010:女王の器
その日も休日だった。
サラ・ロビンがメイベルに新しい服を用意してくれて、「これからは一緒にお祈りに行こう」と誘ってくれた。最近、彼女は妙に優しい。朝にはパンと新鮮な玉子が用意されていた。
「そう言えば、夫が生きている頃、休みの朝は、パンと玉子を食べていた」
フェリックスの問いかけで、サラ・ロビンは夫への愛を再確認したようだ。玉子はメイベルが焼いた。なかなか上手に焼いた上に、野菜くずと魚のアラでスープまで作ったので、サラ・ロビンが驚く。
「あんた料理が出来るのか?」
街の食事処で教えてもらったのだが、メイベルも驚いた。自分で食事を作れるなんて、以前は考えたこともなかった。
味の評価は置いておくとして、二人は久々に満足出来る休日の朝食を取った。
それから身ぎれいにして、お祈りの為の服を着る。サラ・ロビンは当然のように男物を用意して、メイベルは当たり前のように受け取った。
サラ・ロビンが留守番を頼みに行っている間、メイベルは”宵闇”を城壁の向こうにある街道脇の放牧場に連れていくことになった。公爵の考えとは相違して、馬丁に言わせれば「馬の世話に休日なんてあるもんか」である。
”宵闇”の手綱を引いた彼女の気持ちは、フェリックスの気持ちを知って、一刻も早くここから出ていきたい衝動と、全く反対の望みで、揺れ動いていた。
(公爵閣下の恋が実る為なら、いくらでも協力したい。あの方が苦しむ姿は見たくないもの。
ああ、でも、とても辛いわ。
どんなに望んでも、私は公爵閣下の隣にはいられないのに、どうしてそんな風に思ってしまうのかしら)
かつては公爵家の認められない子どもで、今は厩の雑用係だ。
過ぎた想いだろう。
おまけにフェリックスのことばかり頭を占め、マティアスのことが後回しになってしまうのも彼女を苛んだ。
(お母さまは今でもマティアスを待っている。マティアスの行方の手がかりをつかんだのに、私は自分の空しい望みで時と機会を逃している。
たとえ海賊に成り果てたとしても、お母さまはマティアスの成長した姿を見たいはずではないかしら。
オルタンシア公爵家の為にならないとしても、せめてそれだけでも叶えるべきだわ)
重い足取りで、やはりここから出て行った方がいい、という結論に辿りついた時、遠くから街道を騎馬がやって来るのが見えた。
馬は栗毛で、小柄な人間を乗せている。
どんどんと近づくにつれ、女性なのが分かった。
すっかり姿が分かると、メイベルは目を見張った。
見事な赤毛は乳白色の肌を飾り、魅惑的な形の唇は赤く塗られ、頬は上気して薔薇色だった。揺れる耳飾りは目の色と同じ青い色で、えんじ色に金の飾りの服は、男が着るようなものであるが、女性の身体に沿った仕立てで、メイベルのように柔らかい肢体を押し殺してはいない。むしろドレスよりも強調して見えるくらいだが、決して下品ではない。機能性を保ちながら、凛々しい気品に溢れている。
公爵の黒い馬を認め、彼女は自身の馬の歩みを止めた。
「フェリックス? フェリックスがいるのか?」
華やかな容姿の年若き美しい女性が、チェレグド公爵を訪ねて来たのだ。メイベルの心音が高鳴る。
「……テオ?」
馬上からメイベルを顔を見て驚いた女性は、泣きそうな顔になってから、満面の笑みを浮かべた。
「テオ! テオなの!?
どうしてここに? いつ帰ってきたの?
ああ、何も言わなくても構わないわ。
お家の関係なのでしょ?
でもここにはフェリックスがいる。テオにこんな危ない真似をさせるなんて!」
素早く馬から降りた女性に、手を握られる。
彼女はメイベルを誰かと勘違いしている。可能性のある人間はただ一人。
(マティアスのことなの!?)
「フェリックスに会いにきたけど、もうどうでもいいわ。
テオにまた会えるなんて……!!」
思いもかけないところから出てきた話に、メイベルは歓喜と戸惑いの中にいた。赤毛の女性も同じように興奮している。
その時、向こうから数名の馬に乗った男たちが迫ってきた。遠目では、青いマントに金色の線が二本、交差しているものを羽織っているようにも見えるが、どうにも風体が怪しい。
赤毛の女性が叫んだ。
「大変! 逃げないと!! 私と一緒に来て!」
メイベルはサラ・ロビンに言わせると、何も出来ない娘だったが、全く出来ない訳でもなかった。小さい頃から、オルタンシア公爵家の嫡男としての知識と技術は叩き込まれている。馬術もその一つだ。
サラ・ロビンは、この間とは反対に、メイベルが若い娘を攫うように馬に乗せて去っていくのを見たし、フェリックスは二人乗りの馬を駆って、追ってくる刺客から逃げ切る姿を知ることとなる。
***
「グウェンダリン! 我が君。我らが女王陛下! なんたる軽率な真似をなさいましたか!!」
「チェレグド公爵領は物騒なのね。道もまともに歩けないの? これでは領民が苦労してはいないかしら?」
赤毛の女性は悪びれない。彼女は今、街の食事処兼宿屋の二階にある客室の上席に座っている。周りには青地に金の線が縦横それぞれ二本、交差しているマントを着ている人間が数名。今度こそ、本物の近衛兵だ。アルノー伯爵ナイジェルもいた。フェリックスは片膝をついて臣下の礼を取っているが、今にも爆発しそうなほどの怒りに支配されていた。なけなしの理性を総動員して階下に声が漏れないように苦慮していたが、相手はおかまいなしだ。
「それは誠に申し訳ございません。いつもは危険な道ではありませんが、今日は勝手が違ったのでしょう。たとえば、常に命を狙われている人間がフラフラと歩いているとか?」
「フラフラとは歩いていないわ。馬に乗っていたんですもの。あの方はどこ?
私を助けてくれたのよ」
「マティアスならば階下におります」
「マティアス? ふーん、そういう名前なの」
グウェンダリンは微笑んだ。それだけみると、大層、可愛らしいのが、憎々しい。
五年前、エンブレア王国に新たな王が誕生した。即位当時は十二歳という若さで、しかも“女王”だった。
諸外国は若い娘を王として戴いたエンブレアに対し、表面的には祝意を表したものの、裏では大いに侮り、隙あれば何かしらの利益を吸い出そうと虎視眈々と狙いはじめた。
最初に動いたのが”花麗国”のオルタンシア公爵だった。彼は、女など少し大きな声で怒鳴って、拳を振り上げるふりを見せれば、泣きながら許しを請うはずだという考え方をしていた。海賊に港を貸し、エンブレア王国の商船だけではなく、漁船まで含めた、あらゆる船を襲わせはじめる。交易は混乱し、浜には夫を失った妻が溢れた。
オルタンシア公爵の思惑に反し、若きエンブレア女王は泣き寝入りなどしなかった。彼女は敢然と立ち向かう姿勢を見せ、”海の未亡人たち”と呼ばれていた海賊に私掠免許状を出し、これを私兵として扱った。オルタンシア公爵領は海賊の根城になったのに対し、”海の未亡人たち”はひたすらに”花麗国”の船を狩り、取り分を除いた利益の残りを女王に献上しはじめた。その金で、グウェンダリンはこれまで乏しかった王室の海軍を増強し、さらにオルタンシア公爵に対抗した。
その間、国内の貴族はと言えば、筆頭公爵のチェレグド公爵と数名を除いて、諸外国と同じような反応だった。フェリックスが積極的に自国の王を支持し、忠誠を誓ったことにすら陰口を叩く。
曰く、女王に取り入ってエンブレアを我がものとしようとしている。
それどころか、すでにグウェンダリンはフェリックスの傀儡になり果てているのではないか。若い女王にこのような果断な処置が出来るものか。
ついにオルタンシア公爵に呼応した貴族が反乱を起こした。軍勢を率い、鎮圧したのはフェリックスだった。王家の兵と公爵の私兵の寄せ集めだったが、フェリックスの指揮は的確で、勇猛果敢な彼の後に皆が一丸となって従った。海からは”未亡人たち”の援護射撃もあった。勝敗はあっけなく決まり、反乱を起こした貴族は首を刎ねられた。
今、女王とチェレグド公爵が対峙しているのが、その貴族が治めていた地だ。
女王は”花麗国”オルタンシア公爵領が見える領地に、信頼厚き公爵を置くことで、国の守りとした。
とは言え、王宮内でフェリックスほど信用でき、また頼りになる人間が乏しいグウェンダリンとしては、自分の側にも置いておきたい。悩ましい問題だ。それを解決する為に、彼女は必要になったら相手を呼びつける、はた迷惑な方法を考え付いた。
「呼んだらすぐに戻れと言ったでしょう。ナイジェルまで遣ったのに。
何かあったかと思って、心配で堪らなかったの」
無駄に王宮に召し上げても、唯々諾々と従うチェレグド公爵の姿は、女王の権威を高めるのに役に立つ。それはフェリックスだって理解して、協力してくれていると思っていた。それが出来なくなるなんて、自分への反抗だ。もしくは、自分に言えない問題が起きたのか。
「こちらの領地でもやらねばならないことが多くあります。
手紙で済むことは、それでお許しください」
「手紙? ああ、そうだ。フェリックスがどうしてもと頼むから、私が例の未亡人に連絡をとってあげたのに、それがこの仕打ち?」
貴族の反乱、海賊の掃討など、フェリックスは何度か”海の未亡人たち”と共同戦線をはったが、彼らはあくまでも女王の私掠船であり、彼自身との接点はなかったのだ。伝手とはグウェンダリンのことだった。未だに、なぜグウェンダリンが”海の未亡人たち”とよしみを通じているのか、フェリックスですら分からない。
「ねぇ、そんなに足のある人魚姫は魅力的なの? これまで公爵の寝台に上がった数多の女たちの誰よりも?
――それから、私よりも?」
「人魚に足はありません。若い娘が男の寝台についての話題など口にするべきではありません。私の忠誠は陛下のものです」
フェリックスは階下にこの会話が聞こえないことを祈った。そして、グウェンダリンにとっても、自分にとっても不都合なこの会話はここで終わらせるしかない。事実、彼の管轄する地で、女王は襲われたのだ。非はフェリックスにある。
「街道の安全が確認されるまで、ここでお待ちを。
薔薇水か何か、心が落ちつくものをお持ちしましょう」
「いらないわ。
フェリックスが飲みなさい。
眉間の皺、すごいわよ。あなたこそ心を落ち着けた方がいいわ」
ああでも、”炎陽”にはたっぷりと水を上げてね。あの子はよく走ったわ。
グウェンダリンはこれで説教は終わり、とばかりに、フェリックスに手を差し出した。
公爵は女王の手に口づけをすると、部屋を辞した。
***
フェリックスが居なくなったのを確認したグウェンダリンは、ナイジェルを手招きした。
「ねぇねぇ、チェレグド公爵閣下を夢中にさせている足のある人魚姫は館のどこに隠されているのかしら?
あなた、知っている? 私、会ってみたいわ」
ナイジェルは階下にいる男装の娘が足のある人魚姫だと思っていた。しかし、彼はグウェンダリンが階段を上がる前に”マティアス”に素早く片目を瞑ってみせたのを目撃した。二人は知り合いのようだ。彼女がそうでないとすれば、「さぁ、私めには、何が何やら分かりません」。




