第13話 嬉しくない知らせ
二年後
「ジェニーこっち!」
「はいはい、フェリックス様はお早いですね」
二歳になったフェリックスはやたらジェニーを気に入り、モンフォール家に連れて行った時にはすぐにジェニーを連れ回すのが日課になっていた。とは言ってもトコトコとしか歩けないその足取りに、ジェニーが付き添って歩いているのだが、本人はジェニーの指を二本ぎっちりと掴み、エスコートしているかのように前を歩いている。そんな姿を微笑みながら紅茶を飲んでいると、扉が思い切り開かれた。
入ってきたルイスはフェリックスを見るなり仁王立ちになった。
「女に囲まれてばかりいては腑抜けになるぞ!」
「ルイスいや、きらいッ」
フェリックスはプイッとそっぽを向くとジェニーのドレスをぎゅっと掴んだ。
「そんなにしてはジェニーのドレスが傷んでしまうわよ」
しかしルイスから隠れるように更にドレスの中に潜り込もうとするフェリックスをルイスがひょいと持ち上げる。一気に開けた視界に驚き、ドレスを掴んでいた手が離された。その瞬間、屋敷中に甲高い泣き声が響き渡った。フェリックスは手足を何度も伸ばしながらルイスの手の中から逃れようとする。しかしこの二年ですっかり背が伸び、日々の訓練で体つきもしっかりしたルイスから脱走する事は不可能だった。
「ルイスもこんなに立派になって……」
感慨深くその光景を見つめていると、ルドルフが部屋の中に入ってきた。手には包みと花束を抱えている。それを見た瞬間、その包みが自分の物だと信じて疑わないフェリックスは、今度こそルイスの手から這い出ようとこれでもかという程に大きく跳ねた。さすがのルイスもフェリックスを床に降ろしてやると、ルドルフに突進していった。
「フェリックス様、お父様からですよ」
「とうさま! とうさまから!」
まだ幼いフェリックスが“とうさま”と呼ぶ意味は分かっていないと思う。プレゼントを送ってくれる人が“とうさま”だと思っている可能性の方が高いかもしれない。
アルベルトは半年に一度フェリックスに贈り物をしてくれた。もちろん戦場では準備出来ないから、おそらくリストを見て選んだのだろう。戦場にいる者達が妻や恋人、子供などに贈り物を選ぶ為のリストがあると聞いたのは、初めて贈り物が届いたフェリックスが六ヶ月の時だった。
一番最初に届いたのは大きなクマのぬいぐるみ。あまりに大きいので置き場には困るし、フェリックスはまだ遊べないし、しばらくは部屋の隅に放置されていた。まだ一歳くらいの頃はその大きさ故に、そのクマのぬいぐるみを見る度に大泣きされていた。しかし二歳になった今は、むしろそれに寄りかかったり抱きついたりして遊ぶのがお気に入りになっていた。
今度は何が来たのかと、バリバリと開けられた包みの中から出てきたのは、精巧な作りのチェス盤だった。
「まだ二歳なのよ……」
カトリーヌは呆れたように言ったがフェリックス自身は意外と気に入っているようで、特に分かりやすい形状だからかナイトの駒を持つと部屋の中を走り出した。
「おうまーー!」
その様子を見ながらルドルフが花束を差し出してくる。そこには“妻へ”とだけ書かれたカードが必ず付いていた。カトリーヌはほとんど心が動かないまま受け取った。
「毎回花の指定もあるそうですよ」
「そうなの。お花なんてご存知なのかしら」
結婚する前にも季節の花が送られてきていた。当の本人は妻に花を送っているという事を知らなかったようだったが、思わず零れ出た本音に思わず口を花束で隠すと、さっと顔に笑みを貼り付けた。
「お礼のお手紙を書いてくれる? それと寒いだろうから身体の温まるお酒も一緒に送って頂戴。夫の好みが分からないからいつも通りあなたに任せるわね」
離婚を切り出されたあの日から、こうして贈り物への礼状もお返しの品も全てルドルフに準備してもらっていた。意地を張っていると言わればそれまでだが、それがせめてもの矜持だった。
ふと、そのチェス盤に視線を落とすとキラキラと輝いているのが目に入る。フェリックスが興味ない方の駒やチェス盤に触れると、そこには宝石が埋め込まれているのが目に入った。キングやクイーンにはダイヤモンドとルビーが嵌め込まれて、盤の縁はベルトラン家一族の髪色と同じ濃い青色が美しいサファイアが並んでいた。
「とても美しいわね」
あまりの綺麗な輝きと装飾に惚けていると、そばでビリビリに破かれた包み紙の中から一通の手紙が見えた。
「なにかしら」
急に手が震え出してしまう。そして開いた手紙には短くこう書いてあった。
ーー近日中に帰還する。息子に会えるのを楽しみにしている。
「奥様? 大丈夫ですか?」
「……アルベルト様がご帰還されるそうよ」
「ようやくですか。戦争はもう一年も前に終結していましたから、待ちくたびれてしまいました」
「仕方がないわよ。戦争は後の処理も大変だと聞いたもの。でも、そうなの。……アルベルト様がお帰りになられるのね」
自分でも信じられない程に声が震えていた。そのままずるりと床に座り込んでしまう。ナイトを持って遊んでいたフェリックスは、床に座ったカトリーヌの膝へと飛び込んできた。
「かあさま見て、おうまの目!」
目には黒曜石が嵌め込まれている。無邪気に持って遊ぶには高価過ぎるこのチェス盤は、今のアルベルトそのものを表しているように思えた。
「本当にキラキラしていて綺麗ね」
「うん! きれい!」
フェリックスは屈託ない笑顔を向けて、母親の膝をコロコロと行ったり来たりしながらナイトを握り締めていた。
「やっぱり送らなくても大丈夫ですよ? ルイス様も城に戻られるのでしょう? 我が家に寄っては遠回りになってしまいます」
ジェニーは屋敷まで送っていくというルイスを何度か断ったが、結局ルイスは頑なに一步も引かなかった。
「フェリックスに振り回されて疲れているだろ。それにそんなに遠回りじゃないから気にするな」
「気にしますよ! うちは貧乏男爵家ですから、モンフォール伯爵家の方々に我が家をお見せするのは恥ずかしいんです」
ジェニーの家は一応王都にはあるが、平民の家々がある場所に近かった。屋敷と言ってもむしろ商家の方が大きな家を持っているし使用人もずっと多いはず。ジェニーの家には長い事働いてくれている使用人が二人いるだけで、ほとんど庶民の暮らしと変わらないものだった。洗濯もするし料理もする。そして長男以外は、例えばカールのように他の貴族の家へ使用人として勤めに出ていた。
「うちだってベルトラン家から借りている屋敷なんだから別に気にするような事じゃないだろ。第一、私とお前はもうそんな風に遠慮するような間柄じゃないだろ」
「いえいえいえ! 天と地の差があります!」
ルイスは騎士団に入団したと同時に僕から私というようになり、背もぐっと伸びて急に大人っぽくなった。それでいてセリーヌ譲りの美しい顔立ちに金髪をしているものだから、ジェニーは狭い馬車の中で今まで感じた事のないような緊張感の中にいた。
「どうかしたのか? そんな端に寄ってないでもっとこっちに来いよ」
無造作に覗き込んできた薄青い瞳と、目の前にはらりと掛かった金色の髪が美しくて、ジェニーは悲鳴を上げた。
「な、ちょっと離れてください! 少し離れてくださいってば!」
「……なんだよ、変な奴だな」
そう言いながら窓枠に頬杖を付いたルイスの顎の線やしっかりした腕に視線を向けてしまったジェニーは、とっさに視線を外すと勝手に熱くなった顔を押さえていた。馬車はやがてゆっくりと止まり、扉が開いた。
「それじゃあ、ありがとうございました。帰りもお気を付け下さいね」
見送る為か馬車から降りようとするルイスを慌てて手で押し込んでいると、笑っていたルイスが一瞬表情を固めた。手でルイスを押したままジェニーもその方向に視線を向ける。そこには丁度通り掛かったと思われる平民の女性達が立っていた。しかし貴族の馬車だと分かるとすぐに頭を下げてしまう。ジェニーはルイスを仰ぎ見た。
「ルイス様が行かないとあの子達が帰れませんよ」
「あ? あぁ、そうだな」
しかしルイスはもう一度頭を下げている女達を見ると、難しい顔をしながら馬車の中へと戻って行った。
「ルイス様、ご気分でも悪くなったのかしら」
ルイスの曇った表情が気になってしまい、離れていく馬車を見送りながらジェニーは再びその女性達に視線を戻すと、一人の女性が顔を上げかけ、再びパッと下げた。
「お嬢様! お帰りなさいませ。もう暗くなりますから中にお入り下さいな」
「そうね、風が冷たくなってきたみたい」
門の前を掃いていた年重の使用人の声に、ジェニーは足早に屋敷の中へと入っていった。




