第38話 王家の血を引く者達
「それで? その場でお返事されたのですか?」
興味津々のジェニーから逃れるように、夢の中を行ったり来たりしているフェリックスを抱き上げた。
玄関の方で馬車の音が聞こえてくる。勢いよく入ってきたのはアルベルトだった。
「準備出来たみたいだな。フェリックスをこちらに」
「お昼寝してしまったのでグズるかも知れません」
「その時は仕方ないさ」
そんなやり取りを見ていたジェニーは羨ましそうに呟いた。
「アルベルト様素敵です。そんな貴賓の方々がいらっしゃる中に飛び込んでいくなんて普通なら出来ませんよ」
「下手したら国際問題になりかねなかったんだから」
ジトッとした視線をアルベルトに向けながら突然背後に現れたルイスは、この所ぐっと背が伸び、ジェニーはいつの間にか見上げる格好になってしまっていた。
「僕はそんな場所に飛び込むような真似はしないけどな」
「……そうですよね」
「僕ならそんな事態になる前に絶対にこの手を離さない」
ぐっと強く握られた手が後ろに隠される。カトリーヌ達が手を振る姿にとっさに空いている手を振ると、一瞬首を傾げられた。
「ルイス様! 離れて下さい」
「いいじゃないか。婚約者なんだから」
そう言って後ろに繋いだ手は更に力が込められた。
「……後ろからは丸見えなのよね」
「確かにな」
エルザとカールは廊下に背を突きながら息の合った相槌を打った。
馬車に乗るとふわりと甘い香りが満ちていた。椅子の上にはちょこんとエレナの菓子店の包みが二つ置いてある。
「アータシュ殿がここの菓子を気に入ったのなら土産にと思ってな。あとこれはカトリーヌとフェリックスに。この包みを見たら食べたがるだろう?」
「良くお分かりで。ありがとうございます」
そう言ってフェリックスを抱いて両腕が塞がれているアルベルトの頬に口づけをした。
「な、こんな格好の時に卑怯だぞ」
そう言いながらも無理やりに頬に唇が押し付けられてくる。その時、フェリックスが大きく身じろぎをした。
「これ以上はフェリックスが起きてしまいますから」
「そうだな。ゆっくり寝かせてやろう」
あの日の温室でのアルベルトの熱烈な求婚は、フィリップスの盛大な笑い声で吹き飛ばされた。
「フッ、フハッ」
口を押さえ屈みながら笑いを堪えたフィリップは、謝りながらも笑いを堪える事が出来ないようだった。
「ごめ、続けて。ブフッ」
「陛下。とうとうおかしくなりましたか」
「違うんですアルベルト様。陛下は私にご協力下さったんです。下さったんですが……」
カトリーヌもプルプルと堪えているフィリップの様子に次第に冷静さを取り戻していた。
「我慢しようと思ったんだけど、アル君があまりにも必死だからおかしくて」
「必死で悪かったですね。カトリーヌ、協力とはどういう事だ?」
「アルベルト様がいつまで経っても結婚しようと仰ってくれないからですよ! アルベルト様がお手紙をご持参下さる前に本当は陛下から事前に手紙を頂戴していたんです」
するとアルベルトは目も口もポカンとしたまま言葉を失っているようだった。温室の中の音は一切漏れない。そのお陰で外から警備する者達は何事かと周囲に集まり始めていた。
「カトリーヌは俺と結婚したかったのか?」
カトリーヌは真っ赤な顔でギュッとスカート部分を握り締めた。
「しばらくは恋人気分で居たかったのは本当です。でも離れて暮らす内に、帰る家が同じだったら、一日の最後にその目に映すのが私だったらという思いが強くなったんです」
「カトリーヌ……」
「さあさあ邪魔者は退散しようじゃないか。アル君、お詫びに今日はもう非番にしてあげるからちゃんと素直になるんだよ。さてさて、我々は三カ国同盟でも結ぶとしようか」
「まさかお二人共もグルですか?」
「大丈夫ですよ、ちゃんと見返りは頂きますから」
「俺は四番目の妻にと思っているのは本心だ」
フィリップは上機嫌に、アデルは無表情のまま、そしてアータシュは諦めたように甘ったるい笑顔を浮かべたまま温室を出ていく。
「四番目の妻ってどういう事だ?」
「そこはお気になさらないで下さい! 好きな人と結婚したいと思うのは当たり前の事ですよね? 変な意地を張るのはもう止めます。私、アルベルト様と結婚したいです」
その瞬間、カトリーヌはアルベルトに抱き締められ、その反動で宙に浮いていた。
シャー・ビヤーバーンの使節団を見送る為に外壁の外に到着したカトリーヌ達は、アータシュ達を見つけた。
カトリーヌ達が到着するのを待っていたように馬に乗ったアータシュが近付いて来る。颯爽と馬から降りると干したてのシーツのような匂いがした。
「あなたに会えて良かった」
「私でもです。どうか奥様やお子様達とお幸せにお過ごし下さい。もう私達は友好国なのですからいつでもお越し下さいね」
「あぁカトリーヌ! 一度抱き締めても?」
「駄目だ」
答える間もなくひょいっと後ろに抱えられ、アータシュとの間には距離が出来てしまう。見上げると機嫌の悪いアルベルトが片手で菓子を押し付けていた。
「なんとあの菓子店か! また食べたいと思っていたんだ!」
「用意したのはアルベルト様で……」
「あ! それクマさんとこのだ!」
寝ているからと馬車の中に置いてきたフェリックスだったが、いつの間にか目を覚ましていたらしく、騎士に抱き上げられたままこちらに向かってくる。アルベルトはそれを馴れた手付きで受け取った。
「息子のフェリックスです。ご挨拶してね」
「フェリックスです、四歳です」
するとアータシュはフェリックスに視線を合わせて少し屈むと、ニカッと白い歯を見せて笑った。
「偉いなフェリックス。お前は父にも母にも似ているようで将来が楽しみだ。そうだ、俺の娘の婿になれ。どうしてもというなら娘を嫁がせてもいいぞ」
「あらどうする? フェリックス」
ぐっと顔をアルベルトの首に埋めたフェリックスはブンブンと首を振った。
「会ってもないのにそんな約束出来ないよ。どんな子かも分からないのに」
「それもそうだな! 敏い子だ! それなら年頃になったら娘の姿絵を贈ろう。気に入ったら会ってみてくれ」
フェリックスは真顔のまま頷いた。満足そうなアータシュを乗せた馬がどんどん離れていく。その背はあっという間に地平に消えていった。
「グロースアーマイゼ国の王子と一緒に居た女のあの雰囲気、強力な呪師の一族だろ。まだ生き残りがいたなんて驚きだったけど、殺さなくて良かったのか?」
アータシュの少し後ろを走っていたハーミは、アータシュの馬の横に付ける為に少しだけ速度を上げた。
「殺してなんになる。もう砂漠の民ではないんだから深追いする必要はない」
「もし報復してきたら? 一族の恨みとか言ってさ」
「それでも今は何もしていないだろ。それなのに地の果てまで追い掛けて根絶やしにでもするつもりか? 我が一族はそんな野蛮ではない」
「そりゃそうだけどよ、もし俺があいつの立ち場だったらきっと復讐するだろうと思ってな」
「ご先祖様が戦って得た勝利だ。だから俺達もその時は真っ向から迎え撃つ」
「頼りがいのある時期族長だこと」
「茶化すな」
馬の足音が速くなっていく。土埃が舞い、二人と他の者達の距離はどんどん開き始めていた。
「カトリーヌ様の事は本当にもういいんだな? あんなに探していたのによくあっさり諦めたもんだ」
「あっさり見えたなら良かった。顔を見れば分かる。彼女の運命の相手は間違いなくあの男なんだ」
「お前がいいなら良いけどよ」
「でも本当にあの方にそっくりだった」
「別にそれくらい正直に話せば良かったんじゃないか? 最初からあなたに会いに来たってさ」
「今の生活を嘆いているならと思ったが、あれだけ仲の良い姿を見せつけられたんだ。諦めるしかないだろ」
「男の鑑かよ……っておい! 馬鹿! 何してんだッ!」
アータシュは折り畳まれていた姿絵を胸元から取り出すと、ビリビリに破いて空に放った。
紙吹雪はあっという間に散り散りになりもう行方は分からない。ハーミはとっさに一欠片だけ掴み取った。そこは女性の目元だった。
「まあ初恋は実らないって事か」
真っ直ぐに見つめてくるその目は薄青い瞳の色をしていた。
「どんなに似ていても違う人なんだよな」
ハーミは持っていた紙切れを指先から離した。
離れの塔の前に立つ兵士達は国王の姿を見るなり、今日ばかりは横にずれた。
「ご苦労様」
――コンコンコンッ。
返事はない。
――コンコンコンッ。
「返事をしてくれないか?」
フィリップは無機質な扉に手を付いた。
「フェンゼン大公の処分を一応耳に入れておこうと思ってね。大公家は取り潰しになり、大公妃は実家に戻され屋敷内での生涯軟禁を命じられたよ。側近達は罰を受けてもらうけれどそれ意外は働き口を確保された」
それでも返事はない。
「フェンゼン大公に加担していたドウラ子爵は爵位を剥奪されて、後継者はベルガー辺境伯の縁者を置く事になったんだ。町の者達は王家の監査が入ったと知った途端、掌を返したように白状したよ」
フィリップ自身が元ドウラ領を調べ尽くすように命令すると、町の人々はフェンゼン大公を慕っていたはずではと問いたくなる程に不要な事まで洗いざらい話し出した。
その中でも話題の中心となったのが大型船の船長と乗組員だった。
「事の顛末はベルトラン侯爵家の船強奪や殺人にまで遡ったけれど、これでようやく亡くなった元船の乗組員達も報われるだろうね。この件に関わった者達は皆強制労働に送られる事になったよ。衣食住には困らないし体の丈夫な者達だから罰が軽いやしないかと思ったが、こちらとしても何十年前の事件を供述以外に証明する物がなかったから、当のベルトラン侯爵がそれでいいと了承した判決になったんだ」
相変わらず反応はない。眠っているのか、それとも聞こえない場所に移動しているのだろうか。フィリップは扉を抑えていた手に力を込めた。
「最後にフェンゼン大公だが、処刑が決まったよ」
その瞬間、扉のすぐ向こう側でくぐもった声がした。
「兄さん? そこにいるんだよね?」
「……いつだ?」
それは酷く苦しそうな、痛々しい声だった。
「それは教えられない」
「大公と話がしたい。最後に、少しでいいから」
「それは出来ないよ」
言い切ると扉を激しく叩く音がした。待機していた兵士が駆け寄って来るが、フィリップはそれを制した。
「兄さんはモンフォール領での災害をまだ無関係だと思っているの?」
「災害だったんだから僕は関係ないだろ!」
「確かにモンフォールに水が流れ込まなくても別の地に流れ込んでいたかもしれない」
「災害は読めないから怖いんだ。人間がどうこう出来る事じゃないんだよ」
「でもフェンゼン大公はそれを利用したんだ。結果として水害の被害はモンフォール領に集中した。モンフォール領で亡くなった人達にも最後に話をしたいと思う者達がいたという事を忘れないで」
「それは……」
「彼らはなんの前触れもなく大切な者達と別れ、無慈悲に全てを奪われてしまったんだよ。それを意図して起こしたのはフェンゼン大公なんだ」
ガタリと扉の下の方で音がする。フィリップもとっさに膝を付いた。
「フェンゼン大公から預かってきた言葉があるんだけど」
「何だ」
「“あなたの母を信じて欲しい。聡明で優しく、強く、一点の曇りもない人だった。私だけが手に入らない者を渇望してしまったんだ”。フェンゼン大公に子がいないのは、大公妃とは白い結婚だったからだそうだよ」
「待て! 待ってくれ! それなら僕は本当に父上の子なのか!?」
フィリップは立ち上がり扉に背を向けた。
「フィリップ待て! 母上は本当に不貞を働いていないのか? 今すぐにフェンゼン大公に会わせてくれ! お願いだ!」
「あなた達は答え合わせをしてはいけない。これが国王としてあなた達に与える最後の罰だ」
フィリップが離れていく足音と共に、塔の最上階からは激しい音が聞こえてきていた。
「今後私がいいと言うまで食事は兵士が三名以上で運び、出口の警備を強化しろ」
「脱走の意図があるとお考えですか?」
「あの人には不可能だろう。それでも注意は怠るな」
「はッ!」




