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008:誤解の種

 マイラ夫人はチェレグド公爵家の家政を預かる身として、すぐにメイベルを面接し、その後もなにかと気にかけていた。彼女の大事な坊ちゃまがすっかり誘惑されてしまったのだ。気にならないはずがない。彼女は読み書きが出来るので、メイベルからいろいろ聞き出したいのに、フェリックスから「決して無理に聞き出してはならない。彼女が自分から話すまで待つように」と厳命されている。おかげで想像が膨らんで仕方がなかった。


「サラ・ロビンの言う通り、あの娘はいい家の生まれですわ。

坊ちゃまはあの娘が、マティアス……そう、今、あの娘自身が名乗っている名前ですがね、そのマティアスという男を探しているとおっしゃっていました」


 マティアスと言う名に、ナイジェルはフェリックスの方を見た。すでに聞かされているのだろうマイラ夫人の話を無視して、窓の外を見ているので、笑いをかみ殺しながら、会話をはじめた。


「つまり公爵閣下は横恋慕をしているという訳だ。

それで、そのマティアスとやらはどこに?」


「それがどうもあの娘とは同乗していなかったようなんです。

坊ちゃまは、あの船から助かった人、全員に聞き取りを行ったんですがね、該当するような若い男性を船の上で見かけたと言う人はいないんです。乗組員も、少年には連れはいなかったと。これはあの娘のことですよ。男装していましたからね」


 マイラ夫人が悲しそうな顔をした。メイベルには思うところがあるが、彼女の作り上げた話では同情するに余りある。


「おそらく恋人……いいえ、マティアスと言う男に騙されたんですよ。

甘い言葉を囁かれて、その気にさせられたものの、相手はただの遊びだったか、もしくは親に反対されたか、とにかく面倒になって娘一人だけ船に乗せてどこかにやってしまおうって。

口が上手くて顔がいいろくでなしに、借金の形に売られたのかも」


 よくある話だ。ナイジェルは頷いた。もっとも、マティアスと言う名前に引っかかる。


「確か、”花麗国”のオルタンシア公爵家の嫡男もマティアスと言わなかったか?」


 マイラ夫人は「まぁ、そうでしたか」と驚き、フェリックスはようやく友人の方に視線を戻した。


「そうだ。船はオルタンシアに寄港して、あの娘を乗せた。一人でな」


 二人で行動すると目立つだろう。念の為に男の格好をして。後から乗り込むから、あるいは、先に乗っているから。そんな理由をつけて彼女を一人を海の向こうにやってしまうのだ。娘はたどり着いた先で、マティアスの名を騙る人間の手で船から降ろされ、買主の所に連れていかれる。


「オルタンシア公爵家の嫡男は小さい頃は利発で活発だったが、長じては病弱で、このところは表には出てこないと聞いている。

それもあってか、少なくない縁談をことごとく断り続け、この間、かなりの良縁も駄目にしたオルタンシア公爵は完全に愛想を尽かして、跡継ぎは次男にしたいから、長男はいっそ死んでしまえばいいと公言して憚らないそうじゃないか」


「まぁまぁ、なんて男でしょう! オルタンシア公爵のことですよ。

そうならば、あの娘と長男を引き離したのはオルタンシア公爵に違いありませんわ」


 恋人に裏切られるよりも、その父親の横やりの方が、まだ救われるとマイラ夫人は思ったのだ。「では借金の形ではありませんね。オルタンシア公爵の嫡男はあの娘と真剣に交際していたのですわ。降るほどの縁談を全て断ったのも、あの娘の為でしょう。けれども、父親は許さなかった……良家とは言え、公爵家と身分が釣り合うほどではなかった。少なくとも爵位は必要ですもの」


「いずれにしろ、オルタンシア公爵家の嫡男は恋人を守らなかった」


 フェリックスはあの夜、ならず者三人組に向けたものと同じくらい怜悧な声で言った。 


「遭難者だけでなく、あの船を襲った”海の未亡人たち”にも多少、事情を聞けたのだが……」


「そうなのか!? よく連絡が取れたな!?」


「ああ、神出鬼没の私掠船だ。なんとか伝手を辿ってなんとか連絡を取って、この間ようやく手紙が届いた。

なぜあの船を嵐の中で襲ったのか――」


「宝物が載っていたんだろう」


 街でも噂になるほど、不可解な行動だった。


「ああ、ある意味な」


 二つと無い美しい宝物が乗っていた。


「オルタンシア公爵家に巣食う海賊の連中が、資産家の老人に”オルタンシアのうら若い娘”を一人、高値で売った――と言う情報を掴み、それを聞いた”未亡人たち”が義憤に駆られて、助けに行ったそうだ。

娘は見つからなかった、とある」


 そして「公爵閣下はその娘のことをご存知ですか」と続いたので、「その娘のことは何も知らない」と返しておいた。

 本当のことだ。彼女は自分に、何も語ってくれないのだから。


 アルノー伯爵と家政婦長には、公爵が内に激しい感情を押し込んでいるのが分かった。ナイジェルが慎重に口を開く。


「不実な男だ。

あの娘だって、いつまで経っても男が迎えに来なければ、その内、愛想を尽かすだろう。

早めに真実を教えて、諦めさせた方がいい」


「もし、自分が裏切られたと知ったら、どれだけ悲しみ、失望するだろうか考えないのか?」


 彼女に生きる希望を与えているのがマティアスへの愛ならば、フェリックスはそれを不用意に奪うことは出来ない。彼女のマティアスへの愛を含めて惹かれているとしたら、それはなんとも忌々しく、狂おしい感情だろう。


「だけどさぁ、相手がオルタンシア公爵家の嫡男・マティアス殿なら、いずれ分かることじゃないか?

公爵家の嫡男が自領を離れたら、噂になる」


「以前からあちらにやっていた斥候からの報告によると、マティアス殿は病篤く、臥せっているらしい」


 もともと病弱な上に、恋人と引き離された心労なのだろうか。


「可哀想だが、同情は出来ないね。

恋は戦だぞ。とにかく相手の心の中から他の男を追い出さないと、入り込めないだろう。

どうなんだ? 彼女はお前に少しでも興味がありそうか?」


 その問いに、マイラ夫人は「坊ちゃまは、崇拝されていますのよ」と嬉々として答え、フェリックスは渋い顔をした。


 どんなによく言っても、畏怖だろう。

 彼女は時々、彼のちょっとした仕草に対し、身を固くし、歯を食いしばって、何かに備えようとする。

 何か、とは、おそらく殴打なのだろう。身体に残された傷跡から考えると、日常的に暴力を受けていたことは明白だった。サラ・ロビンも「良い育ちをしている娘だ」と感想を述べた後、「だけどひどい扱いを受けてたようです」「あたしもあんまり大きな声や物音を立てないように気を付けてはいるんですよ。あの娘が怯えるもんでね。……まぁ、完全にとはいかないけどさ」と付け加えたほどだ。

 そんな育ちだからなのか、殴られないのだと分かると、感謝に満ちた目で見られるのが、フェリックスは堪えた。

 誰が彼女にそんな真似をしていたのかは知らないが、自分も同類と思われている節がある。

 心外ではあるが、心当たりもあった。

 はじめて会った夜に、彼女の前で、彼は二人の男を切り殺していたからだ。美しい顔をあんな汚らわしい男の血で汚してしまった。

 乱暴で暴虐な公爵だと思われているに違いない。

 彼は自分がオルタンシア公爵領で”血と女に飢えた野獣”と呼ばれているのを知っている。当然、あの娘の耳にも入っているはずだ。

 だが、それは戦場や非常時での話である。普段からそんな横暴な性格ではない。

 これから、それを分かってもらえるだろうか。

 

 ため息を吐くフェリックスの代わりに、マイラ夫人が熱弁をはじめる。


「サラ・ロビンも言っていますわ。

あの娘は公爵閣下のことを素晴らしいお方だと思っているに違いないと。

私も、そう思いますわ。あの娘が坊ちゃまを見る目には、敬意が感じられます」


「なるほど、異性としては見られていない……あ、悪い、悪い」


 フェリックスとマイラ夫人の顔を交互に見たナイジェルが、彼なりの答えを出すと、マイラ夫人は不服そうに鼻を鳴らした。


「あの娘が何者か知りませんがね、今は公爵家の使用人です。坊ちゃまに対して抱くのは恋愛感情ではなく、尊敬です。何も間違ってはいませんよ」


 主人の気持ちを真っ向から否定したマイラ夫人は、さすがに出過ぎた真似をしたことに気づき、「では私はこれで、ナイジェルさま、ごゆっくり」と出ていってしまった。

 フェリックスと残されたナイジェルは、嫌だなぁ、と思ったものの、友人が報われない恋心に悩んでいるのを見捨てる訳にはいくまい。


「しかし、チェレグド公爵閣下をそこまで夢中にさせるなんて、どんな娘なんだ?」


 敢えて、フェリックスを押しのけて窓から外を見ようとする。


「やめろ」


「いいだろう、ケチ」


 本気で嫌がる友人に対し、ナイジェルは簡単に引いた。友人の恋を、面白がって応援出来れば、どれだけいいだろう。現実は、そう甘くない。


「冷静になれよ。

彼女は少なくとも”花麗国”の人間で、その上、オルタンシア公爵家の手垢がついた娘だったとすれば、下手な間者より、性質が悪いぞ」


 一部気に入らない表現はあるが、その通りだとフェリックスも思う。彼女が口を利かないのは、敵国の、しかもオルタンシアの娘だと知られないようにだ。慎重で聡い。そしてもったいない。うわ言でしか聞いたことはないが、声も美しいのに。あの声で自分の名を呼ばれたら、どれほど幸せだろう。マティアスは、当然、彼女に名前を呼ばれていただろう。


「聞いてるかー? 俺の言っていること、理解しているか?」


「聞いているし、理解している。

王都の連中に知られたら、チェレグド公爵には叛意があると捉えられかねない。

オルタンシア公爵家から女を差し出されて受け取った。密通している――と」


「あ、そんな腑抜けているくせに、分かっているんだ。じゃあ、もう一つ」


 恋の感情に翻弄されながらも、なんとか浮いているフェリックスに、さらに念を押しておく。


「マイラ夫人の話を聞いたな」


「どの話のどこら辺を?」


「”良家とは言え、公爵家と身分が釣り合うほどではなかった”のところだ。

マティアス殿は公爵家の嫡男で、お前は公爵……しかも敵国の公爵だということを忘れるなよ」


「ああ……」


「まぁ、マイラ夫人の話も、大概、憶測だからなぁ」

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