアちゃんにお客さん! 良かった、無事だったんだ」
「何かあったんですかー!?」
ルティアが叫び返すと、見張りは緊張した様子で返してくる。
「いいから早く中へ! 中に入ればとりあえず安全だ!」
アレスとルティアは思わず顔を見合わせつつも、言われた通りに早く村の中に入ることにした。
村に入ってすぐのところで、待ち構えるように立っている霊剣士のグレンは開口一番、こう告げてきた。
「村にとんでもない奴が襲ってきたんだ。明らかにヤバい魔剣を持った魔剣士だったんだが」
「何だと……」
アレスは思わず言葉を失う。
悪魔の宿る武器である『魔剣』、そしてそれを携える魔剣士の力は、場合によっては霊剣士を凌駕し聖剣士にも劣らないと言われている。しかも多くの場合、悪魔の影響を受けて思考が凶暴化、あるいは残虐化していることが多く、極めて危険な存在として認知されている。
そのため、王国では魔剣の製造・所持・使用は原則として禁じられているが、それでも犯罪組織が魔剣を密造し、配下を魔剣士に仕立て上げ、そしてその力を使うことは決して珍しいことではない。とはいえ、本来なら村の自警団ごときがどう逆立ちしても対抗できるはずの存在ではなく、領主が軍を動かして討伐に動くべき事態であるのは間違いないだろう。
「半端な使い手じゃなかったぜ。何しろ八闘神が俺を含めた二人で、しかも二人とも融合状態で全力でかかってようやく追い払えたって感じだからな」
「ど……どんな奴だったんだ?」
アレスの問いに、グレンは視線を空に向けながら答える。
「あー、俺やあんたと変わらないくらい年頃の男だったな。服装から察するにありゃ間違いなく深淵党の一味だろう。かなり小柄で、なんか髪が紫色で――とにかくすげぇ破壊力の魔剣を振り回してて、危うく連れの霊剣が砕かれるところだった。あーそうそう、最初に襲ってきた時『レイチェルをよこせ』みたいなこと言ってたな。それが人に物を頼む態度か馬鹿野郎いっぺん死んで出直して来い、って言ってやったらいきなり襲いかかって来やがって」
「間違いない……奴だ」
アレスは歯噛みする。もう少しで聖剣が手に入るかもしれない、というところで、一番厄介な奴に追いつかれてしまったらしい。
「知ってる奴なのか?」
「俺たちを追う追っ手の一人で、俺の聖剣を砕いた奴だ。まさかもう嗅ぎつけられるとは思っていなかった。これ以上ここにいるわけには――」
「まあ落ち着けよ。なんか深い事情があるみたいだが、とりあえずあの魔剣士に関する話くらいは聞かせてくれないか?」
グレンにそう問われて一瞬悩んだが、ここまで巻き込んでしまった以上は言わないわけにも行かないだろう。アレス当時の出来事を思い出しながら話し始めた。
「俺たちは訳あって王都から逃避行を続けている最中なんだ。で、最初のうちは追っ手と言っても、いかにも下っ端みたいな連中か、さもなくば賞金稼ぎみたいなのが襲ってくる程度で、聖剣を開放状態にするまでもなく追い払えたんだが――」
聖剣や霊剣は、状況に応じていくつかの形態に変化する。
適切な所有者がただ持っているだけの状態は『待機状態』と呼ばれ、この状態においては、岩を叩いても刃こぼれしないほど極めて頑丈であること以外に、特段の取柄は無い。
そこから一段階進んだ状態が『開放状態』であり、この状態になるとその剣特有の力を発揮することができたり、加えて使用者を防護する力場が常時展開されることになる。特に聖剣はこの防護の力が強力で、これを純粋に物理的な力で打ち破ることは極めて難しいとされる。ただしその反面、開放状態の維持を続けると徐々に体力を消耗し、おまけに刀身が傍目にもわかるほどに光を纏うようになるので、人通りのあるところで使うと目立って仕方がない。そのため、アレスはこの逃避行の最中は極力この状態を避けてきた。
更にそこから一歩進んだ『融合状態』になれば、防護の力は物理的に具現化し、服や鎧となって所有者の身を直接的に守るようになる。さらには剣自体の放つ破壊力も桁違いに高くなるが、体力や精神力の消耗の程度も開放状態とは桁違いとなり、一時間も続ければその場で昏倒してしまうだろう。
実はもう一段階先があるのだが、アレスはそこまでは試したことも誰かが試したところも見たことがないので、何が起きるのかはっきりとしたことはわからない。
というのも、特に聖剣においてよく見られる現象として、使用者の能力に比べて剣に宿る天使の力が強すぎる場合、形態を進めれば進めるほど、使用者は一時的に何らかの代償を負うことがあるのだ。例えばアレスの場合、当時の聖剣を開放状態にすると左手に痺れを感じ、融合状態にまでなると左半身がまともに動かせなくなってしまっていた。これ以上先の段階に進めば、次は心臓が止まってしまっていたかもしれない。
その辺の事情は、霊剣士であるグレンにはわざわざ言わなくてもある程度わかっているだろうと判断し、アレスは話を先に進める。
「しかしある時を境に、追っ手の数が極端に減って、代わりに一人一人が強力になったんだ――さすがに数を揃えても聖剣には勝てないと気付いたんだろうな。霊剣士に襲われたのが二回、魔剣士が三回――聖剣を開放状態にして戦うことで、そこまでは何とか撃退できた」
「するってぇと、さっき来たあの魔剣士が四人目、いや霊剣士から数えると六人目ってことか?」
「その通りだ。奴の狙いもレイチェル……のはずなんだが、何故か俺に向かってものすごい殺意を向けて来てな。持っている魔剣も、他の魔剣と違って怪しい特殊能力を発揮したりはしなかったが、とにかく破壊力だけは物凄かった。俺も聖剣を開放状態にして対抗したが、このままじゃ叩き折られかねない勢いだった。そこで最後の手段として、訓練でしか使ったことのなかった融合状態にまで進もうとした。だが――」
「まさか、融合状態になっても勝てなかった、と?」
グレンの問いに、アレスは静かに首を横に振った。
「さすがに弐次元天使の宿る上位聖剣と融合して勝てない魔剣士なんてのが出てきたら、それだけで国を揺るがす一大事だ。そうではなく――単に融合状態に進めなかった。訓練の時は一度もそんなことは無かったんだが」
「おいおい、それはそれで一大事じゃないのか? で、そのまま聖剣を叩き折られてしまった、と」
「情けない話だがその通りだ。折られると同時に行き場を失った力が暴発して互いに浅くない傷を負ったが、その隙に何とか逃げ出すことに成功したんだ。で、失った剣の代わりを求めてここに辿り着いたわけだ」
「はー、何と言うか、それはまさに天の導きとしか言いようがないねぇ。せっかくだから、満足行く剣が出来上がるまでゆっくりしていってくれよな。まああのルティアちゃんのことだから明日にも仕上げちまったりしかねないが、俺らとしてはあまり早すぎても困るんだよなぁ」
アレスはグレンが何を言っているのかわからず、思わず目を瞬かせる。
「ええと、今の話だと、まるで俺たちがしばらく長居した方が都合がいい、みたいに聞こえるんだが……そんなことしたら村に危険が及ぶんじゃないか? もしもまたあの魔剣士が襲ってきたら……」
「それこそが俺たちの狙いなのさ」
グレンは自信満々に告げる。
「二対一ではギリギリだったが、さすがに準備万端整えた上で八闘神が三人全員でかかればいくらなんでも倒せる。この地上から悪魔野郎を一匹でも多く減らす――一年前に五人を失った俺たち八闘神と、そして村人たちの誓いだ」
「悪魔野郎? それは魔剣士を指して言っているのか?」
「ただ魔剣を持ってるだけじゃない。奴ら自身が、本物の悪魔の血を引いていやがるんだ。そういう奴のことを、ここでは悪魔野郎って呼ぶんだ」
「悪魔の血……聞いたことはあるが」
アレスがかつて聞いた話では、かつて天使と悪魔が天空で争っていた神話の時代、地上に舞い降りた悪魔は人間の力を利用するため、人間と交わって子をなしたという。やがてほとんどの悪魔が地上から追い払われた後も、悪魔の血を引いた人間達は恐るべき力を振るい、この地上を長く支配したと伝えられている。
そして、その血筋は極めて薄まったものの今でも絶えることなく続いており、時折先祖がえりのごとく悪魔の血の力に目覚める者がいるという。そのような者は大抵の場合、恐るべき力に加え、悪魔譲りの凶暴かつ冷酷な性向をも有しているため、社会的に極めて危険な存在になると言われている。
王国の公式見解としては、このような話はあくまで神話の時代の話であり、天使が勝利した今では悪魔の血など残っていないとして、このような噂話を公共の場に流すことは禁じている。しかしながら民間伝承としては各地で語り継がれており、本気でその存在を信じている者もいまだに少なくないだろう。
「奴は一年前にこの村を襲った連中と同じ、悪魔の血を引く人間だ。目を見ればわかる、悪魔の血がもたらす衝動に身を委ねた人間は、皆ああいう目をしているんだ」
言われてアレスは思い出す。確かにあの魔剣士の目の奥には、底知れぬ昏い光が灯っていたが――
「どちらかというと、あれは魔剣の影響なんじゃないか?」
「ああ、それはむしろ逆だ。悪魔の血を引いた者は、どうやら高確率で魔剣に主と認められるらしい。もちろん魔剣を持たない悪魔野郎もいっぱいいたが、どいつもこいつも魔剣持ちに負けない勢いでイカれてた」
「そういうものなのか……」
「とにかく、そんなわけなんであんたやレイチェルちゃんには、少なくとももう一度奴がここを襲ってくるまでは滞在してて欲しい、ってのが俺たちの勝手な願いだ」
「さすがにあまり長居すると他の追っ手まで来るから無理だろうが……まあ、お言葉に甘えてもう少しだけここに居させてもらおう」
アレスはグレンにそう告げると、レイチェルの待つ工房へと足を進めようとし――そこで、それまでじっと黙って話を聞いていたルティアの様子に気づく。
「どうしたんだ? ずいぶんと難しい顔をして……」
「お願いですアレスさん。もしも私が聖剣を無事に完成させたら――今度こそ、その追っ手の魔剣士を倒して下さい」
そう真剣な表情で語るルティアに、アレスは思わず訊き返す。
「それはまあ、当然そうする必要が出てくるだろうが……何故君がそれを?」
「それは……私の父も、悪魔の血を引く深淵党の魔剣士に殺されたからです。あの連中を一人でも減らさないと――私みたいに取り残される人間が増えていきます」
口調は淡々としていたが、そのあまりにも揺るぎの無さすぎる眼差しに、アレスはしばし言葉を返すことができなかった。