8-4
翌日も房江は、初芽から許可を得た清麿を身に帯びて帰ろうとしたところ、麻美と一緒になった。
麻美は普段から和装で、今は小紋と袴という装い。少女剣士といういでたちで、房江からするとついつい微笑んでしまう。
房江は父の教えでいつも和装なのだが、今日も朝から外出だったので、鬼の居ぬまに洋装にした。上は質素な白のオープンシャツ、下は膝を覆う丈の絹製のスカート。ただし、剣による戦闘の発生を考慮して、少し深めのスリットが入っている。そんな2人が刀を帯びて歩いている。
麻美は、隊から支給されている刀を帯びている。房江の見立てで選んだもので、無銘ではあるが、上作である。房江が選んだ刀を、麻美が「愛刀」と呼んでくれるのが、房江は嬉しかった。
房江は源清麿と、自分の元々の差料である三代目田路純太二尺三寸一分を帯びている。こちらは業物と評される刀であった。
「いつも思ってたんですけど、2振りを持つのって重くありませんか?」
麻美が房江の腰に目を落とす。
2振りを帯びるのは珍しくないが、2振りとも打刀なのは珍しい。
源清麿を手に入れる前も、やはり2振りの打刀を帯びていた。
「脇差じゃ、心許ないって思っちゃうの。だから、重くても刀を2振り持っておきたいの」
「実戦派ですねぇ。京本新陰流はみんなそうなんですか?」
「ううん、私だけよ。心配性なのよ、私」
麻美は、分かったような分からないような、不思議そうな顔をした。房江のことを、事務方の先輩であると同時に、古流の剣術家だと思っている。自分には分からない剣術家の考え方だと思っているに違いない。
麻美の自宅は八丁堀にある。剣志隊の本営である築地本願寺からは、ほぼまっすぐ北上すれば着く。房江の自宅は、八丁堀を通り過ぎてさらに北にある神田であった。
日が落ちた町の中を、2人が歩く。
あと少しで八丁堀というところで、ふと房江が足を止めた。視線を感じたのである。
「誰でしょうか」
こちらを見張るような人影は見当たらない。麻美は房江の直感を疑っていない。
房江も、自分たちの歩いてきた道をじっと睨んでいる。
飲み屋の赤提灯が点々と灯っているのが見えるだけだ。
異常が見当たらないため、2人は再び歩き始めた。
「麻美ちゃんは、このまままっすぐ自宅に帰る?」
「はい。特に予定はないです」
「家に戻る前に、何かお母さんに頼まれている買い物もないわね」
「はい」
「それでいいわ。今日は外出を控えて。明日、学校に行く時も刀は必ず持って行くこと」
隊士の中には、世間体を気にして学校には刀を持って行かず、剣志隊の本営に行く前に一度自宅に寄って刀を身につける、という者もいる。剣志隊の役割を考えると、房江からは用心が足りないように見える。
麻美が自宅の戸を開けるところを見送ってから、房江は再び帰路に就いた。
神田より手前、旧総武本線の新日本橋駅あたりに着いた時、房江は再び視線を感じた。
その者に害意があることをうっすらと感じる。
房江はまっすぐには自宅へ向かわず、途中で東に折れて馬喰横山へ向かった。わざと人の通りの少ない脇道を選んだ。
家々の隙間の細い路地で止まると、房江は煙草を手にとって火をつけた。彼女は吸わない。こうして道の途中で時間を潰す演技をするために持ち歩いている。
しかし、視線の主は襲って来ない。
今日は、その気はないということか。
房江は用心のためにジグザグと迂回した後に神田に向かい、帰宅した。就寝するまで、尾行者のことが頭にあった。何か、剣志隊に対して企みを持つ者がいる。何も起きなければいいが。
が、房江の考えは悪い形で実現した。
その晩に、剣志隊の隊士が1人斬られた。房江が帰宅した約1時間後である。
斬られた隊士の名は、浜口芳樹。22歳なので房江と同い年。腕は立つ。右肩、右腕に刺突による傷が2か所、死因となったのは喉への刺突の一撃だった。
遺骸からは、浜口の持っていた刀が消えていた。
剣志隊の隊士たちに、すぐに初芽の下知が飛んだ。刀の常時携帯命令、及び、下手人が見つかるまでは2人一組で巡察を毎日行うこと。
隊士たちは各々学校を終えると本営へ直行し、指示のもとに巡察を行った。こういう時は、隊長の初芽も例外ではない。隊士総出で巡察を行う。いつもの場合、たいていは巡察中に警官隊から通報が入り、その情報をもとに目標を追跡、発見したのちに捕縛、が通例だった。
が、初芽の思惑が外れた。
浜口が斬られてから2日後に、またもや剣志隊の隊士が斬られた。遠山法子、16歳。去年に入隊したばかりの隊士だった。胸に深い刺突の傷があったが、致命傷は首への刺突。浜口と同じやり口だったため、下手人は同じと見られた。
浜口の時と同じように、刀が無くなっている。
その翌日に、警官2人が斬られた。1人が背後から心臓を突かれ、もう1人が振り返ったところを首に一突き。どちらも即死だったろう。この時代、通常の警官は拳銃は所持していない。弾が貴重品過ぎるため、銃器を持つ者は非常に限られる。代わりに日本刀を所持していたが、それが無くなっていた。
下手人の目的は、刀狩りと思われた。既に剣志隊2人、警官2人で計4振りを手に入れたことになる。
ただし、短い期間で殺り過ぎた。警官を殺した際に、そのすぐ近くにいた魚屋の主人に目撃され、下手人はそのことに気づいていなかった。
魚屋の主人の話によれば、その者が警官を殺したのは日が沈んだ少し後らしい。まだ暗がりになる前であったため、はっきりと顔を見ていた。
下手人にとって不幸だったのは、その魚屋が学生の頃に絵を勉強しており、特に肖像画を専門としていたことだった。魚屋は剣志隊の要望に応えて、似顔絵を描いた。それどころか、全身像まで描き上げた。
それは、70に手が届きそうなほどの男だった。伸ばした髪を首の後ろでまとめている。目つきは柔らかで、とても人を斬殺できそうもないように見えるが、人は見た目によらないということだろう。
服は、ジャージ。しかし、大小を帯びている。
この似顔絵はコピー機で複写され、剣志隊と警官隊に配られた。
房江は、人相書きを渡されると、吉井の顔をじっと見つめた。ああ、人を殺しているな、と感じた。自分たちと同じ軍人の匂いをかぎ取っている。会えば、斬り合うことになるだろうと予感した。
夜になると、青橋か麻美のどちらかを捕まえて巡察に出た。巡察の相方に事務方を選んだのは、せめて1人は自分の手の届く範囲に置くためである。知らぬ間に自分の後輩が斬られるというのは避けたかった。
下手人が見つからないまま、警官2人が斬られてから2日が過ぎた。
この間に、新たな被害者は出ていない。自分の人相が出回っているのに勘づいたか。
3日目、房江は麻美を連れて巡察に出た。
その日の房江と麻美の持ち分は月島と決まった。築地本願寺からそう遠くない所にある勝鬨橋を渡り、月島の清澄通りを目指す。
この辺りも歓楽街で、屋台と酒を飲む人々がいるが、客の層が違う。歩いていると、どこでどんな仕事をしているのかも分からない風体の悪い男が、無遠慮な視線を麻美に向ける。房江は自然に、その視線の盾になって麻美を隠す。
「いませんね」
歩きながら麻美が緊張を伴った視線を右に左に巡らせている。こうも人がいると、誰もかれもが怪しく見える。
房江は、通りの一角を見つめて視線を動かさなかった。ただ、一言、静かに、
「いるわ。見られてる」
麻美が体を固くする。大きな反応をしなかったのは、そんなことをすれば相手に気取られることを分かっているからだ。
「どこにいますか?」
それには答えず、「歩くわよ」
清澄通りは人通りが多く、視線も多い。どこからか見られてる気がしてならない。しかも、その視線が今も腰に帯びている源清麿に注がれている気さえする。
「麻美ちゃん。背後に気を付けて。もし誰かが近づいてきたら、教えて。ただし、そいつには気取られないようにね」
そう言われて、麻美は背筋が縮こまる思いだった。目を真正面に向けたまま、全ての神経を背後にだけ向けたまま歩いた。
2人は清澄通りを北東へ進んだ。やがて相生橋の西詰に着く。2人は一度も足を止めることなく橋へと歩みを進めた。
粘つくような視線は、より一層強くなった。何気ない仕草で後ろを見れば、そこには大小を帯びた男の姿が見えた。
きっとあれが下手人だ。
しかし麻美は気取られないように、敢えて反応をしない。その利口さが房江には嬉しい。
しかし、この橋で仕掛けるつもりは無さそうだ、と房江は感じた。橋であれば、逃げ場は川に飛び込むしかない。襲うのであれば絶好ではあるが、逆に自分の逃げ道も無いことになる。剣志隊を相手に、逃げ道がなくなるのを避けたか。あるいは、あくまで不意打ち狙いであり、橋の上のように見晴らしが良い所での襲撃は避けたのか。
だが、橋の真ん中で房江は足を止めた。房江は、橋の上では逃げ場が無いなどという事は考えていない。相手を逃がさないためである。
「空を見て、麻美ちゃん」
言われて、麻美は空を見上げた。ここまで来ると、殺気は麻美も嫌というほど感じている。いつあの男が襲いかかってくるか分からないのに、だだっ広い橋の真ん中で足を止めるなど気が気でなかったが、言われた通りに空を見上げた。
綺麗な夜空だった。西暦2000年頃と比べると、夜の街には明かりというものがまるでない。当時なら、マンションや街灯や高層ビルや行き交う車のライトの光に殺され、見える星といえば一等星くらいなものだが、今は小さな星の光まで見える。
「綺麗ですね、房江さん」
麻美がそう小さく呟いた時には、吉井は猛烈な勢いで2人に向かって走り始めたのだった。




