青葉の季節
小説本文 今朝も食堂には、春の日差しが差し込み、穏やかな波の音が聞こえてくる。私は、シャツに皺がないのを確認して、そこでいつものように朝食を召し上がっている伯爵に歩み寄った。
「おはようございます。ご主人様」
伯爵に新聞、手紙、コーヒーを手渡す。毎日のことだ。
彼はいつものように返事もせずに受け取り、コーヒーをすする。
「ふむ。これは?」
今朝届いた手紙の封筒を伯爵はつまみ上げた。
「さぁ。伯爵宛でしたので、中身は存じません」
伯爵は封筒を開けて、中身を確認する。
徐々に彼の顔は青ざめていく。その手から封筒がこぼれ落ち、床に金色の髪が散った。
「ご、ご主人様! 一体何が書かれていたのですか!」
伯爵は、はっとして床を見ると、そこにひざまづいて散らばった髪の毛を拾い集め始める。
「シャーリー、シャーリー、っは、は」
彼は手にいっぱいその髪を握り、胸に押し当てた。
私はテーブルに落ちた手紙を手にし、その内容に驚愕した。
シャルロッテ・セイレン・ラメール嬢が逝去されました。
お嬢様は、外出中に賊に襲われ、誘拐された挙げ句殺されたという趣旨だった。
「嘘だ! そんな、でたらめ信じない」
「アーノルド様!」
何度も、何度も拳を叩きつけ、伯爵の手は赤くなっていた。
最愛の奥様を亡くしてからというもの、伯爵は感情を表に出すことをやめてしまった。後に残されたシャルロッテ様をも遠ざけ。幼いお嬢様には酷だったろう。しかし、そのお嬢様の命まで。
伯爵は、何度も何度も「信じない」と繰り返した。
「ジョシュ。私の荷物をまとめろ。王都へ向かう」
「仰せのままに」
伯爵の目は、怒りと憎しみに燃え、体はふるふると震えていた。それは、ちょうど十年前に奥様が亡くなられた時と同じだった。
「いらっしゃいませー」
振り返ると、上質な背広と、帽子にステッキという出で立ちの紳士がいた。
「シモンさん。今日は何になさいますか?」
彼は帽子をかけると、いつものカウンター席についた。
「今日の店番はベルちゃんでしたか。それでは、アールグレイを頂こうかな」
彼はそう言うが、ここのところ毎日店番は私だった。そして、彼も毎日のように来てはアールグレイを飲んで帰る。しかし、今日は少しちがった。
「新聞は読んだかね?」
「ええ。驚きましたね。まさか王様に弟君がいらっしゃるなんて」
そう。サフランが正式に公爵となり、そのニュースが国内の全紙面を飾ったからだ。
「ふむ。それもそうだが、ここを」
テーブルに広げた新聞の三面、小さな記事を指差して、彼は私にこう言った。
「ラメール伯爵家の一人娘が誘拐されたそうだ」
「誘拐!? 死んだのではなく?」
私の言葉に、シモンさんは、おや?と目を丸くしてみせた。
「い、いえ、確かそういう噂がありましたから」
「ああ、確か二週間前くらいに、そんな噂がありましたね。しかし、死体は発見されず、伯爵令嬢のものと見られる髪の毛が送りつけられただけだそうで」
そりゃそうだ。私はこうして生きているのだから。
「年はちょうど、ベルちゃんと同じくらいだね。髪の色も。痛ましい事件だよ。犯人からの要求もなく、警察も足踏み状態らしいよ」
「そ、そうですか」
シモンさんは、知ってか知らずか、先ほどから核心をついてくる。
「でも、だとしたら刑事事件でしょう? どうして三面記事なんです?」
「うむ、これも噂なんだけどね、どうやら伯爵の狂言じゃないかと言われているんだ。再婚したばかりで、前妻との子供が邪魔だったんじゃないか、というね。根も葉もない噂だが、これが息子だったら話も違ったろうと言われていてね」
女性が家督を継ぐのは、禁じられてはいないが、慣例としてはやはり男子が継ぐものだ。
「ゴシップ扱い、ですか」
シモンさんは肩をすくめた。まぁ、噂も事実なとこあるし、仕方ないけど。
「まぁラメール伯のお嬢様といえば、うちの店に唯一来ていないご令嬢だからね、本当に存在していたのか、とそっちのほうが驚きだがね」
意外と彼はおしゃべりだ。洋服店の経営者だからか、貴族の世界にも精通している。ウヴァは彼がどっかの貴族の次男坊だと言っていたっけ。
「本当にシモンさんのお店は女性たちに人気ですものね」
「ありがたいことにね。そうだ、ベルちゃんも店においで。秋服を作ってあげよう」
シモンさんは、私に申し出てくれるが、彼のお店は貴族令嬢御用達ということもあって、お値段もお高めだ。そんな考えが顔に出ていたのか、シモンさんは笑った。
「ベルちゃん、お金のことは気にしなくていいんだよ。ああ、できれば新作のモデルになってもらいたいくらいだけどね」
私はモデルの話はやんわりと断って、ありがたく服を作ってもらうことにした。
「今日もありがとうございました」
シモンさんを見送ると、もう日が傾きかけていた。
カップやソーサーを洗い、店じまいの準備をする。ちょうど棚拭きをしようと思っていたところ、店の扉が鐘の音をさせて開いた。
「いらっしゃいませ……あ」
振り返ると、サフラン・ピエ・ボヌールが立っていた。夕焼けを背にして立つ彼の顔は逆光でよく見えなかったが、不思議とそれがローリエではなくサフランだということははっきりと分かった。
「おう。元気か」
まぁ、国王はふらっと店には来れないわよね、と苦笑しながら、彼に席を勧めた。