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胃袋をつかみたいのです(怜奈視点)


なんということでしょう!

電気ケトルでお湯を沸かしながら、私は鼻歌を口ずさむのを必死で耐えました。

だって、私の部屋に雅人くんが居るのです。

ここ数週間、メッセージでのやりとりしか出来なかったというのに、この快挙!

これはもう奇跡なのではないでしょうか。


マグカップにインスタントコーヒーの粉を入れながら、顔がにやけるのを止められません。

雅人くんは、私の部屋に入るなり居心地が悪そうに正座して、落ち着かない様子でした。

私の部屋に来るのも、あまり乗り気ではなかったみたいです。

だというのに、重い荷物を私に持たすのは悪いからと、きちんと家まで運んで下さったのです。

本当に優しい人だと思います。

しかも、雅人くんは今、私のためにパソコンの立ち上げまで行ってくれているのです!

私が頼んだのではなく、自分からやると言って下さったのですよ。

淀みなくパソコンの配線を整え、慣れた手つきで機械を弄るその様は、惚れ惚れするくらい格好良いです。


たぶん、雅人くんは私のことを苦手に思っています。

一緒に出かけてよく分かりました。雅人くんはある一定以上私に近づこうとはしませんし、私と話すときも警戒しているというか、どこか緊張した様子です。

だというのに、私のことをあれこれと気にかけてくれています。

私を迷惑だと思っているなら、冷たく突き放せば良いのに……きっと、出来ないのでしょう。


ほんの少しずつ、雅人くんのことが分かってきたような気がします。

警戒心が強くて、臆病で、自分に自信がない。

他人に近づきたくないと思っている癖に、人が困っていると気になって仕方がない、優しい人。

思えば初対面のときだって、雅人くんから声をかけてきてくれたのです。

物凄く声をかけづらそうな顔をして、それでも、プリンターを詰まらせて困っていた私を助けるために、小さな声で話しかけてくれたのでした。

今だって、不本意そうな顔をしながら、それでも真剣な目でパソコンの立ち上げをしてくれています。

雅人くんを知るたび、少しずつ彼に近づけてるような気がして嬉しくて、心が温かくなるのです。



「ありがとうございます、雅人くん。コーヒー、入りましたよ」


湯気が立ち上るマグカップを小さなローテーブルに置くと、作業をしてくれている雅人くんに声をかけました。


「ああ、うん、ありがとう」


雅人くんは短く返事を返すけれど、コップに手を伸ばすことなく作業を続けます。

作業中に声をかけて邪魔されるのを、多分、雅人くんは嫌うのでしょう。

だから、私は黙って雅人くんの作業が終わるのを見守ります。

しばらく時間をかけたあと、ようやくひと段落ついたようで、雅人くんが手を止めてカップに手を伸ばしました。


「コーヒー、入れ直しましょうか? 少し冷めてしまったかも」

「お構いなく。ぬるいのも嫌いじゃないから」


こくりとコーヒーを一口飲んで、雅人くんは部屋の中に視線を彷徨わせました。

私はあまり物を持たない主義なので、部屋の中は散らかっていませんが、雅人くんに見られていると思うと少し落ち着かない気持ちになります。


「何か気になるものでもありました?」

「いや、なんていうか、女の子の部屋だと思って」

「そうですか? あまり可愛くない部屋だと思うのですが」


雅人くんの言葉に私は首を傾げます。部屋の色はベージュと白がベースですし、女性らしい可愛い雑貨なども置いていません。男性的だとは思いませんが、どちらかといえば中性的な部屋だと思います。


「いや、その、匂いが……」

「匂い? え、何かくさいですか!?」

「違っ、そうじゃなくて、むしろ良い香りというか、上月さんの香りがするというか……いや、ごめん。違う。こんな変態的なことを言うつもりでは無くてだな」


雅人くんは顔を真っ赤にしながら、首を大きく左右に振りました。


「なんていうか、その、石鹸的な香り? が、するのが、俺の部屋と違うというか……」

「石鹸? 芳香剤は置いていないんですけど、トリートメントの匂いですかね?」


ワンルームだとどうしても狭いので、匂いもこもりがちになってしまうんですよね。

わりと匂いが強めのトリートメントを使っているので、その所為かもしれません。


「変なことを言ってごめん、気にしないで。いちおう、パソコンのセットアップ終わったし、このコーヒー飲んだら、もう帰るから」

「え、もう帰ってしまうんですか!?」


そそくさとコーヒーを飲み干そうとした雅人くんに、私は慌てて声をかけます。


「待って下さい。その、良かったら夜ごはん、一緒に食べませんか? 私、今日のお礼に奢りますから」


買いものをして、パソコンのセットアップをしてもらって、そろそろ夕方です。

今日一日のお礼と、もう少し雅人くんと一緒に居たいという気持ちをこめて私が誘うと、雅人くんは両手を横に振って拒否しました。


「いや、お礼されるほど大したことはしてないし」

「そんなことありません。とても助かりました」

「でも、上月さんに奢られるのは悪いし。それに、上月さん、パソコン買って結構お金つかっただろ?」

「それでも、雅人くんにお礼をするくらいは残っていますよ?」

「俺が気になるから。本当に、お礼はいいよ」


固辞する雅人くんを、どうすれば説得できるでしょうか。

私は少し悩んでから、ポンと手を打ちました。


「それじゃあ、夕飯を作るっていうのはどうですか?」

「え?」

「どうせ私は自炊ですし、一人分つくるのも、二人分つくるのも同じですし」

「うええ!? ちょ、部屋にお呼ばれプラス手料理とか、マジなんのイベントだよ……!?」


雅人くんは片手で顔を覆いながら天井を見上げます。


「駄目ですか? これなら、大してお金もかかりませんし、気持ちだけでも、お礼がしたいのですが」

「え、いやでも、悪いし」

「悪くないですよ!むしろ、何もお礼出来ない方が困ります。駄目ですか?」

「えっと、じゃあ、少しだけ……」


しつこく食い下がると、雅人くんは勢いに押されるように首を縦に振ってくれました。

言質が取れればこっちのもんです。私は嬉しくてにっこり笑いました。

男の人は胃袋を掴めと言いますからね。

雅人くんの口に合うかは分かりませんが……まあ、毎日自炊していますし、それなりのものは作れると思います。


私は鼻歌を歌いながら、廊下にある狭いキッチンスペースへと向かいました。

学生ワンルームの宿命ですが、うちのキッチンはとても狭いです。人が一人立てる程度のスペースしかありませんし、流し台に蓋するようにまな板を置かないと調理スペースがとれません。コンロはかろうじて二口ですが、狭いスペースに並んでいるので、大きい鍋を置くともう片側が使えないというありさまです。

そんな狭いスペースでも、電子レンジを駆使しつつ、なんとか料理ができるもんです。


さてと、何を作りましょうか。

私はちらりと雅人くんを見ます。雅人くんは待っている間、色々と使いやすいようにパソコンの設定を弄ってくれているようです。とても助かります。

普段は野菜中心の節約メニューなのですが、やっぱり男性はお野菜よりもお肉でしょう。長い時間待たせるのも悪いですし、あまり手の込んだものは止めておいた方が良いですよね。

私は3食自炊ですし、まとめ買いする派なので、わりと色々な食材があります。昨日スーパーに行ったばかりですしね。


豚肉があるので、生姜焼きにしましょう。

素早くタレを作って生姜をすりおろし、豚肉に塩コショウを振ってから小麦をまぶして混ぜ合わせます。肉を漬け込んでいる間に、お味噌汁とポテトサラダを作ります。昆布とかつおで丁寧にダシを取ると、花かつおのふわりとした良い香りがしました。

ダシを取っている間に、仕切りを入れた鍋で玉子とジャガイモ、人参を茹で、ポテトサラダに使うキュウリに塩を振って水気を抜いておきます。ジャガイモが茹であがったら、熱いうちに皮を剥いて塩コショウと酢で味をつけ、木へらでマッシュします。男爵芋なのでわりと簡単にホロホロと崩れていきます。潰し過ぎないで、少しホクッとした食感を残すのが私好みの作り方です。粗熱が取れたらしっかり水を抜いたキュウリ、ゆで卵、マヨネーズを加えてサラダの完成です。

サラダが出来ると、タレにつけておいた生姜を焼きます。同時に手早くつけ合わせのキャベツをみじん切りにして、お味噌汁を完成させます。

両面をさっと焼いてお肉の色がかわったら、余分な油をさっと拭き取って、タレを回し入れると、生姜のツンとした良い香りが漂いました。


「なんか、すごく良い匂いがするんだけど」

「もうすぐできるので、机を片付けていただいてもかまいませんか?」


私の言葉で、雅人くんが机に乗せていた荷物を脇に退けました。

炊飯器で炊いておいたお米をよそい、お味噌汁とポテトサラダ、生姜焼きを並べます。


「紙皿で申し訳ないのですが」


一人暮らしなので、食器は必要最低限しか揃えていません。誰かが来た時用に、使い捨ての紙皿は数種類ストックしてあるので使ったのですが、こんなことならお客様用の食器を揃えておくべきでした。


「冷蔵庫にあったもので作ったので、手の込んだ料理じゃないですけど……」

「いや、十分美味しそうだし」


並んだ料理に、雅人くんは目を丸くしています。頂きますと手を合わせて、割り箸をパチンと割りました。

美味しいと思って頂けるでしょうか。

私はドキドキしながら、雅人くんの様子を伺います。雅人君は少し迷ってから、まずお味噌汁を口にしました。味わうようにごくりと飲み込んだ後、生姜焼きに手を伸ばします。

じっと見られているのも食べにくいだろうと思って、私もお箸に手を伸ばしました。


まずはポテトサラダを口に入れます。ジャガイモを噛むと甘みが舌の上にホロっと零れ、マヨネーズの酸っぱさと絡むのが好みの味です。ときおり混ざるキュウリのシャリっとした食感もたまりません。

お味噌汁の具は、豆腐とわかめと長ネギです。花かつおと麦味噌の香ばしい香りを吸い込みながら、シャキシャキしたネギを奥歯で噛み潰しました。良い感じにダシが効いていると思います。

生姜焼きには、片栗粉でとろみをつけたタレをかけています。甘辛いタレと柔らかいお肉を絡めて、キャベツを挟んで口に入れます。噛めばしつこすぎないお肉の脂が舌の上に広がって、白米が食べたくなり、箸がすすみました。


無言でご飯を食べているうちに、気がつけば雅人くんが全ての料理を完食していました。


「ごちそうさまでした」

「早いですね。その、お口に会いましたでしょうか」

「……信じられないくらい美味しかった」


褒めてくれているのですが、何故か雅人くんは憎らしいような顔で、空になった皿を睨んでいます。


「えっと、あの、美味しかったんですよね?」

「なんか、悔しいくらいに美味しかった。ナニモノだよ上月さん。その外見で料理まで出来るとか、ハイスペックすぎて逆にビビるんだけど、生姜焼きめちゃ旨かったし、ポテトサラダも箸が止まらん。マジでいろいろ反則だろ……」


雅人くんは小声でぶつぶつと呟きます。

ええっと、内容は褒めてもらえているんですけど……なんでそんなリアクションなんでしょうか?

私が不安になっていると、雅人くんはハッとした表情で首を左右に振ってから、小さく笑みを作りました。


「ごめん、ちょっと神様の不条理に絶望してた。いや、マジでごはん美味しかったです。上月さん、料理上手いんだな。すげーわ」


私としては、パソコンを自作できる雅人くんの方が凄いと思うのですが。


「料理は慣れているだけですよ。自炊歴が長いので」

「長いって、大学入ってからじゃないの?」

「あー……中学の時に母が他界して、それからずっと、料理は私の担当だったんです」


私が言うと、雅人くんは気まずい顔で動きを止めました。


「え?……あ、その、ごめん。悪いこと聞いた?」

「気にしないで下さい。もう、昔のことですから」


私は努めて明るく言いました。母が亡くなった当時は落ち込みましたが、父と二人の生活にも慣れましたし、今は独り暮らしです。


「くも膜下出血で、本当に突然倒れて、それきりだったんですよ。まさかこんなに早く母が亡くなるとは思っていなくて、当時はとても混乱しました」


この世界は、前世の記憶にある世界よりもずっと平和で、医療設備も整っていて、平均寿命も長い。

だから油断していたのです。

人は突然死ぬ。昨日まで元気に笑っていた人でも、ある日突然、いなくなることもある。

そのことを、前世でも知っていたはずなのに、油断していて思い知らされました。


「こんな平和な世の中でも、死は転がっている。だから私は、後悔しないように自分に素直に、全力で生きたいなって思っているんです。雅人くんには迷惑をかけてしまっているみたいですけど……」


好きな人には好きと伝えたい。

いささか暴走している自覚はあるけど、それでも、諦めたくなんてないから。


「……上月さんは、凄いな」

「え?」

「や、なんでもない」


雅人くんは言葉を飲み込むように首を左右に振ってから、小さく息を吐きだしました。


「今日はもう帰るよ。その、ご飯、どうもありがとう」

「あ、いえ、こちらこそありがとうございました」


私が慌てて頭を下げると、雅人くんは荷物をまとめて家を出ます。

なんとなく雅人くんの目が諦めたような、どこかさびしそうな風だったのが気になったけれど、私はかける言葉も見つけられず、ただ黙って雅人くんを見送るだけでした。


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