第12話 あなたの子を産みました
「少し眠ったらどうだい?」
「フィリップ様こそお休み下さい。この所ずっと仮眠のみですよね?」
天幕の中、アルベルトは何やら考え込んでいるフィリップに毛布を押し付けた。
「無理にでも眠って下さい。指揮官のあなたに潰れられてはこちらも困ります」
「素直に心配だから休んでくれと言えばいいのに」
笑いながらフィリップは毛布を受け取ると、言われた通りに横になった。
「諦めが悪いですね。分が悪いのは向こうの方でしょうに」
モンフォール領に入り、追い付いたグロースアーマイゼの軍勢とは均衡状態が続いていた。
「諦めが悪い所を見ると奴らもそう簡単には引かない気なのだろうね」
「城からグロースアーマイゼ国に使者を出しているはずですが、交渉はどうなっているでしょうか」
フィリップは天井を見上げながら小さく息を吐いた。
「話し合いが出来るくらいならそもそも侵攻などして来ないさ」
「このまま攻め入るつもりなら王都の本隊をここに呼ぶしかないでしょう」
「年単位の長期戦は避けたいし、なんとか敵将を叩ければいいけど、向こうはどうやら高みの見物を決め込んでいるらしいからね」
「捕らえた者達も将の事は知らなかったですし、どう考えても不気味過ぎます」
「兵は寄せ集めと傭兵といったところだろうが、統制は不安定でありながら崩れていない所を見ると、ある程度この状況を読んでいたと見るべきか。武器が途切れないのも気になるね」
「殿下、そろそろモンフォール領に何があるのか教えて頂けませんか?」
この数ヶ月、戦闘に明け暮れてずっと聞けずにいた事を思い切って問いかけてみたが返事はなく、その代わりに聞こえてきた寝息に小さく溜息を吐いた。
「フィリップ殿下はいらっしゃいますか?」
天幕の外から声が掛かる。アルベルトは寝入ったフィリップを起こさぬように外に出た。
「殿下は休まれているがどうした?」
「ベルガー家経由で物資が届きました。アルベルト様宛のお荷物もこちらに運び入れて宜しいでしょうか?」
「ああ頼む」
兵士が運んできたフィリップ宛ての荷物を枕元に置き、アルベルトも自身の荷物を解いていく。そしてはらりと一通の手紙が落ちていく。そして差出人を見固まった。
――差出人はカトリーヌ。
急いで封を開けて中身を確認するやいなや、アルベルトはすぐに天幕を出て今来た兵士を大声で呼んだ。
「この手紙はいつ預かったんだ!?」
別の天幕に荷物を運び込んでいた兵士は慌てて戻ってくると、アルベルトの握っている手紙を見て首を傾げた。
「王都からの荷物とベルガー家で預かっていた荷物をひと纏めにして参りましたので、そのお手紙がいつ預かったかは分かりかねます。ベルガー家に確認に行って来ましょうか?」
しかしアルベルトは手紙を握り締めたまま首を振った。
「そこまでする必要はない。呼び止めて悪かったな」
兵士は申し訳なさそうに離れていく。アルベルトは手紙をもう一度見返した。
「おそらく身籠ったと分かってすぐに出してきたのか」
そうだとすればずっと返信をしていなかった事になる。妊娠を報告して返事がなかった事をカトリーヌはどう思っただろうか。想像するだけでも苦い思いが胸一杯に広がった。
「俺の子か」
初夜の夜、酷い抱き方をしてしまった。たった一夜で子を身籠ったカトリーヌが不憫でならない。とにかく夜が明ける前に返信を書くべく、アルベルトは自室にしている天幕へと戻って行った。
「奥様! アルベルト様からお手紙です!」
珍しく声を張り上げたルドルフが部屋に飛び込んで来る。すぐに少し汚れた手紙が目に入った。心臓が激しく鳴りながら受け取った手紙の封を開けると、目を通して小さく息を吐いた。
「……手紙は手違いで届くのが遅かったみたい」
「戦地はこちらが思うよりも混乱しているものです」
「でもまだ帰れそうにないみたいね」
「すぐに疲弊したグロースアーマイゼ国を追い返して帰還されますよ」
「そうね。そうだといいわね」
カトリーヌは手紙をお腹に持っていくと、そっと押し当ていた。
「お父様よ。とても綺麗な字をお書きになるわね」
繊細な字に、いつかの丈夫な体つきが思い出される。
「きっと根はお優しい方なのよ。あなたの事も喜んでくれているわ」
二ヶ月後
「んぎゃーー! おぎゃーー! おぎゃーー!」
一際大きな泣き声が屋敷中に響き渡ると、廊下に押し寄せていた人々は安堵の声を上げた。姉が産気づいた報告を受けるやいなや城から駆けつけていたルイスは、産婆が扉を開けると素早く身を滑り込ませてた。
「ご無事ですか!?」
ルイスはまずカトリーヌの無事を確認してくると、腕の中にいる小さな赤子にちらりと目をやった。
「これが姉様の子……」
「これですって。酷い叔父様ね」
その後にぞろぞろと入ってくる家族達を見ながらカトリーヌは微笑んだ。身体は重く、本当は目を開けているのも辛い。それでも今はこの腕の中にある軽くて重い命の感覚を噛み締めていたかった。
「男の子よ。名前はお父様に決めて頂きたいの」
すると父は目に涙を溜めて驚いた。
「アルベルト様に決めてもらった方がいいだろう?」
「でもアルベルト様は遠くにいらっしゃるもの。返事が来るかも分からないわ。その間呼ぶ名前がないなんてこの子が可哀想よ」
すると父親は咳払いをして頷いた。
「実は名前は考えてはあるんだよ。フェリックスはどうだろうか」
「……フェリックス、いい名前ね。あなたの名前はフェリックスよ。早くアルベルト様にも会わせてあげたい」
カトリーヌは腕の中で小さく動いている柔らかな頭にそっと頬擦りをした。
カトリーヌから戦地に届けられた二通目の手紙に素早く目を通したアルベルトは、深い溜息を吐いた。
「無事に生まれたか」
感慨深く手紙を見ていると、ひょいっと覗いてきたフィリップが間延びした声を上げた。
「ほ――ん、アル君お父さんになったんだね。おめでとう」
「ありがとうございます。息子だそうです」
「これでベルトラン侯爵家は益々安泰という訳か」
「妻には感謝しています。一人で辛かったでしょうに」
「二人共辛い時期を過ごしたんだから偉い偉い。でも息子君に会えるのはいつになることやら」
アルベルトはしばらく考え込んだのち、紙とペンを手に取った。その手紙の内容を覗き込んだフィリップは珍しく驚きを隠さない表情でアルベルトを見た。
「アル君、本気?」
「本気ですよ。というか私的な手紙なので覗かない下さい」
「でもそれ」
「妊娠を知らされた時から考えていた事です」
「他人がとやかく言う事じゃないけれど、でもちょっと意外だったかな」
「意外とは?」
「後悔しないならいいんじゃない」
アルベルトは手紙を折ると封筒に入れた。心変わりしないうちに手早く封蝋をして伝達係に渡すと、夜明け前の空を見上げた。そして土の匂いを胸一杯に吸い込んだ。
フェリックスは日に日に大きくなり、顔つきもどんどん変わってきていた。うっすらと生えているのはアルベルトと同じ濃く青いの髪。出産してすぐに屋敷を訪れたベルトラン侯爵は、ベルトラン家の血筋の証である髪色を見て、満足気に“良くやった”と短く言うと部屋を出て行った。
スヤスヤと眠る我が子を見ながら、愛しさよりも先に安堵が心の中に広がっていく。容姿は見てすぐにベルトラン侯爵家の血筋だと分かる。もし子が出来なかったら、男児を産めなかったら、似ていなかったらという責務からまずは解放された事に少しだけ心が軽くなっていた。
ーーもし次に生まれるのが女児でも、自分に似ていてもきっと大丈夫よね。
そう思いながら、眠る我が子の丸い額にそっと触れた時だった。
「奥様、またアルベルト様からお手紙が届きました」
手紙を持ってきたルドルフは眠っているフェリックスを見て声を小さく潜め、手紙を差し出してきた。
「こんなにお早くご返信があるとは、アルベルト様もきっとお子の誕生を心待ちにされていたのでしょう」
ルドルフから受け取った手紙をすぐに開封してみる。そして震える手で手紙を開いた。きっと息子の誕生を喜んでくれているに違いない。短くてもいいからその言葉が欲しかった。
「奥様いかがなさいました?」
「アルベルト様はご無事よ。ただ」
「ただ?」
「男児を産んだ私はもう用済みみたいね。離婚すると書いてあるわ」
「離婚!? 他にはなんと書いてあるのです?」
カトリーヌはそれ以上話すのを止めると、手紙を投げるようにルドルフに渡した。受け取ったルドルフは読んでいいものか躊躇ったようだったが、すぐさま全文に目を通していく。そして深い溜息を一つ落とした。
「全く、あの馬鹿は」
貴族間では当たり前の政略結婚。アルベルトは元々結婚自体する気がない人だとも聞いていた。それでもカトリーヌを受け入れてくれた。それで十分ではないか。
「しばらく一人になりたいわ。フェリックスも連れて行って頂戴」
「しかし今動かせば起きてしまうかもしれません」
「またすぐに眠るわよ」
有無を言わせないその声にルドルフがフェリックスを抱えていく音がする。案の定、扉の閉まる音に驚いたフェリックスが廊下の向こうで泣き声を上げているのが聞こえてくる。カトリーヌは毛布を頭から被ると目を瞑った。
愛されたかった訳ではない。でも互いに支え合い思いやれるパートナーになりたかった。
「離婚したらモンフォール家はどうなるの」
男児を産んだのだから支援が打ち切られる事はないだろう。でも今更、出戻った所でルイスの邪魔になってしまう。今は騎士団に身を置いていても、いずれは伯爵家を継ぐ身。妻を娶れば小姑など邪魔なだけ。気分はどんどん重たくなっていったが、色々な思考が一通り頭の中を駆け回ると、妙にすっきりとした気分になるから不思議なものだった。
「そうね、そうするなら今出来る事は一つよ」
乳が張り出して痛み出す。カトリーヌは別室で眠っていたフェリックスを見下ろした。不意にフェリックスの頬に水滴が落ちる。
「あれ……私……」
拭っても拭っても溢れてくる涙に、そのまま泣き崩れた。
「奥様! こちらにフェリックス様が……」
ルドルフは部屋にフェリックスがいない事に気づき、急いでカトリーヌの部屋に飛び込んできた。そして腕に抱かれて乳を飲んでいる姿にとっさに背中を向けた。
「申し訳ございません! フェリックス様がお部屋にいらっしゃらなかったものですから」
「いいのよ。いなくて驚いたでしょう」
「乳母は手配してあります。宜しければ今すぐ呼びますか?」
「手伝ってもらう事もあるでしょうが、フェリックスの事は出来るだけ私が面倒を見るわ」
「しかしアルベルト様のお手紙には……」
口の周りをミルクで濡らしたフェリックスが小さな口を離したのを見て服を戻すと、ゲップが出るように優しく背中を叩く。やがて腕の中でウトウトとし始める高めの体温を感じながら、カトリーヌはずっと背中を向けているルドルフに声を掛けた。
「今から言う事を手紙に書いてくれる? これから手紙を出す時はあなたが代筆をして頂戴」
「かしこまりました。なんとお書きすれば宜しいでしょうか」
カトリーヌは寝息を立て始めたフェリックスをベッドに戻すと、真っ直ぐにルドルフを見た。
「アルベルト様が帰っていらっしゃるまで離婚は致しません。まずは息子の為にも無事にご帰還ください。そしてアルベルト様が戻られた時、その要求に応じます。ですが一つだけ……」
ルドルフは最後の言葉を聞くと目頭を揉み、小さく息を吐いた。
「それは叶うか分かりませんが宜しいのですか?」
「いいのよ。アルベルト様は戦場にいらっしゃるのだから離婚するのも容易ではないもの。戦場と書類のやり取りなんて難しいでしょうし、そんな事をしている暇があるのならすぐにでもグロースアーマイゼ国を追い返すべきよね?」
「その通りでございます」
心臓がバクバクしている。自分でも興奮しているのだと分かって恥ずかしくなってしまった。
「まだお母様達には伝えないで頂戴。きっと不安になるはずだわ」
「しかしすでにアルベルト様からご連絡がいっている可能性もあります」
「そうね。だからそうじゃない事を祈るわ。さあ早く手紙を書いて頂戴」
そこから手紙の返事が来たのは一ヶ月以上先の事だった。
手紙にはカトリーヌの好きなようにしていいという短い文が書かれており、最後の願いについての返事はなかった。そして手紙の筆跡は前に貰った手紙とは違い、見覚えのない筆跡だった。




