ままならないそれぞれの思い(怜奈視点)
どのくらい泣いていたのでしょうか。
気がつけば日はすっかり沈んでいて、東の空に少し欠けた月が浮かんでいました。
いつまでもこうしている訳にはいきません。
腫れぼったくなった瞼を擦ると、私は駅に向かって歩きだしました。
ぐずぐず泣いていた所為で、帰宅ラッシュと重なる時間になってしまいました。自業自得とはいえ、この格好と泣き腫らしたこの顔で電車に乗らなければならないのかと思うと気が重くなります。
力なくふらふらと歩いていると、後ろからやってきたバイクが、私を追い越したところで止まりました。
「上月さん?」
バイクの主に名前を呼ばれて、驚いた私は顔を上げます。
彼はバイクのエンジンを止めると、黒いヘルメットのシールドをパチンと上げました。
シルバーのヘルメットからのぞいた顔は、私がよく知るものでした。
イケメンと評判の(どの辺りがイケメンなのか私にはよく分かりませんが)永吉くんです。
永吉くんは私の顔を見て、驚いたように目を見開きました。
「どうしたの上月さん。何かあった!?」
その慌てた声を聞いて、私が今、酷い顔をしていることを思い出しました。
「……どうもしません。なんでもないんです」
「なんでもないって様子じゃないでしょ」
私は誤魔化すように目元を擦りましたが、腫れは引いてくれません。
案の定、永吉くんは納得してくれず、何があったのかを詮索してきます。
「その、できれば、放っておいて欲しいのですが」
申し訳ないと思いながらも拒絶すると、永吉くんは細い眉毛をふにゃりと下げて、心配そうに言いました。
「そんな顔した永吉さんを、放ってなんておけないよ。今から帰るところ?」
「はい」
「上月さんって、家はどこだっけ。確か、一人暮らしだったよね?」
永吉くんの質問の意図がつかめないまま、問われた通りに自宅のある駅名を答えると、永吉くんはタンデムシートにぶら下げた予備ヘルメットをポンと叩きました。
「事情を言いたくないならさ、せめて家まで送らせてよ」
「え、でも……」
「そんな状態の上月さんを、一人で電車になんて乗せられないよ」
気遣うように顔を覗きこまれて、私はウッとのけ反りました。
永吉くん、悪い人ではないのですが……やはり、容姿が苦手です。
永吉くんの容姿はともかく、私を心配してくれているのは間違いなさそうです。それに、こんな格好で電車に乗るのを躊躇っていたのも事実です。ここは、お言葉に甘えましょうか。
「家までじゃなくて、家の近所のファーストフード店までなら」
「相変わらずガードが硬いね。了解」
永吉くんに家の場所を教える気にはなれなくて、それでも良いならという気持ちで告げると、あっさりと承諾してくれました。私にヘルメットを手渡すと、永吉くんの後ろに乗るように言われます。
バイクの二人乗りなんて初めてです。慣れない手つきでヘルメットをかぶり、恐る恐るシートにまたがります。え、これ、持つ場所とか無いんでしょうか。
「これって、後ろはどこを持てばいいんでしょうか?」
「俺の腰のところに手回して、しっかりつかんで」
何処となく嬉しそうな声でそう言われて、私の頬がひくりと動きました。
腰に手を回すって、後ろから永吉くんに抱きつけってことですか?
「やっぱり、私、降ります」
「んじゃ、動くからしっかりつかまってね!」
「え? うわああああ、ちょっと!」
私の言葉を遮るように動き出したバイクに、私は慌てて永吉くんの腰を掴みました。腕を回してギュッとするのはすごく嫌だったので、掌でつかむように持ちます。
「いきなり動き出すなんて危ないですよ!」
叫んだけれど、風の音にかき消されて声は届いていないみたいです。
仕方がないですね。私は小さくため息を吐きだして、流れる風景に目をやりました。
初めてバイクに乗りましたが、身体に当る風が少し冷たくて、スピード感が少しだけ怖いです。
永吉くんは無言で運転しています。もっとも、この状態で話をするのは無理そうですが。
それにしても、永吉くんもめげませんよね。
私、きっぱりと告白を断りましたし、多分、今後も永吉くんを好きになることはないと思うのですけど。
――まあでも、好きな人を諦められないという気持ちは、痛いほど理解できます。
私は深く息を吐きだして、永吉くんの背中を緩慢に見つめました。
思えば私も、永吉くんにはかなり冷たい態度をとっていましたよね。
永吉くんがめげないので気にしませんでしたが、自分と同類かもしれないと思うと、色々と反省した方が良い気がしました。
いやでも、私と同種だとしたら、優しくしたらとことん調子に乗るような気も……あれ?
じゃあ、このままの方が良いんでしょうか。
私がうんうん悩んでいると、いつの間にか目的地へ到着していたようです。
指定した最寄駅近くのファーストフード店の駐車場にバイクが止まると、私はダンデムシートから飛び降りました。
「お疲れ様。大丈夫? バイク、怖くなかった?」
「大丈夫です。送ってくれてありがとうございます」
私がお礼を言うと、永吉くんはヘルメットを外しながら白い歯を見せて笑いました。
「お礼はいいよ。俺、彼女を後ろに乗せて走るの、夢だったから」
「彼女じゃありませんけどね」
きっぱりと否定しながらも、永吉くんの調子に乗った言葉が、自分のソレと重なるようで苦い気持ちになりました。
やっぱり永吉くんって、私のこと、まだ諦めていないのでしょうか。
……いないんでしょうね。この言動から考えても、すぐに分かります。
どうしましょうか。こうもはっきりと向けられる好意に気づいてしまっては、結論を出したくて仕方がありません。
「それじゃあ、俺はこれで……」
「永吉くん、良ければ、ちょっとお話しませんか?」
「え?」
私が引きとめると、永吉くんは驚きに目を見開いて私を見つめました。
「時間が無いなら結構ですけど」
「とんでもない!もちろんつきあうよ!」
永吉くんは満面の笑みを浮かべると、首をぶんぶんと縦に振りました。永吉くんが犬だったら、愛らしく尻尾を左右に振っているのが見えそうです。もっとも、永吉くんは犬ではないですし、やっぱり顔が好みじゃないので愛らしくは見えませんけど。
私と永吉くんは連れだってファーストフード店に入ると、一番端の席を陣取りました。もう時間も遅いので、夕飯のつもりでハンバーガーも頼みます。無言でハンバーガーにかぶりつく私を、永吉くんは目を細めて観察していました。
さて、どう話を切り出しましょうか。
「永吉くんって、まだ私に気があるのでしょうか」
「ブッ!」
直球で尋ねると、永吉くんは口に含んだコーラを吹きだして咳き込みました。
「な、なななな、にゃにをいきなる」
「私が永吉くんをフった後に、美穂ちゃんが、まだ永吉くんが諦めていないみたいだってことを言っていたので、本当かな? と」
「……三崎め。余計なことを」
永吉くんは舌打ちをすると、憎らしげに美穂ちゃんの名前を呟きます。
そのあと、あーとかうーとか、言葉を探すように何度も唸って、ようやく口を開きました。
「うん。まあ、好きだよ。だからこそ、泣き腫らした顔した上月さんを放っておけなかった。どうでもいいヤツだったら無視してるし」
永吉くんはポリポリと指で頬を掻きながら、気まずそうに答えました。
「やはり、そうなんですか」
「え、感想それだけ? 他になんかないの? こう、思い続けてくれて嬉しいっ! みたいなの」
「ごめんなさい」
「返答早っ! そして容赦がないっ!」
永吉くんは声を荒げて叫ぶと、がくりと力なくテーブルに頬をくっつけました。
永吉くんの告白を断るのは二度目です。けれど、断るときの心境に、少し変化がありました。
前は、永吉くんの顔が無理で、とにかく早く断って逃げ出したい気持ちしかありませんでした。
いえ、今だってやっぱり永吉くんの顔は好みじゃないですし、永吉くんの気持ちに応えるのは無理だと思っているのは変わりません。けれど、私が雅人くんを思うような気持ちを向けてくれているのだと思うと、なんというか、気持ちに応えられないことが申し訳ないという、罪悪感のようなものが浮かんでくるのです。
「ごめんなさい」
「……二度も念をおして断るとか、ヒドくない?」
「違うんです。いえ、違うこともないんですけど、でも、そうじゃなくて。前に告白してくれた時、私、ちゃんと永吉くんの気持ちを考えてなかったから」
「え?」
私の言葉に驚いたように、永吉くんはテーブルから顔を持ち上げました。
「私、永吉くんが好きだって言ってくれたのに、きちんと考えないで、その、正直言うと面倒だなって思って断っていたんです。まったく永吉くんに向き合おうともしていなかった。それって、本当に酷いことだったんじゃないかって思ったんです」
永吉くんだけじゃありません。他にも、私に告白してくれる人はたくさんいました。
けれども、私は彼らのことを何も知ろうとしないで、ただ容姿が好みじゃないから、という理由で断っていました。面倒だと思っていました。
断るという結果は変わらなかったかもしれないけど、もう少し断りようがあったというか、相手の気持ちも考えるべきだったのではないでしょうか。
そりゃあ、中には軽い気持ちで告白してきた人もいると思いますが、本気だった人もいたかも知れません。
永吉くんがどっちなのかは分かりませんけど……断られても諦めなかったというなら、後者の可能性が高い気がします。
私の言葉を聞いた永吉くんは目を瞬いて、それから苦い笑みを浮かべました。
「そうやって真剣に考えてくれても、やっぱり結果は変わらないんだ?」
「……ごめんなさい」
私は胃に苦いものを感じながら、それでも再度、謝罪の言葉を口にしました。
好きな人に拒絶される辛さを知ってしまった今だからこそ、謝罪の一言が鉛のように重く感じます。
私は今、永吉くんを傷つけているのでしょう。
それが辛くて、私は唇を噛んで下を向きました。机の端を眺める私の耳に、永吉くんの声が届きます。
「上月さんは酷いな。そんな顔で断られたら、好きだ! なんて言い続けられないじゃないか。これからもガンガン押す予定だったのにさ」
冗談めかした永吉くんの言葉に背中を押されたような気持ちになって、私は顔を上げました。
永吉くんは困ったような顔で笑っていました。
「俺の言葉なんて、本気で受け止めて落ち込まなくて良いよ。いつもみたいにさ、スルーしてくれるくらいで良い。ああいうやりとり、嫌いじゃないから」
「……永吉くんは特殊性癖な人ですか?」
「違うからね!? スルーされて喜んでるわけじゃなくて、落ち込んでる上月さん見るよりはスルーされる方がマシというか、いやでも、スルーされるのも嫌いじゃないけど。 あれ? 特殊性癖なのか?」
自分で言って、慌てたように目をきょろきょろさせる永吉くんを見て、私は思わず笑ってしまいました。
そんな私を見て、永吉くんはホッとしたように表情を綻ばせます。
断った相手にフォローまでさせてしまうなんて、まだまだダメなところばかりですね、私は。
「ありがとうございます、永吉くん」
美穂ちゃんは、永吉くんは顔が良いのでモテると言っていたのですが、それだけじゃなくて、こういうところがモテるのかもしれません。
「お礼を言ってくれるならさ、その、教えてくれないかな。上月さんが泣いていたのとか、こうやって俺と向き合おうって思ったのって、やっぱり、好きな奴ができたから?」
「……そうです」
この流れで黙っているのも酷い気がして、私は正直に首を縦に振りました。
「今日、永吉くんに会う前に、その、フられちゃったんです。それで、ちょっと落ち込んでいて」
迷惑だって、言われちゃったんですよね。
思いだしただけで、涙がこぼれてしまいそうです。
あれだけきっぱりフられてしまったら、やっぱりもう、雅人くんには関われないのでしょうか。
「それって、前に言ってた花沢雅人ってヤツ? 嘘つきの?」
「雅人くんは嘘つきじゃないですよ。ちゃんと工学科にいましたし」
「え?」
私の言葉に、永吉くんは記憶を辿るように目を伏せたあと、困惑した顔で私を見ました。
「工学科にいた花沢雅人って、なんていうか、形容しがたい容姿の、太った奴だったんだけど」
「多分、その雅人くんで間違いないですよ」
「…………え?」
永吉くんは小さく呻くと、そのままたっぷり数十秒、動きを止めました。
「え、いやいや。何いってるんだよ、上月さん」
「嘘じゃないですよ」
「え? ええ? いやいやいや。だって、ひと目惚れだって言ってなかった?」
「ひと目惚れでした。その、私、男の人の好みが、普通の人とかなり違うみたいです」
「え? ええ? ええええええええっ!?」
私の言葉をようやく飲みこんだのか、永吉くんは悲鳴じみた声を上げて、がたりと席を立ち上がりました。
「ちょっと待って。本気で? その、アレにひと目惚れだったの!?」
「人をアレよばわりするのは良くないですよ。そうです。ひと目惚れです」
私がきっぱり断言すると、永吉くんはこの世の終わりのような顔をしました。
「なんてことだ。俺、なんか、上月さんにフられたことよりショックなんだけど」
「そこまでですか?」
「そこまでだよ! えー、マジか。あー……それで、告白した時の断り文句が、そろって容姿が好みじゃないなのか」
永吉くんはかなりショックを受けたみたいで、ブツブツとなにかを呟きます。
そりゃ無理だよな。とか、分かるわけないよ、とか。
しばらく放心していた永吉くんですが、ようやく私と目を合わせると、残念なものを見るような目で私を見ました。
「上月さんって、なんていうか、特殊な趣味の持ち主だったんだね」
「自覚しています」
「……で、フられちゃったの?」
「はい」
私が頷くと、永吉くんは信じられないと呟いて、片手で顔を覆った。
「世界には理解できない不思議が溢れているもんだな……」
永吉くんは力なく嘆いてから、肩を落として私を見ました。
「その、さ。上月さん。やっぱり俺じゃ駄目? 上月さんをフるような奴よりさ、俺の方が幸せにできると思うよ」
「雅人くんにも、似たようなことを言われました。幸せに出来る自信がないって」
永吉くんの言葉に、私は苦い顔をしました。
幸せにできる自信が無いと言って、フられてしまったのです。
私が落ち込んでそう呟くと、永吉くんは納得したような、微妙な顔をしました。
「あー、まぁ、なるほどなぁ」
「雅人くんの気持ちが分かるんですか?」
「え? あー、まあ。俺はイケメンだから、完全に理解できるとはいえないけど、想像はつく。要は、自分に自信が無いから逃げ出したんだろ? まぁ、無理もないかもしれないけどさ」
自分に自信が無い、か。
雅人くんには、良いところが沢山あるのに。そんな風に思ってしまうのって、やっぱり悲しいなあ。
「俺にしときなよ、上月さん。上月さんから逃げ出すような腰ぬけより、絶対、俺の方が良いって」
永吉くんはそう言うと、返事を待つように私の目を見つめました。
だけど、私は首を左右に振ります。
「永吉くんの気持ちはありがたいと思います。だけど、やっぱり私は雅人くん以外考えられません」
永吉くんの顔が好みじゃないというのもありますが、それがなくても、やっぱり私はまだ雅人くんが好きなのです。
雅人くんは私を幸せにする自信がないといいました。
だけど私は、雅人くんと一緒にいるだけで幸せを感じるのです。雅人くんがいてくれるだけでよかったのです。
「フられても、やっぱりソイツが良いの?」
「はい」
「俺じゃあダメなんだ?」
「ごめんなさい」
私の言葉に永吉くんは大きく息を吐きだすと、困ったような笑みを浮かべた。
「あきらめが悪いね、上月さん。ま、俺の人のこと言えないんだけどさ」
お互い、ままならないものだよね。
苦いものを吐き出すような声で、最後に永吉くんはそう呟いたのでした。




