ルドルフの一日 2
エルザとの慌ただしい婚前旅行を終えたカールは休暇気分が抜け切らないまま、台所の一角で午後の休憩を向かえていた。ギコギコと椅子を鳴らしながら小鳥が降り立つ庭をぼんやりと見つめていると、裏口からルドルフとエルザが大荷物を持って入ってきた所だった。
「ルドルフさんの生態って今だに謎だよな」
エルザは相変わらずモンフォール伯爵家とベルトラン侯爵家を行き来している。ルドルフがモンフォール伯爵家に来る事は減ったが、こうしてたまにエルザの荷物持ちとして姿を見せる事があった。
侯爵家の筆頭執事を顎で使うエルザも大したものだが、ルドフルがこうもエルザに尽くしている所を見ると、結婚していると言われてもモヤっとした気持ちが広がるのだった。
「まあ謎って所も含めていい男だよ、ルドルフさんは」
感慨深くそう言うグリは、机に出されていたクッキーを貪り食っている。ボロボロと零しながら自分で言った言葉に妙に納得しているようだった。
「汚いなもう」
「自分だって落としてるって!」
中に入って来た二人は明らかに呆れた顔をしながら買い物袋をどさりを置いた。
「二人ともしょうがないんだから全く」
ブツブツ言いながらもクッキーのカスを拭いていくれようとしたエルザの手をルドルフが止めた。
「何もエルザさんがそこまでする必要はないですよ。何でも自分でやらないと覚えませんから」
「おいカール! ルドルフさんに呆れられたじゃないか! どうしてくれんだよ!」
「どうもこうもこぼしたお前が悪いんだろ!」
「もう喧嘩はおしまいです! じゃないと夕飯のおかずを半分にしますよ!」
その瞬間、三人がキョトンとした。
「それではエルザさん、私はこれで失礼しますね」
「あ、はい! ありがとうございました。助かりました」
すぐに出ていくルドルフの背中を目で追い掛けていたグリは、「普通は夕飯なしですよ、じゃない? ルドルフさん優しくない?」と呟いた。
机に広げられた書類の束を見つめながら、ルドルフは深い溜め息を吐いていた。眉間にはシワが入っているし、眼光も鋭い。パラパラと何度も往復する書類は何を見ているのかは分からなかったが、それでもかなり難しい案件なのだという事は見て取れる姿に、使用人達は遠目に様子を伺っていた。
(さて今日の献立は何にしようか)
趣味で集め出した異国のレシピを前に、ルドルフは悩んでいた。
「クミンにカルダモン? ウコンは知っているが手に入れにくい材料だな」
ブツブツ呟いていると、頭上に影が出来た。
「後ろから覗くのはお止め下さい。みっともないですよ」
「お前の様子が変だと入り口で立ち往生している者達がいるからわざわざ見に来たんじゃないか」
この屋敷の主はそう言いながら、ルドルフの手元にある書類の束を読み込み始めていた。
「お前は凝り出すととことんだからな。でもそれなら西の国から輸入出来るんじゃないか?」
「本当ですか!? 間違いありませんか?」
「ああ。何に使うのかは分からないが、確かアータシュ王子から送られてきた輸入品リストの食品項目の中にそんなよく分からない名前が並んでいたな。一昔は武器の貿易が多かったようだが、向こうの国も随分変わったものだ」
「それは私が拝見しても良いものでしょうか?」
「構わないがそんなに食い付く物か?」
その瞬間、ルドルフは立ち上がっていた。
「もちろんですよ! それらの香辛料があればジュブワ王国で一気に異国の食文化が花開きます! きっと西の国の料理を扱う店が一気に増え、専門店も出来るでしょう。その輸入を一手に引き受ける事が出来れば……」
「待て待て! 今西の国と貿易に向けて商談を勧めているのはモンフォール伯爵家なんだからモンフォール伯爵に相談してみろ」
「そうでした。まさか向こうがモンフォール伯爵家を通せと言い出すなんて驚きでしたが、モンフォール一族は人を惹き付ける一族ですから、きっと上手く西の国とも交渉なさる事でしょう。ですがいいのですか?」
「どういう意味だ?」
「アータシュ王子は本当にカトリーヌ様をお諦めになられたのでしょうか? あれだけ自信に満ちた見目麗しい男性に言い寄られたら悪い気はしないでしょうし、過去の事を考えたら運命めいたものさえ感じます。アルベルト様は一度奥様を傷付けていますし、今から乗り換えるなんて事もあるかもしれませんよね」
「カトリーヌに限ってそんな事はない!」
しかしルドルフは感慨深く唸った。
「いやいや、これからずっと西の国とモンフォール家がより深く縁を結んでいくとすれば、いずれまた結婚の申し込みに来られるかもしれませんよ。アルベルト様がグズグズしている間に掻っ攫われるかもしれませんね」
その瞬間、アルベルトはバタバタと部屋を出て行ってしまった。
「ぜひベルトラン家も貿易の話に口を出せるようにお願い致しますね! ……っと、これで香辛料系の手配は問題なしと」
「うげぇ、辛ぁ」
「……僕も嫌い」
試しにと譲り受けた香辛料を使って作ってみた西の国の郷土料理にスタンとガルベンは、見た事のないような微妙な顔で食べるのを止めてしまった。
「ロズとディアナにやるよ」
「二人にはまだ早いんです!」
二人から押して寄越された皿にディアナが手を伸ばそうとするのを必死で止めている間に、ロズが手を突っ込みぱくりと食べてしまった。
「ロズ! 大丈夫ですか? ロズ?」
辛味は後からやってくる。それは実証済みだったが、ロズはしばらく口を動かすともう一口と手を伸ばした。
「ロズ? 辛くないんですか? 食べられますか?」
恐る恐る覗き込むと、ロズはコクコクと無表情で食べながら頷いた。
「すげぇロズ! こんな辛いの食えるんだ! すっげぇ!」
「気に入ってくれて嬉しいです。でもあまり沢山は食べない方がいいのでこのくらいで止めておきましょうね」
「や――!」
茶色いベチャッとした手でルドルフのシャツを掴み、更に横に振ってくる。ロズが食べれるならともう一度挑戦した男二人は、一度目と同じ表情で顔を見合わせていた。
「これはジュブワ王国の国民に受け入れてもらうには改良が必要ですね」
静かになった家の中で、ランプの消し忘れがないかを確認し、最後に寝室へと入って行く。隣りではすでに眠っていたはずの妻のクレアが薄目を開けた所だった。
「起こしましたか?」
「うんん、少し目を瞑っていただけ」
金色の前髪から覗く瞳が優しく微笑む。その瞼に口づけを落とすと、そっと毛布の中に入った。
「今日は随分変わった匂いがするのね」
クレアはすっぽりと懐に抱かれてクンクンと鼻を動かした。
「ハハッ、子供達には不評でした。刺激は強いのであなたは出産が無事に終わってからにしましょう。それまでに改良して食べやすくしておきますよ」
「それは楽しみね。最近は寝てばかりでごめんなさい」
「いいんですよ。私こそあなたに何度も大変な思いをさせてしまい申し訳ありません」
「謝るのはなしって決めたじゃない。二人で望んだ子だもの」
「そうでしたね。匂いは大丈夫ですか? 少し離れましょうか?」
「気にしなくていいから。それよりその話し方」
諭すように胸が弱く叩かれる。ルドルフは乾いた笑い声を上げた。
「悪い。気を付けてはいるんだけど一度気を抜くと素が出てしまうから」
「家にいる時くらいは素でもいいでしょう? 家では夫でお父さんなのよ」
「でもスタン達にもそろそろ執事とは何たるかと学ばさせていかないといけないし」
「あの子達に執事が向いていると思う?」
そう言われれば返す言葉もない。もちろん絶対に執事にならなければいけないという家系ではない。とはいっても、親子二代に渡って由緒あるベルトラン侯爵家に仕えているし、可能ならば同じ道を進んで欲しいと思っていた。それでもどうやらクレアは違うようだ。
「スタンとガルベンは無理よ。執事向きじゃないわ。ロゼはマイペース過ぎるし、ディアナはまだ分からないけれど強要はしたくないわね」
「もちろん強要するつもりはないよ」
「信じて待ちましょう、私達の子だもの」
クレアはそっと起き上がると、薄い頬に口づけをした。唇が重なろうとした瞬間、クレアはぐっと屈んだ。
「どうした? もしかして陣痛か!?」
クレアは顔を歪めながら笑うと頷いた。二人は予め決めていたように動き出した。
「スタン、ガルベン」
ルドルフは出来るだけ声を抑えると、眠る息子達を揺すり起こした。
「今から妹か弟が生まれるぞ。言われた通りに出来るな?」
二人は一気に目が覚めた顔で頷いた。
「ガルベンはお母さんに付いていなさい。スタンはもし妹達が起きたら面倒を見てくれるな? 私は産婆を呼びに行ってくるから。出来るか?」
二人はいつになく凛々しく頷くとそれぞれ部屋を出て行った。
「ギャ――! ォギャ――!」
一際大きな声が家中に響いたのは、夜が明けてすぐの事だった。
「あなた、男の子よ」
「毎回思うが、子を生んだ君は神々しく見えるよ。ありがとう、愛している」
五人目は男の子。この子はきっと兄と姉達の愛情を一身に受けて育つ事だろう。スタンとガルベンは居間でいつの間にかロズとディアナを抱きながら眠りに落ちていた。毛布は妹達にだけ掛けてある。ルドルフはスタンとガルベンをそっとソファに寝かせるとその上に毛布を掛けた。
「お疲れ様、お兄ちゃん達」
そしてディアナとロズを抱き上げると、寝室へと戻って行った。
「皆さんおはようございます。それでは朝礼を始めますよ。まずは本日屋敷にお客様がいらっしゃいますが……」
(……さてと、愛する妻と五人の子の為に今日も働きますか)




