八五 氷と炎と鬼と心と
義虎は畜生道を斬り進む。
碧らは毘沙門天へ立ち向かう。
時を同じくして大和国では、全国覇術学校〈御前試合〉が開催されていた。
「キラが優勝するかんね!」
「きららよ、聞き飽きたぞ」
瑠璃里の七色城、土俵下。
一四五センチの少女が跳び上がり、一九二センチの少年と目線を揃えた。
「ぎんぎんも優勝したいんでしょ? 究極にメラついてよ張り合ってよぉ」
「無論、全力を賭して臨むが、それは先輩方に並び護国を担うがため……」
「イケメン天才バカ生真面目!」
義虎が治めていた琥珀里を除き、都を含めた各里には一校ずつ覇術学校がある。
毎年恒例となっている御前試合では、各校において最も高い成績評価〈秀〉を得た学生が振り分けられ出場し、天皇や文武百官に見守られ一騎討ちする。三回戦からは超魂覇術を使うことが許され、勝ち進めば進むほど翌年の戦場実習生に選ばれやすくなる。なお開催地は朝議により吟味され、年ごとに異なる里が選出される。
今年はすでに四強が出揃った。
「そんなユーに問題です。去年、優勝したのは?」
「胈又妖美どのだ」
麗亜も出場したが、当時は超魂覇術を会得しておらず、宍戸夏姫という超魂使いと対戦し敗退した。殉職した焔剛猫三郎も出場し、将軍・鷲朧の娘である棘帯夢羽と超魂覇術をぶつけ合い、惜敗している。
「ナウ注目の鳥居碧ちゃんて、出てたっけ?」
「病欠されたらしい。お爺さまにお聞きした」
南から陽が差してきた。
上がるよう号令された。
「ふむ、これより五回戦、一試合目を行う。東の方より名乗られよ」
瑠璃里の領主および七色城の城主たる将軍《皇神》山吹陽波が行司を務める。山吹色の髪を長くなびかす、八百万派の重鎮にして《雷神》の娘である。
その前には延々と土俵が広がり、後ろには天守閣がそびえ各階に露台を構える。
傀儡の天皇・天龍匣飾や皇族たちが座す。
大将軍《火之迦具土》焔剛獅獣と将軍《雪鬼》夷傑晩露の両〈中納言〉を筆頭とする朝臣たちが座す。
各里の軍隊を代表する武官たちが座す。
各行政機関を代表する技官たちが座す。
各覇術学校を代表する教官たちが座す。
そして、あらゆる武官と文官、それらが就役する朝臣、軍長、軍師、領主、長官をことごとく統べる宰相〈大納言〉にして、高天原派を統べる絶対権力者、大将軍《閻魔》富陸毅臣が座す。
揃って黒い冠を頂き、礼装である色違いの束帯を纏う。
初級武官は深緑色である。
初級文官は浅緑色である。
中級武官は赤紫色である。
中級文官は青紫色である。
上級武官は漆黒色である。
上級文官は本紫色である。
大臣は黒紫色である。
皇族は若紫色である。
天皇は京紫色である。
将軍は漆黒色であり、赤い陣羽織を重ねる。
大将軍は漆黒色であり、赤い羽織を重ねる。
大納言は冠が赤く、天皇は冠に簾を垂らす。
ざっと、短いツインテールを跳ね回らす少女に送り出され、肩まで流す銀髪をそよがせ、正装である狩衣を蒼くはためかせ、背筋を正し拳を握り眼差しを定め、少年は大舞台へと踏み出した。
「我こそは! 金剛里が主席にして夷傑一族宗家が嫡男、夷傑銀露なり!」
「ぶ、ひいいいん!」
ぬっと、銀露は西の方より現れた巨漢を睨む。
「天下無敵の大力無ちょおになる漢! 大力豚鬼爪さまだぜ!」
「ふむ、では始め……」
「行くぜ、おらあっ!」
陽波が号令し終わるまで待てず、地響きを轟かせ、土煙を蹴立て突進してくる。
ハリネズミのごとき橙色の毛皮を襟巻きに、鬼のパンツのごとき橙色の羽織へ袖を通さず、上半身は裸にして長い鬼のパンツをはいた、実に身長二三四、はち切れんばかりに筋骨隆々、ブタの顔をした獣人である。
ばっと、銀露は片脚を下げ腰を低くし、鬼爪が叩き込む拳をいなす。
「大力無双ではござらぬか」
「おう! そう言ったぜ!」
次なる拳を打って逸らす。
「……名乗り方も違いまするぞ、我こそはと申して始め、所属を明らかにし……」
「なんかムズぃこと言ってんが心配すんな! 珊瑚里で一番なのぁ知ってんぜ!」
ごっと、風圧も弾けんばかりの拳が唸り、よけるも、当たった地面が砕け散る。
__なんという怪力……くる!
「超魂顕現『侠腕力鬼』!」
鬼爪の覇術は鬼と化す強化種である。
巨大化する。
腰へ括り付ける覇玉を橙色にぎらつかせ、橙色にでかでか『豚』と書く胴当てと、橙色に双角を突き立てる兜を固め、橙色に尖る毛皮も羽織も鬼のパンツもそのままに、見るからに重そうな片刃の大斧を担ぎ上げ、鋭く長い牙を剥きき出しにし仁王立ちするその身の丈、実に十五メートル。
「超魂顕現『銀旭凍氷』!」
「ぶ、ひいいいん!」
刃渡り、実に五メートル、巨大な斧を叩き込まれる。
「都忘・消せ、呑まん」
止めた。
「ぶひい⁉ 冷てえじゃねえか!」
「冷たいで済むとは、厄介な体積」
白々と細かな水を漂わせ、めきめきと音を軋ませ、巨人化した鬼爪の右上半身が大斧ごと、銀色に眩く凍り付いていた。銀糸縅に編み込まれた大鎧を完全武装し、十文字槍を厳かに構え、銀露は冷気を巻き上げる。
銀露の覇術は氷を操る自然種である。
観衆がざわめく。毅臣が嗤う。晩露は目頭を押さえる。
「されど長く凍ればお命に関わる、どうか降参なされ……」
「ぶ、ひいいいん!」
銀露は唖然とした。鬼爪は凍ったまま、力任せに押しきろうとしている。
「待たれよ、氷はお体へ癒着しておる、強引に動き割れればもろとも……」
ごっと、氷だけ砕き割られる。
「……あり得ぬ」
割り進まれ、大斧を叩き込まれ地面をかち割られ、とっさに跳びすさるも着地した地面にさえ亀裂が駆け抜け、次の瞬間には木端微塵に刻み割られる。膝を付いて倒れるのを堪え、やむを得ぬと心を決め、震える地面へ手を添える。
「石楠花・啼け、謳わん」
「ぶ、ひいいいん!」
どっと、空気も凍らん冷気を固め、巨大な氷山を上昇させる。
ごっと、大地も砕かん膂力を固め、巨大な大斧に爆砕される。
観衆がざわめく。取ったと、銀露は微笑む。
「源氏蛍・散れ、躍らん」
鬼爪の周囲には、粉砕され飛散し落下していく氷山の欠片がまだ残っている。その全てから、一挙に、鬼爪を目がけ、硬く太い氷柱が突き出て襲いかかる。
「ぶひい、痛えな効かねえぜ! ってなんじゃこりゃ⁉」
氷柱はことごとく鬼爪へ突き立ったまま氷結し、視界と動きを妨げている。
「銀星石・研げ、突かん」
びっと、十文字槍を凍らせ巨大化させほとばしらせ、首を狙う。
寸止めするつもりである。御前試合では、相手を討ち取らずに勝つことが奨励されている。喉や胸といった急所へ刃を突き立てれば、行司に勝負あったと告げられる。
がっと、氷の槍にかぶり付かれ、噛み砕かれた。
なっと、銀露は硬直し、反応し遅れてしまった。
「ぶ、ひいいいん!」
「清白・断て、昇ら……」
氷の壁を築こうとするも築ききれず、会場を余さず驚愕させる圧巻たる金剛力をうち固める大斧を叩き付けられ、粉々に叩き割られ銀色の露をまぶし上げられ、叩き潰されかけた。
ぎっと、銀露は目を閉じた。
目を開けた。山吹色に輝き、陽波が覇力甲を脚へ固め跳び込んで大斧を蹴り付け、軌道を逸らして助けてくれた。大斧は土俵を崩落させんばかりに刻み割り、鬼爪が目をぱちくりさせ、銀露は再び目を閉じ膝を屈した。
「ふむ、そこまで。勝者、大力豚鬼爪」
「決勝進出だぜ! ぶ、ひいいいん!」
「ビックリしたんだよね、だって、あんな後先考えない力づくな……」
きららは悔しかった。
ずっと銀露を見てきた。どれだけ努力してきたか、誰よりもよく知っていた。遊ばず恋せず企まず、護国に殉ずる一族の掟へ心酔し堅苦しいが、ライバル視して競い合ってきた。全土が注目する大舞台で向かい合い、あっぱれな一騎討ちを演じたかった。
「ぎんぎんに勝って優勝したかった!」
「すまぬ。されど我は未熟であったのだ、あれが戦場なればいかがする。幼き頃より努め続けし全てを一瞬にして水泡と帰す愚行ぞ、何より……夷傑の責務を果たさず埋もれるなど、断じてあってはならぬ!」
土俵下へ戻った銀露は俯いていたが、俯き続けはしなかった。
「きらら頼む、優勝してくれ」
「ぎんぎんの仇、討ってくる」
ばっと、きららは父親譲りの黄色い羽織をひるがえし、出陣した。
「ふむ、これより五回戦、二試合目を行う。東の方より名乗られよ」
跳び上がり、土俵へ舞い降りる。
「我こそは! 金剛里が次席にして究極にマジ英雄だった将軍《火神》炎火臆母が遺児、炎火きららなり!」
相手を見やる。自分より小さい。
「わ、我、こそは、瑠璃里、が主席、蒼泉咲、なりぃ」
「ふむ、では始められたし」
「超魂顕現『雲母天照』!」
半袖半袴をセーラー服へ変えつつ踏みきり、ぶかぶかの黄色い羽織をはためかせ薙刀を引っさげ疾走し、空気の揺らめく熱気を纏い、びくつく咲から目を離さず、きららは一気に距離を詰める。
きららの覇術は炎を操る自然種である。
「黄色い火!」
手を突き出し火炎放射する。かわされる。
接近しながら連射する。かわしきられる。
「すばしっこいじゃん、さすがワンちゃん」
近付いて分かった。咲はスミレ色の髪を一つ結びにし耳を立てる、イヌの半獣人である。四強では最年長と聞いていたが、身長一三四、眉は下がり、指先しか出ない水干を着る細い体より、ふさふさした尻尾の方が大きい。
「でもソーリー、すばしっこくても回避できないの撃つよ」
ごっと、覇力を噴き上げる。黄色く、火力を噴き上げる。
「キラ負けらんないから」
「え、ご、ごめんなさい」
「絨毯・晴れ目覚める!」
絨毯を敷くがごとく、一瞬にして前に広がる一面を焼き払う。
焼き殺さないよう咲の周りだけは炎を削いだ。必要なかった。
手刀を打たれ払いのけた。咲が走り、目前へ迫ってきていた。
「ファッ⁉ かいくぐったの⁉」
「え、だって、燃えたくないし」
「そりゃね⁉ でも前進する⁉」
柄で打つも払われる。回し蹴るも受け流される。跳んで蹴るも伏せられ、そのまま前進し背後を取られる。振り向き斬り付けるも間に合わず、右手を握られ、絡め取られ柄を離してしまう。
臆さず咲の手を掴み返す。残った片手で気張り薙刀を掲げる。
「秀で歌い壊す!」
薙刀の刀身を燃え上がらせる。燃ゆる剣圧を飛ばす技である。
「外さないし逃げらんないよ、ギブして……」
「超魂顕現『菫咲泉心』」
咲が月桂冠を頂き、妖精を彷彿させる布の少ないワンピースから素足を伸ばし、桃色に霊気の渦巻く矢を携える。霊気が光り、きららは呑まれる。
「孝、ほしいな」
はっと、きららは薙刀を投げ出し座り込み、咲の手を揉みしだいた。
「ごめんなさい! キラなんてことを……許して、もうしないから!」
会場がざわつき晩露が立ち上がる。
咲の覇術は心を操る世界種である。
仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌。
人が護るべき八つの徳になぞらえ、八種の効果を及ぼす。ただし覇術領域は狭く、接近するか射撃するかして、矢に籠めた霊気を当てなければならない。さらに矢は八本しか現わせず、それぞれ一種しか効果を有することができない。
「ふむ、されど恐るべき力ですよ」
陽波が微笑み、銀露は強張った。